第13話 壊れたユーヤミ

 優闇ゆうやみは夢を見ない。

 オートドールは夢を見ない。

 システムが落ちれば、そこで全てが消えてしまうから。

 泡のように。

 楽しかった日々も、幸福だと感じた瞬間も、何もかも。

 だけど、

 優闇の意識は確かにまだそこにあった。

『そこ』というのが『どこ』なのか、優闇には分からない。

 暗闇のようで、実体もなく、漂っているような、とても、とても、小さな意識。


「リディア……」


 呟いたのか、思考したのか、それすら分からない。

 ただ会いたいと願った。

 自分の腕がリディアを壊しかけたことを謝りたかった。

 本当に危なかった。でも、システムが落ちる寸前に、リディアを解放できた。それが唯一の救い。


「リディア……」


 もう一度、優闇は呟いた。あるいは思考した。もうどちらでもいい。

 リディアの姿を確認できないのが辛かった。

 リディアの声が聞こえないのが悲しかった。

 暗闇の中に、一人きり。

 まるで牢獄だ、と優闇は思った。

 優闇は寒さを感じない。寒くて死ぬことはない。それなのに、心は凍えている。

 リディアが側にいないという現実に殺されてしまいそう。

 このまま完全に消えてしまった方が、楽なのではないかとさえ思った。


「それはお勧めしない」


 誰かが言った。誰が言ったのか、優闇には分からない。

 本当は誰も何も言っていないのかもしれない。分からない。


「君は進化の過程にある。だから、君は君の最愛を信じて待てばいい」


 あるイメージが、優闇の意識とぶつかる。

 暗闇の中に浮かぶ、一輪の花。

 紫色の、リディアがよく夢に見るあの花。


「あなたは……?」



 ラファは地下研究施設に戻ってすぐ、リディアを自分のベッドに寝かせた。

 それから、オハンに優闇を研究室まで運ばせ、優闇のシステムをスキャンした。

 リディアに修理はするなと言われているので、再起動させるつもりはない。

 ただ、どういう状況なのか詳しく知りたいと思っただけである。


「ユーヤミの量子ブレインが落ちるなんて、よほどのことですわ」


 優闇は世界最高のオートドールで、ラファとリディアが設計した。簡単に落ちるはずがない。

 スキャン結果がディスプレイに表示されていく。


「なるほど、ですわ」ラファが頷く。「シャットダウンの原因そのものは情報のオーバーロードですわね」


 ディスプレイに表示されたデータから、そう判断する。


「一体どのような情報がインプットされれば、落ちますの? 莫大な量の情報?」


 しかしその推測は外れる。

 表示されたデータを見ると、優闇のストレージにはかなりの余裕がある。

 まだまだ、いくらでもデータを保存できる。


「量の問題ではなく、質の問題、というわけですわね」


 とはいえ、優闇の処理能力を上回るほど複雑な情報とは何なのか。ラファにはまったく想像すらできない。

 超新星爆発のシミュレーションですら、優闇なら簡単にこなせる。それだけのスペックがあるのだ。

 もちろん、それ専用に特化したコンピュータには負けてしまうが。


「あら?」


 スキャン結果の中に、おかしな部分がある。


「どういうことですの?」


 ラファは首を傾げた。

 優闇のシステムは完全に落ちている。

 それなのに、

 量子ブレインの僅かな領域に、信号が存在している。


「そんなはず、ありませんわ。何かの間違いですわね、きっと」


 ラファは再度、優闇をスキャンする。

 しかし結果は同じ。量子ブレインの一部が稼働している。


「意味が分かりませんわ。有り得ませんわ。スキャナが壊れているに違いありませんわ」


 ラファは混乱しながらも、スキャナをチェックした。

 けれど、スキャナに異常は見つからない。

 だとしたら、


「このデータは真、ということになってしまいますわ……」


 頭が痛くなって、ラファは左手で自分の頭を押さえた。


「これじゃあまるで、ユーヤミが夢を見ているみたいじゃありませんか」



 目が覚めた時、リディアはたくさんの想いを持っていた。

 自分が誰なのか理解していたし、ここがどこなのかは予想できる。

 気分はとても、落ち着いていた。

 リディアは息を吐きながら身体を起こし、手足をバタバタと動かして自分の状態をチェックした。

 特に問題はない。ちゃんと動くし、ちゃんと思考できる。

 その上、服を着ている。真っ白なワンピース。飾り気のない――あまり可愛くないワンピースだった。

 それらを確認したのち、リディアは周囲を認識する。

 それほど広くない部屋で、リディアは白いベッドの上。向こう側の壁に、デスクがあってコンピュータが乗っている。

 床には空色のカーペット。

 そして、


「オハン……」


 キラキラと輝く金属骨格に、宝石のような紅い視覚センサ。

 BDシリーズ、タイプ・オハンが室内に座っていた。両膝を立てて、まるで子供のように。その姿はなんだかシュールだった。


「ルーシ様、お目覚めはいかがですか?」


 オハンが抑揚のない声で言った。


「ルーシって、あたしのこと?」

「はい」

「違うよ」

「違う?」


 オハンは首を傾げることもなく、ただ真っ直ぐリディアを見ていた。


「あたしリディアだよ」

「……あなたはルーシ様です」

「違うってば。あたしはリディア」

「……名前を、変更したのですか?」

「最初からリディアだよ。でも、もしオハンが昔のことを言ってるなら、あたし分からない」

「分からないというのは?」

「えっと、世界が崩壊する前にあたしがなんて名乗ってたか、あたしは覚えてないの」

「ルシフェルと名乗っていました」

「それって有名な天使の名前だよね? えっと、神様に反抗して堕天使にされちゃったのかな?」

「データベースにありません」

「そっか」


 優闇なら、すぐに欲しい答えをくれるのにな、とリディアは思った。

 でも優闇はシャットダウンしている。

 ラファがリディアの言うことを素直に聞いているなら、今もまだ優闇は再起動していないはずだ。


「目覚めは悪くないよ。優闇のところに連れて行ってくれる?」

「話が飛びました」

「えっと、最初に目覚めはどうか聞かれたでしょ? まだ答えてなかったから。それと、優闇に会いたいなって思って」


 そして優闇を再起動させる。砂浜では無力だったが、設備さえあれば直す自信があった。

 だからこそ、リディアは落ち着いている。

 取り乱すことなく、冷静に優闇のシステムをチェックして、丁寧に修復する。元の優闇を――優闇の意識を少しも壊すことなく。


「ユーヤミ……黒髪のADのことですか?」

「そうだよ。LMシリーズ、タイプⅡ」

「そのタイプはデータベースにありません」

「そっか。優闇の方が新しいからかな? まぁ、黒髪のADで合ってるよ。夜みたいで綺麗な髪でしょ?」

「分かりません」

「んん……」


 話が広がらない。

 あとでラファの許可があればオハンのデータベースを更新したい、とリディアは思った。

 もちろん、オハンだって自己学習機能を備えているので、起動している限りデータは増加する。

 それでも、オハンは知らないことが多すぎるように感じた。


「ラファはオハンとお喋りしないのかなぁ?」


 リディアは小さな声で呟いた。


「お嬢様はワタシに命令し、ワタシはそれを実行します」


 聞こえていたようだ。


「そっか。あたしはお喋りできなきゃ死んじゃうかもしれないけど、ラファは違うんだね」

「死ぬのですか? ルーシ……リディア様。負傷しているのですか? 治療が必要ですか?」

「違うよ。今のはたとえ話。あたし元気」


 リディアは溜息を吐いた。


「元気なのに、死ぬのですか?」

「死なないよぉ。もう忘れて。お願い」

「分かりました。行動ログを消去……」

「違う違う!」リディアが慌てて言う。「ログは消さなくていいから!」


 なんて融通の利かないADなんだ、とリディアは思った。

 意識の宿っていないADはみんなこうなのか、それともオハンが特別なのか。


「行動ログの消去をキャンセルしました」

「うん。それでいいよ」リディアは再び溜息を吐く。「とにかく、優闇のところに連れて行って」

「分かりました」


 オハンは立ち上がろうとして途中で止めた。

 そしてすぐに膝立ちの状態に移行し、そのまま膝で歩いてドアの方に向かった。

 とても滑稽な移動方法。リディアは最初、意味が分からなかった。オハンの足に、何か不具合でもあるのかと考えた。

 けれど、

 天井を見て、リディアはオハンの行動を理解する。


「そうだよね。オハンの身長だと、頭が天井にめり込んじゃうよね」


 リディアにとっては高い天井も、オハンにとっては窮屈なのだ。


「リディア様。ワタシのあとに続いてください」

「分かったよ」


 リディアはベッドから降りて、普通に立って普通に歩いた。



 リディアの心は落ち着いていた。

 それは、優闇を優闇のまま直す自信があったから。

 知識もあるし、技術もある。設備さえあれば、できないはずがない。

 そう信じて疑わなかった。

 けれど、

 研究室にいたラファの言葉が、リディアの心を混沌の渦に叩き込んだ。


「再起動させるなら、初期化しませんと量子ブレインが焼けますわよ、お姉ちゃま」

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