第34話 紅い花の烙印


「デートしようか」

 時雨さんが朝ごはんを食べながら、にっこりと私に聞く。


「考えてみたら、結花と二人で何処かに出かけたこと、ないでしょ? 行きたいとこある?」

「時雨さんと一緒なら何処でもいいです! 動物園でも水族館でも付いて行きます!」

「あはは。それはほんと今は大丈夫。小動物成分足りてるから」

 みゅぅ。私、ってことですねっ。あは。

 時雨さんと一緒なら、地の果てでも行きますよ? なんてね。


「じゃあさ、植物園はどう? カメラ持って。お花の写真撮りたいんだ」

「行きましょう! LOMO連れて」

 時雨さんの愛用してるアナログカメラ「Lomography Diana」で撮影した写真は、ノスタルジアに満ちている。昔の色褪せた写真のように、今がぼんやりした懐かしさに還っていく感覚になるんだ。

 

「結花も撮ったらいいよ。小さな手でも持ちやすいカメラ選ぶから、待ってて」

 時雨さんが選んでくれたのは、ルビーピンク色のNIKON1。置いてある中で実はいちばん気になっていた可愛いカメラ。

「すきなものをすきなように撮ったらいい」



 何を着ていこうかなぁ。暦は秋とはいえ、まだまだ残暑は厳しい。日傘を差そうかと思うレベル。

 私は悩んで、オフホワイトのブラウスワンピースの袖に腕を通す。ふわっとしてるけど可愛すぎない生地に、レースとくるみボタンがついているお気に入りの洋服。

 それに合わせて白い花のヘアピンをクロスで耳の上につけてみる。


 時雨さんは、ジーンズに白いドットの散ったネイビーのシャツを合わせている。

 袖口には銀色の飛行機のカジュアルカフス。

 あ、近くで見たらドットじゃなくて白い小さな花なんだ。あなたの周りをくるくる舞っているみたい。


 私たちは、手をつないで電車に揺られていく。

 隣同士に座って、そっと時雨さんの左腕に自分の腕を絡めてみる。

「結花、そんなにくっついたら変な気分になるよ」

 時雨さんの声が、全身に響いてくるの。

「なって下さい」

「ばかだな」

 ふっと笑ってから、時雨さんが「結花、かわいいよ」って耳元でささやく。


 あまーい、あまーい気分なのです。だってね、初デートだよ?



 植物園は入ってすぐにススキが生い茂り、少しぼさぼさの様子が田舎の山道を思い起こさせて懐かしくなった。ここには確実に秋が訪れているね。


「秋の七草、知ってる?」

「えっと『せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ』」

「それは春だろ。七草粥の時に食べるものだ」

 春は覚えやすいんだもの。


「秋の七草は花を見るもの。萩、尾花すすき、葛花、撫子、女郎花おみなえし、藤袴、朝貌あさがお。というのが、奈良時代の歌人、山上憶良やまのうえのおくらが万葉集で選定した花なんだ。最後のは朝顔ではなくて桔梗だと言われてるけどね」


 時雨さん、詳しいね。

「実家に庭があって季節ごとに花が咲くんだ。母が自然に見えるように丁寧に手入れしている。無造作に見えて、あちこち計算された庭。でも、時々自分が蒔いた種じゃない花が咲くと、鳥が持ってきたものねって、それをすごく喜んでいる」

 時雨さんと恭さんのお母様。二人に似てるのかなぁ。


 時雨さんは嬉しそうにお花に話しかけながら写真を撮ってる。

 もう1台の一眼レフでは、接写ができる50mmのマクロレンズなるものを装着してるから、お花に寄って撮れるんだって。

 こっちはデジタルだから撮ったそばから画面で見せてくれる。はぁ、ロマンチック。

 一点だけにピントが来て、あとは淡く。花のスカートのように。


 ファインダーを覗いた目が真剣で、その視線を自分に向けたくなってくる。それが伝わったのかな。

「結花、こっち見て。そう、その目」

 カシャって押してくれた記念日の1枚。自分なんだけど、お気に入りになる。


 私も時雨さんが選んでくれたルビー色のカメラでちょこちょこ撮ってみた。

 時雨さんに出会ってから、自分でもフレーミングを工夫してみたくなった。

 花を真ん中に入れるのではなく、片方に寄せてみたり、地面の影を入れてみたり。自分ごのみにキリトレル楽しさ。


 最近のカメラは簡単に動画も撮れちゃうんだ。私はいっつもこのボタンとシャッターボタンをまちがえちゃうの。

 あ、やっちゃった。写真を撮る時雨さんを撮ろうとして、また。

 でもね、時雨さんがこっちに向かって喋ってる動画が撮れて、嬉しい。何度も再生しちゃいそう。

 その言葉は「ほら、またまちがってるよ」だったりする。

 その通りだね。私の道はたとえまちがいであっても、いいんだ。すきに代わりはない。



「ここね、萩の花のトンネルで有名な植物園なんだ。まだ少し時季が早かったみたいだね。ぽつぽつしか咲いてないな。まあ土日は凄く混むから、平日に来て正解かもしれないよ。通ってみようか」

「萩の花って、さやえんどうのお花に似てますね」

「ああ、同じマメ科だからね」

 枝垂れて影をつくるやわらかい花片。隙間から漏れて来る光がところどころ地面に落ちる。やさしく揺れる水玉模様。


 ここが、ちょうど真ん中くらいかな。まだ先にお花のトンネルが続いていく。

 ふいに時雨さんが立ち止まって私を抱きよせてキスをした。私はまたふらっと酔ってしまう。

「時雨さん、人が見てる」

「誰もいないよ」

 ほんとは誰かがいても関係ないって、思ってるでしょ。


「結花は小さな白い花だね。そっと愛でたくなる。弄びたくなる」

 そう言って、私のブラウスのボタンを二つ外して鎖骨に甘噛みしてくる。花の蜜が香ってくるみたい。強く吸われて少し痛い。はっと気づくとそこに花が咲いていた。萩に似た紅い花。


 すっとつめたい手を入れられて、胸がざわざわする。なんて大胆な人。

 私もそっと手をさしのべる。そのスレンダーでなだらかな山のような、というより丘の稜線。すっとして美しいそのシルエット。


 花の誘惑のせいにしてしまいたくなる午後。

 ほんとは何もかもあなたのせいだ。そして、そんなあなたに惹かれた私のせい。



「甘いもの、たべたくなっちゃった。あんみつがいーい」

「わがまま姫め。私は苦い珈琲飲まないと、バランス取れないよ」

 あなたが照れてる。光をまぶしそうに見上げる顔が、たまらなく神々しい。


 LOMOのフィルムを現像したら、今日の風景やお花の写真たちは、私たちの今を一瞬にして過去へと遠去けていってしまうのだろう。

 だから私は、愛しいひとつひとつの思い出を自分に焼き付けて、ずっと忘れないように抱えていきたいんだ。





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