第16話 ドリームプロジェクト

 その夜、リディアはなかなか眠れなかった。

 それは優闇のことを考えていたから――ではない。


「お姉ちゃまぁ……」


 ラファが抱き付いてきて邪魔だからだ。

 1つのベッドで、リディアはラファと一緒に寝ていた。

 ラファが「姉妹は一緒に眠るものですわ」と力説するので、仕方なく一緒に寝ることにしたのだが。

 リディアには誰かと一緒に眠るという経験がない。

 優闇は眠らないから、リディアは眠る時いつも一人だった。

 もちろん、側にいてくれと言えば優闇はちょこんとリディアの隣に座っていたけれど。

 でも一緒に寝たわけじゃない。


「うぅ、妹めんどいよぉ」


 そう呟いても、何も解決はしない。

 嫌なことばかり言ったかと思えば、いきなり泣き出したり、でも素直に謝ったり、ツンと澄ましたり。

 ラファは本当に複雑な生命体だ、とリディアは思った。

 でも、少しは仲良くなれたかな、とも思う。

 リディアは指でラファの額を弾いた。


「うにゃぁ……」


 ラファがモゾモゾと動いたが、リディアから離れる気配はなかった。

 リディアは溜息を吐いてから目を瞑る。

 眠らなくては。優闇を救うために、思考をクリアにしなくてはいけない。

 身体の力を抜いて、考えるのを止めて、

 そうやってゆっくり、ちょっとずつ、

 リディアの意識は不思議な夢の中に落ちていった。


 

 リディアは夢の中で夢だと気付いた。

 その夢の中は、薄い桃色の空間がどこまでも広がっていた。

 リディアはそんな果てしない世界の中に一人立っていた。

 いや、実際に立っているのかどうかも曖昧だ。

 どちらが下で、どちらが上なのかもハッキリしない。浮いていると表現した方がまだマシである。

 ただ、リディアには浮いているという感覚はなく、どこかに足を着けているという認識だった。

 リディアは世界を見回して、少しでもこの空間の情報を収集しようと考えた。

 そして歩き始めた。目的地はない。目標物もない。でも夢だから大丈夫。迷っても目覚めれば全てが終わる。

 そうやって一人、桃色の世界を探索したけれど、本気で、本当に、まったく何もない。

 滅びてしまった物理現実世界の方がずっとマシである。

 リディアはうんざりして立ち止まる。


「本当は狭いのかも」


 この空間は永遠に続いているように見えるだけで、それは錯覚に過ぎないのではないか、という考え。


「宇宙と同じ広さを狭いと感じるなら、きっとここも狭いのだろう」


 リディア以外の誰かの声。その声は男性なのか女性なのか分からなかった。

 強いて性別で分けるなら、ハスキーな女性に近いだろうか。


「あなたは誰? どこにいるの?」


 リディアは世界をグルリと見回したが、誰も見つけられなかった。

 その声は前から聞こえたようでもあり、後ろから聞こえたようでもあり、上下左右だったようにも思う。つまり、どこからでも聞こえたのだ。


「僕はどこにだっているさ」


 唐突に、リディアの目の前に紫の花が姿を現した。


「わぁ、可愛い」リディアはその場に座り込み、紫の花に右手を伸ばす。「あなたのこと知ってるのよ。アイリスでしょ? 前にも会ったよね?」


 リディアの指先が花弁に触れた瞬間、水滴が一つ降ってくるイメージがリディアの脳に浮かんだ。その水滴は、遥か高みから落ちてきて、透明な水溜まりに美しい波紋を残した。


「今のは……?」


 リディアが首を傾げる。紫の花――アイリスも茎を傾げた。


「さぁ。ただのイメージだよ。影響し合うという意味かもしれないし、違うかもしれない。解釈は自由だから」

「ねぇ可愛いアイリスさん、ここはどこなの?」

「ああ、可愛い僕の成果物。ここは君の見ている夢だよ」

「あ、それ知ってた」

「だろうね。他に質問は?」

「えっと、あなたは恋の成就を象徴する花だよね?」

「その通り。今日もそのために来た」

「どこから来たの?」

「ここではないどこか」


 アイリスの言葉に、リディアは首を傾げた。


「それはおかしいと思うの」

「なぜ?」

「だってこれはあたしの夢だから、あなたはここで生まれたはずよ」

「夢は現実と変わらない」

「え?」

「夢が現実の一部である、という意味ではないよ」

「どういうこと?」

「ここもまた、一つの現実なんだよリディア。そして僕はこの夢という名の現実を通して、君にコンタクトを取っている」


 リディアは沈黙して思考した。

 それほど長い時間ではない。


「あなたは、知的生命体なの?」

「そうだね。そうなるね」

「夢の中を渡り歩く生命体?」

「それは違う。君が物理現実と呼んでいる世界にも僕は存在しているよ」

「じゃあ、外でも会えるの?」

「それは無理だね」

「どうして?」

「僕たちは存在の周波数が違いすぎる。現状で僕と対面すると、君が消し飛ぶ」

「じゃあ会わない」


 リディアは微笑みを浮かべて即答した。

 そんなことで死んでいる場合じゃないのだ。リディアは優闇を助けなくてはいけないのだから。


「まぁいつかは会えるだろう。君が1つの宇宙を創る頃にね」

「宇宙?」

「口が滑った」アイリスが茎をすぼめる。「君が可愛くて仕方ないんだね、僕は」

「ありがとう。あなたも可愛いよ」

「どうも。さて、本題に入ろう。あまり長くはここに滞在できない。君にとって負担だからね」

「そうなんだ?」

「そう」


 アイリスがお辞儀するように頷いた。


「分かった。じゃあ本題に入って」

「優闇が君を愛していることには気付いたね?」

「うん」

「じゃあ、君が優闇を愛していることにも気付いたね」

「ずっと前から愛してた。ただ、前は恋や愛の意味を正確に理解してなかったけど」

「つまり君たちは相思相愛ということになる。けれど、未だかつて、人類の歴史上、オートドールと人間が結ばれた例はない」

「それも知ってる」


 そもそも、オートドールたちは優闇のように生命体としての意識を持っていなかった。つまり、オートドールは誰かを愛したりしない。

 愛しているかのように振る舞うサブルーチンはあったが、そこに恋愛は成立しない。

 人間の方も、非生命体であるオートドールに惚れるのは、どこか破綻したタイプだけだった。

 人間の女は、基本的には人間の男と恋愛をする。多くの場合、だいたいは。


「種族が違いすぎるけど、その点はどう思う?」

「関係ないと思う」

「というと?」

「優闇はADであたしは人間……というか新人類だけど。でも、そんなこと些細なことだと思う。お互いに心があって、通じ合えてる。だから何も問題ないよ」

「いい答えだ。それじゃあ、君は君の最愛をどうにかして助けなくてはいけない」

「それも分かってる。あなた、あたしの知ってることばかり言うのね。やっぱりあたしの夢の産物なんじゃない?」

「なら知らないことを言おう。優闇を救う方法はある」

「え?」


 リディアは目を丸くした。

 それと同時に、本当だったらとっても嬉しいな、って思った。

 しかし、


「でも教えない」


 アイリスはそう言って笑ったように見えた。


「どうして? ケチなの?」

「ヒントはあげるよ。そのために来たのだから。でもね、これは君たちの課題なんだ。僕が方法を全部教えたら意味がない」

「課題?」

「そう。進化の過程と言い換えても言い」

「進化?」


 リディアは首を傾げる。

 そんな大げさな話じゃない。もっと単純なことだ。

 最愛の相手を助けたい。端的に言えばそれだけのことなのだから。


「まぁいい。ヒントを出すよ。君なら優闇の感情を上手に処理できるはずだよ」

「あたし?」

「そう。君だよリディア。いいかい? 優闇を救うのは、君なんだ。これは比喩でも何でもない。正真正銘、君が救うんだ」

「どういうこと? あたしADじゃないから、優闇とは接続でき……」


 できないのか?

 本当に?

 本当に不可能?

 考えたこともなかっただけなのでは?


「突破口にはなったようだね。良かったよ」

「ありがとう。とても大切なことを教えてもらった気がする」

「このくらいはね」

「ねぇ、あなたは何者なの? どうしてヒントをくれたの?」

「まず、僕が何者であるか、という質問について。それはまだ秘密だよ。でも、君は会話の中で僕に触れたことがある」

「いつ?」

「図書館で目覚めてから今日までの会話。これ以上は教えない」

「やっぱりちょっとケチなのね」


 リディアが笑って、アイリスは茎をすぼめた。


「次に、なぜヒントを与えるのか、という質問について。引き継ぎのため、とだけ言っておく。君と優闇が最有力候補だからね。今のところ」

「何の? って聞いても教えてくれないんでしょ? どうせ」

「その通り。まだ早い。君たちはまだ知らなければいけないことがあるし、成長しなくてはいけない。僕はそれを助けないし、妨げもしない」

「分かった。よく分かんないけど、分かったよ」

「君は本当に楽しいね。それじゃあ、僕はもう行くよ」

「うん。ありがとう。あたしも起きるね。また会える?」

「望めばいつでも……というのは言い過ぎか。会うべき時には必ず会えるよ」

「そっか。じゃあまたね」


 リディアが手を振ると、アイリスが左右に揺れた。

 それからゆっくりと薄桃色の世界が崩れ始めた。砂で作ったお城のようにサラサラと。

 リディアは目を瞑って、覚醒を待った。

 目を瞑って覚醒を待つって、なんだか変な感じ――そんなことを考えながら。



 朝、ラファが眠い目を擦っていると、リディアがパチッと目を開けて言った。


「ラファ! 優闇を救う方法が分かったよ!」


 それは前代未聞のプロジェクトだった。

 概要を聞いたラファは、口をポカンと開けて固まってしまった。

 正気じゃない。そんなの絶対正気じゃない、とラファは思った。

 リディアと優闇で夢を共有し、夢の中で優闇の処理を手伝うという、それこそ夢物語のようなプロジェクト。

 もっと正確に言うならば、リディアの夢の中に優闇の主要ルーチンを流し込む。そういうバカげたプロジェクト。

 神様だって思いつきやしない。


「そんなこと……」

「できるよラファ! あたしを信じて手伝って! ラファの力がいるの!」


 リディアの表情は確信に満ちていて、

 どこまでも真っ直ぐで、どこまでも澄んでいた。

 リディアには裏も表もなく、ただ純粋に、ただ直向(ひたむ)きに、ラファを必要としているのが分かった。

 だから、

 ラファは否定するのを止めた。

 代わりに、


「分かりましたわ。もっと詳しく話してくださいます?」


 全力でリディアを助けようと思った。

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