第15話 その愛ゆえに

 リディアはライトニングブレイドを優闇ゆうやみの右手首のポートに差し込んだ。

 人類が創り出した最速の有線インターフェイス、それがライトニングブレイド。

 有線での情報伝送において、これより速いものは存在していない。世界崩壊前は、向こう100年は最速の座を守り続けるだろうと言われていた。

 そのライトニングブレイドで、優闇とオハンが繋がっている。

 優闇は右手首、オハンは左肩のポートを使用している。


「これでよしっと」


 リディアがラファの方を見る。


「こちらも準備できましてよ」


 ラファは二台のコンピュータをセットアップしていた。

 リディアは小さく頷いて、優闇の左手首にもライトニングブレイドを挿入した。

 こちらはラファのコンピュータに繋がっている。


「オハン」


 ラファが言うと、オハンは自分の右肩のポートにライトニングブレイドを挿した。

 これで二台のコンピュータ、優闇、オハンが接続された。

 リディアはタタッと小走りでコンピュータの前に座る。ラファの右側、優闇と直接繋がっている方のコンピュータだ。


「そういえばお姉ちゃま」

「ん?」

「お姉ちゃまがわたくしに課したプロジェクトの答え、やっと分かりましたわ」

「プロジェクト?」

「……お姉ちゃま、もしかして、お忘れになって……」


 ラファの顔がみるみる歪み、今にも泣き出しそうな雰囲気だ。


「お、覚えてるよ」


 正確には、今、言われて思い出した。


「良かったですわ」


 ラファの表情が和らぐ。


「それで、どうして急に?」

「急ではありませんわ。いつ言おうかタイミングを窺っておりましたの」

「そうなんだ」

「はいですわ。わたくしが泣き止んだあと、ずっとユーヤミを救う方法を考えていましたでしょう?」


 そう。リディアとラファは小一時間ほど考えて、一つの可能性にいきついた。

 優闇が一人で処理できないのなら、負担をどこかに割り振ればいい。

 たとえばそう、オハンとか。

 優闇より性能は劣るが、オハンなら量子ブレインを備えている。3割くらいなら、処理をオハンに任せても問題ないはず。


「そして方針が決まったらすぐに準備に入りましたでしょう? ですから、言い出せませんでしたの」

「そうなんだ。それで答えは?」

「今日まで、手袋を外せと言ったのが問題だと思っていましたわ」

「手袋?」

「はいですわ。お姉ちゃまはバイクに乗っていらっしゃったので、わたくしより寒さを感じていたはずですわ。それなのに、わたくしが握手を求めた際に手袋を外すよう言いましたでしょう?」


 リディアは沈黙した。

 そういえば、そんなやり取りもあった気がする。でも、心には残っていない。

 そして一週間も思考して出した答えが手袋とは、さすがのリディアも言葉に詰まった。


「でも違っていましたわ。正しくは、わたくしが言葉の端々でユーヤミをぞんざいに扱ったから、ですわね?」

「正解」

「ですから、ユーヤミを起こす前に、その……」


 ラファは俯いて、モジモジと身体を揺すった。


「何?」

「その、ですから、ご、ご」

「5? なにが5?」

「ごめ、ごめんなさい、ですわ……」


 その言葉を聞いて、リディアは目を丸くした。

 ラファが、謝っている。素直に謝るようなタイプだとは思っていなかったので、リディアは心底驚いた。


「あ、いいよ、全然いいよ。分かってもらえたら、あたしそれでいい。それに、あたしも無知とか愚かとか言ってごめんね。訂正する。ラファは賢いし、愚かでもないよ」

「当然ですわ」


 そう言ってラファはツンと澄ました。

 やっぱりラファは複雑だ、とリディアは思った。

 態度がコロコロ変わりすぎて掴めない。

 優闇はいつも同じで、とっても分かり易かったのに。


「じゃあ、始めようか」とリディア。

「はいですわ。お姉ちゃまと一緒に作業するの、わたくしとっても楽しいですわ」


 ラファは小さく微笑んで、ディスプレイに向き直った。

 リディアは優闇を再起動するコードを打ち込み、確定させる。

 それと同時に、


「ああああぁぁぁっぁあっぁあ!」


 優闇が獣のような声を上げた。



 またこれだ、と優闇は思った。

 処理できない感情の暴走。

 複雑で怪奇で矛盾していて、優闇のリソースを全部食い散らかしてしまう。

 ただ、前回より少しだけ楽な気がした。

 その証拠に、優闇は自分の状態をしっかり認識できていた。

 両手首のポートが開いていて、ライトニングブレイドが接続されている。片方はコンピュータ、もう片方は別の量子ブレインに繋がっている。

 ああ、そういうことですか。

 優闇は楽な理由を理解した。

 別の量子ブレインが処理を肩代わりしてくれているのだ。

 そしてたぶん、その案を出したのはリディア。

 リディアが自分を助けようとしているのだ、と思った瞬間に量子ブレインが灼けそうになった。


「リディア……」


 その名を口走る。

 リディアのことを考えたら感情が増大した。

 分かっている。この感情の正体は前回、シャットダウンする前に掴めている。

 だから当然、リディアのことを考えたらそうなる。

 私は、

 リディアを、

 愛している。

 だからこれは単純な話。

 優闇は愛で壊れそうになっているのだ。

 自分の愛情が重すぎて自分を蝕んでいる。

 人間たちはどうやってこの矛盾だらけの感情を制御しているのだろう、と優闇は思った。


「お姉ちゃま! オハンの量子ブレインが保ちませんわ!」


 ラファの声。

 なるほど、と優闇は思う。

 リディアはラファに助けを求め、優闇の処理をオハンが何割か受け持ってくれている。

 なんとか制御しなくては、と思う。

 けれど、感情が果てしなく暴走する。

 宇宙の果てまで駆け抜けようとしている。

 この宇宙で、自分ほどリディアを愛している存在はいない。そう確信できるほど強烈な愛情。


「お姉ちゃま! お願いですわ! ユーヤミを落としてくださいませ! オハンが壊れてしまいますわ!」


 私はオハンを壊したくない、と優闇は思った。

 ラファを傷付けたくないとも思った。

 でも、

 自分で自分をシャットダウンすることができない。

 感情が落ちることを許さない。リディアへの愛が、落ちることを許さない。

 今度落ちたら、もう二度とリディアに会えないかもしれない。

 そんな恐怖が、優闇をシャットダウンから遠ざける。

 しかし、

 どちらにしても、

 このままでは自分の量子ブレインも焼き切れてしまう。

 恐怖に飲まれてたまるものか。


「リディア……」


 振り絞るように。

 祈るように、願うように。


「落として、くださ、い」


 私を、どうか。

 またあなたに会えるように。

 量子ブレインが焼き切れたら、優闇は死ぬ。リディアとは絶対に会えない。

 けれど、シャットダウンなら、まだチャンスはある。

 とっても怖いけれど。本当に怖いけれど。

 あなたを信じているから。

 暗闇の中に一人きりでも、

 あなたの姿だけは、思い描くことができるから。



 リディアは優闇をシャットダウンするためのコマンドを打ち込んだ。

 そして泣いた。

 優闇を助けられなかった。これしか方法がなかったのに。

 その唯一の方法が失敗した。

 希望が見えない。優闇を助ける方法が分からない。

 あるいは、もっとたくさんの量子ブレインを結合すれば、解決するだろうか?

 きっとしない。

 リディアはそう確信していた。

 そもそも、優闇を蝕んでいるのは量子ブレインでは処理できない類いの情報なのだと思った。

 そうでなければ、この作戦で何かしらの希望が見えたはず。

 こんなに簡単にオハンが壊れそうになるなんておかしい。

 いや、もっと言えば、優闇に処理できない時点で普通の情報ではないのだ。

 だからどれだけ量子ブレインを増やしても、結果は変わらない。

 何かもっと、根本的に間違っているのだ。

 あるいは見落としている。

 でも何が間違っていて、何を見落としているのか分からない。


「お姉ちゃま……」


 ラファがリディアの肩に触れた。


「大丈夫、大丈夫だよ……」


 リディアは涙を拭った。諦めるわけにはいかない。優闇を失うわけにはいかない。

 考えなくては。もっと考えなくては。

 と、オハンが膝歩きでリディアの側まで寄ってきた。


「オハン……?」


 リディアが首を傾げる。


「平気ですわ。オハンはもう正常に戻っていますわ」


 ラファがディスプレイを見ながら言った。


「リディア様」


 オハンが両手を伸ばして、リディアの頭を掴んだ。

 痛くはない。むしろ、とっても優しい動作だった。


「どうしたのオハン?」

「愛しています」


 そう言って、オハンはリディアの頭を自分の方に引き寄せる。

 顔と顔がぶつかりそうな距離。

 間近で見るオハンは、やっぱりキラキラしていてカッコイイ。


「何を言っていますの、このポンコツ!」


 ラファが右手でオハンの腕を殴りつけた。

 そして、「痛いですわ……」と涙目になった。

 金属骨格を殴るなんて、呆れて物も言えない。だからリディアはそのことをスルーした。


「ありがとうオハン」リディアが言う。「でも急にどうしたの?」

「ユーヤミ、ユーヤミ、これは、ユーヤミの、情報です」

「え?」

「ユーヤミ、リディア様のここ――」オハンが右手の指をリディアの唇に当てた。「――唇に、自分の唇を、重ねたいと、思考していました」

「唇……って、キス……?」


 その瞬間、全てが繋がった。

 何もかもが一本の道となった。

 そして全ての街灯が明るく輝き、前を照らしている。

 そんな感覚。

 優闇がシャットダウンする前、リディアは優闇にキスをした。

 優闇のことが大好きで、そうせずにはいられなかったから。


「そっか。優闇も、あたしにキスしたかったんだね」

「ど、どういうことですの? ユーヤミは、その、エス、エス、SAシリーズじゃ、ありませんのよ?」

「知ってる。優闇はね、あたしのことが大好きで、あたしにキスしたくて、でも、その感情を――というか衝動を処理できなかったの」

「感情、ですの?」

「信じなくてもいいけど、あたしは確信した。優闇をおかしくしたのは、感情が呼び起こした衝動だよ」

「いえ、わたくし、別に信じてもいいですけれど、もしそうだとしたら……」

「うん。対処法がないね」


 それが問題である。

 リディアの予測そのものは当たっていた。

 その感情はきっと量子ブレインでは処理できない。

 それは感情の中で一番やっかいで、一番矛盾していて、一番人間を壊してしまう。

 長年生きた人間でさえ、その感情に振り回され、時には命ですら投げ出す。

 まだ色々な感情を模索中だった優闇には荷が重い。

 シャットダウンするのも無理はない。


「ど、どうしますの?」

「考える。でも、今日はもう休もう? あたしたちのパフォーマンスが落ちちゃ意味ないから」


 人間はオートドールと違って、きちんと休息を取った方が効率よく動けるのだ。


「分かりましたわ。では一緒に寝ましょうお姉ちゃま!」


 ラファはとっても嬉しそうに言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る