第8話 価値観の違い
「すごぉい!」
リディアは手を叩いて感動を表した。
「人間って、セックス以外でも創れるんだね!?」
エンジェルプロジェクトの概要を聞いたリディアの、素直な感想だった。
リディアは性教育も受けているので、人間が生まれるプロセスをよく理解している。
「お姉ちゃま……」ラファが頬を染めた。「そんな大きな声で……はしたないですわ」
「はしたない? どうして?」
リディアは小さく首を傾げた。
「ん……それは、その……」
ラファは言葉に詰まり、視線をティーカップに向けた。
ティーカップが喋るとは思えないが、リディアもティーカップに目をやった。
でもやっぱり、ティーカップは沈黙を守っている。
まぁ、そうだよね、とリディアは思ったので、目線を
「ねぇ優闇、どうしてはしたないの? 人間が新しい人間を創る行為が、どうしてはしたないの? 何かを創るってとっても素敵なことだよね?」
優闇は多くの知識を持っている。だから優闇に聞けば大抵のことは教えてもらえるとリディアは知っていた。
もちろん、優闇にも分からないことはあるが。
たとえば、世界が滅亡した理由とか。
「そうですね」優闇が淡々と言う。「本来なら素敵なことです。ただ、快楽のために性行為を行う人間たちが多かったので……」
「目的がすり替わってたってこと?」
「そう。そうです。欲望を満たすための性行為があまりにも多かったので、一般的にはしたない――品がない、みっともない、という認識になったと思われます」
「そうなんだ」
「そうなんです」
リディアが深く頷いて、優闇は小さく頷いた。
「それだけじゃありませんわ。人間には恥じらいというものがありますの。ADにはないでしょうけれど」ラファがチラリと優闇を見た。「そういう行為は、相手に裸を見せることになりますでしょう?」
「そうだね」
性教育に使われたいくつかの動画を思い出しながら、リディアは頷いた。
「そういうことですわ」
「どういうこと?」
リディアにはさっぱり分からない。
裸を見せることが何だと言うのだろう。
リディアは洋服が好きだから着ているだけで、別に着なければいけないものだという認識はない。
「乙女は簡単に裸を晒してはいけませんのよ、お姉ちゃま」
「世界に誰もいなくても?」
リディアは小さく首を傾げた。
「はいですわ。それと、大きな声でそういう行為に関する言葉を口にしてもいけませんわ。それが乙女というものですわ」
「誰も聞いてなくても?」
「はいですわ。お姉ちゃまは記憶がないので、さっきのは仕方ないかもしれませんが、これからは気を付けてくださいます?」
「うーん」
リディアはちょっと納得がいかない。
「リディア」優闇が言う。「ラファさんはただ、不快だから止めてくれと言っているのです」
「ああ、なるほど」
リディアはポンと手を打った。
なら最初からそう言えばいいのだ。性行為は嫌いだから、それに関する発言はしないでくれ、と。
回りくどい子だなぁ、とリディアは思った。
と、その時、オハンが右手に椅子を持って階段を上ってきた。
オハンはとっても大きくて強そうで、金属骨格がキラキラしている。カッコイイなぁ、というのがリディアの感想。
しかもオハンの視覚センサは紅い宝石みたいで、とっても綺麗。
オハンはゆっくり、堂々と歩いてリディアの隣まで移動した。
リディアが見上げると、オハンはリディアに視線を移す。
それから、
「どうぞ」と言って椅子を置いた。
「ありがとう」とリディア。
しかしオハンは「どういたしまして」とも「喜んでもらえて嬉しい」とも言わず、またゆっくりとラファの後ろに移動した。そしてそこで動かなくなった。
エネルギィが尽きたのではなく、そこがオハンの定位置なのだろう、とリディアは思った。
「お姉ちゃま、どうしてADに感謝などしますの?」
ラファはとっても不思議そうな表情を浮かべていた。
「椅子を持って来てくれたから」
言いながら、リディアは椅子に腰掛けた。座り心地はあまりよくないが、ずっと立っているよりは楽。
「それはわたくしが命令したからですわ」ラファは少しムッとしたような表情を浮かべた。「ですから、お礼を言うならわたくしに、ではありませんの?」
「うん。ラファもありがとう」
リディアは笑顔を浮かべたが、ラファはムッとしたまま。
「わたくし、も?」
「うん。ラファが言って……」リディアがオハンに目をやる。「彼が持って来てくれたから。えっと、彼の名前、まだ聞いてないよね?」
「タイプ・オハンですわ」
それは知っている。バイクに乗っている時に優闇がそう言っていたから。
「タイプじゃなくて、名前だよ?」
「名前などありませんわ。特に愛着があるわけでもありませんし、付ける意味がないですわ。まぁそっちの、ユーヤミくらい価値のあるADなら付けてもいいとは思いますけれど」
ラファの言い方に、リディアは少しだけ嫌な気持ちになった。
まるでオハンには価値がないという言い方。しかし、オハンは椅子を持って来てくれた。それに見た目だってカッコイイ。
それだけでも十分に価値がある、とリディアは思った。
「ねぇ、あなたは」リディアはオハンに対して言う。「名前欲しくないの?」
「分かりません」
オハンは淡々と言った。
「意識はないの? それともクールなだけ?」
リディアは小さく首を傾げた。
「はぁ?」ラファが顔を歪める。「お姉ちゃま、脳に障害がありますの? 記憶を消した時に、後遺症が残ってしまわれたとか?」
「え? どういう意味?」
「どうもこうも、ADに意識なんて、よっぽど頭が変な人でなければ言いませんわ」
優闇に意識が宿っているのだから、オハンに宿っていても不思議ではない、とリディアは思った。
仮に今、オハンが意識を持っていなくても、将来手に入れる可能性だってある。
でも、そのことを言うかどうか少し迷った。
ラファの否定があまりにも強かったので、口論になってしまうような気がしたから。
「まぁ、これからはわたくしがお姉ちゃまを教育して、正しい知識を与えてあげますわ。ですから、今は頭が変でも大丈夫ですわ」
憐れむような視線。見下すような口調。
リディアはすごく嫌な気分になった。
リディアはすでに、個体として一人前であると優闇に証明されている。ラファはリディアだけでなく、優闇の教育まで否定したに等しい。
それは本当に、本当に、嫌な気分だった。
「わたくし、3ヶ月もお姉ちゃまを待ちましたのよ? わたくしが目覚めた時、なぜかお姉ちゃまはいなかった。一緒に目覚めるはずでしたのに。わたくしは一瞬ですが、絶望しそうになりましたわ」
ラファは唐突に話し始めた。
一応、リディアはラファの話を聞いているが、本心ではもう図書館に帰りたかった。
ラファと話すのはなんだか疲れるし、気分が良くない。
せっかく会えた人間――しかも妹だというのに、今は少しも嬉しくない。
「しかしわたくしは信じて待ちましたの。お姉ちゃまはきっと、戻ると。そして今日、やっと戻っていただけた。さぁ、お姉ちゃま、わたくしと新たな世界の創造を楽しみましょう」
ラファがスッと左手を出した。
この手を取れ、という意味。リディアはそれを正しく認識したが、手は出さなかった。
「お姉ちゃま、わたくしが手を出したら、握るものですわ。もちろん、手袋は外してからお願いいたしますわ」
ラファはやれやれ、という風に小さく首を振った。
「あたしもう帰るね」
リディアは立ち上がり、踵を返した。
「お姉ちゃま!?」
ラファが慌てて立ち上がり、椅子を引っ繰り返したのが音で分かった。
「優闇、帰り運転する?」
「はい。もちろんです」
優闇が笑顔を浮かべた。
優闇の声はとっても安心する。
見下さないし、憐れまないし、ただ深く優しい。
「お待ちくださいお姉ちゃま。どういうことですの?」
「どうって言われても」リディアが振り返る。「そろそろ帰ろうと思っただけだよ」
「何か忘れ物をしましたの? それなら、オハンに取りに行かせますわ。もうお姉ちゃまはどこにも行かなくていいんですのよ?」
「あたしは色々なところに行きたいよ?」
リディアは小さく笑顔を浮かべた。
優闇と二人で、世界を探索するのだ。
たとえ世界に、何もなかったとしても、それはそれでいい。
だって何もない世界なら、これから何でも創れるということ。
リディアと優闇にはプロジェクトが多い。その中には創造が多く含まれている。
「意味が分かりませんわ。お姉ちゃまはわたくしと新世界を創造すると約束したではありませんか。お姉ちゃま自身は記憶を消して、零から完全にやり直すと、その時はわたくしにリードして欲しいと、そう言ったはずですわ」
「あたし言ってないよ?」
事実だ。今のリディアはそんな約束をした覚えがない。
リディアにとって、世界の始まりは図書館で目覚めた時。それ以前なんてどこにも存在していないのだ。
「言いましたわ」
「うーん、でもたぶん、それって、あたしじゃないよ?」
「そんなことありませんわ、お姉ちゃまはお姉ちゃまですわ」
「ま、それはそれとして」リディアが微笑む。「あたし、ラファとは友達になりたいって思ってるよ。でも、今日は帰るね?」
「どうしてですの?」
「ハッキリ言うと、ラファが嫌なことばっかり言うから、かな」
ひとまず一旦、ラファから離れたい。
このままでは、なんだかリディアはすり減ってしまいそうな気がしたから。
「嫌なこと……?」ラファが首を傾げた。「嫌なことって何ですの?」
ラファは本気で、心の底から、分からないという風に目を丸くした。
リディアはどうしていいか分からなくなった。
いつも一緒にいる優闇は、とっても論理的だし、嫌なことは言わないし、自分の良い点も悪い点も理解している。
リディアにとって、ラファはなんだかとっても複雑な生物に思えた。
「えっと、じゃあ、それを考えるのがラファのプロジェクトね?」
その場しのぎではあるが、リディアはなんとかこの会話に決着をつけたかった。
「プロジェクト?」
「そう。また遊びに来るから、その時までね?」
「その時っていつですの?」
「えっと、1週間後、とか?」
リディアが言うと、ラファは少しだけ考えるような素振りを見せた。
「1週間、ですわね? 分かりましたわ。わたくし、もう3ヶ月も待ちましたもの。あと1週間くらい、待ちますわ」
「待ってる間に、ちゃんと考えておいてね?」
次に会った時、リディアがすり減ってしまわないように。
「もちろんですわ。わたくし、プロジェクトを完結させる能力は秀でていましてよ」
ラファは胸を張って言ったが、リディアはなんだか心配だった。
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