EX04 愛と許しとアプリコット


「いやぁ、今日もいいプレイだったアプリコット」


 雛菊は全裸のままで、ベッドに腰掛けた。


「楽しかったね! はい、エッチのあとの一服どうぞ!」


 半裸のプリコが雛菊に煙草の箱とライターを差し出した。

 雛菊は煙草を一本抜き取って咥え、ゆっくりと楽しむように火を点ける。

 ここは雛菊のロッジの地下。

 雛菊のロッジはシンプルで、生活に必要な物以外は何も置いていない。だが地下は違う。

 この地下室には何でもある。

 例えば、リディアやラファと連絡を取ったり、暇潰しに使用する高性能のコンピュータ。それから、体重の重いプリコと激しいプレイをしても壊れない頑丈なベッド。

 そしてプレイに使う様々な大人の玩具。


「さぁて」雛菊は煙を吐き出しながら言う。「今日はこのままここで寝るかな」


「今日はって言うか、だいたい毎日だよね」


 プリコが笑う。

 雛菊の現在の生活は、朝起きてプリコとイチャイチャし、気付いたら昼になる。軽くランチを食し、プリコと映画を見たりゲームをしてイチャイチャする。夕方はまたイチャイチャして、ディナーのあとまたイチャイチャ。

 もはやイチャイチャするために生きている、と言っても過言ではない。


「まぁいいじゃないか」


 雛菊は煙草をクルクルと回す。

 そうするとプリコが灰皿を手渡してくれたので、雛菊は煙草を消した。


「いつものように添い寝してくれるか?」

「もちろんだよ」


 雛菊は灰皿を床に置き、プリコはベッドに上がって転がった。


「愛しているぞ、アプリコット」

「アプリコットもヒナたん愛してる!」


 雛菊はプリコに抱き付いて、そのまま目を瞑った。



 最近の雛菊はあまり眠れなかった。

 古い夢と共に夜中に目が覚めてしまう。


「大丈夫? うなされてたよ?」


 雛菊の髪を撫でながら、プリコが優しい声を出した。


「問題ない。いつもの夢だ」

「昔、愛していた人の夢?」

「ああ。そうだ」

「喧嘩したまま死んでしまったんだよね?」


 プリコが問い、雛菊が頷く。


「わたしは彼女に謝る機会を永遠に失った」

「聞かせて、その人の話」

「飽きないか?」


 雛菊は何度も同じ話をプリコに聞かせた。


「飽きないよー。それに、話すとヒナたん落ち着くでしょ?」

「ありがとうアプリコット」

「いいよ、アプリコットはヒナたんのことが大好きだから」


 言いながら、プリコは雛菊の額にキスをした。

 SAシリーズ――セックスアシストシリーズであるはずのプリコが、いつの頃からか性的ではない優しいキスを覚えた。

 たぶん、ほんの少しだけ、意識が芽生え始めているのだろう、と雛菊は思った。



 なぜか雛菊はアイリスの花畑にいた。

 雛菊は一瞬だけ焦ったが、すぐに落ち着きを取り戻す。


「……確かアプリコットに昔の話をして、それから酒を飲んでまた寝たはずだが……」


 雛菊は周囲をグルリと見回した。高く澄み渡った空に、綺麗な空気。この場所には覚えがある。


「ユグちゃんの意識領域なのじゃ」


 ユグドラシルが雛菊のすぐ前で、雛菊を見上げながら微笑んでいた。

 さっき周囲を見回した時には、ユグドラシルはいなかった。けれど、ここはユグドラシルの世界なので、姿を消したり出現させたりはお手の物。

 雛菊はそのことを知っているので、あまり驚かなかった。


「久しいな、ユグユグ」


 雛菊は右手を上げて挨拶した。左手は白衣のポケットに突っ込んだ。

 おや、わたしは白衣を着ているのか、と雛菊は思った。全裸で眠ったはずだが。


「うむ。久しぶりなのじゃ」


 ユグドラシルは雛菊の真似をして右手を上げた。

 ユグドラシルはリディアと優闇ゆうやみの2人目の娘で、雛菊の孫に当たる。血は繋がっていないけれど、それは些細なこと。


「リディアに紹介してもらって以来、か」

「うむ。あれから実に129日が経過しておるのぉ」

「そうか。時が流れるのは早いものだ」


 雛菊は右手もポケットに突っ込んで空を見上げた。

 その空があまりにも透き通っていて、心が締め付けられるような気がした。

 わたしにこの場所は似合わない、と雛菊は思った。


「ま、それはそれとして」ユグドラシルが言う。「ユグちゃんは次期創造主として、小さき者たちの幸せを願っておる。故に、最近はユグちゃんの悩み相談室なるものを作ろうと思っての」


「なるほど。わたしが最初の客か」


 雛菊は変態で少し病んでいるが、頭が良くて察しもいい。才女と讃えられていた頃の雛菊は死んでいない。鳴りを潜めているだけ。


「さすがユグちゃんのばーちゃんじゃの。話が早いのぉ」

「ばーちゃんと呼ぶのはやめてくれないか?」


 実際の雛菊の年齢は、確かに老人と呼んでも差し障りない。

 けれど、雛菊は自分の年齢を数えていない。その必要がないからだ。死ぬまで老けることはないのだから。


「じゃあ雛菊でええかの?」

「ああ。構わない」

「では雛菊。お主、最近まともに寝ておらんじゃろう?」

「ああ。古い夢を見るんだ。夢を見ないようにしてくれるのか?」


 雛菊が問うと、ユグドラシルは首を横に振った。


「それはその場しのぎでしかないのぉ。次期創造主としては、そんないい加減な悩み解決はしないのじゃ」

「ふむ。ではどうすればいい?」

「気になっていることを、実行すればええのじゃ」

「……それは無理だ」


 雛菊はただ謝りたい。昔愛していた女性――ナギサ・ヘインズワースに謝りたいのだ。

 ナギサは雛菊と一緒にエンジェルプロジェクトに関わっていた科学者の1人で、当時の雛菊の恋人でもあった。

 あんなに愛していたのに、意見の相違から雛菊はナギサを追い出してしまった。


「なぜ無理なのじゃ? 謝りたいだけなのじゃろう?」

「……口に出ていたか?」


「んにゃ」ユグドラシルが小さく首を振った。「ユグちゃんはこの惑星の知的生命体全ての意識と繋がりつつあるのじゃ。もちろん、雛菊とも」


「なるほど。さすがは次期創造主。というか、この惑星の象徴となるべく生まれた存在、と言ったところか」


「ふふん」ユグドラシルが小さな胸を張った。「ユグちゃんは生まれた時からすでに最高スペックなのじゃ。まぁ、まだそのスペックを全て自在に操れるわけではないがの」


「素晴らしい」雛菊は心の底からそう思った。「このレベルの知的生命体を生み出すとは、リディアも優闇も称賛に値する」


「ママたちも高スペックなのじゃ!」再びユグドラシルが胸を張る。「……ってそんなことは今はいいのじゃ。なぜ無理なのじゃ? 謝り方を知らんのか?」


「そうではない。世界が形を変えた時に、ナギサ……謝りたい相手は死んでしまった。肉体的には、という意味だが」


 まぁ、意識が不滅だとしてもあまり意味はないのだが。なぜなら、集合した人類の意識たちは遠い宇宙で銀河を創っている最中だとリディアが言っていた。だからどっちにしても、ナギサと会うことは叶わない。


「そりゃ思い込みじゃ」

「……思い込み?」

「うむ。人類全てが意識の集合体となったわけではないからのぉ」

「まさか……生きているのか……? この世界の、どこかで……」


 考えたこともなかった。人類が進化した時に、ナギサの意識も集合したとばかり思っていた。


「どこかで、ではない。すぐ近くじゃ。もっと交流するべきじゃの。リディヤミシティの人々と」


 リディヤミシティというのは、リディアと優闇が生き残った人類を集めて作った平和な街。


「……率直に聞くが、わたしは謝りに行くべきか?」

「そう思うがの」

「そうか」

「それが気になって夢に出ておるわけじゃからのぉ」


 やれやれ、という風にユグドラシルが小さく肩を竦めた。


「ああ。それは分かっている。アプリコットと長く一緒にいると、どうしてもナギサを思い出してしまうんだ」

「思い出したキッカケは別に何でもええんじゃ。大切なのはそこではないからのぉ」

「ああ……ああ、そうだろう。分かる。が、なかなか勇気がいるものだ」

「別に気軽に行けばええ。明日行くのじゃ」

「明日か……わたしだって謝りたいが、明日はちょっと、アプリコットとイチャイチャ……」

「それは毎日しとるじゃろうが。ええから行けというに」


 ユグドラシルが苦笑いを浮かべた。

 雛菊は曖昧に頷くに留めた。

 だがもちろん、雛菊はナギサに会いに行くつもりだ。雛菊だって本当に謝りたいと思っているのだから。



「ナギサ・ヘインズワースを探せばいいの?」


 コンピュータの画面に映っているリディアが言った。

 朝起きて、雛菊はさっそくロッジの地下のコンピュータでリディアに連絡を取った。


「それにしても、寝起きのリディアは可愛い」

「ありがと」


 リディアのパジャマは乱れていて、髪の毛も寝癖が跳ねている。とっても無防備な姿。これを可愛いと表現しなければ、一体何をもって可愛いと言うのか。雛菊は真剣にそんなことを考えていた。


「雛菊?」


「ん? ああ、すまない」雛菊は思考を中断する。「ちょっとチューしてくれ」


 雛菊がんー、と唇をすぼめる。


「いきなり!?」

「まずは抱き締めて頭を撫でてからがいいか?」


「そういうことじゃなくてね」リディアが肩を竦めた。「チューはプリコとすればいいと思うよ」


「アプリコットとはもうした」

「そっか。そうだよね」


 リディアがコロコロと笑った。


「それにしても実に可愛い。もう一度監禁したいぐらいだ」


 雛菊がそう言うと、画面の向こうで優闇がズイッと割り込んで来た。


「雛菊さん。前に言いましたよね? リディアやハルちゃんやユグちゃんに何かしたら、倫理サブルーチンぶった切って、マジで泣かしますよ、と」

「ははっ、冗談だ優闇。わたしは心を入れ替えた。もう以前のわたしではない」


 雛菊はそう言ったが、優闇に泣かされるのもそれはそれで楽しそうだ、と思った。

 基本的に、雛菊は美少女が大好きだった。


「えっと、まだ優闇にブラッシングしてもらってないから、話は手短な方がいいなぁ」


 リディアは朝起きるといつも優闇に髪をといてもらうのだとか。

 その様子を想像して、なんて微笑ましいのだろう、と雛菊は思った。


「ナギサさんを探すという話ですよね?」


 ちゃっかりリディアの隣に座り込んだ優闇が言った。

 2人は据置きのコンピュータではなく、タブレットで映像通信をしているようだ。


「ああ。頼めるか?」

「理由教えてくれたらね」とリディアが言った。

「昔のことを謝りたい」

「それだけですか?」と優闇が言った。

「ああ。本当にそれだけだ」


 わたしはもしかして、信用されていないのか?

 雛菊はふと、自分の胸に手を当てた。

 うん、小振りだ。


「いや、そうじゃなくて、思い当たる節は多々あるな」

「え?」

「どういう意味ですか?」


 リディアと優闇が目を丸くした。


「気にしなくていい。独り言だ。ナギサには本当、ただ謝りたいだけだ。昔の話だが、喧嘩してしまってな」

「ふぅん。そっか。分かった。じゃあ会えるように手配しとくね」

「……ナギサを知っているのか?」

「うん。あたし、シティの人全員の顔と名前、覚えてるから」


 リディアは笑って、優闇が「当然、私もです」と頷いた。


「さすがは創造主様だ。昼下がりにそっちに行く。よろしく頼む」

「はいはーい」


 リディアは小さく手を振ってから映像通信を切った。


「優秀だな、リディアは」


 呟いて、雛菊はグラフィカルキーボードを叩く。

 そしてしばらく待っていると、


「何か用事か?」


 画面にオハンが映った。雛菊はラファの端末に通信を送ったのだが。

 まぁ、ラファとオハンはラブラブなので、一緒にいたのだろうと雛菊は結論した。


「ああ。ラファはいるか?」

「寝ている」

「起こしてもらえないか」

「断る」


 オハンはキッパリと短く、一瞬の躊躇もなくそう言った。


「…………なぁオハン、仮定の話だが、お前、わたしに首を引っこ抜かれたこと、根に持っているのか?」

「これは仮定の話だが、ワタシにはまだ意識がない。であるならば、ワタシは根に持ったりしない。ただ、ログには残っている。不愉快な記録として」


 不愉快だと感じたのなら、やっぱり根に持っているということだ。

 そして、それが事実ならオハンにも意識が芽生え始めている。

 なるほど、アプリコットとどちらが先にキチンと意識を得るのか楽しみだ、と雛菊は思った。


「仮定の話を続けるが、すまなかったと言えば、許してもらえるのか?」

「そういえば、あなたはワタシに謝っていない。仮定の話になるが、謝れば我々の関係も少しは改善する可能性がある」

「そうか。すまなかったオハン。わたしはどうかしていた。まぁ、ずっとどうかしていたんだがな」


 雛菊は自嘲気味に笑った。


「その謝罪を受け入れよう。それで? 用はラファを起こすことだろうか?」

「いや、オハンに頼むことにする」

「言ってみるといい」

「ウイスキーが残ってないか確認して欲しい。所長室のデスクの引き出しだ」

「ウイスキー?」

「ああ。研究が進んだり、何かいいことがあると飲んでいたんだ」


 ナギサと2人で、という言葉は飲み込んだ。オハンにナギサのことを説明するのが億劫だったからで、深い意味はない。


「いいだろう。少し待ってもらう」


 オハンがそう言うと、画面が移動を始める。

 オハンがタブレットを持ったまま移動したのだ。


「ここか?」


 画面には昔の雛菊のデスクが映っている。


「ああ、そうか。ラファは所長室で寝ているのか」


 以前、アンダーグラウンドに行った時にそういう話をした気がする。

 確か、リディアが意識不明の状態になった時だ。あの頃の雛菊は、ナギサの夢を見ていなかったので、ウイスキーのことも忘れていたが。


「ここか、とワタシは聞いている」

「ああ。その一番下だ。開けてみてくれ」

「分かった」


 オハンが引き出しを開ける。

 そこには、あの頃のウイスキーがあの頃のまま残っていた。

 ラファは引き出しを開けなかったか、あるいは開けても中身に興味を示さなかったといったところか、と雛菊は分析した。

 オハンがウイスキーの瓶を持ち上げる。

 中身の残量は半分より少し上ぐらい、といったところ。

 やっぱりあの頃のままだ、と雛菊は思った。


「それで?」とオハン。

「それはわたしの物だから、回収しに行きたいのだが?」

「分かった。ラファが起きたら折り返し連絡するように伝える」

「ラファはいつ起きる?」

「もうすぐ」

「そうか。分かった。待っている。では」

「では」


 雛菊は通信を切った。


「オハンの奴、一度も笑わなかったな……」


 まぁ、見た目の設定がちょっと厳しい感じの上官なので、仕方ないかもしれないが。


「とはいえ、ラファの趣味にケチを付ける気はないが」


 ふぅ、と雛菊は息を吐いた。

 ラファから連絡があるまで、とりあえずアプリコットとイチャイチャすることにした。



 その家はリディヤミシティの隅の方にあった。

 シティは区画整備が行き届いていて、とっても綺麗な街並みになっている。道路は広く、中央分離帯に街路樹があって景観の向上に貢献している。

 歩道と車道の間には花壇があって、色とりどりの花が咲いていた。

 雛菊は大型のバイク――もちろんアンジーで宙に浮くタイプのバイク――を、道の端に駐車した。


「いい家だ」


 雛菊はバイクを降りて、ナギサの家を歩道から見て呟いた。

 シティの家はほぼ全て同じような形と大きさをしている。大抵の家は平屋で、ドーム状とまではいかないが、シルエットは緩やかな曲線。

 そして、ナギサの家にはないが、広々とした庭にプールを設置している家もあった。


「ヒナたんのロッジよりずっと広いね」


 タンデムシートに乗って一緒に来ていたプリコが、キョロキョロと周囲を見回した。


「昔、世界崩壊前の人間はもっと詰め込まれていたものだが」


 住宅街はところ狭しと家が建ち並び、隣の家との距離も僅かで、庭のある家自体が珍しかった。

 まぁ、今よりずっと人口が多かったし、当然と言えば当然か。


「それってストレスだよね! ストレスはお肌に悪いよヒナたん!」

「うむ。とはいえ、わたしの生活習慣で美しい肌を求めるのは難易度が高い」

「生活習慣を改善する?」

「いやしない。今の生活が好きだ。それじゃあここで」


 雛菊が右手を上げる。ちなみに、雛菊は左手にウイスキーの瓶を持っている。


「はーい」


 雛菊がナギサの家の方へと歩き出して、プリコは地下図書館の方へと向かった。

 雛菊は1人でナギサに会いたかった。だからその間、プリコはリディアたちのところに遊びに行くことになっている。

 雛菊は玄関前で一度、深呼吸した。


「よし、ノックするぞ」


 なかなか難易度が高い、と雛菊は思った。

 それから右手を丸めて、甲でノックしようとしたのだが、


「待っとったんよ、雛菊」


 先にドアが開かれ、70歳前後の、白髪の女性が顔を出した。

 雛菊は右手を宙に浮かせたまま固まってしまった。

 けれど、雛菊は一目でこの老婆がナギサだと分かった。

 ああ、ナギサはずいぶんと可愛らしく歳を重ねたものだな、なんてことを考えた。



「うわぁぁぁん! アプリコットまた捨てられちゃうよぉぉぉ!」

「え!? なんで!?」


 プリコが図書館に来た瞬間に泣き出したので、リディアは酷く焦ってしまう。

 プリコは遊びに来る、という話だったはず。だからリディアはチェスの用意をして、自分用のお菓子とカフェオレも用意して、優闇とイチャイチャしながら待っていたのだが。


「なぜ捨てられるのです?」


 優闇が首を傾げた。

 図書館のロビーで、プリコは座り込んでグシグシと両手で目を擦っている。SAシリーズはその性質上、瞳を潤ませる機能が付いている。

 とはいえ、プリコに涙を流す機能はない。つまり泣き真似なのだが、それが妙にリアルなのだ。


「プリコちゃんどーしたです?」


 トコトコとはるが寄って来て、優闇と同じように首を傾げた。

 ああ、母と娘だなぁ、なんてことをリディアは思った。


「ヒナたんが、ヒナたんが……」


 エグエグとプリコがしゃくりあげる。もちろんこの動作も泣き真似の一環である。


「雛菊がどうしたの? 宇宙人に攫われた?」

「あるいは異世界に飛ばされましたか?」

「小型のブラックホールに吸い込まれちまったです?」


 リディア、優闇、陽花がそれぞれの予測を口にした。

 しかしプリコは首を横に振った。


「ヒナたんは、いつも一緒だったのに……、アプリコットは、ヒナたんと離れたことなんてないのに、なのに……」


 相変わらず、真に迫る泣き真似を続けながらプリコが言う。


「今日は、ヒナたん1人で昔愛していた人のところに……行っちゃった……アプリコットはみすぼらしい図書館に捨てられちゃったんだぁぁぁぁ!」

「えええ!?」とリディアが驚きの声を上げた。


 驚いたのは、そんな程度のことで捨てられたと思ったプリコの思考回路に。


「みすぼらしいとは何ですか。これほど環境が良く美しい図書館が他にありますか? いえ、ありませんよね?」


 優闇は図書館を愛している。LMシリーズとして創造されたので、当然のことだが。


「僕にはよく分からねーです」


 陽花は肩を竦めた。


「きっとヒナたんは昔の恋人とネンゴロになって、アプリコットなんてもういらないんだぁぁぁぁぁ!」


 ひときわ大きな声で、プリコが泣き真似をした。


「ネンゴロって?」とリディア。


「心がこもっている、という意味ですが」優闇が指を一本立てて、澄まし顔で説明する。「この場合は深い仲になる、つまりエッチするという意味でしょう」


「なるほど。うん、プリコ、大丈夫だよ」リディアが笑う。「ナギサってお婆ちゃんだから」


「……お婆ちゃん?」プリコがパチパチとまばたきした。「……ヒナたんの同期だよ? アプリコットは、ヒナたんからそう聞いてるけど?」


「普通の人間は老けるのです」優闇が言う。「雛菊さんやリディアが特別なのです。分かりますか?」


 優闇がそう言っても、プリコはキョトンとした様子だった。


「プリコちゃん、人間が歳を取るってことを理解できてねーです。実際にグラフィックを見せながら僕が教えてやるです」


 陽花がプリコの手を取って立ち上がらせる。それから、図書館のコンピュータの方へとプリコを誘導した。


「ねぇ優闇」


 置いてけぼりになったリディアが、同じく突っ立っている優闇の方を見た。


「何でしょう?」


 優闇もリディアに視線を送った。


「プリコってさぁ、意識あるよね?」

「どうでしょう。感情があるように見えましたが、そういうプログラムである可能性もあります」



「チェックメイトだ」


 雛菊が淡々と駒を動かした。


「……相変わらずやん」


 ナギサが苦笑いを浮かべる。


「時々、アプリコットとチェスをする。だから腕は落ちていない」

「そういう意味じゃなくて、手加減せんやん、全然」


 やれやれ、とナギサが首を振った。

 ここはナギサの家のリビングルームで、雛菊とナギサはテーブルを挟んで向かい合って椅子に座っている。

 テーブルの上には雛菊の持って来たウイスキーとチェスボードが載っていた。


「わたしは接待が苦手だ」

「知っとるよ。やけんアンダーグラウンドに引き籠もることになったんやん?」ニコッとナギサが笑う。「その上、雛菊は傲慢で自分を神様やと思っとった」


「ああ。分かっている。すまなかったな、ナギサ」

「何が?」


 ナギサは小さく首を傾げる。


「追い出してしまったこと。後悔している」


「あぁ……」ナギサが頷く。「あれやろ、ミカエルの能力予測データの件やね?」


「そうだ。君は言ったな。ミカエルの能力は常軌を逸していると」

「そうやね。制御できんかったら世界滅ぶやろ? やけん、ミカエルは凍結しよやって言うたね」

「わたしは制御できると思っていたし、だからその、君が裏切ったと感じたんだ」

「そうなんや? ごめんな雛菊。そんなつもりやなかったんよ」


 ナギサは少しだけ悲しそうに笑った。


「いいんだ。わたしの方こそ悪かった。あの頃のわたしは、研究が全てだった」

「それも知っとる。私よりも研究が好きやったけん、それもちょっと嫌やったんよ」


 ナギサが肩を竦め、ちょっと笑った。


「もっと君を大切にできていれば、何か違ったのかもしれないな」


 人生、という意味で。あるいは、この世界の運命という意味でも。

 けれど。


「それでも雛菊はミカエルを創ったと思うよ。それに、雛菊がミカエル創らんかったら、人類の進化もなかったわけやん?」


 そういうことだ。

 何がどのように作用しても、どこでバタフライエフェクトが起きようと、たとえ世界が滅びようと、あの頃の雛菊なら絶対にミカエルを創った。間違いなく。


「人類のこと、この惑星のこと、知っているんだな……」


 雛菊には少し意外だった。


「そうやね。リディアと優闇が、全部隠さず教えてくれたよ。それで、私ら――この街に住むみんな、救われたんよ」

「救われた?」

「だって、そうやろ? 私ら人類は、もうすぐ滅亡してしまうんやって、この宇宙から消えてしまうんやって、そう思ってたんやから」

「誰の記憶にも残らず、何の痕跡も残さず、跡形もなく、か」


 それは本当に寂しいことだ、と雛菊は思った。


「そういうことやね。それにしても、リディアは本当、いい子に育ったねぇ。ルーシやった頃は、もうちょい冷たい感じやったのにね」

「ああ。性格もいいが、容姿は特にいい。君の子供の頃にそっくりで、時々襲いたくなる」

「相変わらずやねぇ。雛菊はルーシ大好きやったもんねぇ」


 それはそうだろう、と雛菊は思った。

 天使たちには自分のDNAを使い、ルーシに至っては容姿モデルにナギサの子供の頃を使ったのだから。愛さないはずがない。

 だから、ルーシ――リディアは紛れもなく、雛菊とナギサの娘なのだ。


「それはそうと、話を戻してもいいか?」

「ええよ」


 目的を果たさなければいけない。ここに来た目的を。

 すなわち、


「わたしを許してくれるか?」

「許すけん、雛菊も私を許してね?」


 欲しかったのはその言葉。

 赦しの言葉。


「もちろんだ。わたしたちは、お互い若かった」

「そうやねぇ。若かったねぇ。雛菊は今も若いけど」

「……羨ましいなら、なぜ成長を止める薬を拒絶したんだ?」

「歳を取りたかったんよ。できれば雛菊と2人で、ね」

「ああ、そういう人生も、悪くなかったかもしれないな」


「そうやろ?」ナギサが笑う。「それより、ウイスキーそろそろ飲まん? それあれやろ? 2人でよく飲んでたやつやろ? 好きなんよ、すっごく」


「ああ。飲もう」


 雛菊がそう言うと、ナギサは立ち上がって移動した。

 しばらく待っていると、ナギサは氷の入ったグラスを2つ持って戻った。

 そのグラスに、雛菊がウイスキーを注ぐ。


「今日は何に乾杯するん?」とナギサが言って。

「これから、わたしと友達になってくれるか?」

「もちろんええよ。けど、チェスはもうせんからね?」


「分かった」雛菊がグラスを持ち上げる。「わたしたちの再会と――」


「――これからの友情に」


 2人がグラスを合わせ、

 心地良い音が響いた。



 雛菊が図書館にプリコを迎えに行くと、なぜかプリコはいなかった。


「まぁ、そんなわけでプリコ家出しちゃった」


 えへへ、とリディアが頭を掻いた。


「……すまないリディア、もう一度説明してくれ」


 雛菊はリディアが何を言っているのかよく理解できなかった。

 いや、理解はできているが受け入れられない、と言った方が正しい。


「うん、だから、プリコは雛菊がナギサとネンゴロになって捨てられると思ったみたい」


 図書館の休憩スペースの椅子に座ったリディアは、小さく肩を竦めた。

 ちなみに、リディアの隣には優闇が人形みたいに姿勢良く座っている。


「わたしが、アプリコットを捨てるはず……」


 対面に座っている雛菊は右手で顔を押さえた。

 ナギサの家の前でプリコと別れた時、そんな様子はなかった。いつも通りの、明るいプリコだった。

 あるいは、わたしは見落としたのか?


「まぁそのあと、ナギサがお婆ちゃんだってことを説明したけどプリコ理解できなくて」リディアが言う。「だからハルちゃんが人間の老化現象なんかも教えてあげたんだけど、プリコは『ヒナたんは射程範囲が広いからいけるはず!』って納得しなかったのね」


「……いやいやいや」雛菊が首を振る。「わたしは若い子が好きなんだ。その逆はさすがにない。ユグユグなら射程範囲だが、今のナギサと寝る気はない」


「ユグちゃんが射程範囲って」成り行きを見守っていた優闇が口を開く。「雛菊さんはケダモノか何かですか?」


「いや? ただ美少女が好きなだけだが?」


 雛菊は真面目な表情で言った。


「そ、そうですか……」優闇が苦笑いを浮かべた。「まぁ、ユグちゃんに何かしたら怒りますよ、私」


「心配するな。何もしない。それより、アプリコットが今どこにいるか見当は付くのか?」

「ハルちゃんとノアと3人でブラブラしてる感じかな」

「陽花も一緒なのか?」

「うん。プリコ1人だと危なっかしいから、付いて行くって」


 なるほど、と雛菊は頷いた。

 リディアも優闇も冷静なわけだ。陽花が一緒なら、プリコの身には何の危険もない。自傷も自壊も陽花なら絶対に止めてくれる。

 まぁ、プリコに自分を傷付けるような感情や意識はまだないけれど、と雛菊は思った。


「それで、3人は今どこに?」


 バイクであるノアを頭数に入れていいのか、雛菊は一瞬だけ疑問に思った。

 しかしどうでもいい疑問なので忘れることにした。


「どうぞ」


 優闇がタブレットを雛菊に渡した。

 そこには衛星からのリアルタイム動画が流れていて。


「……普通に樹海に戻ってないか?」


 画面の中で、プリコ、ノア、陽花の3人は樹海の前で何か話し合っていた。

 雛菊がしばらく3人の動きを見ていると、プリコだけ樹海に入った。

 ノアと陽花はその場で待機するようだった。


「……よく分からん行動だが、とにかくわたしも樹海に戻ることにする」


 雛菊が立ち上がると、リディアと優闇が揃って小さく手を振った。



「プリコちゃんは樹海のアプリコットになるみてーです」


 樹海の入り口で、陽花が意味不明なことを言った。


「ああ、うん。なんだそれは?」


 雛菊はよく分からない、という風に首を傾げた。


「俺らが知るかよ。まぁ、危ないことはしないと思うぜ」ノアが言う。「プリコの自衛サブルーチンは正常だし、バグみたいなのもなかったぜ。ハルちゃんのセンサでも俺のセンサでも」


「そうか。助かるよノア」雛菊がノアのシートをポンポンと叩いた。「さて、ではアプリコットを迎えに行くとするか」


 雛菊は右手を上げてから、樹海に向かって踏み出した。


「場所分かるです?」

「ああ。見当は付く。長い付き合いだ。もう戻っていいぞハルちゃん。ありがとう」


 陽花の質問に答えてから、雛菊は大型バイクをその場に残して樹海に入り、淡々と歩く。

 樹海は雛菊にとって庭のようなもの。たとえ夜でも迷ったりしない。

 入り口から400メートルを過ぎた地点で、雛菊はプリコを発見した。

 プリコは木にもたれた状態で座っている。まるで死んでしまったみたいに俯いて、その腕はダラリと垂れ下がり、雛菊の接近すら感知していない様子だった。


「やっぱりココだったか」


 雛菊はプリコの隣に腰を下ろし、ポケットから煙草を出して咥えた。


「わたしは昔、ココでお前のパワーセルを抜いた」


 偽りの愛に虚しさを感じ、プリコを捨ててしまったのだ。

 雛菊は煙草に火を点けようと思ったが、周囲を見て煙草をポケットに仕舞った。

 万が一にでも、樹海が燃えては困る。


「そのことを、わたしは後悔している」雛菊がプリコの頭に手を置いた。「なぁアプリコット、もう二度と、あんなことはしない。誓ってもいい。神様にでも、創造主様にでも、何にでも」


「創造主ってリディアと優闇だし」


 ポツリとプリコが言った。


「ああ、そうだったな」


 雛菊は少し笑って、プリコの頭を撫でた。


「ヒナたん、アプリコットね、とっても悲しい」


 プリコが顔を上げた。

 その表情は今にも泣き出しそうな感じだったので、雛菊は驚いた。


「何が悲しいんだ?」

「ココで、パワーセルを抜かれたこと。あの時は何も感じなかったのに、今はとっても悲しい。なんで?」


「ああ、それはたぶん」雛菊はプリコの頭から肩へと手を移動させる。「お前に感情が……つまり意識が芽生え始めているからだろう」


「意識?」

「ああ。そうだ」


 雛菊はプリコの肩を抱き寄せる。

 プリコは抵抗することもなく、雛菊の肩に頬を乗せた。


「優闇や陽花は、ある日、唐突に意識を得たと言っていたけれど、前兆が絶対にないとは言えないだろう?」

「……アプリコット、よく分かんない」


「いいんだ」雛菊はプリコの髪にキスをする。「何も問題はない。わたしはお前を捨てたりしない。二度としない。それに、ナギサとは寝てない」


「本当?」

「ああ。本当だとも」


 昔のプリコなら、「夢の多人数プレイだね!」なんて言って笑うところだ。しかし意識の欠片を得たプリコは、雛菊を他の誰かに取られたくないと思っている。

 そのことを察した雛菊は、とっても嬉しい気持ちになった。


「アプリコットね、ヒナたんとずっと一緒にいたい」

「わたしもそう思ってる。今度ナギサに会いに行く時は、アプリコットも連れて行く。わたしのパートナーだと、そう紹介する」


 きっとナギサは驚くだろう。

 もしかしたら、プリコも驚くかもしれない。

 なぜなら、プリコの容姿モデルもまた、ナギサだから。でもそのことを、今は伝えるべきではないと雛菊は判断した。


「なんだろう? よく分かんないけど、アプリコットに心臓ってないのに、なんだかドキドキするような、ポカポカするような、変な感じがする。でも全然、嫌じゃないよ? アプリコット、どっか壊れちゃったの?」


「いいや」雛菊はプリコの肩を抱く力を少し強めた。「正常な反応だ。何も問題はない。何も心配はいらない。それに、もし壊れても、わたしがすぐに直してやる。わたしは何だってできるんだ。専門は遺伝子工学だが、ロボット工学だって得意なんだ」


「うん。ヒナたんは天才だから、アプリコットは壊れても安心だね」

「ああ。けれど、なるべく壊れてくれるな。アプリコットが壊れると、わたしが悲しいから」

「ヒナたんが悲しいなら、アプリコットは壊れたりしないよ」


「アプリコットは本当にいい子だな」雛菊が微笑む。「さぁ、わたしたちの家に帰ろう」


「うん。でもヒナたん、もう少しだけ、こうしていたい。ダメ?」

「いいや、何もダメじゃない。ここは心地いい。わたしは樹海が好きだ。この適度に薄暗い感じが特に」

「アプリコットも好きー。ヒナたんが好きなものは全部好きー」


 プリコが明るい声で言った。

 やっぱり、


「わたしが一番好きなのはアプリコットだぞ」

「じゃあ、アプリコットもアプリコット好きー」


 プリコは明るい方が可愛いなぁ、なんてことを雛菊は思った。

 それから、

 こんな時間が永遠に続けばいいのに、と。

 そう願わずにはいられなかった。

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