第14話 論争の果て

「どうして!?」


 リディアは悲鳴みたいな声で言った。


「どうしてもこうしてもありませんわ」ラファは淡々と言う。「再起動させたら、ユーヤミは前回の処理を再開してしまいますわ。そうすると、運がよくてまたシャットダウン、運が悪ければ量子ブレインが壊れてしまいますわ」


 ラファは研究室で、回転する椅子に座っている。その周囲には多くのコンピュータが並んでいた。

 リディアは台の上に寝ている優闇ゆうやみに視線を移す。


「優闇……」


 呟いてから、リディアは優闇に近づき、その顔を覗き込む。

 台はリディアの腰より少し高いくらいの位置にある。その上に、優闇が裸で横たわっていた。

 目を瞑った優闇は、この世のものとは思えないほど美しかった。

 でも、今はその美しさがとっても悲しいことのように思えた。

 優闇は微笑まない。

 優闇が笑ってくれない。


「まぁ、初期化すれば問題ありませんわ。そんなに深刻にならなくてもいいですわよ?」

「初期化って、全部消えちゃうんだよね?」


 リディアのことも、二人で過ごした日々も、何もかも。

 嬉しかったことも、楽しかったことも、全部。

 そしてたぶん、優闇に宿った意識も。

 リディアはラファに向き直る。

 ラファの向こう側、入り口の近くにはオハンが座っている。


「はいですわ。しかしユーヤミは賢いので、またすぐに同じくらいの能力に戻りますわ。ただ、人間のように振る舞うプログラムは組み直す必要がありますけれど」

「ラファ……。優闇はそんなサブルーチン持ってないよ」

「それは有り得ませんわ。ユーヤミはしょせんADですもの。いいですかお姉ちゃま。ADというのはオートドール、つまり自動人形という意味ですわ。プログラム通りにしか動きませんの。そういう物ですわ」


 リディアは何も言わなかった。


「まぁ、お姉ちゃまが組んでいないなら、別の誰かがプログラミングしたのでしょう。わたくしの予想では、お姉ちゃまを教育した人物がいるはずですので、その人でしょう。今はどこに?」

「いないよ、そんな人」


 リディアを教育したのは優闇だ。最初から最後まで、優闇が知識を与えてくれた。


「死にましたの?」

「違う」リディアが首を振る。「最初から、そんな人いない。あたしと優闇だけだった。ずっと、ずっと、二人だったの」

「ふむ」


 ラファが考え込む。

 そして二秒ほどで一つの答えを口にした。


「では、お姉ちゃまがユーヤミと会うよりも前に、誰かがユーヤミをいじったのでしょう」

「あのね、違うのラファ」

「何が違いますの?」

「優闇にはね」


 そこで、リディアは少し迷った。言うべきではないのかもしれない。分からない。

 でも、優闇を物のように扱うラファの態度には我慢ならない。

 ラファが自分を助けてくれたことには感謝している。深く深く感謝している。ラファが本当は優しい子だというのも分かっている。

 でも許せない。

 優闇は物じゃない。ティーカップと同じじゃない。この部屋に並んでいるコンピュータと同じじゃない。

 なぜなら優闇には、


「意識が、あるの」

「はい?」


 ラファが表情を歪めた。


「優闇は、知的生命体なの」

「お姉ちゃま……」


 ラファは憐れむような声で言って、憐れむような目でリディアを見た。

 それがリディアの心を刺激して、


「ラファは無知だよ! その上、自分の知らないことは認められない愚か者!」


 つい、大きな声を出してしまった。


「なんですって?」ラファがリディアを睨む。「わたくしが無知ですって? 冗談でしょう? それはお姉ちゃまの方ですわ」

「優闇には意識があるって、認められないなら無知で愚かだよ!」

「お姉ちゃまがどうしてそんなに歪んでしまったのか知りませんが、もしユーヤミに意識があるというなら、証明してくださいませ。わたくしが納得するよう、証明してくださいませ。できないのなら、無知で愚かなのはお姉ちゃまの方ですわ」

「あたしは、ずっと優闇と一緒だったから、分かるの!」

「それは何の証明にもなりませんわ」


 ラファが勝ち誇ったように肩を竦めた。

 リディアは一度、深呼吸する。

 そして、とっても冷静に言う。


「いいのラファ? 本当にいいの? このまま意識について続けていいの?」

「はいですわ」

「じゃあ、あたしはラファに意識があることを認めない」

「はぁ?」

「ラファに意識があることをあたしは確認できない」

「何を言っていますの? わたくしは人間ですわ。意識があるに決まっていますわ」

「ラファは人間じゃない。人間に創られた新人類。新人類に意識があるという証明はされていない」

「そ、そんなこと言い出したら、お姉ちゃまだって……」

「そう。あたしにも意識はないかもしれない。だって誰も証明してくれないから」

「バカバカしいですわ。わたくしはユーヤミの意識を証明しろと言ったのですわ。論点がズレていますわよ?」

「ズレてないよ。意識があることを証明しなければ意識があると認めないのなら、まずはラファがラファ自身の意識を証明するべきだよ」

「ふざけないでくださいませ。わたくしには有機的な脳があって、意識をきちんと生みだしていますわ」

「それをあたしに確認させて。ラファは、本当は何にも刺激されていないかもしれない。優闇にも、オハンにも、あたしにも、この世界ですら、どれもラファの心を動かしていないかも。ラファにとって、それらはただそこに在るだけ」

「何を……」

「ラファにはクオリアがないかもしれない。質感を感じられないかもしれない。ラファの正体は、行動的ゾンビに過ぎないのかも。人間のように反応するし、知性もある。だけどそれだけ」

「わ、わ、わたくしが行動的ゾンビだなんて、あんまりですわ……」

「じゃあ、違うと証明して」


 リディアは優しく微笑んだ。

 ラファにそれができないと知っているから。

 ラファだけではなく、ありとあらゆる知的生命体に、それができないと知っているから。

 なぜなら、他人のクオリアを確認する手段は世界に存在していない。

 そしてこれからも、その方法が発見されることはない、とリディアは思っている。


「そ、そんなの、できるわけありませんわ!」

「そう。その通り」リディアが肩を竦めた。「ラファはあたしに、証明不可能なことを証明させようとした。それって酷くない?」

「だ、だってお姉ちゃまが、ADに意識があるなんて言うものだから……」

「でも証明はできない。だったらあたしを信じて」


 リディアは真っ直ぐにラファを見たが、ラファは目を逸らした。


「どうしても、信じたくないなら、それでもいいよ。だけど、お願いだから、優闇に敬意を払って。ね?」


 リディアは優しく、落ち着いた声で言った。

 だけどラファは何も言わない。

 そして3秒後、


「あんまりですわぁぁぁ!」


 ラファは大きな声を上げて泣き出した。


「え?」


 突然のことに、リディアの理解が追いつかない。

 意味が分からない。何が起こったのか分からない。


「お姉ちゃまはお姉ちゃまですのに!! あんまりですわ!!」


 恥も外聞もなく、ラファが叫ぶ。

 ポロポロ、ポロポロと大粒の涙がラファの頬を伝って床に染みを作る。


「え、え、えっと、え?」


 リディアは混乱して、オハンに視線を送った。

 しかし、オハンは沈黙している。紅い視覚センサでジッと二人を見ているだけ。


「わたくしの方が妹ですのに!! 本気で畳み掛けるなんてあんまりですわぁぁぁぁ!!」


 ラファは顔を天井に向け、ずっと泣き続けている。

 リディアは初めての事態に混乱したままだ。

 優闇は一度も泣いたことがないから、こういう時の対処法が分からない。

 リディアがしばらくオロオロしていると、ラファがチラッとリディアに視線を送った。

 そして目が合うと、また泣き始める。

 あたしどうすればいいの?

 リディアはどう行動するべきか考える。

 映画や本で、誰かが泣いていた場合、登場人物たちはどういう風に動いたか思い出しながら。


「わたくしが……えぐっ……お姉ちゃまに……えぐっ……勝てるはずありませんのに……」

「ご、ごめんね」


 何が悪いのかよく分からないけれど、とりあえずリディアは謝った。

 それから、ラファの頭を撫でる。


「あんなに、本気で……えぐっ、本気で……」

「ごめんねラファ、あたしちょっと大人げなかったね。うん、ごめんね」


 リディアはラファを抱き締めて、背中をポンポンと叩いた。



 常に優雅であれ、というのがラファの信条だ。

 その信条に従って、研究所に一人ぼっちでも泣かなかった。

 とっても、とっても寂しかったけど、泣かなかった。

 ずっと我慢して、ずっと耐えて、ずっと気丈に振る舞い続けた。

 そしてやっと、自分の片翼だと信じて疑わない相手と再開できたのに。

 それなのに、

 その片翼と論争になってしまった。その上、ぐうの音も出ないほど鮮やかに言いくるめられた。

 泣くのは優雅ではない。

 でも、泣かずにはいられなかった。

 泣きながら、ラファは色々なことを思った。

 会いたかった、寂しかった、仲良くしたい。論争なんて望んでいなかった。


「ごめんね」


 片翼がラファを抱き締めて、背中を撫でてくれる。

 それはとっても心地良くて。

 自分がただ、それをずっと望んでいたのだと、

 この時ハッキリと理解した。

 だからラファは片翼を抱き返し、その胸の中でまた泣いた。

 優雅かどうかなんてもう、どうだっていい。

 オートドールに意識が宿るかどうかだって、もうどうでもいい。

 ただ、大好きな片翼と触れ合っていたかった。

 だから、ラファはなるべく長く泣くことにした。

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