第36話 優闇無双

 雛菊ひなぎくがリディアに銃口を向けた。

 けれど、雛菊は撃たないとリディアは確信していた。

 雛菊は言動がよく分からないし、リディアを監禁するような人間だが、それでも撃たないとリディアは感じた。

 たぶん、雛菊が本当に撃ちたいのはリディアではなく自分自身。

 ただ、雛菊は本当に死にたいと思っているわけではない、とリディアは思った。

 色々なことが悲しくて、色々なことが切なくて、ある種の絶望に身を任せているように見えた。

 雛菊はきっと、心が弱いのだ。

 と、ドアを潜り抜けて優闇が入ってきた。

 なんとなく、そんな気がしていたので、リディアはあまり驚かなかった。

 ただ予想していたよりずっと早く来てくれたな、と思って嬉しかった。


「リディア!」


 優闇ゆうやみがリディアを見つけて笑顔を見せた。

 リディアは軽く右手を上げてそれに応える。

 優闇は雛菊のことが目に入っていないのか、檻の方に歩いてきた。

 それがあまりにも普通すぎて、リディアも雛菊もただ優闇を見ていた。

 まるで、檻の近くに寄るのが天命であるかのように錯覚してしまうほど、優闇は堂々としていたし、とっても自然だった。


「リディア、聞いてください!」


 なんだか、優闇のテンションが高い。


「何?」

「無双愛しています!」

「……え?」

「無双愛しています!」


 優闇が繰り返した。

 テンションが高いというか、テンションがおかしい。


「ど、どうしたの優闇? 大丈夫? 壊れてない?」


 普段の優闇じゃない、とリディアは思った。


「聞いてください。私はこの溢れ出る感情を、心の奥底から湧き上がる想いを、意識の最深部を震わすようなこの気持ちを、表現する言葉を見つけられなかったのです」

「う、うん……」

「愛している、という言葉ではとても足りません。人類はどうして『愛している』の上位にあたる言葉を作らなかったのか、私には疑問でなりません。いえ、それを作ることができなかったから滅びてしまったのでしょう」

「すごい暴論……」


 優闇の論理回路がおかしい。

 たぶん、また感情を処理できていないのだろうとリディアは思った。

 しかしシャットダウンしていないだけマシとも言える。前回よりは上手に、優闇は感情を捌いている。


「そこで、私は考えました。愛しているの上位互換を」

「それが、夢を想う愛?」

「違いますリディア。夢を想うのではありません。そっちの夢想ではないのです」

「じゃあどのムソウ?」

「天下無双の無双ですリディア。ええ、無双愛しています」

「あ、あんまり心に響かないかなぁ……」


 リディアは正直にそう言った。


「そ、そんな……」


 優闇がガックリと項垂れた。


「あ、でもでも、その気持ちは嬉しいよ?」

「響かないはずが……。だってリディア、無双愛はこんなこともできてしまうのです」


 言って、優闇が一歩で雛菊の前まで移動した。

 その速度があまりにも速かったので、雛菊はポカンと口を開けて目を丸くした。

 そしてすぐさま、優闇は雛菊の手首を捻って、リボルバーを奪い取った。


「カッコイイ優闇! 映画みたい!」

「そうでしょう? 実際映画の真似なのですが、これが無双愛の力なのです」

「いやー、それは単に、優闇が割と強かったってだけだと思うよ?」

「いいえ、無双愛の力です」


 あ、ダメだこれ、とリディアは思った。

 優闇は完全に正気じゃない。

 優闇に何があったのか、リディアには分からない。でも間違いなく感情に振り回されている。


「ま、まぁそれはそれでいいけど、まずあたしをここから出して欲しいなぁ」

「分かりました。ふむ。スタンゲージですね。どこかにコンソールが……」


 優闇がキョロキョロしながら歩き回る。


「む、この下ですね」


 そう言って、優闇はジャンプした。

 そして床をぶち抜いてそのまま地下に落ちた。


「優闇!?」

「平気です。きちんと着地しています。あ、ありましたコンソール。いじりますね」


 数秒後、檻の一面が床の中に収納された。

 リディアはそこから外に出た。


「出たよー!」

「はい、では全部仕舞いますね」


 優闇が言うと、檻が順番に床の中に消えていった。檻の天井部分も、折れ曲がって他の檻と一緒に収納された。

 ビヨーン、とジャンプして優闇が地下から戻ってきた。


「リディアの服はベッドの上にありますよ。さっき確認しました」

「分かったよ」


 リディアはすぐにベッドに行って自分の服を掴んだ。

 それからサッと服を着て、雛菊に視線をやる。

 雛菊はソファに座ったままで彫像みたいに固まっていた。

 色々なことが唐突に起こったので、まだ脳がきちんと情報を整理できていないのだろう、とリディアは思った。


「雛菊」とリディアが声をかける。


 雛菊はハッと我に返ったように、「LMシリーズ、タイプⅡ……」と優闇を見て言った。


「はい。初めまして。今は優闇と名乗っています。リディアを無双愛している優闇です」


 優闇はいつものようにとっても綺麗で優雅な礼をした。

 けれど、発言がおかしい。


「ルーシ、お前、自分で創ったADに恋をしたのか?」

「雛菊と一緒だね」


 雛菊もまた、自分で創ったルーシを愛していた。

 やっぱり親子なんだなぁ、とリディアは思った。


「意識が宿っているというのも本当のようだな。発言が恋する乙女並みに意味不明だ」

「いつもの優闇はもっと論理的なんだけど、今はちょっと、感情に振り回されてるみたいで……」


 リディアは弁明した。


「そんなことはありません」優闇がリボルバーの弾丸を抜きながら言う。「無双愛しているんです」


 優闇は弾丸を自分のポケットに仕舞ってから、リボルバーを雛菊に返した。


「それなんだか恥ずかしいから、ちょっとやめて欲しいかも?」


 あまりロマンティックな言葉ではないし、妙に恥ずかしい。


「愛しているの上位互換ですよ?」

「うん、気持ちは本当に嬉しいんだけど、うん。気持ちだけで」

「ふむ……」


 優闇は納得いかない、という風に考え込んだ。


「あんまりですわ!」


 唐突に、ラファの声が入り口から聞こえた。


「あ、ラファもいたんだ……」

「ラファさんは屋外でオハンの胴体を見詰めながらワナワナと震えていました」


 優闇が得意顔で言った。

 いつもの淡々とした感じではないので、少し違和感がある。けれど、それはそれで貴重な表情だな、とリディアは思った。


「あんまりですわ!」


 ラファが繰り返した。


「あたしもその、優闇の気持ちは嬉しいよ? でも、無双愛はどうかなって、思うんだけど、ラファは無双愛気に入ってるの?」

「オハンの首を引っこ抜くなんてあんまりですわ!」


 ラファはズンズンと歩いて雛菊の前へと移動した。


「あ、あんまりなのはあたしが優闇の無双愛を否定したことじゃないんだ……」


 恥ずかしい勘違いをしてしまったが、話の流れ的には仕方ない。

 ラファと雛菊が近距離で見詰め合う。


「ヒナママ……ですの?」

「久しいな、ラファ」


 雛菊が言うと、ラファは瞳いっぱいに涙を溜めた。

 そして、


「あんまりですわぁぁぁぁぁああああああ!!」


 即、決壊。


「オハンはわたくしのお友達ですのにぃぃぃぃぃ!!」


 ラファの叫びを聞いて、一番驚いたのはリディアだった。

 一緒に過ごした約1ヶ月、ラファがオハンを友達として扱った場面など見たことない。

 いつそんな関係になったの!?

 リディアはそう聞きたかったが、空気を読んで飲み込んだ。余計なことを言うと収拾がつかなくなる可能性があるから。


「いや、すまない……。知らなかったんだ……」


 雛菊はとっても焦った風に言った。


「ヒナママはお母様ですのにぃぃ!! 娘の友達の首を引っこ抜くなんてあんまりですわぁぁぁ!」


 それは確かにあんまりだ。

 リディアでさえ、オハンの首を見た時には大きなショックを受けた。

 ラファがオハンを友達として認識しているなら、受けたショックはリディア以上に違いない。

 リディアがふと、優闇に視線を送ると、優闇は笑顔で両手をパシンと叩いた。

 あ、床の修理あたしだ、とリディアは思った。



(賑やかになって良かったわね)


 苔が言った。


(あなたは一人ぼっちになってしまって、とっても寂しかったんだものね)


 雛菊は応えない。


(誰も自分を見てくれなくて、誰も褒めてくれなくて、誰も崇めてくれなくて、誰も愛してくれなくて、誰も話をしてくれなくて、寂しかったのよね)


 雛菊は苔の言葉を聞いてはいる。


(ほら、早く謝りなさいな。そうすれば、きっとラファもリディアも許してくれるわ)


 ラファはまだしも、リディアはどうだろう、と雛菊は思った。


(大丈夫。リディアはとってもいい子だから。ルーシには黒い部分があったけれど、リディアにはない。分かるでしょ? リディアは真っ白なの。きっとこんな枯れた世界でも、真っ直ぐ見詰めて綺麗だと言うわ。だから、ね? 謝っちゃいなさい。きっと許してくれるから)


 苔の声はとっても優しかった。

 だから、というわけではないが、雛菊は心を決める。


「本当に悪かった。オハンはすぐに修理する。わたしを許してくれラファ」


 謝るなら一人ずつ、順番に。

 差し当たって、目の前で大粒の涙を零している次女から。

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