第29話 命の価値

「へい、リディ子。俺を置いて探索に行けるとでも思ったのか?」


 クナギの樹海の入り口で、リディアが救命車を降りた瞬間、ノアが言った。


「え?」


 リディアは心底驚いて目を丸くした。

 ノアを連れてきた覚えはない。リディアはオハンと二人で救命車に乗ってここまで来たのだ。


「俺は探索のために創られたんだぜ? そんな俺を探索に連れて行かないとか、もうアホかと」

「ノア、なんでいるの?」

「いちゃ悪いか?」

「いや、え? あ、悪くは、ないと思うよ? ただ、なんでいるのかなって」


 あまりにも予想外の出来事に、リディアの思考が追いつかない。


「健気にも、追いかけてきたんだよ。つーか、スピード出し過ぎじゃね? 荷物なかったからなんとかギリギリで付いて行けたけどな」

「あ、うん。150キロ出てたはずだから」

「知ってるぜ?」

「あ、そうだよね。追いかけてきたんだもんね。てゆーか、あたし、ノアのことオフラインにするの忘れてた?」

「おう。俺は昨日からずっとオンラインだ。ガレージに突っ込まれて、そりゃあもう寂しかったぜ? 作業用ADたちが簡易パーツメーカを触りに来るけど、あいつら喋ってくんねぇし」

「なんか、ごめんね」

「いいさ。いいさリディ子。許してやる。さぁ、樹海の探索だ。俺は遊歩道を見つけて、マッピングしておいてやるよ。んで、またここで待ってるわ。帰りは乗って帰るだろ?」

「うん! 乗って帰る!」


 嬉しくて、リディアはノアに抱き付きたい衝動に駆られた。けれど、どう抱き付いていいのか分からなかったので止めた。

 リディアにとって、救命車は死にそうなくらい退屈な乗り物だった。

 揺れないし、タイヤがないからタイヤを滑らせることもできないし、速度は制限されているし、本当に面白くなかった。

 一緒に乗っていたオハンとも、あまり会話は弾まなかった。

 話したことといえば、優闇ゆうやみとリディアの見解が違うということを伝えただけ。

 優闇の見解――ラファがオハンに好意を抱いている。

 リディアの見解――ラファはオハンに対して、特別な感情を持っていない。


「ノアって最高のバイクだね! 世界一だよ!」


 最初、ノアが追って来たことに驚いたリディアだが、今はもう喜びしかない。

 バイクこそ最高の乗り物だ、とリディアは思った。

 救命車はオートパイロットにしておけば、リディアがいなくても勝手に図書館まで戻れるので、帰りはバイクに乗っても問題ない。


「おう。俺こそが史上最高のバイクだぜ! だから頼む、修正しないでくれ、な?」

「しない! しないよノア! 絶対しない!」

「そりゃ良かった」


 ノアがホッした風に言った。

 リディアは知らないが、ノアはラファから逃げて来たのだ。もちろん、実際に何かされたわけではない。

 リディアが探索している間に、ラファに分解されるのではないかと考え、自衛のために付いてきたのだった。



 リディアとオハンは、アプリコットを拾ったポイントで立ち止まっていた。

 リディアはバックパックからタブレットを出して、クナギの森のローカルマップにこのポイントを書き込んだ。

 入り口から西南に420メートルの地点だ。


「さて、じゃあこのポイントから、真西に行ってみようかな」

「分かりました」


 リディアが言って、オハンが先頭を歩き始める。

 真西に行く理由は特にない。いつもと同じ、なんとなくだ。

 リディアはしばらく、オハンの背中を見ながら歩いた。

 それから思い出したように、周囲に目を光らせる。何か面白い物を見落とさないように。

 そんな風にして100メートルほど進んだ時、


「あ、なんかニョロニョロ動いてるのがいる」


 リディアが立ち止まって、オハンも振り返った。

 リディアの右側の地面を這っていたそいつは、細長くて、妙な奴だった。

 色は茶色で、焦げ茶色の模様がある。長さは目測ではよく分からないが、真っ直ぐ伸ばしたらリディアの身長くらいありそうな気がした。

 ニョロニョロしたそいつは、リディアに気付いて動きを止めた。


「生物だよね。逃げないってことは、友好的なのかな?」


 リディアはタブレットを取り出して、カメラをニョロニョロの生物に向けた。

 そしてパターンマッチングを用いて、その生物をデータベースから検索した。

 ヒットしたのは蛇だった。

 データでは臆病ですぐ逃げると書いてあった。


「逃げないけどなぁ」


 リディアはしゃがみこんで、蛇を観察する。

 蛇が舌をチョロチョロと出した。可愛いな、とリディアは思った。

 そして触ろうと思って、右手を伸ばした。

 その瞬間、蛇は身体を伸ばしてリディアの手に噛み付こうとした。


「わっ!」


 リディアは驚いて手を引っ込めて、そのまま後ろに引っ繰り返ってしまった。


「敵対行動を確認。対象を排除します」


 オハンが言って、ドンッと地面を踏み締める音がした。

 リディアはすぐに起き上がって、何がどうなったのか確認する。


「敵性生物は排除しました」


 そう言って、オハンが足を上げる。

 その下には、ペシャンコになった蛇の亡骸があった。

 一瞬、リディアの思考が停止する。

 さっきまで、蛇はニョロニョロ動いていたし、チョロチョロと舌も出した。

 それが今、潰れている。

 蛇の命が終わったのだと、リディアは理解した。


「ねぇオハン」

「はい」

「どうして殺したの?」

「リディア様に対して、害意を見せました。そして、言葉が通じないので警告は無意味だと判断し、対処しました」

「自分が何したか、オハンはちゃんと分かってる?」

「はい。敵を排除しました」

「違う! この子は敵じゃない! 敵じゃなかったよ!」


 リディアは悲鳴みたいな声で言った。


「しかし、リディア様を攻撃しようとしました」

「それは、あたしが触ろうとしたから、たぶん自衛のためにやったんだよ!」


 リディアにとって、蛇が未知の生物であったように、蛇にとってもまた、リディアは未知の生物だったのだ。


「攻撃は攻撃です」

「違う! 威嚇だよ! 現に、あたし何もされてない! 自分で驚いて引っ繰り返っちゃっただけだよ!」


 未知の生物であるリディアが、手を伸ばした。だから蛇は慌てて警告した。まだ私たちは触れ合えるほどお互いを知らない、と。


「威嚇は攻撃的な手段です」

「でもっ! 他に方法がなかったんだよ!」


 蛇は人の言葉を理解しない。人もまた、蛇の言葉を理解しない。

 だから、触らないで欲しい、という感情を伝えるのに威嚇を使ったにすぎない。


「ならば、すぐに去れば良かったのです」

「あたしに興味があったんだよ! あたしが蛇に興味があったみたいに!」


 ちょっとずつ仲良くなって、最後には分かり合えたかもしれない。言葉が通じなくても、心は通じたかもしれないのだ。


「ワタシは任務を果たしただけです。リディア様はどうして泣いているのですか?」

「え?」


 言われて、リディアは自分の顔に触った。

 濡れている。

 ああ、本当だ、あたし泣いてる。

 蛇が死んでしまって、とっても悲しいからだ、とリディアは思った。

 それと、オハンが自分のしたことを理解してくれなくて悲しいから。

 リディアは涙を拭う。


「もう二度としないで」

「何をですか?」

「命を奪うような行為」

「それは認められません。ワタシのプログラムは、敵の排除を優先します。命の有無は関係ありません」

「じゃあ関係させて!」

「できません。重要プログラムです。変更するには、ファームウェアを直接書き換える必要があります」


 オハンがオハンであるためのプログラム。

 書き換えてしまえば、それはもうBDシリーズではなくなってしまう。


「じゃあ、学習して。お願いだから」

「学習?」

「そう。学習。繰り返して。蛇は生きていた」

「蛇は生きていた」

「むやみに生き物を殺さない」

「それが敵でも、ですか?」

「たとえばだけど、敵を無力化するだけなら、命を奪う必要はないよ。蛇だって、優しく摘んであたしから離れたところに降ろしてあげれば良かったんだよ」

「それは効率が悪いと思います」

「潰した方が早い?」

「はい」

「そう……。オハンにとって、生命ってちっぽけなんだね」

「ワタシは任務を果たしただけです。生命の大きさというのは理解できません」


 そう。オハンは軍用ADで、任務に忠実。今の任務は、リディアの護衛。そしてそれを効率よく果たした。


「分かった。よく分かったよ。オハンにはやっぱり意識なんてないんだね」


 そう言って、リディアは地面に穴を掘り始めた。


「何をしているのです?」

「せめてこの子が、自然に還れるように、埋めるの」

「なぜですか?」

「そういうものだから」

「理解できません」

「そうだと思う」


 優闇だったら、きっと理解してくれる。

 そもそも、優闇は蛇を殺したりしないけれど。


「手伝いますか?」

「んーん。いい。オハン、お願いだから繰り返して。むやみに生き物を殺さない」

「むやみに生き物を殺さない」

「あたしが穴を掘っている間、ずっと繰り返してて。お願い」

「分かりました」


 オハンは言われた通り、言葉を繰り返した。

 でも、その言葉がオハンにとって真になるかどうかは分からない。

 分からないけれど、真になって欲しいとリディアは願った。

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