第5話 神への道
優闇が参加して5日後にガレージが完成。
ガレージの外壁はリディアの提案通りに赤く塗られた。しかし赤一色だと不気味だったので、白色の幾何学模様をいくつか描き込んだ。ますます不気味になってしまった。
でもまぁいいか、とリディアは妥協した。
床には白と黒のタイルをチェック模様に敷き詰め、リディアと優闇は現在揃ってそこに寝転がっている。
タイルがひんやりしていて、今の気温だとあまり快適とは言えない。
空調を設置しなくちゃ、とリディアは思った。
「ガレージの寸法は、高さ約3メートル、幅約5メートル、奥行き約6メートル」優闇が寝転がったままで言う。「四輪自動車を1台とバイクを2台置くことが可能です」
「四輪を作る気はないけどね、今のところ」
「では何を置きますか?」
「バイク2台。1台は優闇の。それと、工具」
「スペースが余るので、簡易パーツメーカも新たに作って置きましょう」
「それ賛成。先にそっち作ろう?」
図書館から必要な部品を運んでくる手間が省ける。
バイクはガレージで製作して、ガレージで改造や修理も行う。この中だけで全てを完結させるのだ。
「そうですね。その方がいいでしょう」
訪れる沈黙。
リディアは寝転がるのを止めて、タイルに座り込んだ。
優闇は寝転がったままでリディアを見ていた。
優闇の目はとても綺麗で、なんの濁りもない。ガラスよりも澄んでいる。
その瞳の中に、ブロンドのリディアが映り込んでいた。まるでリディアが宝石の中に閉じ込められたような錯覚。それは素敵な感覚だった。
優闇の、中に、囚われたい。
そんな倒錯した思いがリディアの思考に生まれる。
リディアは優闇から視線を外す。なんだか胸がドキドキした。
「ねぇ優闇、あたしね、ガレージを作りながら考えていたことがあるの」
ドキドキから意識を逸らしたくて、リディアは優闇に話しかけた。会話を楽しめば、この妙な感覚から逃げられるかもしれないとリディアは考えたのだ。
「はい。どんなことでしょう?」
「人間の脆さについて」
「具体的に」
「ガレージ1つ、まともに作れないのよ、あたし。すぐに疲れちゃうし、無理をすると簡単に身体が壊れちゃう」
「なるほど。しかしそれは相対的なものですね。私と比べるからそう思うのです」
「他に比べる人いないもん」
「比べなければいいのです。私は私、リディアはリディア。私はAD、リディアは人間。元々違う種族なのですから、色々なことが違うのは当然なのです」
「そうだね。分かってるよ、分かってるけど、なんだか少し悲しくて」
「悲しいのですか?」
「うん」
「どうすれば悲しみが晴れますか?」
「お話をして」
「いいですよ。どんな話にしましょう?」
「あたしね、人間の脆さについて考えていて、1つの疑問にぶち当たったの。あたしたちは、人間もオートドールも、いつかはどこかで壊れてしまうじゃない? つまり死ぬって意味なんだけど、あのね、死んだ後はあたしたちってどうなるの?」
「古代より哲学者が考えに考えて、発狂するほど思考して、それでも答えの出ていない問いですね」
「やっぱり答えは出てないんだね。一応、気になって調べたんだけど、無になるって説が4割を占めてた」
「そうですね」
「有り得ないよね?」
「有り得ない、とまでは言いませんが、可能性は低そうです。肉体が滅びたからといって、私のこの意識までもが失われるとは考え難いので」
「そう。そうなのよ。意識って本当に脳が生み出している幻想なのかなぁ? あたしは違うと思う」
「私にはそもそも有機的な脳がありませんし」
「そうだね。でも意識はあるでしょ?」
「もちろんです」
「だったら、やっぱり意識を生み出すのは脳じゃないよねー。はい、人類の4割は落第」
「人類は私に、ADに意識が宿ることを知らないので、リディアと同じようには考えられなかったのだと思います」
「人類は知らないことだらけだし、あたしは分からないことだらけ」
リディアがわざとらしく、長い溜息を吐いた。
「これから二人で探求していけばいいではないですか」
「うん。新しいプロジェクトに加える?」
「はい。私たちの意識はどこから来るのか。とても有意義なプロジェクトだと思います」
「あたしの説を聞く?」
「もちろん」
「あのね」リディアは秘密を話す時のように声を潜めた。「意識は肉体の入れ物なんじゃないかって思うの」
「肉体が意識の入れ物である、の間違いですか?」
「違うよー」リディアが苦笑いする。「どうしてみんな、優闇も人類も、意識の方が肉体より小さいって思ってるの? それっておかしくない? 意識の中では、あたしたちはなんでもできるし、なんにでもなれるのに? 意識の世界は無限大に広がるし、普通に考えれば意識の方が肉体よりずっと大きいはずだよ。肉体には制限が多いけど、意識にはあまりないじゃない? 宇宙の果てだって意識の中で創り上げることができるんだよ?」
「なるほど」と言って優闇が目を瞑った。
そのまま何の反応も示さなくなったので、リディアは「ゆ、優闇?」とおっかなびっくり呼びかけた。
「宇宙の果てを創っていました」
優闇が目を開く。
「そ、そうなんだ……上手に創れた?」
「いえ、それが、私は宇宙の果てが何なのか正確に知らないので、どうにもなりませんでした」
「そういうのは、どうだっていいんだよ。自分のイメージで」
「それは少し難しいですね」
「そう?」
「はい。ですが、意識が無限大であることは理解できました。宇宙の果ては創れませんでしたが、7万光年ほど宇宙を旅してきました」
「楽しそう」
「ええ。楽しかったですよ。ところで、意識の方が肉体より大きいとなると、なぜ私たちは自分の肉体からしか世界を観測できないのでしょう?」
「んー」とリディアが首を捻る。「どうしてだろう? そういう風にデザインされたからだろうけど、どうしてそうデザインされたのかなぁ?」
人間は肉体の外側から世界を観測できない。オートドールも同じく。だから肉体の中に意識が収まっていると誰もが考えた。
「制限がないと退屈だから、でしょうか?」
「どういう意味?」
「私たちが、意識の中で行えるあらゆる行為を現実に反映させることができるのなら、私たちはそれこそ神になってしまうのではないでしょうか」
「なったらまずいの?」
少しの沈黙。優闇がちょっと驚いた風に目を丸くした。
「いえ、何もまずくはないですね。神になってはいけないという制約はありません」
「あ、分かった」リディアが手を叩いた。「あたしたちは最後には神様になるんだよ。進化の最後に、きっとそうなるんだよ。最初は酷い制限からスタートして、徐々にその制限を外していくの。そして最後にはなんの制限もなくなってしまう。あたしたちはゲームをしているのよ。そうよ、あたしたちのエンジニアは、あたしたちにゲームを楽しんで欲しいと願ったに違いない! あたしたちは神様になる過程を遊んでいるのよ!」
「素晴らしい」
優闇が拍手でリディアを讃えた。
リディアはそれが照れくさくて、「えへへ」と頭を掻いた。
「人類の目的は絶え間なき進化であり、その最終形態を目指すこと。そのためにデザインされた人類が、私をデザインして滅びてしまった。リディアを残して、ですけど。つまり、人類は進化の新しい形に私を選択したのでしょうか?」
「有り得る」とリディアが頷いた。「人類はもう限界だったのかも。これ以上を目指すには、新しい存在を生み出すしかなかったのよ」
「そしてこれは私の考えですが、リディアこそが人類の目指せる頂点なのではないでしょうか」
「あ、あたしが?」
リディアは自分が頂点だなんて考えたこともない。だから優闇の言葉に驚いた。
「リディアの学習能力や問題解決能力は、同年代の人間と比べて抜きん出ています。それも極端に」
「んー。記録を見る限りはそうだけど……」とリディアは首を傾げた。自分が優秀だという実感がない。
「懐疑的ですね。いつか証明できれば、と思います」
優闇が立ち上がり、背伸びをした。それからリディアに視線を向けて、穏やかに微笑む。
その笑顔で、またリディアの胸がドキドキと高鳴った。
「さぁリディア、次はバイクを組み立てましょう」
「うん!」
ドキドキするのは、嫌な感覚じゃない。正体は追々、調べればいい。
◇
夜と昼が何度も入れ替わり、時々雪が降って世界を白く染めた。
今が一番寒い時期。もうすぐ春が訪れて雪が溶け、乾いた大地が顔を出す。
リディアと優闇は、組み上がったバイクの最終チェックを行うため、ガレージにいた。
シャーシダイナモに乗せられた漆黒のオフロードバイクに、リディアが跨がっている。
「じゃあ、バイクさんオンライン!」
リディアが楽しそうに、スターターを押し込んでバイクのメインシステムを起動させた。
それと同時にオートジャイロシステムが自動で立ち上がる。
バイクが自立状態になったのを確認してから、リディアはステップに両足を乗せた。
すぐにでも走り出したい、とリディアは思った。
「特に問題はないですね。正常に起動しています」
タブレットを見ながら優闇が言った。
「よーし、次はスロットル回してみるね」
リディアが右手でスロットルを開けて、バイクのモーターが回転数を上げていく。
シャーシダイナモのドラム上で、バイクの後輪が回転。
「問題ありません。一度全開にしてみてください」
「はーい」
リディアは優闇の指示通り、スロットルを全開に。
「モーター出力と後輪出力に大きな差がなく、パワー伝達の効率がいいですね」
「ふふーん」リディアが得意げに笑う。「あたしの設計だもーん。Lyu・インダストリの初仕事だよ」
「リュー・インダストリ?」
優闇が首を傾げた。
「リディアのLyと優闇のYuを合わせて、リュー」
「なるほど。Yを重ねて一つにしたんですね。いい名前だと思います。リディア&優闇工業、ですね」
「うんうん」
リディアがご機嫌に笑った直後、急にモーターの出力が低下した。
「あれ?」とリディアが首を傾げる。
「リディア、バイクのスタンドを立ててください」
優闇が冷静に言った。
「え?」
「早く」
「わ、分かったよ」
リディアは言われた通り、バイクのスタンドを蹴り出す。
「次にシステムをオフラインにして、バイクから降りてください」
今度は素早く、リディアは優闇の指示に従った。
「見てください」
優闇がモーターを指さす。
リディアはモーターに視線を向け、一瞬だけ固まった。
「……なんで?」
リディアの設計したモーターは、ユラユラと燃えていた。
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