第38話 小夜子ラプソディ


 その後すぐ、恭さんは〆切があるからって、一人で帰って行ってしまった。


 そして2次会は、結局『Rain's Coat』になだれこみ。

 マスター、お店閉めてきたのにいいのかな、結局開けることになっちゃって。あ、嬉しそうだから、きっといいのね。

 もちろん、マスターは小夜子さんのこともよーく知っているみたい。全てを見通せているのは、実はこの人だけなのかもしれない。物語の語り手みたいに。



 マスターが小夜子さんの前に、すっと赤いカクテル「フランボワーズソーダ」を置く。

 このカクテルは「誘惑」を示すのだソーダ。赤く華やかな彼女そのもの。


 彼女が境さんとのことを話してくれた。


 イタリアで境に出逢って、すぐに恋に堕ちたの。

「俺にあなたが見せたいと思うイタリアを案内して下さい。お任せします」だなんて言うから、もう毎日あちこち連れ回したわ。

 1週間後には教会で結婚式を挙げて、夢のような日々を送ってた。


 半年くらい経ってたかしら。久しぶりに日本に帰ったの。

 そして、最初に紹介された境の友人が、恭一だった。思わず「わぁ、菜月!」って叫んでしまったわ。

 さっきのビートルズ、あれね、日本で結婚披露パーティやった時に、二人が歌ってくれたのよ。境がドラム叩いてね。


 あっという間に恭一に心を奪われてしまった。考えた挙句、「離婚したい」って言ったら、境ったら大声で笑い出すのよ。

「俺たちは似た者同志だね」ですって。

「心でいくら想っていても構わないよ、俺もずっと菜月しか見てこなかったから」って。


 でも、私にはできなかった。けじめをつけないと相手に向かえないじゃない? たとえ私の想いが届かなかったとしても、そんなことは関係ない。

 境が菜月への想いを抱えたまま私と結婚したことは、別に責めることじゃなかった。私は十分しあわせだったから。境との結婚は私にとって最高の出来事だったわ。今でもね。


 境はもう菜月のことは誰かに託している。そして一生見守っていこうと決意しているんだと思う。私はね、まだまだそこまで達観できずに足掻いているところ。悔しいけど完全な片想い。いつまでも報われないの。

 なのに、恭一はすごく優しいのよ。まるで私の恋人みたいに振舞ってくれる。せめて一緒に仕事したくてイタリアに誘っているけど、なかなか承諾してくれないわ。

 

 私はいつまでこのさみしさに耐えられるかしら。

 自分の熱情を相手に押し付けてこちらを向かせて、それがあたり前だった私に、はじめて孤独を突き付けてきた人。


 小夜子さんの言葉を聞きながら、時雨さんは何も言わない。

 ただグラスの氷をカラカラ鳴らして、Barの照明を見つめている。



 私の中に小夜子さんの強烈な印象が残された。その時々の自分に忠実で素直な人。今を生きている。それは多分、後の自分にはね返って、相当な負のものも同時に引き受けることになる。それでも。


 時雨さんが席を外した時に、彼女は私にこう言った。


「あの双子に出逢ってしまったら、もう囚われたも同然よ。境はその運命を受け入れて上手に付き合おうとできる人。あなたもそのうちに本当のことに気付くでしょうね。その時、どうするかしら」

 本当のこと?

「どっちと先に出逢うかで運命は決まるかもしれないわね。結花はどっちと最初に逢ったの? いずれにしても無傷では終われないわよ。覚悟しておいた方がいいわ」


 きっと私は時雨さんに最初に出逢っている。でも、すきになったきっかけは多分、恭さんだ。

 でも、私の大切な人は時雨さんで、そして時々現れて私の心をさらっていくのは恭さんで。

 ぐるぐる巡り巡って、もう何だかわからない。



「ねぇ、二人とも手相見せて」

 小夜子さんが、時雨さんと私の手をとって、見比べる。


「上から感情線、知能線、生命線。それを貫く運命線」

 一本ずつ指でなぞられるとゾクゾクする。

「私にこれされるだけで堕ちる男もいるのにね」

 ひゃうぁー。わかるかも。その瞳もセットですね。


「ああ、菜月にも強力なモテ線があるわね。この中指と薬指を結ぶ、金星環って呼ばれる線。性的魅力にあふれていて、気持ちを交し合うような恋愛をする人。この相はめずらしいのよ。なのに恭一にもある。手相まで一緒とか徹底した双子ね」

 恭さんは小夜子さんに手相を見てもらいながら、どんな気持ちになったんだろう。


「見て。私のはどの線も直線的で短いの。熱しやすく冷めやすいらしいのね。恋愛が長く続かないんですって。合ってるから嫌になっちゃうわ」


「いやだ。結花も小者ながら、たくさんモテ線があるわね。侮れないわ」

 コモノながらが、余計ですにゃ……。

「それに、線があちこち二重に重なり合っているわね。この手相の人は同時に二人に恋をする傾向があるの」

 どきっ。色々わかっちゃうんですね。コワイ。



「しかし、これほど小夜子さよこという名が似合わない女もいないんじゃないか? 小さい夜って感じ、皆無じゃない?」

 時雨さんが苦笑いって感じの顔して(こういう時の表情、恭さんっぽい)小夜子さんをからかってる。


「あら、失礼ね。これでも傷つきやすくて繊細なのよ」

「『小夜曲セレナーデ』より、どちらかといえば『狂詩曲ラプソディ』だよな。自由奔放な女。強い瞳でまっすぐ相手を射るように見つめる。ドラマチックラフマニノフのパガニーニ!」

「まったく。同じ顔に言われたら、ほめ言葉としてしか受け取れないわね」


 セレナーデだったら、シューベルトより、チャイコフスキーくらい持ってこないと釣り合いが取れないね、小夜子さん。

 彼女にはオペラのアリアが似合う。カルメンの炎のような人。

 いや、『椿姫』がぴったりかな。あの原題は確か「道を踏み外した女」みたいな意味だった気がするよ。

 情熱が服を着てるみたいな人。そして、軽やかにその服を脱ぎ捨てそうな、見てるだけでエロティック。


 艶やかな花であり、花から花へ舞う大柄な蝶のような女の人。

 恭さんはいつかこの人の手に堕ちてしまうのではないだろうか。

 そう思ったら無性にせつなくなった。私に敵うはずもない。






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