第38話 初めての喧嘩……からの?

 オハンの修理が終わる頃には、すっかり日が暮れていた。

 ちなみにそのオハンだが、地下室の入り口が狭すぎてロッジに戻れなかったため、優闇ゆうやみが踏み抜いた床を更に破壊してロッジに戻った。

 その後、いつものように外を見張ろうとしたが、ロッジの入り口も狭かったので外に出れなかった。

 優闇が運び入れた時は、オハンの胴体を分割して中に入れたのだ。


 雛菊ひなぎくは泣きそうな顔で「あとで直すから、壊してもいいぞ……。これもわたしの罰であり、罪なのか……ははっ、寂しくて裸が見たかっただけなのに」と笑った。


 オハンは「分かりました」と躊躇することもなく入り口を破壊して外に出た。

 ラファがオハンについて外に出たので、ロッジの中はリディアと優闇と雛菊の三人となった。


「どうだろう……」雛菊が言う。「もう暗いし、今日は泊まっていかないか? 大丈夫、何もしないから。本当に、何もしないから。見ているだけだから」


 リディアは「うーん」と唸った。

 優闇がずっと起きているから、確かに何もされないだろう。

 それに暗い中、樹海を戻るのも面倒ではある。でも図書館に帰りたいという気持ちもある。

 図書館ではアプリコットが待っているはずだし。

 アプリコット?


「あ」とリディアが言う。

「どうかしたのか?」

「アプリコット、そうだよアプリコット。雛菊、優闇が入ってくる前、アプリコットって言わなかった?」

「言ったと思うが?」

「それってSAシリーズ?」

「ああ」

「それって樹海に捨てた?」

「ああ。一緒に暮らしていたんだが、アプリコットの愛が偽物であると気付き、虚しくなって捨てた。今は後悔している。ADにも意識が宿る可能性があるなら、いつかはあいつの愛も本物になったかもしれない」


 雛菊は優闇に視線を移してから続ける。


「だから明日にでも回収しに行こうと思っているが……そういえば、なぜアプリコットという名を知っている?」

「実は拾って修理しちゃったの」

「そうなのか?」

「うん。ちょっと髪の色を変更しちゃたけど……」

「それは構わん。また戻せばいい。それで、アプリコットは今どこにいる?」

「地下図書館。あたしと優闇の拠点」

「そうか。明日、回収しに行ってもいいだろうか?」

「うん。いいよ」

「いいえ、ダメです」


 ずっと黙っていた優闇が淡々と言った。


「え?」とリディアが優闇を見る。

「プリコは私の後継者として育て始めたばかりですので、ダメです」

「プリコ? 後継者?」


 雛菊が目を細めた。


「プリコはアプリコットの愛称です。名付け親はリディアですね。後継者というのは、私は多忙ですので、図書館の管理をプリコに任せたいと考えています」

「SAシリーズにLMシリーズの真似事をさせる、というのか?」


 意味が分からない、という風に雛菊が小さく首を傾げた。


「真似事ではありません。すでにLMシリーズに必要なアーカイブもインストールしてあります。プリコはきっと立派なLMシリーズになるはずです」

「いや待て。おかしいだろう? SAシリーズにLMシリーズのアーカイブを入れても、SAシリーズとしてのファームウェアの方が優先される。プアプリコットに意識があるなら別だが……」

「プリコに意識はありません」

「なら、やはりそれは真似事だとわたしは思うが? それともファームウェアを書き換えるつもりなのか?」

「そのつもりはありません。教育します」

「しかしそれはLMシリーズの仕事もそれなりにこなせるSAシリーズ、というだけだ。SAシリーズとしての本来の仕事はどうするつもりだ? まさかリディア……」


 雛菊がリディアを見る。雛菊の瞳には困惑の色が浮かんでいた


「違う違う。あたしはプリコとセックスはしないよ?」


 やだなー、という風にリディアは右手をヒラヒラと振った。

 そんなことした日には優闇が自壊しかねない、とリディアは思った。


「バカ……。そんな普通にセックスなどと……。もっと声を潜めるか、アレに置き換えるかしろ……。そんな普通に言われても興奮しないじゃないか」


 雛菊が真面目に言った。

 リディアは肩を竦める。


「とにかく」優闇が言う。「プリコを渡す気はありませんので」

「しかし、アプリコットは元々わたしのADだ」

「しかし、捨てましたよね?」

「悔いている。間違いだった」


 バチバチと、雛菊と優闇の間で火花が散っている幻をリディアは見た。


「ま、まぁ、いいじゃん優闇。返してあげようよ?」

「お断りします」


 優闇がツンとソッポを向いた。

 そんな態度を取られたのは初めてだったので、リディアはちょっとムッとした。


「いいじゃん別に。プリコはSAシリーズなんだから、無理にLMシリーズにしなくても、雛菊とイチャイチャしてる方が幸せだよ」

「どうしてプリコの幸せをリディアが決めるんですか?」

「むしろどうして優闇はそんな頑なにプリコをLMシリーズにしたいの?」

「忙しくて図書館の管理に手が回らないからです。プロジェクトも多いですし、探索にだってしょっちゅう出かけるでしょう?」

「それってあたしのせい?」

「そんなこと言っていません」

「でもあたしがいなかったら全部マイペースでできたよね!」


 フンッと今度はリディアがソッポを向く。


「どうしてそんなこと言うんですか!」

「ふんっだ」


 リディアは腕を組んで、ソッポを向いたまま優闇を見なかった。


「そうですか。ええそうですか。分かりました。分かりましたとも。そういう態度ですか。以心伝心を期待した私がバカでした。ちょっと量子ブレインを冷やしてきます」


 優闇はわざと床を強く蹴りながら外に出た。

 しばらくの沈黙。


「……どうしよう?」


 リディアの瞳には涙がいっぱい溜まっていた。

 優闇と意見が合わないことはよくあったが、ここまで対立したのは初めてのこと。

 今まではだいたいの場合、優闇の方が引き下がってくれていた。

 でも今日は違った。理由として考えられるのは、優闇が以前よりも多くの感情を得て、更にその感情たちをまだ上手に捌けていないことだ、とリディアは思った。

 優闇はあまり冷静ではなかった。熱くなっていた。物理的にではなく、精神的に。

 まぁだからと言って、優闇が悪いというわけではない。

 自分の気配りが足りなかった、とリディアは反省した。

 お互いが感情的になれば、当然、こういう衝突だって起こり得る。

 リディアは最初から、優闇より多くの感情を知っていた。つまり感情の先輩なのだ。

 先輩としては、やはり気を配るべきだったのだ。

 そもそも、今日の優闇はロッジに現れた時点からおかしかった。


「その……追いかけて、言いすぎた、と謝ればいいと思うが……」


 雛菊がオズオズと言った。


「許してくれるかなぁ?」


 リディアの涙が一粒、床に落ちて小さな染みを作った。


「大丈夫、だろう……。恋人同士なら、喧嘩は付き物だ」

「初めてなの……」

「喧嘩がか?」

「うん」

「ほう。興味深いな。優闇もリディアも、タイプが違うし、どちらも感情的だ。今まで喧嘩しなかった方が不思議だと思うが」

「違うの。優闇は、本当は感情的じゃないの……。じゃなくて」


 リディアはフルフルと頭を振った。


「えっと、元々の優闇は、感情が薄くて、色々な感情を模索していたの。でも最近、急にたくさんの感情を覚えて、それでちょっと混乱してて、えっと、あたしも混乱してる……」

「なるほど。だが共にそれを乗り越えるのが愛というものだ。早く追いかけろ」

「分かったよ。ありがとう雛菊」


 リディアはゴシゴシと涙を拭って、弾丸のように外に飛び出した。


「あら、お姉ちゃま」


 外にはオハンとラファが立っていた。


「ラファ! 優闇どっち行った!?」

「ユーヤミならあっちですわ」


 ラファが人差し指で方向を示した。


「ありがと!」


 リディアはまた弾丸のように疾走した。


「お姉ちゃま! 走ると危ないですわよぉぉぉ!」


 リディアの背中から、ラファの叫び声が聞こえたが、リディアは無視した。

 応えている余裕はない。


「優闇! 優闇!」


 名を呼びながら、リディアは走った。

 星明かりも月明かりも届かない夜の樹海。リディアは何度も転んで、何度も木に顔をぶつけた。


「ゴメンね優闇! ゴメンね!」


 リディアは走り疲れて、その場で息を整える。

 周囲を見ると、うっすらと樹木の影が見える。目が慣れてきたのだ。

 しかし身体のあちこちが軽く痛い。

 でも大丈夫、とリディアは思った。

 優闇を失うよりは痛くない。


「よしっ」


 リディアは再び駆け出すが、すぐに木の根っこに足を引っ掛けてしまう。

 あ、また転んじゃう――リディアはそう思った。

 けれど、

 誰かがフワッと、リディアを受け止めた。

 それが誰なのか、リディアは見なくても分かった。

 だから、


「優闇ぃぃぃぃ!」


 力一杯抱き付いて、その胸に顔を埋めた。


「大丈夫ですか? 夜の樹海は危険です。一人で入るなんて無謀ですよ?」


 リディアを受け止めた優闇が、リディアの頭を撫でながら言った。


「一人じゃないよ! 優闇がいるよっ!」


 リディアは何度かしゃくり上げ、そのまま泣いた。


「それはまぁ、そうですね」

「てゆーか、遅いよぉぉ」

「すみません。私、割と遠くまで行っていましたので。まぁリディアの声が聞こえて、すぐに引き返しましたが。ところで、なぜ泣いているのです? 夜の樹海が怖かったですか?」

「違うよぉ」

「ふむ。では転んでどこかを痛めたのですね? ロッジに戻って治療しましょう」

「それも違うのぉ。転んだのは確かに転んだけど、ちょっとしか痛くないよ?」

「ちょっとは痛いんでしょう? 治療しましょう」


 優闇がヒョイっとリディアを抱き上げ、お姫様抱っこする。


「待って。待って。その前に、言いたいことがあるの」

「何でしょう?」

「……量子ブレイン、冷えた?」

「ええ。冷静です。すみません。私はリディアに悪い態度を取ってしまいました」

「それはあたしの台詞だよぉ。ゴメンね優闇。嫌なこと言ってゴメンね」

「許します。まぁ、プリコの件はプリコに決めさせてあげればいいかな、と私は思います」

「あたしも優闇を許すよ。プリコのことも、賛成」

「では仲直りですか?」

「うん。仲直りのちゅーする」


 リディアは優闇の返事を待たずに、優闇の唇に自分の唇を重ねた。

 その瞬間、優闇が舌を入れてきた。

 いつもと違うキス。

 いつもより気持ちいいキス。

 なんだか頭がボゥっとしちゃう、とリディアは思った。


「やっぱり今夜です。今夜がいいです」


 唇を離して、優闇が言った。


「何が今夜?」

「子供を創る過程。私は今夜がいいのです。リディアさえ良ければ、今、ここで」


 優闇は真っ直ぐリディアを見ていた。

 リディアはとってもドキドキした。


「樹海、だよ?」

「はい。私の服を敷きましょう」

「暗い、よ?」

「はい。私はよく見えます」

「あたしも、そこそこ、見える……」


 かなり目が慣れているので、距離が近ければ問題ない。

 そして、子供を創る過程は肌が触れ合うほどの至近距離で行われる。


「どうれ……失礼。どうで、しょう?」

「優闇、緊張してるの?」

「そうかもしれません。いえ、きっとそうです。私は今、期待と緊張で、自壊してしまいそうです」

「ダメだよ!? 自壊しちゃダメだよ!?」

「大丈夫です。きっと、たぶん」

「優闇!? 自信ないの!?」

「ええそうです。そうですとも。ですからお願いです、早く返事をください!」


 冷めていた量子ブレインが、また熱くなっているのがリディアにも分かった。

 リディアは少し笑って、

 返事をする代わりにキスをした。

 今度はリディアの方から舌を入れた。

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