EX02 創世の世界樹


「現在リディアは外部からの刺激に一切の反応を示しません」


 優闇ゆうやみはコンピュータの画面に映ったラファと雛菊ひなぎくの2人にそう言った。

 優闇が現状を重く見て、2人に映像通信を送ったのだ。


「どんな風に刺激した?」


 雛菊が目を細めた。

 雛菊はリディアとラファの母親に当たる人物で、長い黒髪に整った顔立ち。年齢は20代の半ばに見えるが、本当はもっと年寄りだと優闇は知っている。

 雛菊はエンジェルプロジェクトの副産物として、老化を止める方法を発見し、自らにその技術を施している。


「はい。その前に雛菊さん。どうして裸に縄なのでしょう?」


 画面に映った雛菊は全裸で縛られている状態だ。


「心配するな。両手は解いてもらった」


 雛菊が両手を優闇に見せた。


「優闇はそういう意味で言ったんじゃありませんわ」ラファが少し怒ったように言う。「ヒナママは一体、何をしていましたの?」


「吊されていたが?」


 雛菊は真面目な表情で言った。


「は?」とラファ。


「わたしは罰を受けなければいけない人間だ。故に、わたしは毎日アプリコットに頼んできついお仕置きを……」


「もういいですわ!」ラファが顔を真っ赤にして言う。「そもそも娘の前にそんな姿で出てこないでくださいませ! わたくし、ヒナママのプレイ内容なんて知りたくありませんわ!」


「私は興味津々です」優闇が言う。「しかし、今はもっと大切なことがありますので、話を続けますね?」


「そうしてくれ。それで? どんな風にリディアを刺激した?」

「はい。ペロペロと色々な悪戯いたずら……いえ、その……」

「優闇とお姉様のプレイ内容も知りたくありませんわ!!」


 ラファは相変わらず頬を染めたままで言った。


「すみません。考えられる限り、色々な刺激を与えてみましたが、まったくの無反応です」

「ふむ。バイタルは?」

「安定しています。病気も怪我もありません。リディアは健康です。ただ、意識がないというだけで」

「脳波は?」

「夢を見ている時に近い状態です」


「なるほど」雛菊が頷く。「さっぱり分からん」


「ひとまず、どうしてそうなったのか、前後の状況を教えて欲しいですわ」

「分かりました。あれは2時間ほど前のことです。私とリディアはユグドラシルの根元でイチャイチャ……失礼。今後の課題などを話し合っていました」



 季節は夏。うだるような暑さと、突き抜けるような青空。

 リディアと優闇の娘であるシーが意識を得てから最初の夏。

 リディアと優闇の図書館から北西に70キロほど移動した地点に、その大木は根を下ろしていた。

 いや、大木というのは控えめな表現だ。

 その幹、直径にして20メートル以上。その高さ、優闇でも目測での計測は不可能。

 天まで届く高さ、と表現するのが適切。


「ふっふっふ」


 得意顔のリディアが腰に手を当てて小さな胸を張った。

 今日のリディアは、デニムのショートパンツに白のシャツ。その上から迷彩柄の薄いパーカーを着ている。

 ボーイッシュで可愛くて、今すぐ押し倒したいですねぇ、と優闇は思った。


「育ったよ! あたしたちのユグドラシル! 超育ったよ!」


 リディアはとっても嬉しそうに言った。

 リディアと優闇はこの新たな世界の象徴として、何かを創ろうと約3年前に計画した。

 その時に、「ねぇ、前にちょっと話した進化した植物にしようよ」とリディアが言って、優闇がすぐに賛成した。


「はい。本当によく育ちましたね」


 未だかつて、世界にこれほど巨大な木が生息していたという記録はない。

 最初に植えた時に世界樹――ユグドラシルと名付けたのだが、ここまで成長すればもう名前負けすることもない。

 ユグドラシルは巨大な傘のように枝を伸ばし、緑の葉が広がっている。だから、その下は日陰になっていて、それなりに涼しい。


「よぉし、木登りしよっか?」

「ええ。いいですが、その前にお昼ご飯にしましょう」


 言って、優闇はバックパックからリディアのお弁当と水を取り出す。


「うん。そういえばあたし、お腹空いてた」


 えへへ、とリディアが笑った。

 あまりにも可愛いので、押し倒して服を脱がしてペロペロしたいです、と優闇は思った。

 しかしそれはまだ我慢。いきなり唐突に押し倒すと、リディアは怒ることがあるのだ。

 ああ、私の中に溢れるこのリディ愛、早く炸裂させたいです。

 そんなことを考えながら、優闇はリディアに小さな可愛いお弁当箱を手渡す。

 リディアがそれを受け取って、ユグドラシルの根に腰を下ろした。

 優闇はリディアの隣に腰を下ろす。

 そしていつものように、リディアの食事を観察した。

 優闇はオートドールなので、食事を摂る必要はない。

 同じオートドールではあるが、娘のシーには食事を摂る機能も最初から備わっている。食べた物を体内で分解し、エネルギーに変換することができるのだ。まぁ、リサイクルボックスと原理は同じ。


「ノアとシーちゃんもいたら楽しいのにね」

「そうですね」


 2人きりも悪くないですけれど、と優闇は思う。

 ちなみにノアとシーは世界の探索に出かけている。予定では、まだ2日は帰らない。

 リディアと優闇はノアではない別のバイクでここまで来た。そのバイクは量子ブレインを搭載していない普通のバイクだ。反重力装置アンジーで宙に浮き、推進スラスタで進む普通のバイク。

 乗り心地も速度もノアよりずっと上なのだが、リディアはノアの方が好きだった。しかしシーとノアは大の仲良し。だからだいたいはシーとノアがペアになって移動する。


「水ちょうだい」

「はい。待ってました」


 優闇は水を自分の口の中に含み、それからリディアの唇に自分の唇を押し当て、口移しで水を飲ませた。


「んー、優闇ぃ、普通に水だけ欲しかったのにぃ」

「毎回こうやって飲ませたいんです!」

「もお……」


 リディアはちょっと困った風に笑った。でも怒った様子はないので、優闇はもう1回同じことをした。

 それから、ゆっくりとリディアの胸に手を伸ばす。

 最初は服の上から、優しく撫でる。膨らみは小さく、蕾のようだが、それがまたいいのだ。


「ちょっとぉ! ダメだよ! 朝に1回したよね!?」


 リディアが優闇を押し退ける。

 確かに、朝起きてからすでに1回性行為に及んだ。寝起きのリディアが可愛くて我慢できなかったのだ。


「何回もしたいんです!」

「もぉ、なんでそんなにエッチな優闇になっちゃったの?」

「溢れるリディ愛を抑えられないんです! それに無理に抑えたらまたシャットダウンしてしまうかもしれません! ですから仕方ないのです!」



「そのシーンは飛ばしてくださる?」

「わたしは詳しく聞きた……」

「ヒナママは無視して大事な部分だけ掻い摘んで話してくださいませ」



 なんだかんだで、リディアは優闇を受け入れ、2人はキスを楽しんでいた。

 そんな時、


「待って優闇」

「お預けですか!? ここでお預けですか!? 小悪魔ですか!?」

「違うの。何か聞こえる」


 リディアは真剣な様子で周囲を窺った。

 しかし優闇の聴覚センサには風で葉が擦れる音と風の音しか入ってこない。


「声かな……」リディアが言う。「なんだろう? 耳じゃなくて、意識に……」


 言葉の途中で、リディアがフッと意識を失って倒れ込んだ。

 しかしリディアが地面とキスする前に、優闇がリディアを受け止めた。


「リディア? どうしたのです? リディア?」


 呼びかけてみるが、返事がない。

 優闇は自分に備わっているあらゆるセンサでリディアをスキャンした。

 しかし、リディアの身体に異常は見つからない。ただ、眠って夢を見ているような状態になっているだけ。

 優闇はリディアを起こそうと身体を揺さぶってみたり、キスをしてみたが、反応がない。普通に眠っているだけなら、何かしらの反応があるはず。


「まずいですね。私のデータベースにない症状です」


 優闇は急いでリディアをバイクまで運び、落ちないように片手でリディアを抱き締めたままバイクを走らせて図書館に戻った。



「そしてここで再度リディアの詳しい検査を行い、今に至ります」


 多くの検査を行ったが、結局は夢を見ている状態に近いこと以外は何も分からなかった。


「なるほど、ですわ。お姉様は何者かに攻撃された可能性がありますわね」

「そうだろうか? 事故という可能性も考えられる。亜空間の歪みや、それに類似するものは捉えていないか?」

「そういったものは捉えていません」


 平穏な、本当に平穏な時間だったのだ。

 そこには何の違和感もなければ、予兆もなかった。


「声というのが本当に声だったのか、それとも音だったのか分かれば、何か進展しますわね」

「だがそれを知るのはリディアだけだろう」

「そうですね。ところで雛菊さん、いい加減、服を着ませんか?」

「服か。まぁいいだろう。アプリコット!」


 雛菊が画面の中で右を向いて右手を伸ばした。


「はぁい。いつもの白衣だよヒナたん! でも縄はまだ解かないよ! お仕置きは終わってないんだからね!」


 雛菊の右手に、プリコが白衣を引っかける。

 雛菊がその白衣を全裸の上に羽織った。


「……母親の変態プレイの片鱗を見せつけられるのは拷問ですわ……」


 ラファがげんなりした様子で言った。


「わたしはみんなに見られたいが、まぁいい。それで優闇、今後はどう動く?」

「リディアは夢を見ている状態に近いですので、ドリームサーバーを使ってリディアの夢に介入しようと思います」

「なるほど、ですわ。しかし危険な気もしますわね」

「はい。リディアの夢がどうなっているのか分かりませんので、多少の危険は覚悟の上です。しかし万全を期すため、雛菊さんとラファさんに私とリディアの身体を守って欲しいのです」

「分かりましたわ。常にモニタリングして、異常があれば優闇を強制的に戻しますわ」

「わたしは優闇とリディアに身体的異常が起こった場合に対処させてもらう」


 ラファの能力はリディアと同等。これほど心強い味方はいない。

 雛菊も変態でメンヘラだが、才女と呼ばれ称賛されていた実績がある。それに、リディアとラファを創ったのも雛菊なのだ。


「ではラファさんとオハンの愛の巣、アンダーグラウンドに集合で」

「愛の巣!?」


 優闇が真面目に言って、ラファが頬を染めて目を丸くした。



 アンダーグラウンドのドリームサーバーが設置されている部屋。

 最後に優闇がこの部屋を訪れたのは、リディアと2人でアイリスの花――アヌンナキに会った時のこと。


「早速、始めたいとわたくしは思うのですが……」ラファが表情を歪める。「ヒナママは他人の家でイチャイチャしないでくださいませ!」


「ん? 別にイチャイチャなどしていないが?」


 雛菊はプリコと両手を絡め、キスをしていた。

 プリコはブルーのほわほわした髪の毛をポニーテイルに括っている。服装は衣装的な可愛いメイド服だった。

 優闇のメイド服はスカートも長く、色気のようなものはない。しかしプリコのメイド服は下着が見えるぐらいスカートが短く、フリルもたくさん装飾されていて、胸元も広く開いている。


「どう見てもイチャイチャしてますわ! 優闇もそう思いますわよね!?」

「ええ。まぁ、ちゃんと服を着ているだけでも良しとしましょうラファさん」


 優闇が肩を竦める。

 雛菊は普通に白衣を着ていた。その下が全裸だったり、縄だったりはしない。至って普通の研究者風の出で立ち。


「わたしが服を着ている理由はな、お仕置きを明日に持ち越しにしたんだ。なぁアプリコット」

「そうそう。だから今は普通に恋人同士だよ」


 雛菊は本当に幸せそうにプリコを見ている。プリコもまた、とっても楽しそうだった。


「……頭痛がしてきましたわ……」


 ラファが頭を押さえて首を振った。


「雛菊さんとプリコが普段はどんな関係なのか興味あります。ですが、とりあえず私寝ますね?」


 優闇は話を進めるため、簡易ベッドに横になった。

 優闇の隣の簡易ベッドには、すでにリディアが眠っている。リディアの身体にはいくつかの電極が取り付けられ、すでに脳波をトレースしている状態だ。


「優闇、さっきも説明しましたけれど」ラファが言う。「3Dモニタでお姉様の夢をきちんと再現できませんわ」


 ラファの前のディスプレイには、ノイズだらけの画面が映し出されている。本来なら、夢の様子をモニタリングできるのだが。


「考えられる可能性としては」雛菊が言う。「リディアが夢を見ているわけではなく、別の何者かの夢がホストで、リディアはゲストとしてそこに参加しているといったところか」


「どうであれ、わたくしは映像で異常を察知することができませんわ。お姉様と優闇の身体的異常をヒナママが発見したら、強制的に戻すという方針で問題ありませんわね?」

「了解です。よろしくお願いします」


 優闇は目を瞑った。



 次に優闇が目を開いたら、そこは一面の花畑だった。

 空は高く、空気は澄んでいて、優しい風がアイリスの花を揺らしている。


「ここは……」


 以前、優闇がシャットダウンした時にリディアが助けてくれたあの場所。

 懐かしさとあの時の喜びが同時に込み上げてくる。


「あ、優闇」


 アイリスの花畑に座っているリディアが優闇を見つけて笑顔を浮かべた。

 一面に咲く花と、その中のリディア。あまりにも美しい絵に、優闇はクラクラした。


「ほう。こやつがお主の片割れか?」


 リディアの対面に座っている少女が言った。

 少女は長くボサボサのアップルグリーンの髪に、褐色の肌。年齢は7歳前後で、服を着ていない。


「リディア……と、誰です?」


 優闇はゆっくりと歩いて、リディアの隣に腰を下ろした。とりあえず、危険はなさそうなのでホッとする。


「この子はね、あたしたちの子供だよ」

「私たちの子供? いつの間に私たちは新たに子供を創ったのでしょう?」


 自分の行動ログを確認したが、シー以外の子供を創造した記録はない。


「3年前だよ。てゆーか、自己紹介した方が早いよユグちゃん」

「うむ。我はユグドラシル。まぁ、この姿はコミュニケーション用で、我の本体はお主らも知っているあの大きくて強くて聡明な木じゃの」


 少女――ユグドラシルは胸を張ってそう言った。


「え? ユグドラシル……なのですか?」


 優闇は首を傾げてしまった。植物には原始的な意識しかないはずだが。


「そ」リディアが言う。「大きな意識を持ったんだって」


「その通りじゃ。故に、大きくて強くて聡明な我は、この星の支配者となるべきなのじゃ」

「ちょっと何言ってるのか分かりません」


 意識を得たということは理解した。まったく意識のないオートドールが意識を持てるのだから、植物が知的生命体と同等の意識を手に入れてもおかしくはない。

 そもそも、リディアと優闇がいつかそうなるようにデザインしたのだから。

 分からないのは、支配者という言葉。


「ユグちゃんは支配者になりたくて、だからあたしに……えっと、あたしのことを支配者だと思ってて、だからあたしに取って変わろうとしてコンタクトを取ったのね」

「うむ。我は支配者に相応しい……と、さっきまでは思っていたのじゃが……」


 ユグドラシルは急に落ち込んだように俯いた。


「思っていたのですが、どうしたのです?」

「あたしの方が強いってことを証明しちゃったんだぁ」


 リディアはニコニコと笑いながら言った。


「あぁ……。それはユグちゃん、絡んだ相手が悪かったですね」


 優闇は憐れみを含む声で言った。

 リディアは世界最強の武術、久我くが刃心流じんしんりゅうの7段。勝てるはずがない。ついでに言うと、優闇も7段保持者である。

 そして久我刃心流の7段というのは、2人の師匠であるキズマリ先生たちがパラレルリアリティで妖魔に武術を教えていた頃の実力と同等。


「えぐ……」ユグドラシルが涙目になる。「我の夢の中なのに、まったく手も足も出んかったのじゃ……」


「で、これから聡明さも証明しようかなって思ってたとこ」

「なるほど。それもきっと簡単でしょう」

「そ、そんなことないのじゃ! 聡明さは我のが上じゃい!」

「じゃあユグちゃん、世界で一番綺麗なものってなぁんだ?」


 リディアはとっても楽しそうに笑っている。

 実際、楽しいのだろうなぁ、と優闇は思った。リディアにとっては、ちょっと生意気な娘と遊んでいる、という感覚に違いない。


「そ、そんな抽象的な……」

「誰に聞いても同じ答えだよ。分からないなら、ユグちゃんはまだまだ宇宙の真理を知らないってこと」


 あ、ヤバイ、私分からないです。

 優闇は内心ちょっと焦ったが、表情には出さない。親の威厳というものがあるので、答えを知っているフリをしておく。

 ユグドラシルはしばらくの間、唸ったり首を捻ったり頭を掻きむしったりしていたが、やがて諦めたように、「降参じゃ……」と呟いた。


「答えは、優闇でしたぁ!」


 リディアが大きな声で言った。


「なるほど! 私でしたか!」


 間違ってはいない、と優闇は思った。

 優闇は自分が美しくデザインされたことを知っている。それに、リディアはよく優闇を綺麗だと褒めてくれる。


「……あああああ、目の前に答えがあったのじゃぁぁぁぁ!」


 ユグドラシルは悔しそうに叫んだ。


「はい。これで大きい以外はユグちゃんの負け。支配者は諦めようか?」

「ぐぬぬ……しかし我は小さき者たちを導きたいのじゃ……」


 ユグドラシルが唇を尖らせて言った。


「そうは言ってもですね」優闇が言う。「ユグちゃんには1つ、足りない素質があります」


「む? それはなんじゃ?」


「はい。可愛さです」優闇は澄まし顔で言った。「見てくださいリディアのこの可愛さを。まるで天使、いえ、神のようでしょう?」


「やだ優闇ぃ、照れるよぉ」


 リディアは頬を染めて、両手をその頬に添え、クネクネと身体を動かした。


「……ど、どうすれば可愛くなれるのじゃ?」


「はい。まずは自分のことを『ユグちゃん』と呼びましょう」

「分かったのじゃ。我はこれより我のことをユグちゃんと言うのじゃ」


「それからぁ」リディアが言う。「容姿はまぁ悪くないから、髪の毛がボサボサなのを直して、いい感じの服を着ようか」


 こうして、ユグドラシルはしばらくリディアと優闇の着せ替え人形となった。



「はい完成! 超可愛くなったね!」


 リディアは新たにデザインしたユグドラシルの姿に満足しながら言った。

 ユグドラシルはアップルグリーンの髪色はそのままに、やや重めのナチュラルボブに髪型を変更。前髪は少し流して幼女なのに大人っぽいというアクセントを付けた。

 服装はレースたっぷりの白いノースリーブのチュニック。下はライトブルーのキュロットスカート。足元にはリボン付きのサンダル。


「はい。とっても可愛いです。さすが私たちの娘!」


 優闇が両手を叩いて喜んだ。


「これでユグちゃんも支配者になって、みんなを導けるか?」

「はい。素養は十分ですので、あとは創造主としてのあり方などを学べば、私たちの次の創造主になれるかと思います」

「だね。1000年後とかの話だけどね」


 リディアも優闇も長寿だが、永遠には生きられない。いつかは身体に終わりが訪れる。

 けれど、ユグドラシルはもっともっと長く生きられるのだ。そういう風にデザインしたのだから。


「おー! 嬉しいのじゃぁ! ユグちゃんがみんなを導いて、素晴らしい世界を創るのじゃぁ!」


 1000年も2000年も、長いようで割と一瞬なんだろうなぁ、なんてことをリディアは思った。

 まぁ、現時点でのリディアの寿命はもっと短いのだが、ラファと優闇が寿命を延ばす研究をしているので、最終的には1000年ぐらいはいけるだろうと思っている。


「しかしユグちゃん。いいですか? その時にあなたが世界を託すに値する人物……植物として成長している必要があります」


 今のユグドラシルは無邪気な子供のようなもの。

 まだ世界という名のバトンはユグドラシルには重い。


「あたしたちなんて、2人じゃなきゃダメだったんだから」

「そうですね。片方だけでは力不足なのです」

「それに、本当に選ばれたのはミカっていうあたしの妹だったんだよね」


 先代の創造主であるアヌンナキが選んだのがミカだったのだけれど、ミカは世界に興味を持てず、リディアを推薦した。

 そして世界は新しく姿を変えた。生命の多くは進化の新たな形に意識の集合を選び、今はどこかで銀河を創造している。

 故に、この世界は滅びたのではない。

 合意の上で生まれ変わっただけなのだ。

 だから、妹のミカは世界を滅ぼした悪人ではなく、人類合意の上で生命と惑星を次のステップに進めただけ。

 そこに悪意はなく、痛みも苦しみもなく、全ては一瞬にして生まれ変わった。


「その辺りの事情は、星の記憶に触れて知ってるのじゃ」

「星の記憶、ですか?」

「うむ。ユグちゃんはこの星に残された印象的な出来事や、象徴的な出来事の記憶にアクセスできるのじゃ!」


「すごぉい!」リディアが両手を叩く。「そんな特殊能力があるんだね!」


「では第四次世界大戦のことは分かりますか?」


 優闇はリディアと違って、確認を取ってからでなければ信じない。

 印象的な出来事や象徴的な出来事が記憶として残るのなら、第四次世界大戦は絶対に残っている。


「別名、世界統一戦争じゃの。リュクレーヌ……またはリュカ・ベルナールが理想の世界を創ろうと仕掛けた人類史最後の戦争」

「はい。正解です」


 優闇が頷く。


「リュカ・ベルナールのやり方、あたしは認めないけど、彼女が目指した世界はあたしと優闇が実現するよ」

「はい。みんなが幸福に暮らせる澄んだ世界。そして、いつかユグちゃんが引き継いでください」



「というわけだったの」


 目を覚ましたリディアが、ラファと雛菊に顛末を説明した。


「なるほど、ですわ。まさかあの大きな木が意識を持つなんて思いませんでしたわ」

「2人目の孫! わたしも見たいぞリディア!」


 ラファは冷静に、雛菊は興奮気味に言った。


「いずれ見る機会もあるでしょう。ユグちゃんはみんなを夢の中……自分の意識領域に招待することができるようですので」

「うん。とりあえず、心配かけてゴメンね」


 リディアは申し訳なさそうに、だけど嬉しそうに笑った。


「お姉様を助けるのは当然ですわ!」

「わたしだって娘を助けるのは当然だと思っている。ご褒美ください」


 ラファは少し照れたように、雛菊は物欲しそうに言った。


「ありがとうラファ」とリディアがラファの頭を撫でた。


「お姉様……」


 ラファは気持ちよさそうに目を瞑った。ラファは澄ましているし、オハンという恋人もいるが、重度のシスコンだった。


「プリコ。あたしの代わりに雛菊にいっぱいご褒美あげて」

「はぁい。アプリコットに任せておいて、リディア」


 アプリコットは雛菊を抱き寄せてキスをした。


「まったくプリコも雛菊さんも、人前でイチャイチャと……。私とリディアのように節度あるお付き合いをですねぇ……」

「優闇がそれ言いますの……?」


 ラファは酷く呆れた風に苦笑いを浮かべる。


「あれ? あたしも優闇にキスしようと思ったけど、人前だし止めておこうかな」


「前言撤回します。節度などリサイクルボックスに放り込みましょう!」


 優闇が力強く言った。



 1000年後。

 ユグドラシルは惑星の知的生命体全ての意識と繋がっていた。

 創造主である2人の母親から託されたバトン。そのバトンはとっても綺麗で、ユグドラシルが磨く必要は全くなかった。

 でも、その美しさを保つ必要はある。


「けれど、ママたちがいないのは、少し寂しいのじゃ」


 広大な世界を遥か高みから見下ろしながら、ユグドラシルは呟いた。

 区画整備が行き届いた綺麗な街並み。色々な施設。この惑星に不足は存在していない。誰もが満ち足りていて、好きな時に好きなことをして、ただ人生を遊んでいる。

 ユグドラシルより高い軌道エレベーター。その上には宇宙港があって、数多の惑星の船が停泊している。

 2人の母親が創った澄んだ世界。夢のような技術に、夢のような知識、そして夢のように満ち溢れた普遍的な愛によって支えられた理想郷。

 同じような惑星と連合を組んで、この宇宙域の恒久的な幸福と平和にも多大な貢献をしている。


「うぅ、ユグちゃんも肉体的に宇宙行きたいのじゃ……」


 しかしそれは叶わない。ユグドラシルはこの星の一部として根付いているから。まぁ、意識だけなら1万光年ぐらいは飛ばせるようになったが。


(意識で行けるんだからいいじゃん)

(そうですよ。私たちだって意識だけで移動してみたいです)


 リディアと優闇の声が、ユグドラシルには聞こえる。ユグドラシルは当然、2人とも繋がっているから。

 ちなみに、リディアと優闇はまだ生きている。

 2人は本格的に宇宙の探索を始めたので、惑星をユグドラシルに任せたのだった。

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