第12話 一人きり
それと同時に、リディアを締め付けていた優闇の腕が解かれる。
リディアは何度か激しく咳き込み、涙で視界が滲んだ。
怖かった。苦しかった。壊れると思った。
でもそれより、なぜ優闇がそんなことをしたのか分からなくて、混乱した。
「優……闇……?」
動かなくなった優闇に、声をかける。
しかし返事はない。
「ねぇ、どうしたの?」
リディアは優闇の肩を両手で掴み、揺すってみた。
それでも反応がない。
「優闇?」
リディアは優闇の顔をペタペタと触る。
優闇は目を瞑っていて、寒気がするくらい綺麗だった。
まるで死んでいるように、綺麗だった。
「ねぇ、優闇、起きてよ……」
ペチペチと、優闇の頬を叩く。
「あたし、怒ってないよ? 少しビックリしたけど、平気だよ?」
段々と、叩く手に力がこもる。
「ねぇってば……」
そして今度は弱くなる。
リディアは思考する。未だかつてないほど、脳が悲鳴を上げるほど、思考する。
そして答えに行き着く。
「シャットダウン……?」
優闇の量子ブレインが落ちた。優闇のシステムが落ちてしまった。
なぜ? どうして?
また思考する。脳が焼き切れるくらい思考する。
量子ブレインは、簡単に落ちたりしない。特に優闇の量子ブレインは最新のモデル。意識が宿るほどに精巧で、神様の手で創ったみたいに緻密。
だから落ちたりしない。リディアはそう思っていた。ずっとそう思っていた。
優闇は自分よりも長く生きると思っていた。
こんな唐突な終わりは認められない。絶対に認められない。
「助けなきゃ。助けなきゃ」
リディアは走って、バイクの近くに移動。
それから優闇のバックパックを引っ掴んで引っ繰り返し、中身を全部砂浜にばらまいた。
そして1つずつ、中身を確認する。
中身を全部、何1つ漏らさず認識して、リディアは絶望する。
「使えない……」
ペタン、とリディアが砂浜に座り込む。
優闇のバックパックに入っているのは、サンプル採取用の容器と、人間のための食料や水、それから医療キッド。
優闇に使える物は何1つ入っていない。
「そうだ、図書館に戻れば」
リディアはバイクに目をやる。
だけど、
「ダメ……戻れない。優闇がいないと、あたし戻れない……」
一人では迷ってしまう。この滅びた世界に一人、迷ってしまう。
リディアはバイクの改造をしていない。人工知能を積もうと思っていた。コンパスを積もうと思っていた。
でもやってない。ずっとメーカファクトリに専念していた。
「どうすればいいの? あたしどうすればいいの?」
苦しい。分からない。頭が痛い。
いつだって答えを与えてくれた優闇は、沈黙している。
「そもそも、どうして落ちたの? 何が原因?」
思い出せ――優闇が落ちる前のことをなるべく正確に。鮮明に。
「熱暴走……?」
熱で暴走した可能性は低い。それならもっと、リディアが火傷するくらい熱くなっていてもいいはず。
でも、今のところ熱以外に何も思い付かない。
優闇はリディアを温めるために、自分の冷却システムを調節した。最初は少し熱すぎた。
だから、
「熱のせいで処理能力が下がって、何か負荷が……?」
でも、負荷って何?
分からない。優闇に何があったのか分からない。あんなに側にいたのに。肌と肌で触れ合っていたのに。
何も分からない。
けれど、それでも、
「冷えれば、再起動する……?」
縋るしかない。それに賭けるしかない。
リディアは立ち上がり、海に向かって走った。
そしてそのまま海に飛び込み、肩まで浸かってしばらく自分の身体を冷やした。
寒い……凍えちゃう……。
でも他に方法がない。
リディアは海から上がって、倒れている優闇に覆い被さる。
「お願い、冷えて……」
優闇を海に浸ける方が遥かに早いが、リディアの力では優闇を運べない。
優闇を構成するパーツには、軽くて丈夫な物が使われている。それでもリディアの体重よりずっと重いのだ。
優闇の身体はまだ熱を持っている。
混乱していて気付かなかったが、リディアを温めていた時よりも熱い。
「やっぱり熱が関係してる」
リディアは自分の身体が温まると、またすぐに海に浸かった。
そして優闇に覆い被さって、優闇を冷やした。
何度も、何度も、
繰り返し、繰り返し、
ずっと、ずっと、それを続けた。
やがてリディアの感覚がなくなって、意識が朦朧とし始めた。
「優闇……起きてよぉ……」
リディアは倒れ込むように優闇に覆い被さって、もう自分が動けないことを悟った。
いつの間にか、空がオレンジに染まっていた。景色がオレンジに浸食されていることにすら、今のリディアは気付けない。
「優闇、いつか言ったよね、スタンドアロンで、生きていけるように、してくれるって……」
ほとんど声は出ていない。
きっと誰にも聞こえない。
それでも、リディアは言う。
「でも、無理だよ、優闇。あたし、一人は無理だよ。一人じゃ生きていけないよぉ……」
視界が暗転する。何も見えない。もう何も見えない。
優闇の綺麗な寝顔も、今は遠い。
「だって」
夜の闇が訪れるように、
海の底に沈むように、
「一人はこんなに、怖い、よ」
リディアの意識が緩やかに途切れた。
◇
「わたくしが分かりますか、お姉ちゃま」
リディアが目を開くと、心配そうなラファの顔があった。
何を心配しているのだろう? そんな風に思いながら、質問に答えるためにリディアは小さく頷いた。
「良かったですわ。蘇生に成功したようですわね」
「蘇……生?」
「はいですわ。お姉ちゃまは、浜辺で死にかけておりましたの。ユーヤミと一緒に」
「優闇……優闇は?」
リディアは身体を起こそうとした。でも意識が飛びそうになって、起きられなかった。
「まだ動いてはいけませんわ。ユーヤミもバイクも、一緒に回収しましたので、問題ありませんわ」
ひとまず、リディアはホッと息を吐く。優闇も一緒なら、それでいい。
「ここ……は?」
まだ、リディアの意識は霞がかかっている。気を抜いたらすぐに意識を失う、とリディアは理解していた。
「救命車の中ですわ」
「あぁ……」
リディアは救命車が何なのか知っている。人間を唐突な怪我や病気から救うための簡易手術室のような車。揺れないようにタイヤは使用していない。代わりにアンジーを採用して、少し宙に浮いている。
ちなみに、アンジーは反重力装置の通称。
「でも、どうして?」
「どうしてもこうしてもありませんわ」ラファが溜息を吐く。「お姉ちゃまがなかなか現れないものですから、事故か病気でもしているのかと思いまして」
「そう、なんだ……」
「はいですわ。お姉ちゃまは約束を破るような人ではありませんでしたわ。それは今も変わらない、と思いましたの。だから、オハンと一緒にこの車で図書館まで行ったのですわ」
「……あたし、図書館には……」
「いませんでしたわね。ですから、一番新しいバイクの痕跡を辿りましたの。どこかに出かけて、トラブルに巻き込まれた可能性もありますから」
「そっか……。ラファって、本当は、優しい子なんだね」
「本当は、ってどういうことですの? 普段のわたくしが優しくないみたいですわ、その言い方だと。普段のわたくしのことなど、忘れてしまわれているのに」
「そう、だね。ゴメン……ありがとう」
リディアは目を瞑った。眠い。意識が飛んでしまいそうだ。
「あ、お姉ちゃま、眠る前に2つだけ、確認させてくださいますか?」
「な、に?」
「1つ目。お姉ちゃまはユーヤミを冷やそうとしていましたの? 自分の身体で」
「よく、分かった、ね……」
「いくつかあった推測の中で、一番マシなものですわ」ラファがまた溜息を吐いた。「それにしても、バカな真似をしましたわね……。呆れて物も言えませんわ」
「言ってる……じゃん」
リディアは笑おうとしたけれど、笑うのも億劫だったので止めた。
「揚げ足を取らないでくださいませ。それと二つ目。ユーヤミは修理しておきます?」
「修理……?」
「はいですわ」
「ダメ」
闇に沈みそうな意識の中で、ほとんど思考することもなく、リディアは言った。
「どうしてですの? 壊れたら直すものですわ。もちろん、もう必要ないというのなら、仕方ありませんが」
「そうじゃ、ない。でも、お願い」
「はぁ」
「ラファ、お願いだから、優闇を、いじらないで……」
「分かりましたわ。お姉ちゃまがそこまで言うなら、ユーヤミはこのままにしておきますわ」
「ありがとう……」
優闇には意識がある。生命がある。
それを知らないラファが、勝手に修理して以前の優闇と違う優闇になったら困る。
いや、困るというのは控えめな表現だ。
優闇が優闇じゃなくなったら、
絶望する。
リディアは絶望する。
一人はあんなに怖かった。
二人だとあんなに世界が暖かくて、毎日が楽しかったのに。
一人だと、死ぬほど冷たいのだ。
そんなことを考えていたら、
リディアはいつの間にか眠りに落ちていた。
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