第11話 波打ち際のシャットダウン
リディアは南に向けてバイクを走らせていた。
タンデムシートには
バイクは時速100キロを維持しているので、30分もあれば海に出るはずだ。
結局、雨は6日間も降り続いた。
けれど、リディアは文句を言わなかった。メーカファクトリを創るプロジェクトに夢中だったから。
二人は10体の作業用ADたちに、メーカファクトリの建設を進めるよう指示して、朝一番で図書館を出た。
海を見たら、昼には図書館に戻ってランチを済ませ、そのあとラファのところに行く予定になっている。
二人が図書館を出てから約25分。優闇が探索を済ませた40キロ圏の外に出た。
見慣れた乾いた大地に、だんだんと違う色が混じり始めた。
空色の底で揺れる緑、黄緑、白、濃い桃色。
それらはとっても不思議な風景だった。
リディアはスピードを緩め、バイクを停止させた。
「植物?」
リディアが呟く。
「そのようですね。サンプルを採取しましょう」
優闇がバイクから降りて、リディアも続いた。
バイクから降りると、いつもと感触が違う。
リディアが足下に目をやると、ブーツの下には草が生えていた。
これ草の感触なんだ、とリディアは思った。
そして「すごぉい!」と声を上げる。
「何がですか?」と優闇。
「え? えっと、植物があるから?」
「質問ではなく、曖昧なのですね?」
「うん。なんとなく、すごいって思ったから言っただけで、そんな明確な理由はないかな」
「なるほど」
優闇はバックパックを下ろし、中からサンプルを採取するための瓶を取り出す。
それからしゃがみ込んで、濃い桃色の花を一輪だけ摘んだ。
優闇は摘んだ花を太陽に透かすように持ち上げ、ジッと見詰めた。
「アルメリアですね」
「それどんな花?」
「元々、海岸に自生していた花で、とっても強いです」
「強いの?」
「はい。丈夫と言い換えた方がいいかもしれませんが」
「どっちでもいいよ」
リディアは小さく笑って、しゃがみ込む。
それから草の感触を確かめようと手を伸ばした。
「はいストップ」と優闇が言う。
「え?」とリディアが優闇を振り返る。
優闇はアルメリアを瓶に入れて蓋をしていた。
「植物の中には毒性を持ったものがありますので、むやみやたらと触らないでください」
「えぇ? 触りたいよぉ」
「私が認識するまで待ってください。すぐ済みます」
そう言って、リディアが触ろうとしていた草に優闇が視線を移す。
「はい、大丈夫です。触っていいですよ」
本当にすぐだった。一秒もかかっていない。
「わぁい」
リディアは草に触れ、指で挟んだり、撫でたりなぞったりしてその感触を楽しんだ。
そのまましばらくの間、リディアは草と戯れた。
「楽しそうですね」と優闇が言った。
「うん。生きてる植物に始めて触った」
普段、リディアが食べているサラダも植物だが、あれは再現されたものにすぎない。そこに意識や生命は宿っていない。
「ねぇ優闇、植物ってすごいね」
「何がです?」
「世界が滅びても生き残ってる」
「ええ、そうですね」
「植物にも意識ってあるよね?」
「ありますね。原始的なものですが」
「じゃあさ」リディアが立ち上がる。「植物を進化させて、あたしたちみたいな知的生命体にできるかなぁ?」
「それはちょっと難しいですね」
「無理?」
「断言はできません。プロジェクトに追加しますか?」
「うーん」リディアは考える仕草を見せた。「一応、追加しておいて。でも優先度は低め、かな」
「分かりました」
「それと、図書館の周囲を緑化して綺麗にしよ?」
「いいですね。景観は大切です。今の焼け野原のような景観も嫌いではありませんが」
「焼け野原!?」
「比喩ですが」と優闇が首を傾げる。
「それは分かるけど、焼け野原って」とリディアが笑う。
「変ですか?」
「変というか、うーん、あたし的に面白かった、って感じ」
「そうですか。意図したわけではありませんが、面白かったのなら、良かったと思います」
「うん。これからも言って」
「意図せずリディアを楽しませるような発言、ですか?」
「そんな難しいことじゃなくて、変な比喩のこと」
「やっぱり変だったのですね」
優闇が笑って、リディアも一緒に笑った。
その時、一陣の風が通り抜けて、
滅びた世界で生きる植物たち揺らした。
あ、一緒に笑ってくれたんだ、とリディアは思った。
世界に祝福されているような気さえした。
◇
「すごい! 青い! サクサク! 水!」
海に到着してすぐ、バイクから降りたリディアがはしゃいでいるのを、優闇は穏やかな心で眺めていた。
同時に、リディアの言葉を検証する。
青いは海のことを指し、サクサクはリディアが飛び跳ねている砂浜の感触。最後の水はやっぱり海のことだろう、と優闇は結論した。
「おぉ、サラサラ!」
リディアは砂を両手で掬って、指の隙間から零れ落ちるのを見ている。
零れる砂が、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
全ての砂が零れ落ちると、リディアは再び両手で砂を掬った。
そしてまた指の隙間から落とす。
「楽しそうですね」
「うん!」
リディアが笑顔を見せた。
「今日は楽しいことがいっぱいですね」
優闇はバックパックを下ろし、海水を持って帰るための容器を取り出す。
そしてふと、顔を上げると、
リディアが走っていた。
海に向かって一直線に。
「え?」
なぜリディアが走っているのか、よく理解できなかった。
海に近づきたいのだろうか、などと優闇が思考していると。
リディアがジャンプした。
海に向かって。
人間は空を飛べない。けれど、あるいは新人類なら飛べるのかもしれない。なんてことを優闇が考えた次の瞬間。
大きな水しぶきを立てて、リディアが海に墜落した。
「リディア!?」
やっぱり新人類も飛べない、と冷静に分析する優闇。
そう、冷静に、分析していたはずなのに。
リディアの名を呼ぶと同時に、容器を放り出して走っている自分に気付いた。
それに気付いたところで、走るのを止めるつもりもないが。
優闇がリディアの倍以上の速度で波打ち際に辿り着いた時、
「うわぁ! 冷たい! 塩辛い! ベタベタするぅ!」
リディアが勢いよく海面から顔を出した。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
優闇が右手を差し出す。
「怪我はないよ」
リディアはブルブルと頭を振ってから、優闇の手を取った。
優闇がリディアを引き上げる。
「でもとっても寒い……」
リディアは優闇の手を離し、両腕で自分の肩を抱いた。
「この時期は遊泳には向いていません。それに服のまま入るのもどうかと思います」
言いながら、優闇は自分のメイド服を脱ぎ始めた。
「なんで脱いでるの?」
「リディアも脱いでください。私の冷却システムを調整して、体温を上げます」
「えっと?」
「身体が冷えているでしょう? そのままにしておくのはよくないと思いますので、温めます」
「スープみたいに?」
「スープを温めた覚えはありません」
簡易フードメーカで再現されたスープは、最初から温かい。
「冗談だよぉ」
リディアも服を脱ぎ始める。
優闇は脱いだメイド服を砂浜に敷いて、その上に座った。
「優闇の身体って、つるつるしてるね」
リディアがジッと優闇を見詰める。
「そうですね。不必要な器官は搭載されていませんので。まぁ、あとから付けることは可能です。SAシリーズの疑似性器とも互換性があります。それより早く脱いでください」
「待って、今脱ぐから」
「脱いだら渡してください」
「はぁい」
リディアは素直に脱いだ服を手渡す。
優闇はリディアの服を畳んで、自分のうしろに置く。そこにもメイド服があるので、リディアの服に砂は付かない。
リディアが温まったら、次はこの服を乾かさなければ、と優闇は思った。
「SAシリーズって何?」
全部脱いだリディアが、ペタンと座って優闇に抱き付く。
優闇はソッとリディアを抱き返す。
「セックスアシストのことです。人間の性的欲求を満たすためのシリーズですね」
「ラファが嫌いそうなシリーズだね」
「そうですね」
優闇は両手でリディアの背中を撫でる。
「優闇あったかいけど、ちょっと熱いかも」
「すみません。もう少し体温を下げます」
「ありがとう」
「いいのです。低温火傷をしては困りますので」
言いながら、優闇はリディアの髪を撫で、手櫛でとかした。
もちろん、乾かすためだ。
リディアは気持ちよさそうに目を瞑った。
しばらく、二人はそんな風にくっついていて。
優闇はふと、夢を見ているような感覚に陥った。
夢など見たこともないのに。
でもあるいは、これは、この人生は、
夢なのかもしれない、と思った。
ずっとずっと、永い永い、夢の中なのかもしれない。
もしそうだとすれば、醒めないでください。
私は幸せです。
「優闇、もう十分だよ?」とリディアが言った。
「そうですか」
優闇は現実的な思考に帰還し、両手をリディアから離す。
「温まったよ。ありがとう。大好きだよ」
リディアはよく、優闇に大好きだと言う。優闇はよく「私もです」と応える。
それはいつものこと。特別なことなんてない。お互いを大切にしているという確認のようなもの。
でも今日は、違った。
優闇が応えようと口を開くよりも前に、リディアの唇が優闇の唇に触れる。
キスされたのだ、とすぐに理解した。
そして、
理解したと同時に激しい感情が優闇の中を駆け回る。
これはっ――!?
突き抜けるような感情。刺すような感情。刺激が大きすぎる。
溶けてしまいそうな感情。柔らかな感情。穏やかな刺激。
矛盾している。感情が矛盾している。
理解できない。処理できない。対処できない。感情が大きすぎる。複雑すぎる。
何がなんだか分からない。
その感情は優闇の量子ブレインを占有して、身体中を巡ってもまだ収まらない。
「優闇っ……苦しい……」
リディアの声。リディアの声。
リディアの声が聞こえる。
それと同時に感情がまた大きくなる。際限なくどこまでも、どこまでも。
まるで宇宙の果てまで辿り着こうとしているかのように。
「あた、し……くる……」
いつの間にか、優闇はリディアを抱き締めていた。
強く抱き締めていた。
なぜそうしたのか分からない。腕にそんな命令を出した覚えはない。
それに、この力加減では、
このままの力で抱き締め続けたら、リディアが壊れる。
違う、違う、そうじゃない――壊れたのは私の方。
離さなければ。リディアを解放しなければ。
ダメです。リディアと離れてはダメです。
矛盾する。命令が矛盾する。思考が矛盾する。何もかもが矛盾する。
分からない。分からない。
苦しい。
感情がオーバーロードして、優闇の量子ブレインがオーバーフロー。
システムが落ちる。落ちてしまう。
落ちる前にリディアを離さなければ。
それなのに腕が命令を受け付けない。
私は望んでいない。リディアを殺すことなんて望んでいない。
「ああああぁあぁぁぁ!」
優闇は獣のような声を出した。
リディアを殺してしまうぐらいなら、自壊した方がずっといい。
それだけは真。それだけはトゥルー。
この矛盾だらけの感情の中で、それだけは本当のこと。
だから、解放しなくては。
どんなに、
どんなに、
リディアが愛しく、離れがたい存在でも。
あぁ、そうだったのですね――優闇はシャットダウンする寸前に、その感情の名を知った。
せっかく、それを知ることができたのに。
太陽が消えるように、明かりが消えるように、
優闇の意識はプツリと途切れた。
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