第10話 白の地図

 今日は朝から雨が降っていた。

 ポツポツ、ではなくてザーザー。

 海に行くことを楽しみにしていたリディアは、ガックリと肩を落として図書館の床に座り込んでいた。


「なぁんで、降るかなぁ」


 リディアが溜息を吐く。


「そういう日もあります」


 優闇ゆうやみはリディアの髪をブラッシングしながら言った。


「海、行きたかったなぁ」

「明日行きましょう」

「明日も雨だったら?」

「明後日行きましょう」

「明後日も雨だったら?」

「車を作りましょう」

「あたし、バイクの方が好きだなぁ」

「どうしてですか?」

「んー」とリディアが首を傾げた。


 特に、明確な理由があるわけじゃない。強いて言うなら、


「バイクの方がカッコイイから、かな?」

「それは私に質問しているのですか?」

「違うよ。ちょっと曖昧なだけ」

「そうですか」


 優闇は淡々と、リディアの髪をとかす。

 リディアはそれが気持ち良くて、目を瞑った。


「ところで」


 優闇が手を止めた。ブラッシングはお仕舞い、ということだ。

 リディアは残念に思ったが、また明日の朝にはとかしてもらえる。だから「もっと」とは言わない。


「何?」

「どうして急に海なのです?」

「んー? あれー? 夜中に言わなかった?」

「言っていません。リディアは海に行こう、と発言したのち、立ったまま寝てしまいましたので」

「そっか」


 リディアは全て説明してから眠った気になっていた。


「えっとね、夢を見たの。海の夢」


 リディアは本物の海を見たことがない。けれど、映画や本などで、その風景を知っている。

 碧くて、広くて、冷たくて、深くて、波があって、そして塩辛いのだ。


「夢、ですか」

「そう。夢」


 それから短い沈黙があって、


「どんな夢ですか? 私は夢を見ないので、興味があります」と優闇が言った。


 オートドールは夢を見ない。

 リディアもそのことは知っている。だってそもそも、優闇は眠らないのだから。


「えっとね、砂浜があって、海があって、それから――」リディアは夢の断片を思い出しながら言う。「キラキラの花が咲いてた」

「キラキラの花?」

「うん。ほら、えっと、なんだっけ……虹の意味の花。紫の」

「ああ」優闇が頷く。「アイリスですね」

「そう。アイリス」


 リディアは身体を後ろに倒し、優闇の胸に後頭部を押し当てた。優闇の胸は枕にしたら気持ちいい。


「ふむ。それで?」

「えっとねー、海の上に咲いてた。それでちょっと揺れてた」

「アイリスは海の上には咲きません」

「知ってるよぉ」


 リディアは口を尖らせ、体勢を元に戻して優闇の胸から離れた。


「だって夢なんだもん」


 言いながら、リディアは優闇と向かい合うように座り直した。


「そうですね。夢は荒唐無稽な場合が多いですね」

「んー、今回のは、ハッキリしてたよ。アイリスが揺れてて、あたしは強烈に海に惹き付けられたの。行かなくちゃ、って思った」

「なるほど。意味のありそうな夢ですね。では……」

「夢占いして」


 リディアは優闇の言葉を遮った。でも何も問題ない。優闇はきっと夢占いしましょう、と言おうとしたから。


「はい。ちょっと待ってくださいね」


 優闇は立ち上がり、デスクに置いてあるタブレットを取って戻ってきた。

 そしてリディアの前に座り、タブレットを操作する。

 リディアはどんな意味なのか、ワクワクしながら待った。


「海には色々な意味があるようですね」優闇が言う。「まず、どんな海でしたか?」

「えっと、穏やかで、キラキラしてて、透き通ってて、とっても綺麗だったよ」

「なるほど。その時のリディアの感想は?」

「わー、綺麗!」

「シンプルですね」


 優闇がクスッと笑った。


「それで意味は?」

「はい。とても良い夢のようです。全体的に素晴らしい暗示ですが、特に恋愛に関しては大きな幸福が訪れるかもしれません。あとは、才能の開花や発展ですね」

「恋愛って恋だよね?」

「そうです。同じです」

「アイリスも恋の成就だったよね?」


 あの日、初めて優闇と夢占いをした瞬間から、リディアはずっと優闇に恋している。

 でも、だけど、

 映画や本を見ていると、リディアの思う恋はなんだか違っているようにも思えた。

 とはいえ、優闇が好きで一緒にいたいという気持ちに変わりはない。


「はい。そうです」

「成就した恋が、更に幸福になるのかなぁ?」


 でも、今以上の幸福って何だろう、とリディアは思った。

 優闇がいて、ブラッシングしてくれて、一緒に探索したり何かを創ったり、一体これ以上、どんな幸福があるというのか。

 リディアには想像も付かない。


「しかしアイリスは揺れていたのでしょう?」


 優闇は小さく首を傾げた。


「うん。揺れてた」

「ということは、成就した恋が揺れ、新しく恋が始まるのでしょうか?」

「え? あたし別に、新しい恋は欲しくないよ?」


 優闇がいればそれで十分。


「そうですか」

「うん」


 リディアはジッと優闇を見詰め、優闇もリディアを見ていた。

 視線の交差。優闇の澄んだ目の中にはリディアがいて、きっとリディアの青い瞳の中には優闇がいる。

 ゆっくりと時間が流れ、リディアはふと、優闇に提案しようと思っていた案件を思い出した。


「優闇ちょっと待ってて」


 リディアは優闇の返事を待たずに立ち上がり、ソファに置いていた自分のタブレットを取った。

 そしてすぐに優闇の元に戻り、さっきと同じように向かい合って座った。


「ワールドマップを作ろうと思ったの」


 リディアがタブレットの画面を優闇に見せる。

 真っ白な画面の中央に、本を開いた記号があって、その下に『地下図書館(リディアと優闇の家)』と書かれていた。


「なるほど。ワールドマップですか」

「そう。せっかく探索するんだから、マップを作ったら楽しいかなって思って」


 地下図書館のすぐ西側にはPを丸で囲んだ記号。駐車場という意味だが、リディアのマップではガレージを指している。

 東側に歯車と電気回路を組み合わせた記号。これは優闇の作ったソーラーパネルだ。


「いいですね。白紙の世界を記号で埋めていきたいですね」

「うん。とりあえずラファの家は書き込んだよ」


 そう言って、リディアは画面をスクロールさせる。

 地下図書館の記号から北に約44キロの地点に、真四角の記号と『ラファとオハンの家』という文字。


「いいですね。では次に記されるのは海ですね」

「そう。ところで優闇、海ってどっち?」


 リディアは海の場所を知らない。方角も距離も知らないまま、行くことに決めたから。


「南に50キロほど行けば、海に出ます」

「他の方角は?」

「他ですか? そうですねぇ」


 優闇が考える仕草を見せた。きっと滅亡前の地図を参照しているのだろうとリディアは思った。


「東ですと、約140キロ。北は約250キロ。西は300キロ近く移動しなければいけません」

「南が一番近いんだね」

「そうなりますね」

「じゃあ、南に一直線だね!」

「はい。そうしましょう」



 リディアがランチを食べているのを、優闇は観察していた。

 優闇は何も食べない。エネルギィはパワーセルで供給されている。

 だから、リディアの食事を見ているのは楽しい。

 ちなみに、リディアのランチはサラダとフルーツジュース。リディアの食事量はあまり多くない。しかし健康には問題ないので、優闇は特に何も言わない。

 食事が終わったら、二人はプロジェクトの優先順位を決めることにしていた。

 プロジェクトの数が増えすぎて、優先度を決めなければ何から手を付けていいのか分からないのだ。

 リディアがサラダを食べ終わり、フルーツジュースをゴクゴクと飲み干す。

 そして「ごちそうさまでした」と笑顔を見せた。

 なぜそう言う必要があるのか、優闇には分からない。優闇は教えていない。

 リディアが独学で、食べる前と食べたあとの挨拶を覚えて実践しているのだ。


「では、プロジェクトの優先度を決めましょうか」と優闇が言った。

「うん。一番は世界の探索」

「そうですね」

「それで考えたんだけど、あたしたちが探索している間にプロジェクトを進めてくれる作業用ADを作るのがいいんじゃないかな?」

「作業用ADですか? 考えたこともありませんでした」

「優闇はほら、疲れないから。でもあたしはすぐ疲れちゃうから、自動化したいの」


 なるほど、と優闇は頷いた。

 優闇には無限に等しい時間があるので、全てを自分でやることを前提に思考していた。

 しかしリディアは違う。休息の時間やエネルギィ補給――食事の時間が必要だ。

 それに、

 リディアは優闇より先に死んでしまう。

 もちろん、それはまだずっと先の話。

 遠い未来の話。

 なのに、優闇は酷く寂しい気持ちになった。

 旧人類の平均寿命は150年ほど。新人類であるリディアはどうだろうか。

 旧人類よりは長く生きられるのだろうか?

 そうであれ、と優闇は願った。

 そして一つの誓いを立てる。

 必ずエンジェルプロジェクトの資料を手に入れ、リディアの寿命を延ばす方法を見つけてみせる。


「優闇?」


 リディアが首を傾げたので、優闇は思考を中断した。


「何でしょう?」

「作業用AD、最優先でいい?」

「はい。大丈夫です。どのシリーズを再現しますか?」


 優闇はタブレットに作業用ADを一覧表示させてリディアに見せた。


「最初に作るのは、万能なタイプがいいかな。それで、自分と同じ作業用ADを作らせる」

「なるほど。ではその方向で選んでください」

「うん。じゃあこの、Vシリーズの最新型で」


 リディアがタブレットを操作して、作業用ADを一体ピックアップした。


「はい。バーサタイルシリーズですね」


 金属骨格剥き出しのタイプで、オハンに少し似ている。まぁ、オハンより小さいし戦闘能力は皆無だが。


「ソフトはアーカイブがあるよね?」

「はい。図書館のデータベースにあります」

「じゃあ、ハードだけ作ればいいね」

「設計図もありますので、簡易パーツメーカに打ち込めばすぐでしょう」

「あ、簡易パーツメーカで思い出した」

「何でしょう?」

「簡易じゃない普通のパーツメーカも作らない? 今後のために」


 パーツメーカは大きな機械だ。バイクや車を一発で再現することも可能。組み立て作業が不要になるので、作業効率は大きく上がる。

 しかし問題もある。


「どこに置きましょう? 野ざらしにするわけにもいきませんし」

「えっと、メーカファクトリを建設するの、作業用ADを使って」

「それは、かなり大がかりなプロジェクトになりますね」


 リディアは工場そのものを作ろうと言ったのだ。

 世界崩壊以前に存在した工場の図面を使えば、自分たちのやることはあまりない。

 けれど、作業用ADと簡易パーツメーカ二台だけで工場を作るとなると、数ヶ月単位のプロジェクトになる。

 その間、他のプロジェクトが進まない。簡易パーツメーカを工場建設に占有されるからだ。


「うん。でもあたしたち、その間ずっと探索していればいいから、問題ないかなって。今日みたいに雨だったら、あたしたちはバイク用の人工知能の設計をすればいいし」

「分かりました。ではその方向で進めましょう」

「じゃあ、さっそく始めよう!」


 リディアが元気よく立ち上がった。

 こんな風に色々な物を創っていけば、いつか世界は賑やかになる。

 それから、

 リディアがいるだけで、十分賑やかだけれど、と優闇は少し笑った。

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