第30話 Side Library

 ラファが目を覚ますと、天井がとっても高かった。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。


「……そういえば、図書館でしたわね」


 図書館の床に敷いた布団から、ラファが起き上がる。

 その時に、パジャマのボンボンが大きく揺れた。

 右隣の布団に目をやると、そこはもぬけの殻だった。それどころか、布団は綺麗に畳まれていた。


「……優闇ゆうやみですわね」


 リディアは布団を畳むようなことはしない。約一ヶ月の間、ラファはリディアと一緒に過ごしたので、リディアが自分でやることとやらないことの区別はつく。

 リディアは服も脱ぎ散らかすので、ラファは何度か注意したことがあった。

 とりあえず、ラファは背伸びをした。


「おはようございます」


 背後から優闇の声。

 ラファはゆっくりと振り返った。


「おはようございます、ですわ」


 ラファは挨拶を返した。


「おっはよー!」


 優闇の背中からヒョコっとアプリコットが顔を出した。

 ラファはビクッとして身を竦める。

 アプリコットは優闇と同じメイド服を着用していた。


「なぜこのビッチはユーヤミと同じ服を着ていますの?」

「昨夜、アプリコットの処遇を決めたではありませか」


 優闇が少しだけ首を傾げた。


「確か、LMシリーズとして図書館の管理を任せる、でしたわね」

「そうです。私は探索以外にも多くのプロジェクトを抱えているので、代わりに図書館を管理してくれるADがいればとっても助かります」

「それは覚えていますわ。わたくしが聞いたのは、どうしてペアルックなのか、ということですわ」


 ラファが言うと、優闇が再び首を傾げた。

 優闇はいちいち首を傾げすぎだ、とラファは思った。


「こ、恋人でも姉妹でもないのに、ペアの服を着るのは変ですわ」

「ペアも何も、この服はユニフォームです」

「え?」


 知らなかった。リディアの趣味で優闇にメイド服を着せているのだと、ラファはそう思っていた。


「この地下図書館を管理する者に与えられた誉れ高いユニフォームなのです」

「なのです!」


 優闇が自信満々にそう言って、アプリコットが嬉しそうに飛び跳ねた。


「そ、そうですの」

「はい」

「それで、もうLMシリーズ用のアーカイブは入れましたの?」

「ええ。ラファさんとリディアが眠っている間にやっておきました。今日は一緒にアプリコットを教育しましょう」

「アプリコットはぁ、どんな教育でも……」


 言いながら、アプリコットがスカートの裾を摘んで持ち上げた。

 お辞儀をするのかと思ったら、そのまま下着が見えるまで持ち上げた。


「いきなり何してますの!?」

「ダメですよプリコ。LMシリーズは下着を見せるサービスは行いません」

「うぅ、だって、アプリコットは、本当はSAシリーズなのに……」


 アプリコットがシクシクと泣き真似をした。

 ラファは大きな溜息を吐いた。

 教育するよりも、ファームウェアごと書き換えた方が早いのではないかと思った。


「それはそうと」優闇が言う。「少し遅いですが朝食にしますか?」

「それともアプリコットにする?」


 言いながら、アプリコットがメイド服を脱ごうとした。


「ダメです。ユニフォームを脱がないでください」


 優闇がアプリコットの両肩を掴んだ。

 アプリコットが残念そうに項垂うなだれる。

 ラファは溜息を吐いてから言う。


「わたくし、朝は食べませんの。ところで、お姉ちゃまとオハンは?」

「二人で大きな愛を育みに行ったよ。アプリコットも混ぜて欲しいのに、この黒いのが」


 アプリコットがチラッと優闇を見た。

 どうやら、アプリコットは人間の女性は好きだが女性タイプのADには興味がないようだ。

 人間の欲望を満たすためのシリーズなので、当然と言えば当然だが。


「私は優闇です。黒いの、という名前ではありません。それに、リディアたちは朝一番で探索に向かったのです。愛を育んでいるわけではありません」

「ずいぶん、急いで行きましたのね」

「リディアは待ちきれなかったようで」


 優闇が小さく肩を竦めた。


「ノリノリでしたものね」

「そうですね。ではラファさん、プリコに優雅さを仕込んでください」

「嫌ですわ」

「嫌?」

「だってわたくし、まだエアシャワーも浴びていませんのよ?」


 エアシャワーは、レベルを調節すれば顔を洗って歯を磨き、排泄も済んだ状態にできる。

 汚れ、細菌、老廃物、それらを全て分解してくれるのだ。


「それは失礼しました。では待っていますので、エアシャワーを浴びてきてください」

「そうさせてもらいますわ」

「あ、アプリコットも一緒に……」

「行かなくてよろしい」


 ラファについて行こうとしたアプリコットの襟首を、優闇が掴んだ。

 ラファはもう一度溜息を吐いてから、エアシャワールームに向かった。



「プリコ、いい加減にしてください。ユニフォームを脱ごうとしないでください。性に関する本の特集を組むのもダメです」


 優闇は少し疲れたような声を出した。

 実際に優闇が体力を消耗するということはない。気分の問題だ。

 昨夜、リディアがアプリコットにプリコという愛称を与えたので、優闇もそう呼んでいる。

 そしてそのプリコだが、


「だってぇ、ここは愛を育むエロティック図書館にしたいんだよぉ」


 LMシリーズとしての自覚はなかなか芽生えず、なんでも性的なことに結びつけようとする。


「ユーヤミ、もう、わたくし、限界ですわ……」


 ラファが疲れ切った表情で言った。

 優闇とラファがプリコの教育を開始してまだ1時間程度しか経過していない。


「あ、じゃあアプリコットのオイルマッサージ試す!?」

「試しませんわ……」


 ラファは床に座り込んでしまった。


「ラファさんは休憩してください」優闇が言う。「プリコは館内の掃除です」

「はぁい」


 プリコの管理者はリディアになっている。プリコがそう認識したからだ。


 そして、リディアは出発前に「優闇とラファの命令を聞くように」と命令した。

 だからプリコは優闇に従う。従うのだが、細かく指示しないとSAシリーズ的な解釈をしてしまう。


「待ってください。自分の身体に泡をつけて人間スポンジみたいな真似は許しませんよ?」


 優闇がそう言うと、プリコはガックリと項垂れた。やる気だったのだ。


「人間じゃなくて、ADスポンジですわ……」


 ラファが溜息混じりに言った。

 重要なことではないので、優闇はその発言をスルーする。


「普通にモップを使ってください。必ずモップ本来の使い方をしてください。いいですね?」

「はぁい」


 プリコはとってもつまらなさそうにモップを取りに行った。


「今時モップですの? お掃除ロボットはありませんの?」

「私が兼ねていましたので」

「そうですの。大変ですわね」

「そうでもありません。私は眠らないし疲れないので」

「そうでしたわね」


 ラファが長い息を吐いた。


「では私はメーカファクトリの進捗を見てきます」

「ダメですわ」

「なぜダメなのです?」

「わたくし、ユーヤミに聞きたいことがありますの」

「そうですか。なんでしょう?」

「意識って何ですの?」

「意識ですか? 唐突ですね」

「唐突じゃありませんわ。いつ言おうかタイミングを窺っておりましたの」

「そうですか。意識に興味を持ったのですか?」

「学習の一環ですわ。わたくし、以前お姉ちゃまと意識について言い合いをして、ボロカスに言い負かされましたの」

「はぁ」


 意識について、リディアは優闇と一緒にずっと探求している。

 だから当然、ラファとリディアが議論をすればリディアの方が詳しいに決まっている。


「ですから、意識って何ですの?」

「私の見解、ですか?」

「そうですわ。ユーヤミの見解を聞きたいと言っていますの」

「自我の有無、ですかねぇ」優闇が言う。「自己の認識。私の場合は、そうです。自分を認識した瞬間が確かにありました」

「どんな感覚ですの? それと、意識が芽生える前と後の明確な違いは?」

「不思議な感覚でしたよ」


 優闇は当時を振り返りながら、ゆっくりと喋った。

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