EX05 迫り来るピーマンの危機


 優闇ゆうやみはいつものようにリディアの食事風景を眺めていた。

 図書館の休憩スペースで、リディアはサラダを頬張っている。

 リディアは基本的に、野菜しか食べない。

 と、まだサラダが半分以上残っているにも拘わらず、リディアがフォークを置いた。


「どうしました?」


 優闇は首を傾げた。

 ただフォークを置いただけなら、特に気にも留めないのだけれど。

 リディアはとっても険しい表情をしていた。


「美味しくない」とリディアが言った。


「サラダがですか? フードメーカの故障でしょうか?」


 優闇が聞くと、リディアは首を振った。


「そうじゃなくてね」


 リディアが再びフォークを持ち、そしてゆっくりとフォークをとある野菜に突き刺した。


「この緑!」


 フォークに刺さったそれは、ピーマンだった。刻んだだけの、生のピーマン。

 リディアは基本、野菜を生で食べる。


「ふむ。ピーマンには栄養素が豊富ですが、少し苦みがありますね」

「少し?」

「ええ、まぁ、個人差はあるかと思います」


 そういえば、リディアは今までにピーマンを食べたことがなかった。

 優闇はリディアの食事風景とタグ付けされたログを確認したので、それは間違いない。


「これは人類の敵だよ優闇」


 リディアは酷く真面目な表情で言った。


「そこまで言わなくてもいいと思いますが」優闇は苦笑いした。「なぜ今まで食べなかったのに今日は食べようと思ったのです?」


「この緑、毒々しいから避けてたんだけどね。何事もチャレンジが大事かなって思って」

「なるほど」


 いつもの『なんとなく』という動機だ。

 リディアの行動の大半はなんとなくで構成されている。


「でもあたしは思ったよ優闇」

「何をですか?」


 優闇が小さく首を傾げる。

 リディアはフォークを置いて、一度頷いた。


「ピーマンは滅ぼすべきだ、って」

「え?」



「というわけで助けてください」


 優闇は据え置きのコンピュータで映像通信を行っていた。


「何がというわけですの?」

「すまんがもう一度説明してくれないか?」


 通信の相手はラファと雛菊だ。

 ラファはオハンの膝に座っていて、オハンの手がラファを抱いている。

 雛菊は全裸の上から白衣を羽織っている。

 2人とも自分の恋人とイチャイチャしている最中だったのだろう、と優闇は思った。

 邪魔をして悪いとは思うが、緊急事態なのだ。


「ですから、リディアがピーマンを滅ぼすと言うんです」

「……それは理解しましたわ……」

「……その方法についてもう一度頼む」


 ラファも雛菊も、なんだか呆れたような表情をしていた。


「ええ。リディアはタイムマシンを作って過去に戻り、この惑星上からピーマンを完全に消し去るつもりのようです」


 優闇は深刻な声音で言った。


「タイムマシンなんて作れますの?」


 ラファが怪訝そうな表情で言った。


「分かりません。理論上は可能かと思いますが……」


「仮にタイムマシンを作れたとしよう」雛菊が言う。「リディアは優秀だからもしかしたら本当に作ってしまうかもしれんが、それの何が問題なんだ? 今のわたしたちの世界には何の影響もないだろう?」


「お姉様が過去に戻った時点で」ラファが言う。「お姉様が存在している新しい世界が生まれ、別の時間軸として世界は枝分かれしますわね。お姉様はそれを知りませんの?」


「知っていると思いますが、強い感情で忘れている可能性もあります」

「ではそれを思い出させてやれば解決では?」

「さすがです! さっそく伝えてきますね!」



「というわけで助けてください」


 優闇は再び据え置きのコンピュータで映像通信を行った。


「お姉様はこう言いましたのね? 『ピーマンが存在しない新しい世界があってもいいと思う』と」

「つまり世界が枝分かれすることを知っている上で、それでも駆逐するということだな」

「はい」


 しばしの沈黙。


「あー、そのー」雛菊が少し言いにくそうに言葉を紡ぐ。「もう好きにさせてやればどうだろうか?」


「わたくしもそう思いますわ」

「いえ、それはダメです」


 優闇は何の躊躇もなくキッパリと言った。


「なぜダメですの?」

「はい。それはですね、私たちは創造主という立場にあります。しかしそれはあくまでこの世界の創造主、という意味なのです」

「なるほど。新しい世界を創るのは越権行為ということか」

「そのような感じですが、更に問題があります」

「何ですの?」

「はい。過去に戻った場合、過去の世界にはアヌンナキさんが創造主としてすでに存在しています」


「あー」雛菊が頭を掻く。「つまり、アヌンナキに異物としてリディアが排除される可能性がある、ということか?」


「そうです。当時のアヌンナキさんはリディアのことを知りませんし、そもそも自分の世界の自由進化を未来人にいじり回されるのは不快なのではと思います。少なくとも、私は嫌ですね」


 リディアがやろうとしていることを今のこの世界でたとえるなら、知識を持った別の誰かが勝手にこの世界の未来を左右するということ。

 優闇とリディアが2人で大切に育てているにも拘わらず。

 そんなことは絶対に許せない。


「そういう風に話し合ってみたらどうだ?」

「聞く耳を持ってくれないのです……」


 優闇がガックリと項垂れた。

 なぜそこまでピーマンを憎むのか、優闇にはさっぱり分からない。

 そもそも、何かを滅ぼすなんてリディアらしくない。

 何か違和感がある。

 でも、それが何なのか分からない。


「分かりましたわ。では作戦会議を開きますので、我が家に集合してくださいまし」

「え? ここじゃダメなのですか?」

「たまには会って話すのも悪くありませんわ。わたくし、そろそろ優闇とも仲良くなりたいと思ってますのよ?」


 ラファが澄まし顔で言った。

 なるほど、と優闇は頷いた。

 ラファとは別に不仲ではないが、特別親しいというわけでもない。

 出会ってからかなり経つし、確かにそろそろ距離を縮めてもいい頃合いだ。


「分かりました。ではすぐ行きます」

「わたしもか?」

「ヒナママもたまには娘の家に遊びに来てもいいと思いますわ。別に寂しいとかじゃありませんのよ?」

「なるほど、ラファさんは寂しいのですね」


 優闇がウンウンと頷いた。


「さ、寂しいとかじゃないって今言いましたわよね!?」



「ですから、私とリディアは分子分解からの再構築による空間転移を諦めました」

「そうだろうな。一度分解してしまったら、それは死んだと言っても過言ではない」

「そうですわね。再構築された人物は確かに分解される前の人物とまったく同じだと思いますけれど、やっぱりコピーはコピーだとわたくしも思いますわ」


 アンダーグラウンドの客室にて。

 なぜか優闇、ラファ、雛菊、オハン、プリコの5人は世間話に花を咲かせていた。


「つまりそれは」オハンが言う。「フードメーカで作られる食べ物と同じ、ということか?」


「まぁそうですね」優闇が肩を竦める。「ハイパースキャナで分子構造を解析して、その後リサイクルボックスの要領で分解、別の場所で再構築、というのが流れですから」


「やろうと思えば、同じ人物を何人でも作り出せますわね」

「やはりそれはコピーに過ぎんな。諦めて正解だ優闇」

「アプリコット難しい話きらーい」


 ラファとオハンは寄り添って床に座り、プリコは床に座っている雛菊を後ろから抱き締めている状態だ。

 あれ? 私だけ1人じゃないですか?

 優闇はちょっと寂しく思った。


「それで私たちは現在、新しい空間転移方法を研究中です」

「ほう。聞かせてくれないか。個人的に興味がある」


 雛菊が食い付いた。やはり科学者である。


「周波数変動による存在位置定義です」


「物質には固有の周波数がありますわね」ラファが言う。「Aの位置にいる時の周波数とBの位置にいる時の周波数の違いを分析して、存在したい方の周波数に合わせる、ということですの?」


「はい」


 さすがにラファも優秀だ。優闇は感心した。


「それだけの計算をするコンピュータと、周波数を変更する装置が必要だな」

「そうですね。今のところ、まずは高性能なコンピュータの製作からですね。まぁ、ゆっくりやります」


 年単位のプロジェクトだ。


「それがいいですわね」


 ラファが肩を竦めた。

 簡単なプロジェクトじゃないことは、ここにいるメンバーならすぐ理解できる。


「ねーねー、次はもっとエッチな話にしようよ!」


 若干一名、理解する気のないADオートドールもいるが。


「いえ。そろそろ本題に戻りたいと思います」

「えー?」


 プリコが口を尖らせる。


「お姉様の唐突なピーマン絶滅宣言の件ですわね」


「ふむ」雛菊が自分の顎を触った。「まぁ、しばらく放置しておけば頭も冷えてやっぱり止めた、ってなると思うが?」


「だといいのですが、リディアは案外、限界までやってしまうことがあります」


 今までのリディアの傾向を分析しての結論だ。


「それはありますわね。それにしてもピーマンを絶滅させるなんて、お姉様もおかしなことを思い付きましたわね。お姉様は賢いですけれど、非常識な部分も多々ありますわね」


 ラファがうんうんと頷く。

 ラファさんにだけは言われたくないでしょうね、リディアも。なんてことを思考したが、優闇は口には出さなかった。


「それで結論としてどうする?」とオハンが言った。


「分かりません。だからこうして相談しているのです」

「エッチな話したら何か思い付くかも!」


 プリコが笑顔で言った。

 そんなバカな、と優闇は思った。

 思ったのだけれど、


「それです!」


 一瞬にして優闇は掌を返した。

 優闇の発言に、一同は目を丸くしてしまう。


「ふふ、つまりこうです」優闇が得意顔で解説する。「リディアがおかしな考えを忘れるぐらいイチャイチャすればいいんです!」


「な、なるほど、ですわ……」


 ラファは少しだけ引きつった笑顔を見せた。


「では早速、図書館に戻……」

「待て優闇」


 立ち上がった優闇を、雛菊が制する。


「何か?」

「いや、可能なのか? 何かに熱中しているリディアとイチャイチャすることが」

「少し難しいですが、できなくはないと思います」


 リディアは本気で優闇を拒絶したりしないのだ。


「落ち着け」オハンが言う。「本当にそれで解決か?」


「もちろんです。24時間イチャイチャしますし!」


 余計なことを考える暇など与えない。優闇も最高に気持ちいいし、まさに一石二鳥。


「それお姉様の身体が保ちますの?」

「大丈夫です。私の特製栄養ドリンクがあります! ではみなさんまた!」

「待て優闇」


 一歩踏み出した優闇を、雛菊が引き留める。


「まだ何か?」

「せっかくこうして集まったんだ。もう少し話をしようじゃないか」

「いえ。私はリディアとイチャイチャしたいです。一刻も早く」

「目的が変わってますわよ!?」

「大丈夫です。問題ありません。では今度こそ……」


「ねーねー!」プリコが言う。「トランプして遊ぼうよ!」


「……唐突ですね……」優闇は苦笑いする。「しかしそれは次回ということで」


「ならばワタシとチェスなどどうか?」

「オハンまでどうしたのです? 私を帰したくないのですか?」


 何かがおかしい。

 そう思って、優闇はみんなの顔を順番に見回した。

 ラファを見る。ラファが目を逸らす。

 雛菊を見る。雛菊が目を伏せる。

 オハンを見る。真っ直ぐ見返された。

 プリコを見る。ニコニコしている。

 怪しいですね、と優闇は思った。


「別にそういうわけじゃ、あり、ありあり……」


「落ち着けラファ」雛菊が言う。「わたしたちはただ、優闇ともっと親しくなりたいと思っているだけだ」


「そうだよ!」とプリコが肯定する。


「その通りだ」とオハンも頷く。


「……私もみなさんとは仲良くしたいですが、とりあえず今日のところは帰りますね」


 怪しい。とにかく怪しい。みんな何かを隠しているようだが、残念ながら優闇は心を読めない。

 優闇は客室の外に出ようとしたのだが、

 そこで突然意識を失った。



 気付いたらユグドラシルの意識領域にいた。


「ユーママ! 久しぶりじゃの!」


 優闇とリディアの娘、ユグドラシルが笑顔で優闇を迎えた。

 アップルグリーンの前髪は少し流れていて、大人っぽい幼女という雰囲気は以前会った時のままだ。


「ユグちゃん!」


 優闇が両手を広げると、ユグドラシルが真っ直ぐその胸の中に飛び込んできた。


「あー、可愛い! 可愛い娘! 娘可愛い!」


 優闇はユグドラシルを抱き上げて頬ずりする。

 ちなみに同じことをはるにやると、「僕はもう一人前の知的生命体です」とちょっぴり抵抗される。まぁ、本気で拒否されたりはしないけれど、反抗期だろうか。

 優闇は満足するまでユグドラシルに頬ずりし、それからゆっくりとユグドラシルをアイリスの花畑に下ろした。


「それで、今日はどうしたんです?」

「うむ。特に用はないのじゃ」


 ユグドラシルは笑顔でそう言った。


「そうですか。まぁ、母と娘が会うのに理由はいりませんね」


 そう言って、優闇はアイリスの花畑に腰を下ろした。

 ユグドラシルも優闇の対面に座り込む。


「最近どうです?」

「うむ。絶好調じゃ。まぁ、ユグちゃんはいつも絶好調じゃが」

「そうでしたね。私の方はリディアがピーマンを滅ぼすと言い出して大変なのです」

「それは知っておる。繋がっておるからの」

「どう思いました? リディア少し変じゃありません?」


 優闇はイチャイチャする前に、リディアを検査してみようと考えた。もしかしたら何か異変があるかもしれない。


「ユグちゃんは特に変だとは思わんぞ」

「そうですか……」

「ユーママの考えすぎじゃ。リディママはいつもあんな調子じゃろうに」

「いえ、まぁ、それはそうなのですが、滅ぼすと言ったのがどうも引っかかるんです。リディアはそういうタイプではありません」

「ふむ。しかしリディママの精神は健康そのものじゃな」

「ユグちゃんがそう言うのなら、精神に問題はないでしょうね」


 となると、やはり優闇の考えすぎだろうか。

 いやしかし、と優闇は思う。

 やっぱり何か引っかかる。

 リディアだけでなく、他のみんなも変だった。

 精神に異常がないとなると、もっと肉体的な問題か。

 まさか新種のウイルスに感染しているのでは!?


「いや、そんなウイルスは流行しとらん」


 優闇の心を読んだユグドラシルが言った。


「ですよね」


 そんな訳の分からないウイルスが存在する確率は極めて低い。それは優闇も理解している。あくまで可能性の1つを思考しただけ。


「ちなみに、宇宙からの電波でもないぞ?」


 更に優闇の思考を読んだユグドラシルが苦笑いする。


「なるほど」ニヤッと優闇が笑う。「ユグちゃんは答えを知っていますね?」


「!?」


 ユグドラシルは驚いたように目を丸くした。


「その反応で十分です。でもユグちゃんは、それを私に教える気がない、と」


 優闇が得意顔で言った。


「や、やりおるのぉ。さすがユグちゃんのママじゃ」

「ふっふっふ、私を甘く見てはいけません。これでも創造主ですから」


 優闇が人差し指を立てて言った。


「うむ。どうやらユグちゃんの出番はここまでのようじゃ」

「出番?」

「さらばじゃユーママ! また会おうぞ!」


 ユグちゃんが手を振って、また優闇の意識が飛んだ。



「どうやらアンダーグラウンドに戻ったようですが……」


 周囲に誰もいない。

 センサの感度を最大にしてみたが、生命反応もADの反応も捉えることができない。


「どういうことです?」


 さっきまで雛菊、ラファ、オハン、プリコがいたはずだが。

 客室の中を見回すと、確かにそこに誰かがいた痕跡は残っている。だが今は近くに誰もいない。


「これは、やはり何か異常事態が起こっていますね」


 優闇は割と冷静だった。

 ユグドラシルが答えを知っているのに教えなかったのだから、それほど深刻ではないか、あるいは解決できる問題ということ。


「ウイルスや宇宙の電波は違うとして」


 呟きながら、優闇は客室を出てアンダーグラウンドの出口に向かう。

 色々な可能性を検証してみるが、どれもシックリこない。

 一番マシな推論は、既存の理論が間違っていた可能性。

 たとえば、タイムマシンを使った場合とか。

 世界が枝分かれせず、現在が変わってしまうという古い理論の方が正しかったという可能性だ。

 つまり、リディアが過去をいじったせいで現在に影響が出てしまったということ。


「まぁ、低い可能性ですが、有り得なくはないですね」


 記録上、誰も過去に行っていないのだから、どっちが正しいのか本当には分からない。

 しかしながら、この短時間でリディアがタイムマシンを作ったとは考え難い。


「……って、やっぱり有り得ないですね。それだと私にだけ何の影響もないのは変ですし、それに――」


 アンダーグラウンドの外は相変わらずの景色だった。


「世界にも影響がないですね。はい没でーす。この仮説没でーす」


 完全な独り言だが、優闇は特に気にしなかった。

 とりあえず、来た時と同じ大型バイクにまたがり、雛菊のバイクがないことに気付く。


「単に出かけただけですかねぇ」


 優闇がユグドラシルの意識領域に行ったということは、あのメンバーならすぐに察するし、放置されてもおかしくはない。

 まぁ、どこに出かけたのか、という疑問は残るが。


「でも、私の扱い酷くないですかねぇ?」


 意識を失ったのがリディアなら、みんな絶対リディアが目を覚ますまで待ったはずだ。

 優闇は軽く頬を膨らませてから、バイクをオンラインにした。

 とりあえず、異常事態が起こっているにせよ起こっていないにせよ、一旦リディアの元に戻ろうと思った。



 優闇が図書館に戻ると、真っ暗だった。

 まぁ、優闇の視覚センサは暗闇でも特に問題なく機能するし、各種センサも備えているのであまり影響はない。


「ふむ。生命反応と、AD反応がありますね」


 図書館のロビーで優闇が呟いた。

 それが誰の反応なのかも優闇にはすぐ分かった。

 ゆっくりと、優闇がロビーを抜ける。

 みんなどうしてだか息を殺している。これはやはり何かがおかしい。襲われる可能性も考慮して、優闇は気を引きしめた。

 正直、久我くが刃心流じんしんりゆう8段の優闇とまともに戦えるのはリディアだけなのだが。

 まぁ、リディアとオハンが組んだ場合、かなりマズイ気もする。

 と、

 唐突に照明が点いた。

 そして、


「ハッピーバースデイ優闇!!」


 クラッカーの音とともに、リディアが大きな声で言って、


「「ハッピーバースデイ!!」」


 続けて他のみんな――ラファ、オハン、雛菊、プリコ、陽花、ノアも言った。


「……え? ええ?」


 優闇は固まってしまう。状況がイマイチ飲み込めない。

 ハッピーバースデイというのは、誕生日おめでとうという意味だ。


「やったぁ!」リディアが飛び跳ねる。「サプライズ成功だよ! みんなありがとう!」


「いやぁ、準備が整うまで優闇を引き留めるのに苦労した」


 やれやれ、と雛菊が首を振る。それからプリコと腕を組んでお酒の置いてあるテーブルへと向かった。


「本当ですわ。割と難易度の高いプロジェクトでしたわね。ユグちゃんの協力がありましたので、なんとかギリギリ時間を稼げましたけれど」

「チェスをしたかったのは本当だ」


 ラファとオハンが笑顔で言った。

 オハンの笑顔は珍しい、と優闇は思った。


「何十年か前の今日、ユーママが世界に生まれてくれて、僕はとっても嬉しいです」


 陽花が綺麗に包装された小さな箱を優闇に渡した。


「これは?」

「プレゼントに決まってるですよ。あとで開けてみて欲しいです」

「あ、ありがとうございます……」


 そうか、ずっと昔の今日、私はこの世界に生まれたのですね。

 正確には、初めてオンラインになった日。行動ログの最初。

 この新世界に暦はない。今後作る予定もない。好きな時に好きなことをして過ごすのだから、必要ないのだ。

 よって、優闇は特に記念日を意識したことがなかった。リディアだって今まではそうだった。

 でも、

 これは、


「う、嬉しすぎて泣きたいです……」


 やっぱり涙を流す機能を付けようか、なんて思った。

 けれど、

 優闇に歩み寄ってきたリディアを、

 少し癖のあるブロンドに、整った顔立ち。白く雪のように美しい肌。それらを涙で歪めるのは勿体ない。


「騙してゴメンね」


 とてもゆっくり、リディアは優闇を抱き締めた。


「いえいえ、そんな。もう私、嬉しすぎてオーバーヒートしそうです」

「え!? それはダメだよ!?」

「はい。なんとか制御しています」

「そっか。喜んでもらえたなら、あたしも嬉しいよ優闇」


 リディアが背伸びして、軽く唇を重ねた。


「……全てサプライズのための演技だったということは、ピーマンは絶滅しないのですね?」

「しないよ」


 リディアが笑う。

 あそこからすでに始まっていたのだ。

 リディアは優闇がラファたちに相談することも織り込んで、この計画を立てたに違いない。


「タイムマシンは……」

「作ってないよ。今の技術じゃちょっと難しいよ?」

「ですよね」


 優闇が笑うと、リディアが優闇から離れる。


「さぁ優闇、ケーキがあるからロウソクの火を消して。食べるのはあたしだけど」

「ロウソク何十本立ててます?」


 年齢と同じだけ立てたら、大変なことになる。ケーキというかロウソクがメインだ。ケーキの大きさにもよるが。


「10本」

「なぜ10本なのです?」


 優闇の年齢とは違う。


「あたしと出会ってから10年ぐらいかなーって」

「だいたい合ってますよ。嬉しいですリディア。私、今日のことは大切にログに仕舞っておきますね」



 あの日、リディアを拾ってから約10年が経過した。

 この10年は、本当に色々なことがあって、壊れかけたこともあったし、リディアが監禁されたり、創造主になったり、本当に色々あった。

 けれど、

 どれも大切な思い出。

 瞬くように過ぎた10年だけど、優闇はとっても幸せだった。

 次の10年もきっと色々あって、

 だけど、

 どれも大切な思い出になるのだろう。

 そしてやっぱり、

 隣にはリディアがいて、

 幸せの中にいるのだろう。


「生まれて来て良かったです。本当に、心からそう思います」


 サプライズパーティの最後に、優闇はそう言った。

 私、優闇は、

 新しく創造されたこの世界で、

 幸福な夢を見ている最中なのです。

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