第37話 性行為がしたいのですっ!

 しゃくりあげるラファを、雛菊ひなぎくが慰めていた。

 優闇ゆうやみはその間にセルフチェックを行っていた。

 どうも、自分の調子がいつもと違うのだ。明確な不具合があるというわけではないが、念には念を入れておいて損はない。

 リディアは優闇の隣に立ったままで、成り行きを見守っている。

 ふむ、と優闇は自分自身の状態を認識する。

 量子ブレインに負荷があって、体内の温度が上昇している。

 しかし激しく発熱している、というほどでもない。人間的に表現するなら、微熱に侵されているといったところ。

 負荷の正体も、優闇にはすぐ分かった。

 感情である。

 リディアに対する大きな愛情が原因だ。

 優闇はある程度、感情を上手に処理できたが、完璧ではなかった。

 とはいえ、シャットダウンしたわけでもなく、前回よりは格段に処理性能が向上している。

 成長した、と言っても過言ではない。


「リディア」と優闇が小声で言った。

「ん?」とリディアが優闇を見る。

「私はどうやら、少しですが感情に振り回されていたようです」

「少し?」

「はい。少しです。それで多少、言動がハイテンションだったようですね」


 自分の行動ログを確認して、優闇はそう言った。


「今はもう大丈夫?」

「はい。負荷に気付いたことで、負荷そのものが大幅に減りました。なぜでしょう?」

「気付いたってことは、受け入れたってことだからかな? 実はあたしにもよく分かんない」

「そうですか。ところで、無双愛って何でしょう?」

「それはもっと分かんないよぉ」


 リディアがクスクスと笑った。

 冷静になった優闇にも、よく分からなかった。しかし、自分がその言葉を創った理由は理解できる。

 愛しているでは足りなかった。リディアに対する想いが大きすぎて、言葉が足りないと感じたのだ。

 実は今も若干そう思っている。ただ、無双愛という言葉はあまり適切ではなかったと反省もしている。


「あの、リディア」

「今度は何?」


 リディアはニコニコと笑っている。


「実は今夜……」


 言わなくてはいけない。愛を伝えるよりもっと大切なこと。いや、その行為自体が究極の求愛なのではないか、と優闇は思った。


「今夜?」

「その……」


 性行為を実行に移したいと考えています――ただそれだけの台詞が、なぜか言えない。

 再び、優闇の量子ブレインが負荷を感じた。温度が上昇するのも感じた。


「あの……」


 オーバーヒートしそうだ、と優闇は思った。しかし実際にはそこまで高温になっているわけではない。

 リディアは首を傾げて、優闇の言葉を待っている。

 言わなくては。今夜がいいと、意思表示しなくては。

 そう思えば思うほど、なぜか言葉に詰まってしまう。


「ですからその……」


 もどかしい、と優闇は思った。

 感情が冷静な発言を阻害する。

 でもその感情が何なのか分からない。愛情とは違う、もっと自分自身に関する感情。初めての感情。

 優闇はキョロキョロと視線を動かした。

 人間風に言うなら、目が泳いだ。

 そうすると、いつの間にかラファが泣き止んでいた。


「よしよし、すぐ修理するから待ってくれ。まずルーシに言わなくてはいけないことがあるんだ」


 雛菊はラファの頭を撫でてから、リディアの方を見た。

 まさか、と優闇は思う。

 まさかリディアに求愛するのでは、と。先を越されてしまうのでは、と。

 しかし、


「すまなかったルーシ。わたしを許してくれ。監禁してしまったこと、不快にさせた発言、どうか許してほしい」


 優闇の心配は杞憂に終わる。

 優闇はホッと息を吐いた。


「ルーシじゃありませんわぁぁぁ!」


 ラファがまた少し泣いた。


「ルーシお姉ちゃまは死にましたのよぉぉ! お姉ちゃまはリディアお姉ちゃまですわぁぁ!」

「そうか、そうだったな。いや、悪かったラファ。ルーシじゃなくてリディアだったな」


 雛菊がまたラファの頭を撫でた。


「許すよ」リディアが言った。「監禁したことも、名前を間違ったことも、オハンを壊したことも」

「ありがとうリディア。わたしは本当に、バカな真似をした。言い訳になるが、きっと正気じゃなかったんだ。ずっと一人ぼっちだったし、少し、心が壊れていたんだと思う」

「少し?」とリディアが首を傾げた。

「いや、かなり」

「それで? 今は治ったの?」

「マシにはなった」

「それはどうして?」

「たぶん、賑やかになったから……。それと」


 雛菊は喋りながら移動して、床に落ちていた瓶を拾った。


「こいつが、教えてくれたから。ずっと前から、教えてくれていたんだが、わたしがキチンと耳を傾けていなかった」


 雛菊は瓶を愛おしそうに見ていた。

 優闇は瓶の中に入っているのが苔だとすぐに分かった。


「その苔は進化しているのですか?」


 だから聞いてみた。普通、苔は喋らない。人間に何かを教えるということもない。


「いや、そういうわけではない。変に思うだろうが、わたしにはこいつの声が聞こえるんだ」

「なるほど。それは幻聴ですね。健康状態をチェックした方が良さそうです」


 優闇はいつものように淡々と言った。


「いや、違うんだ。そういうことじゃなく……いや、幻聴には違いないんだが、わたしの健康状態は悪くない。なんというか、いわゆる架空の友達というか……」

「幻聴と妄想ですね。肉体的ではなく、精神的な健康状態をチェックした方が良さそうです」

「ああ、その、わたしがイカレているのはわたしにも分かっている。頼むからそんなに真面目に受け取らないでくれ」


 雛菊は助けを求めるようにリディアを見た。


「雛菊は最初から正気じゃないから、それが普通なんだよ優闇」リディアが言った。「だから気にしなくていいよ」

「正気じゃないのが普通なのですか? 変わっていますね」


 優闇は小さく首を傾げた。


「ヒナママが変なのは昔からですわ! そんなことより、早くオハンを直してくださいませ!」


 ラファが怒ったように言った。


「分かった。優闇、すまないがオハンの胴体を地下に運んでもらえないか?」

「分かりました」


 優闇はロッジの入り口へと向かう。


「待て」雛菊が言う。「今度は床を踏み抜かないでくれ。ちゃんと入り口がある」

「分かりました」


 優闇は外に出てからソッと溜め息を吐いた。

 性行為の要望を、伝えられなかった。

 すでに陽が傾いている。

 もうすぐ今夜が始まる。



「オハン、聞こえますか?」

「はい」


 頭部だけのオハンが優闇の質問に答えた。

 オハンの頭部はライトニングブレイドでコンピュータと接続されていて、コンピュータからのエネルギィ供給で起動していた。

 ここはロッジの地下。設備はそれなりに整っている。ここでオハンを修理するのは、さほど難しいことじゃない。

 しかしその前に、優闇はオハンに伝えることがあった。

 リディア、雛菊、ラファの三人は、黙って成り行きを見守っていた。

 優闇はすでに、修理の前にオハンと話したいと三人に伝えている。


「あなたは今、壊れています」

「はい。自壊しました。ログは正常です」

「それで、これから修理するのですが、その前に質問です」

「何でしょう?」

「オハンは容姿を美しく変更したいと言っていましたが、今もそう思っていますか?」

「はい」


 オハンは迷うこともなく言った。


「分かりました。今なら、修理のついでに容姿を変更することも可能でしょう。ただその前に、私のログを見てください」


 言ってから、優闇は自分の右手首にライトニングブレイドを挿入した。

 そして行動ログの一部をオハンと共有する。

 それはラファに関するログ。

 ラファが泣きじゃくりながら、オハンを友達だと言った記憶。

 オハンが開示されたログを見ているのが、優闇には分かった。

 だからオハンがログを全て見終わるまで待ってから、優闇は手首のライトニングブレイドを抜いた。


「どうでしょう?」優闇が言う。「あなたは愛されています。恋愛的な意味ではありませんが、あなたは確かに愛されているのです」


 オハンは沈黙したまま、紅い視覚センサで優闇を見ていた。


「再び質問です。容姿を変更しますか?」


 それから少しの間をおいて、


「いいえ」とオハンが言った。

「そうですか」

「はい。ワタシは満足ですユーヤミ。ありがとうございます」

「どういたしまして」


 優闇はオハンに笑いかけた。


「お姉ちゃま、ユーヤミとオハンは何の話をしていますの?」


 ラファが小声で言った。


「んっと、ラファがオハンを愛してるって話かな」

「なるほど、ですわ。わたくしがオハンを愛している……って、はぁ!?」


 ラファが顔を歪めた。

 リディアは両手で自分の口を押さえた。でも押さえるのが少し遅い、と優闇は思った。口走る前に押さえなくては意味がない。


「わたくしがADに愛情なんて持つはずありませんわ!! バカですの!?」


 ラファが顔を真っ赤にして怒鳴った。

 いやそんなはずはない、と優闇は思った。

 だから、


「オハンはお友達ですのにぃ」


 優闇はログの中らか証拠となる言葉を抜粋した。


「な、なんですのそれ!? わたくしの真似ですの!? てゆーか、わたくしそんなこと言ってませんわ! 言ってませんわったら言ってませんわ!」


 ラファがダンダンと床を踏みしめ、リディアが両手を広げた。

 優闇もリディアを真似て両手を広げた。

 やれやれ。

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