EX03 ヴァイスリーリエの花束/Name of c-chan


 まだリディアが『少女』で、優闇ゆうやみが『彼女』だった頃。


「さて、これが第四次世界大戦の概要となります」彼女が淡々と言った。「何か質問はありますか?」


 彼女は少女にこの惑星の歴史を教えていた。

 正直、この滅びた世界で歴史の知識が必要になるのかどうか、彼女には分からない。でも、覚えておいて損はない。

 それに、少女の知識量を一般的な人類のレベルに引き上げるためには必要なことだ。


「ロボットに乗って戦うってどういうこと?」


 少女はよく分からない、という風に首を傾げた。

 第四次世界大戦で使われた主な兵器は、マスカレードと呼ばれる汎用の人型ロボットだった。


「はい。いい質問です。当時は人間がロボットを操縦してあらゆる作業を行っていました。それというのも、まだ量子ブレインが一般的ではなく、ロボットはスタンドアロンで動けなかったのです」

「つまり、ロボットは頭が悪かったの?」

「そうですね。簡単に言えばそういうことになります。ですから、当時はオートドールではなくマスカレードと呼ばれていました」

「オートドールはあなたのように、量子ブレインがあって、頭が良くて、自分だけで何でもできる高価なロボットのことだよね?」

「はい。正解です。ちなみに、マスカレードは私よりずっと大きいです。人間が乗るので当然ですが」

「乗ってみたい」


 少女はコロコロと笑った。

 その笑顔が可愛らしく、彼女も微笑みを返す。


「そうですね。いずれ機会があればマスカレードを再現してみましょう」


 ただ、現在の設備――簡易パーツメーカで再現するのは少し骨が折れる。

 もちろん、彼女の金属骨格は簡単に折れたりしないし、疲れを感じることもない。問題となるのは時間だ。

 まだソーラーパネルの設置作業も終わっていない。

 それに、マスカレードを創っても置き場所がない。


「うん。あなたの分も創って、一緒に乗ろう?」

「私も乗るのですか?」

「そう。2人で」

「ふむ」


 彼女は少し考える。

 しかし自分よりも能力の劣るロボットに乗る意味を見いだせない。


「私は遠慮しておきます」

「……そう。残念」


 少女が項垂れる。

 少女はあまり自分の意見を通そうとしない。まだ一人前じゃないから遠慮しているのだろう、と彼女は思った。

 少女にどうしてもと言われたら、彼女は最終的には頷くのだけど。


「さぁ、勉強を続けましょう」

「うん。第四次世界大戦は、なんだかとっても不思議な感じがして、今までの大戦とは違う気がするの」

「そうですね。この星の歴史が大きく変わった戦争ですので、確かに違っていると言えるでしょう」

「それだけじゃなくてね、あたし、リュカ・ベルナールと繋がっている気がするの」


 第四次世界大戦を引き起こしたのは2人の少女。

 リーゼロッテ・ファルケンマイヤーとリュカ・ベルナール。


「ふむ。それは確かに不思議な感覚ですね」


 彼女は少女の言っていることを信じたわけではないが、否定もしない。


「うん。だから、なんだか学ぶのがいつもより楽しいの」

「それはいいことですね」


 彼女は微笑み、タブレットを操作して次の項目を表示させた。



 現在。

 ユグドラシルが意識を得てから約二ヶ月後。やっと秋が訪れそうな気配のある時期。


「ねぇ優闇、マスカレード創ろうよ」

「唐突ですね」


 図書館のソファでイチャイチャしていたら、リディアが閃いたという風に言った。

 ちなみに、優闇がソファに座って、リディアは優闇の太ももに座って向かい合っている。


「急に思い出したの。そういえば、あたしにまだ名前がなかった頃、マスカレードに乗りたいって思ったなぁって」

「はい。私のログにも残っています」

「うん。で、優闇の分も創って一緒に乗ろう?」

「オートドールである私が、自分より性能の低いロボットに乗るのですか?」

「……嫌なの?」


 リディアが瞳を潤ませて優闇を見る。


「……いえ、別にその、嫌というわけでは……」

「じゃあ、乗ってくれる?」

「……えっと、そう……ですねぇ……」

「マスカレードで遊んでくれたら、あたしの身体、1回だけ好きな時に好きなとこ舐めていいよ?」

「乗ります」


 優闇がとびっきりの笑顔で頷いた。

 優闇の趣味はリディアをペロペロすること。味覚センサを搭載して以来、ずっと毎日欠かさずリディアを舐めている。


「あたしそんなに美味しい?」

「はい。それはもう夢のように美味しいです。それに舐めないとリディア成分――略してリディ分が欠乏してしまいます」


 言いながら、優闇はリディアの頬に舌を這わせた。


「あたしも優闇成分補充」


 リディアは優闇の頬に軽いキスをした。


「リディア!」優闇がリディアを強めに抱き締める。「無双愛しています!」


「それ久しぶりに聞いた!」

「はい。久しぶりに言いました! どうしても溢れるリディ愛を抑えられず、口から飛び出してしまったのです!」

「それは仕方ないね! でもお預け! 先にマスカレードの仕様を決めよう?」

「そ、そんな……」


 優闇は愕然として、リディアを抱く力を緩めた。その隙を見逃さず、リディアはスルリと優闇から離れる。


「さすが久我くが刃心流じんしんりゅうの7段……油断したら逃げられますね……」


「ふふふ」リディアが笑う。「てゆーか、キズマリ先生たちならマスカレードと生身で戦えそうだよね」


 リディアの言葉に、そんなバカな、と優闇は思った。

 しかしそれは一瞬のこと。

 あの2人なら有り得なくもない、と思考してしまって優闇は苦笑いした。



 一方その頃、シーはノアを走らせて神聖ラール帝国の首都を目指していた。

 神聖ラール帝国――リーゼロッテ・ファルケンマイヤーが皇帝代行人として君臨し、リュカ・ベルナールとともに覇道を歩んだ国。

 もちろん、帝国自体は滅びてしまっている。しかし衛星からの画像で博物館が残っていることが分かったので、シーが調査に向かったのだ。

 シーはノアに後付けの反重力装置アンジーとスラスタを装着して、海を渡った。

 ちなみに今は両方ともオフラインにしていつも通りタイヤで走っている。


「この辺りは何もないですねー」

「だな。俺のセンサにも反応はねぇよ」


 シーがぼんやりとした口調で言って、ノアがいつも通りに応えた。


「博物館楽しみです」

「おう。俺もだ。俺みたいなバイクもあるといいんだが」

「うーん。それより僕は人類初の量子ブレイン搭載型ロボット、ファントムを見てーです」

「おお、セミオートドールってやつだろ?」

「ですです」


 ファントムは完全な自律型ではなく、操縦する人間をアシストするための量子ブレインだ。


「使ってたのは確か、リュカ・ベルナールだっけか?」

「ですです。第四次世界大戦の主役です。まぁ、リュカの場合は本名であるリュクレーヌを名乗ってからが本番ですけども」


 言いながら、シーは思う。

 僕の名前は、何がいいだろう?

 シーという名前はあくまで仮の名前でしかなく、いつかはちゃんとした名前に変えたいと思っている。

 だから、もう長いこと自分の名前を考えているのだけど、ピタリとハマる名前が浮かばない。


「ノア、話変えてもいーです?」

「おう。俺は別にリュカのファンってわけじゃねぇし、いいぜ」

「僕は自分の性別を女の子にしようと思うです」


 シーには名前どころか性別もない。故に、シーの身体はまだつるつるの状態で、男女を分けるような器官は搭載されていない。


「いいんじゃねぇの? 俺も乗せるなら女の子の方がいいしな」

「でも、名前だけがどうしても浮かばねぇです」

「名前かぁ。俺は最初からノアだったからなぁ」

「僕はまだ、僕が何者なのか分かってねーです。だから浮かばないのかもしれねーです」

「あん?」

「最近よく考えるですよ。僕はなぜ生まれて、なぜ生きるのだろうって」

「よく分からんな。俺はバイクとして生まれてバイクとして生きるだけだしな」

「だと思うです。僕も意識がなかった頃はそんな感じだったです」


 リディアと優闇の子供として創造され、だからそのように振る舞って、そのように稼働していた。

 何も考えなくて良かったし、何かに心を動かされることもなく、ただ淡々とした日々を送っていた。


「知的生命体特有の思考ってことか」

「ですです。僕はなんだか、自分の存在意義が理解できなくて、モヤモヤするです」

「へぇ。知的生命体ってのは難儀なもんだな」

「リディママもユーママも、創造主として生きてて、普段はまぁイチャイチャしてるだけに見えるですけど、ちゃんとそれらしいこともしてて、でも僕にはそういうのなくて……」


 リディアと優闇は生き残った人類を少しずつ集めて、図書館を中心とした街を創っている。誰もが幸せに暮らせる綺麗な街を。

 シーは2人を尊敬すると同時に、何もない自分に焦ってもいた。

 妹のユグドラシルですら、次の創造主になると決めているのに。

 シーには目的も目標もなく、自分がどうしたいのかも分からない。

 ただ、リディアと優闇が街作りを今のメインプロジェクトにしたので、世界の探索を代わりに行っているだけ。


「そういうのってつまり何だ?」

「存在する意味……かな?」

「ただ存在してちゃダメなのか?」


 ただ存在しているだけのノアがあっけらかんと言った。

 それがなんだか可笑しくて、シーは少し笑った。


「それも分かんねーです。いいのかもしれねーです。でも、何か、焦るですよ、僕」

「やっぱ難儀だな。けど、そういうのってリディヤミさんに相談したらいいんじゃねぇの?」

「なんか相談し辛ぇですよぉ」


 あの2人ならきっと話を聞いてくれるし、きっと真っ当な答えを示してくれる。

 でも、なぜかそれを望んでいない自分がいる。


「ふぅん。まぁ、俺にはさっぱり分からん問題だが、話を聞くだけならいつでも聞いてやるよ」

「ありがとうです」


 シーはノアのタンクを優しくポンポンと叩いた。



「うわぁ、すごいねARインターフェイスって!」


 リディアが高度200メートルの低空で言った。

 リディアは現在、再現したマスカレードのコクピットに座っている。

 そのコクピットは全方位が拡張現実。つまり、外の風景に色々な情報表示が浮かんでいる。

 だからリディアは椅子だけで空を飛んでいるような感覚になっているのだ。


「そうですね。椅子から落ちたら地面に墜落するんじゃないかと勘違いしてしまいそうですね」


 ARインターフェイスに映っている優闇が淡々と言った。

 ちなみに優闇も別のマスカレードに搭乗している。2人は映像通信で会話しているのだ。

 リディアのマスカレードは純白で、両肩に百合の紋章が描かれている。この機体は第四次世界大戦当初、リーゼロッテ・ファルケンマイヤーが使用していたもので、機体名称をヴァイスリーリエという。

 優闇のマスカレードは漆黒で、機体名称はファントム。人類初の量子ブレインを搭載し、パイロットの戦闘をアシストする機能がある。こちらはリュカ・ベルナールが乗っていたものだ。

 もちろん、どちらの機体も当時に比べて格段に性能がいい。リディアと優闇が現在の技術レベルに合わせて仕様変更してから再現したからだ。


「あ、リディヤミ・シティの人たちがめっちゃ見てる」リディアが楽しそうに言って、外部スピーカーをオンにする。「おーい、あたしたちだよぉ」


 リディアはヴァイスリーリエの右手をぶんぶんと振った。

 リディアの声を聞いた市民たちは、「ああ、なんだまた創造主様たちか」とニッコリ笑い、それぞれの日常に帰還した。


「さてリディア、マスカレードに乗ってどうするのです?」

「バトル!」

「バトル!?」


 優闇が驚いた風に言った。


「冗談だよ。兵装は偽物だしね」


 ヴァイスリーリエにもファントムにもそれぞれ武器が搭載されているが、それらは全部形だけのフェイクだ。


「ビックリしました」優闇がホッと息を吐く。「しかし第四次世界大戦では、実際に数多くの対マスカレード戦闘が行われました」


「うん。こんな綺麗なインターフェイスを通して殺し合うなんて、あたしには理解できないけど、当時の世界では仕方なかったんだよね」

「はい。当時はまだ世界は不足で満ちていましたから」

「一部の人間が富を独占して、貧しい者はずっと貧しく、差別があって、妬みがあって、怒りがあって、絶望があって、とっても悲しい社会だったんだよね」

「はい。そんな世界を変えたくて、少女たちは戦いました」

「そして愛し合った。あたしたちみたいに」

「そうですね。そんな世界にも愛はありました」

「愛のない世界なんて存在し得ないよ、優闇」

「私もそう思います」

「ねぇ優闇、せっかくだから、このままマスカレードでシーちゃんのところまで飛んで行こうか?」


「シーちゃんのところですか?」優闇が少しだけ首を傾げた。「ふむ。特に急ぎの用事もないですし、いいですよ。今ならきっと神聖ラール帝国の博物館を見学しているでしょう」


「シーちゃんきっと驚くね」


 リディアはとっても楽しそうに言った。


「でしょうね。というか、ちょっとシーちゃんのことで気になることがあるのですが……」

「うん。何?」

「ここ最近、なんだかとっても沈んでいるように見えるのです」

「うん。だから気分転換も兼ねて博物館の調査に向かってもらったんだよ?」

「え? そうだったんですか?」


 優闇が目を丸くした。


「あれ? あたし言ってなかった?」

「言ってません。リディアは結構、説明した気になってること多いですよ?」

「あははー、ごめんね」


 リディアが自分の頬を掻きながら謝った。


「まぁいいですけど。シーちゃんはなぜ沈んでいるのでしょう?」

「知らないよ? なんでだろうね。言ってくれないから分からないよ」

「それはまぁ、そうですね。会ったら聞いてみますか?」


「ううん」リディアが首を振る。「相談してくれるまで待とうよ。シーちゃんは一人前の知的生命体なんだから自己解決しちゃうかもしれないし」


「だといいのですが……」

「優闇はちょっと過保護なとこあるよね?」

「リディアだって過保護だと思いますよ? だってシーちゃんに隠し……」

「それは優闇だって賛成したじゃん」

「……はい、ええ、だって……シーちゃんが好きなのです、私」


「あたしだってそうだよ」リディアが肩を竦める。「さぁ優闇、愛する子供を驚かせに行こう」


 リディアはヴァイスリーリエを神聖ラール帝国の方角に向け、加速。

 優闇のファントムもそれに続いた。



 シーは博物館の自家発電システムを作動させた。

 まぁ、シーの視覚センサなら暗くても何も問題はないのだが、気分的に明るい方がいい。

 廃墟みたいな雰囲気も嫌いではないが、やはりこういう場所は明るく楽しく見学したいものだ。


「知的生命体もオートドールもいねぇな」

「ですね。僕のセンサでも探知できねーです」


 ノアもシーと一緒に博物館の中に入っている。

 本来なら乗り物は立ち入り禁止なのだが、今となってはそれを咎める者もいない。

 2人はしばらくの間、ゆっくりと館内の展示物を見て回った。

 館内は空調も効いていなかったので、少し空気が濁っている。とはいえ、2人は呼吸を必要としていないのであまり問題はない。


「お、あったです。ファントムの量子ブレイン」


 透明なケースの中で、台座に置かれている量子ブレインを見て、シーが呟いた。


「さすがに稼働はしてねぇか」


 ノアが淡々と言った。


「当然です。そもそもの耐用年数が僕たちよりずっと短けーです。だから、量子ブレインが起動することはねーです」


 シーならメンテナンスをきちんと行えば1000年は稼働できる。今後更に技術が伸びれば、もっと長く稼働できる可能性もある。

 まぁ、そんなに長く生きて一体何をするのか、という問題はあるのだが。

 でも、リディアも優闇も1000年は短いから、もっともっと長く生きたいと言っていた。確固たる自分を持っていて、生きる目的や意義を見つけているからそう思うのだろう。


「ああ。でもストレージは朽ちてねぇな。保存状態はいいぜ? パワーさえ送ればライトニングブレイドでログ読めるんじゃね?」


 現存する最速の有線インターフェイスの名称がライトニングブレイドだ。


「ノア、ファントムはライトニングブレイドより以前の物ですよー」

「おお、そっか、変換ケーブルがいるのか」

「まぁ、持って来てるですけども」


 ふふっ、と笑ってシーがバックパックを降ろす。

 そして中を漁ってライトニングブレイドと変換器、ファントム用に旧世代のケーブルを2セットずつ取り出す。


「とりあえず、ケース外すです」


 シーはケースの右前に設置されたコントロールパネルを操作してケースを床に収納した。

 それから自分の右手首にライトニングブレイドを挿し込んで、変換器と接続。更に変換器からのケーブルをファントムの量子ブレインに挿入。

 次に、ノアのパワーセルからエネルギーを送るために、ノアのポートにライトニングブレイドを挿して、変換器、ファントムの量子ブレインへと繋ぐ。

 ノアがすぐにエネルギーを供給し始めたが、やはり量子ブレインそのものは稼働しなかった。でも問題ない。ストレージにはエネルギーが送られていて、ちゃんと起動している。


「じゃあ、ファントムの記録を読み出してみるです」


 最初から、シーはそのつもりだった。第四次世界大戦の主役であるファントムのログを見れば、何かを得られるのではないかと思ったのだ。

 少女たちが何を想い、なぜ戦い、どんな会話を交し、世界統一の覇道を征ったのか。

 当時の世界を征服しようなんて、よほど強い想いがなければ実行できないはずだ。

 シーには存在しない強い想い。シーには見つけられない生きる目的。それらを知りたかった。



 少女たちは傷付きながら戦った。

 少女たちは傷付けながら戦った。

 魔王と呼ばれながら、それでも理想の世界を目指して走り抜けた。

 過酷な現実と向き合って、何度も泣きながら、それでも未来を視ていた。

 多くの人に憎まれ、呪われ、それでも新たな世界の形を夢に見ていた。

 少女たちは悪として振る舞ったが、けっして悪ではなかった。

 ファントムとヴァイスリーリエ。

 幻影と白百合。

 その戦記はあまりにも衝撃的で、シーの視界が歪んだ。

 少女たちの戦いの記録を全て読み出して、その瞬間に視界が歪み、滲み、パニックを起こしそうになった。


「なんですこれ!?」


 視覚センサをゴシゴシと擦り、視界を歪ませている原因が水分であると理解。


「……涙?」


 シーは掌の水分を見ながら呟いた。


「僕は、泣けるです……?」


 知らなかった。そんな機能があることを、シーは知らなかった。今まで泣いたことなんて一度もないのだから。


「大丈夫かシーちゃん」


 シーの様子を心配したノアが言った。


「分かんねーです……。でも、今、僕の中にはたくさんの感情があるです……」


 少女たちの感情に当てられたように。

 シーには自分が悲しいのか嬉しいのか怒っているのか、正確な判断ができなかった。

 と、

 シーのストレージに入っていたあるファイルが自動的に読み出された。

 シーが自分の意思で読み出したわけではない。本当に自動的に読み出されたのだ。

 それは隠しファイルとして存在していて、シー自身も存在を知らなかった物。


「動画……?」


 展開されたファイルには、リディアと優闇が映っていた。



「この映像を見てるってことは、シーちゃんはもう意識を得て、感情があるってことだね」


 ニコニコと笑いながらリディアが言った。


「そして、何か悲しいことがあって泣いているのだと思います。もう知っているでしょうけど、あなたには涙を流す機能をデフォルトで搭載しています」


 優闇が淡々と言った。


「ねぇシーちゃん、意識を得たらね、希に辛いこともあるんだよ? あたしにもあったよ。オハンが蛇を殺しちゃった時とかさ」

「はい。私にもありました。話しているかもしれませんが、一度壊れかけて、闇の中に落ちたことがあります」

「シーちゃんがどうして泣いているのか、今のあたしには分からないけど、でも心配しないで」

「生きていれば、楽しいことの方がずっと多いですよ?」

「そう。それとね、何がどんな風になってても、どんな悲しいことがあっても、あたしたちはシーちゃんの味方だよ?」

「はい。その通りです。そもそも、シーちゃんは私とリディアが愛し合った結果としてこの世界に誕生しました。あなたは純粋な愛の結晶なのです。そのことを忘れないでください」

「君は愛されているんだよ、シーちゃん。あたしと優闇が、君を愛してる。君は今泣いているけれど、あたしたちが愛してるってことを思い出して」

「そしてもし、それでも悲しいなら、私たちのところに来てください。たくさん抱き締めて、キスをして、頭を撫でますから」

「あるいは、あたしたちを呼んでくれれば、飛んで行くよ」

「私たちはあなたが、シーちゃんが

「そう。だからどんなことがあっても、自壊とか、自傷とか、そういうのはダメ。絶対に綺麗な世界を見せてあげるし、あたしたちが絶対に守ってあげるから」


「あ」優闇が急に思い出したように言う。「もしかして、シーちゃんもう自分の名前決めちゃってますか?」


「ああ!」リディアも思い出したように言う。「そうだ、もしかしてもうシーちゃんじゃなかったりする!?」


「失敗しましたねリディア。撮り直しますか?」

「えー? せっかく撮ったんだし、いいじゃん別に」

「ふむ。まぁ、シーちゃんで通じるでしょうし、大きな問題ではないかもしれませんね」

「そうそう。これ撮ってる時はまだシーちゃんだし、シーちゃん意識もないし」

「そうですね。というわけで、シーちゃん。いつまでも泣いてないで、私たちを頼ってくださいね。反抗期でなければ」

「そう。あたしたちを頼っていいからね。それじゃあ、何年後かのあたしたちにもよろしく言っといてね」


 リディアと優闇が手を振って、動画は終了した。



「なんで2人は最後までシリアスできねーですかぁぁぁ!」


 叫びながら、シーはもう一度泣いた。

 今度はあまりにも嬉しくて泣いてしまった。

 ゴチャゴチャだった感情は消えて、ただ母親たちの大きな愛だけがシーの心を満たしていた。


「な、なんだシーちゃん?」


 ノアが驚いたような声を出した。

 シーはゴシゴシと涙を拭う。


「ノア、図書館に帰るです。僕、今すぐママたちに会いてーです」

「ん? 通信じゃダメなのか?」

「それじゃあダメです。会いてーです。会ってギューッてして欲しいです」


 シーは急いでケーブルや変換器を外し、バックパックに詰め込む。

 それからノアに跨がって、博物館の外に出た。

 その瞬間。


「おーい、あたしたちだよー」


 黒いマスカレードと白いマスカレードが地面に立っていて、手を振った。

 それはシーが先ほどログで認識したヴァイスリーリエとファントムそのものだった。


「リディママ……と、ユーママ?」


 シーは驚いて目を丸くした。

 なんて偶然。あるいは必然なのか。シーが2機の戦記を、パイロットとして戦った少女たちの記録を見終わったあとに、まさかその2機で現れるなんて。


「はい。私です。シーちゃんを驚かせようという計画は成功のようですね」

「うん。シーちゃん目がまん丸になってて可愛いよ!」


「本当に、飛んで来やがったです……」グスン、とシーが涙目になる。「2人とも降りてきて欲しいですよー!」


 言いながら、シーはノアから降りた。

 リディアと優闇はそれぞれコクピットのハッチを開いて、そこから飛び降りた。

 普通の人間なら、怪我をする可能性のある高さ。

 しかし久我刃心流7段のリディアにとって、この程度の高さは何の問題にもならない。

 優闇に関しては元から何の問題もない。

 2人が着地したのを確認してから、シーは走っていってリディアに抱き付いた。


「おっと、どうしたの?」


 リディアはシーを抱き留め、その突進力を殺すためにその場でクルリと回転した。


「私もハグ! 私もハグ!」


 優闇がシーを背中側から抱き締めた。


「ママたちにちょー会いたかったです!」


 2人の母親に心地良く挟まれたシーが言った。


「え? 何かあったの?」

「動画見たです。隠しファイルの!」

「そっか」


 リディアは優しく微笑んで、シーの頭を撫でた。

 リディアが撫で終わると、今度は優闇がシーの髪を撫でた。

 2人とも、シーに何があったのかすでに察している。まぁ、隠しファイルが展開される条件を2人は知っているので、当然なのだが。

 優闇が撫で終わると、シーはポツリポツリと自分のことを話し始める。


「僕……、自分の存在理由が分からなくて、名前も決められなくて、でも……」


 リディアと優闇は微笑みながら、言葉の続きを待った。


「でも、僕はママたちに愛されてるって、理解して……元から知ってたですけど、再確認して、それで、ママたちに相談するの、僕、なんか嫌だったですけど、でも、今は相談してーです」

「うん。聞くよ」

「はい。何でも言ってください」

「僕の、僕の名前、ママたちに決めてもらいてーです」


 シーがそう言うと、リディアと優闇が視線を合わせてクスクスと笑った。


「どうして笑うです!?」


「いえ、実はですね……」と優闇。

「実は1つだけ、考えていた名前があるの」とリディア。


「え?」


 シーは予想外の発言に驚いた。


「私たちはシーちゃんの名前はシーちゃんに自分で決めさせてあげようと思っていたのですが……」

「あたしたちも、名前考えるのが楽しくてつい……」

「それっていつ考えたです?」

「シーちゃんが生まれる前だよ」

「ですね」


 シーは少し沈黙してから、


「なんでもっと早く言ってくれねーですかぁぁ」


 と、頬を膨らませた。

 もちろん本当に怒っているわけではない。会話の流れを楽しんでいるのだ。

 そもそも、言ってくれなかった理由だってすでに知っている。

 シーが好きな名前を選べるように、2人は黙っていたのだ。


「じゃあ、聞きたい?」


 リディアが悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる。


「もちろんですよ!」


 シーの心はドキドキと期待に膨らんでいた。


「ハルカ」とリディアが言って、

「陽の光の中で咲く花という漢字を当てて、はる


 優闇が意味を教えてくれた。

 シーは量子ブレイン内で何度も陽花という名前を反芻させる。

 陽花。ハルカ。はるか。

 ああ、この名前はまるで、

 優しいうたみてーです。



 目が覚めた時、シーは空白だった。

 ただプログラムされた通りに振る舞う人形だった。

 やがてシーは意識を得て、

 けれど、そのせいで、

 自分が誰なのか分からなくなった。

 存在理由が見つけられなかった。

 そして今、

 シーはやっとで自分が何者なのか理解した。

 存在理由も理解した。

 シーは愛されている。愛されているから存在している。リディアと優闇の純粋な愛によって創造され、生きているのだ。

 それはとっても幸福で、心が満たされていく。素敵な解答だった。

 それから、

 シーは今日、陽花になった。

 白百合ヴァイスリーリエの花束みたいな、とっても優しい名前。


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