第7話 エンジェルプロジェクト

 女の子は午後のティータイムを楽しんでいた。

 パラソルの下、安物の椅子に腰掛けて、簡易テーブルにはソーサーだけが置かれている。

 本来その上にあるはずのティーカップは、女の子の右手あった。

 壊れてしまった世界を眺めながら、優雅な一時を過ごす。

 雪が溶けてからは、それが女の子の日課。

 少し肌寒いけれど、紅茶を一杯飲むだけの時間なので、あまり問題にはならない。

 女の子の後ろには、軍用AD、タイプ・オハンが立っている。本当にただ、立っているだけ。何の問題もなければ、オハンは喋らない。

 しかし、


「お嬢様」


 そんなオハンが、言葉を発した。

 何の感情もない合成音声。温かくもないし冷たくもない。ただ平坦で、無機質な声。

 でも、それでいいと女の子は思っている。それが気に入っている、という意味ではない。


「何ですの?」


 女の子は振り返りもしない。

 オハンに対して、女の子は特別な感情を一切持っていない。

 女の子にとって、オハンはただの道具。ティーカップと変わらない。まぁ、ティーカップよりはオハンの方が少し便利。

 それでも、本質は同じ。人間のために創られた物に過ぎない。

 ADに人工皮膚は必要ない。服だって不要。ベルベットボイスも要らなければ、優しさも無用。ただ、命令を聞いて、正しく実行すればそれでいい。


「当エリアに侵入者です」

「詳細は?」


 女の子がティーカップをテーブルに置いた。


「自動二輪である確率、98%」

「バイクですわね」


 ふむ、と女の子は左手を顎に当てた。


「オートパイロットですの?」

「搭乗者あり。2名確認」

「人間、ということですわね」


 それは待ち侘びた片翼かもしれない、と女の子は思った。

 そして、そうであれと願った。


「お姉ちゃまである確率は?」

「顔認証実行……距離が離れているため、認証エラー」

「相変わらず、役立たずですわねぇ」

「申し訳ありません」

「近くなったら、もう一度実行してくださる?」

「了解しました」


 女の子は遥か遠く、まだ点のようなバイクに視線を向けた。

 バイクの搭乗者が待ち侘びた相手でなければ、何の用もない。女の子に友達は不要。ただ、片翼が戻ればそれでいい。

 女の子は再びティーカップに手を伸ばし、紅茶を啜る。

 ゆったりと、焦らず、常に優雅であれ――それが女の子の信条。

 それから少しの時間が流れて、


「顔認証終了」とオハンが言った。

「そう。それで?」

「ルーシ様である確率、99%」


 その結果を聞いて、女の子は小さく笑った。


「やっとお戻りになられましたのね、お姉ちゃま」



「こんにちは!」


 バイクから降りたリディアが、桃色の髪の女の子に挨拶した。

 優闇ゆうやみもバイクから降りて、軍用ADオハンに視線を向ける。

 オハンも、真っ赤な視覚センサを優闇に向けた。とても冷たく、恐れすら感じる視線。

 恐れ? 私が? 優闇は自分の感情に驚いた。意識の宿っていなかった頃は当然として、意識が宿ってからも恐れなど感じたことはない。

 優闇は恐れという初めての感情に少し戸惑った。

 しかし、オハンはそれ以上何の反応も見せない。警告もしないし、指一本動かさない。

 全長3メートルに近いオハンが、ただ木偶でくのように立っている。

 だから今のところ、恐れる必要はないはずだ、と優闇は心を落ち着かせる。

 もし人間だったら、心拍数が上がったり汗をかいたりするのだろう、と優闇は思った。


「おかえりなさいませ、お姉ちゃま」


 女の子がティーカップを置き、リディアを見て笑顔を溢す。

 優闇の目測では、女の子の年齢は10歳から12歳の間。個体としては、リディアより少し若い。

 人種はリディアと同じく、黄色人種と白人のハーフ。線が細く、少々痩せすぎているように見える。しかし健康状態は悪くなさそう。

 目はクリクリして可愛らしく、瞳の色はグリーン。


「その服、可愛いね!」とリディアが言った。


 女の子の服は黒のゴスロリ衣装。しかし胸元だけは白色。フリルがいくつも装飾されていて、なんだかヒラヒラしている、と優闇は思った。

 それと同時に、リディアにもきっと似合うだろうと想像して幸せな気持ちになる。

 でもその幸せに浸ることなく、優闇は女の子を観察する。

 女の子は黒のタイツをはいていて、足首に小さな黒いリボンが飾られている。

 足首の下には黒のラバーソール。

 基本的には黒が好きなのだろう、と優闇は判断した。

 しかし女の子の桃色の髪には、もっと明るい色の方がいいのではないか、とも思った。

 それをいちいち口にするほど、優闇は野暮ではないが。


「お姉ちゃまの服は、あまり可愛くないですわね」


 リディアの服は優闇のデザインだ。

 やはり自分にはセンスがないのかもしれない、と優闇が肩を落とす。


「可愛くはないけど、カッコイイでしょ?」


 リディアが首を傾げた。

 その言葉で、優闇は落とした肩を元に戻す。リディアが気に入ってくれたのなら、それでいい。


「そうですわね。悪くはないかと」


 そう言ったあと、女の子はオハンに視線を向けた。


「お姉ちゃまの椅子をお願いできるかしら?」

「了解」


 オハンの声は味気ない合成音声。感情の欠片も見えない。とはいえ、軍用にデザインされたオハンに、ベルベットボイスは必要ない。

 優闇はLMシリーズなので、接客も仕事に含まれている。だから心地良いベルベットボイスが採用されたのだ。

 オハンが踵を返し、五歩移動。

 それから地下への階段をゆっくりと下りていった。

 地下に施設があるのだとすれば、リディアもそこにいた可能性がある。この場所は、リディアを拾った場所とかなり近い。

 オハンの姿が見えなくなって、優闇はホッと一息吐いた。

 すでに恐れは鳴りを潜めていたが、やはり軍用のADが近くにいると落ち着かない。


「ねぇねぇ、なんであたしのこと、お姉ちゃまって呼ぶの?」


 リディアがニコニコと笑いながら言った。


「お姉ちゃまはお姉ちゃまですわ。でも、お姉ちゃまは記憶がないのでしたわね」

「リディアの記憶がないことを、知っているのですか?」


 やはり、リディアはここにいたのだ。そして、この女の子と何かしらの関係がある。


「あら、あなたADのくせに、口を挟むの?」女の子が首を傾げた。「普通、ADは人間たちの会話に割り込んだりしないものですわ。お姉ちゃまが書き換えたのかしら?」

「よく優闇がADだって分かったね! あたし、最初は優闇と自分の違い、よく分からなかったよ!」

「そりゃ分かりますわ」女の子が小さく肩を竦めた。「最新世代AD、LMシリーズ、タイプⅡでしょう? よくこんな高価なADが残っていましたわね。実質、稼働していているのは地下図書館に配備された一体だけだったと思うのですが……このユーヤミ? がそうですの?」

「はい。私がそうです」


 優闇が返事をすると、女の子は少しだけムッとしたような表情を見せる。


「わたくし、お姉ちゃまと話していますの」

「そうですか。それは失礼しました」


 優闇が頭を下げる。それはあまりにも洗練された動作。10人いたら10人が美しいと称賛する礼。

 優闇はそういう動作を知っていて、実行している。


「動作が完璧すぎて惚れ惚れしますわね」女の子が感心したように言う。「さすが、わたくしとお姉ちゃまの設計ですわ。」

「あたしの設計?」


 リディアが優闇に視線を移し、小さく首を傾げた。

 優闇は即座に自分の設計者をデータベースで検索する。


「設計者の名前は……男性名だと思いますが」


 ヒットした名前は、どう読んでも女性の名前ではなかった。


「そいつ、能無しですわよ? 実際に設計したのはわたくしとお姉ちゃまで、そいつはあれこれ偉そうに指示していただけですわ」


 女の子がやれやれ、と首を振った。


「本当にあたしたちが優闇を創ったの?」

「そうですわよ」

「わぁ、昔のあたしすごぉい!」


 リディアが手を叩いて喜んだ。

 偶然助けた少女が、自分の産みの親だった――そのことに、優闇は深い感動を覚えた。

 あるいは、この世界に偶然などなく、全ては必然だったのかもしれない、と優闇は思った。運命、と言い換えてもいい。

 私とリディアの出会いは、運命的だったのですね。

 優闇はリディアと一緒に抱き合って飛び跳ねたい衝動に駆られたが、ひとまずその気持ちを抑えた。

 女の子に聞かなくてはいけないことがある。


「あなたは……いえ、あなたとリディア、リディアはあなたがお姉ちゃまと呼ぶ少女の今の名前です」


 優闇はチラリとリディアに目をやったが、すぐに女の子に視線を戻す。


「あたしリディア。よろしくね」

「……リディア、ねぇ」


 女の子は少しだけ不満そうに言った。

 たぶん名前が気に入らなかったのだろうが、優闇はそこに触れない。


「それで質問なのですが、2人は、何者ですか?」


 優闇が言って、女の子が小さく笑う。


「まず最初に、わたくしはラファエル。お姉ちゃまはラファと呼んでくれましたわ」

「そうなんだ」リディアが言う。「またラファって呼んでもいい?」

「ええ、もちろんですわ」


 優闇はラファエルという名を検索したが、女の子に関連がありそうな結果は得られなかった。


「ねぇラファ、あたしとラファは姉妹なの?」

「血の繋がりはありませんわ。ですから、結婚だってできますわ」


 結婚、という言葉に優闇の何かが反応した。何が反応したのか分からない。分からないけれど、とっても嫌な気持ち。

 これは何という感情でしょう?

 少し思考したけれど、分からなかった。


「そうなんだ。ラファと結婚はしないけど」


 リディアがハッキリと拒否を示し、優闇の中に生まれた嫌な感情が消える。

 感情の正体が不明なままだったので、優闇は少し残念に思った。


「まぁ、それはそれとして」女の子が小さく肩を竦めた。「わたくしたちは、エンジェルプロジェクトの産物ですわ。お姉ちゃまが初天、わたくしが二天目」

「エンジェルプロジェクトって何?」


 リディアが興味津々、といった様子で問う。


「まぁ簡単に言ってしまえば、ゼロから人間を創るプロジェクトですわ。もちろん、ただの人間ではなく、より優れた新たな人間の創造を目的としたものですわ」

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