第28話 復活のアプリコットと賭けの行方

 リディアは、ラファと優闇ゆうやみとアプリコットの人工皮膚を引っぺがし、いくつかの部品を交換した。

 それから新しい人工皮膚を貼って、髪の色をブルーに変更した。

 ラファが「SAシリーズがお姉ちゃまに似ているのは不愉快ですわ」と言ったから、気休め程度に髪の色を変えたのだ。

 ちなみに、まだ服は着せていない。


「見た目ほど状態は悪くありませんでしたわね」


 ラファが言った。

 アプリコットの機能停止の原因はパワーセルを抜かれていたことにある。

 アプリコットが少し動いたのは、まだ内部にエネルギィが若干残っていたから。


「そうですね。しかし、壊れたわけでもないのになぜ捨てたのでしょう?」

「飽きたに違いありませんわ。汚らわしい。次から次に新しいSAシリーズを相手に、自分の欲求を満たしているのですわ」


 ラファは心底、気持ち悪いという風に言った。


「ラファはどうして、そんなに性的なことが嫌いなの?」


 リディアにはよく分からない。

 人間は新人類であれ旧人類であれ、本能的に子孫を残すようDNAに組み込まれている。だから多くの場合、人間は性行為を好んでいる。

 もちろん、全ての人間がそうというわけではない。何事にも例外はある。


「だ、だって……ですわ」


 ラファが少しだけ頬を赤らめて俯いた。


「だって?」


 リディアが首を傾げる。

 ラファは床を見たまま、何も言わなかった。

 しばらく待ったが、ラファは口を噤んだままだった。

 リディアは軽く肩を竦めた。


「ところで」優闇が話を変えた。「アプリコットは初期化の前に、ストレージのバックアップを取った形跡がありましたね。なぜだと思いますか?」

「新しいADにコピーするから、以外に理由がありますの?」


 ラファが顔を上げる。


「ならやはり、ラファさんの推測が正しいかもしれませんね」


 アプリコットの持ち主は、アプリコットに飽きて新しいSAシリーズを再現した。しかし零から仕込むのは面倒なので、アプリコットのストレージをコピーした、という推測。


「ま、そんなこといいじゃん。再起動させよう?」


 リディアは両手をワキワキと動かした。早く再起動のコマンドを打ち込みたくてウズウズしているのだ。


「そうですね。お願いします」


 優闇が言って、リディアはコマンドを打ち込んだ。

 そうすると、すぐにアプリコットがパチッと目を開いて身体を起こした。それからキョロキョロと周囲を見回す。


「成功だね」


 リディアはコンピュータから離れてアプリコットに近寄った。


「お嬢様!」


 アプリコットが立ち上がり、サッとリディアを抱き締めた。

 優闇よりも大きいアプリコットの胸が、リディアの顔に当たる。


「今日はぁ、どんなプレイを楽しむ? アプリコットはぁ、アーカイブさえインストールしてくれたら、どーんなことでも、できるんだよぉ!」


 アプリコットは笑顔で言った。


「何してますの! このポンコツビッチ!」


 ラファがポカポカとアプリコットを殴る。


「妬かないで小さいお嬢様。アプリコットは多人数でもオッケーだよぉ!」


 アプリコットは左手でラファも抱き締めた。


「あわわわわ……」


 ラファは顔を真っ赤にして硬直した。

 と、優闇がググッとアプリコットを押しのけてリディアを救出した。

 そしてそのままリディアを抱っこしてアプリコットから5歩離れた。


「優闇……ちょっと苦しいよ?」

「すみません、つい」


 優闇がリディアを解放する。


「オハーン! オハーン!」


 ラファが叫ぶ。

 次の瞬間、図書館内の構造を覚えるために歩き回っていたオハンが、超高速でラファの近くに現れた。

 その時に、いくつかのテーブルや椅子を引っ繰り返して、床を踏み抜いていた。

 それを見て優闇が、「私の図書館が……」と小さく呟いた。


「警告。5秒以内にお嬢様を解放しなければ、敵性存在としてあなたを排除します」


 オハンがそう言うと、アプリコットをすぐにラファを解放し、両手を上げた。

 どうやら、アプリコットの自衛サブルーチンは正常に機能しているようだ。

 ラファは小走りでオハンの後ろに回り、その大きな足にしがみついた。


「ふむ」優闇が小声で言う。「やはりラファさんはオハンに好意を抱いていますね。そう思いませんか?」

「え? 思わないけど?」


 優闇の言葉に、リディアは目を丸くした。何をどう解釈すればそういう結論に至るのか、リディアには分からなかった。


「思わないのですか?」


 今度は優闇が目を丸くした。


「うん」

「でも、見てください。あんなに抱き付いています」

「あれは、自分より強いオハンの庇護を求めてるだけだよ?」


 ラファはアプリコットに怯えている――というよりは、恥ずかしがっている?

 リディアにはラファの感情がよく分からなかった。

 でも、オハンに対する好意から抱き付いたのではない。それだけは確かだ。


「そういう見方もできますね」

「そういう見方しかできないよ?」

「ふむ」優闇が小さく首を傾げた。「しかし、やっぱりラファさんはオハンに好意があると思うのですが……」

「どうしてそう思ったのか知らないけど、賭けてもいいよ? ラファはオハンに好意なんて持ってない」

「では外れていた方が図書館の床を修理するという方向で」

「いいよ」


 リディアが掌を上に向けた。

 優闇がその手を軽く叩く。賭けが成立した、という合図だ。


「さて、アプリコットをどうします?」


 優闇がアプリコットに視線を向け、リディアもアプリコットを見た。

 アプリコットは全裸で両手を上げたまま固まっている。


「とりあえず服を着せて、夕食にしようか?」

「そうですね。それがいいでしょう」



 リディアはアプリコットにダメージ加工のスキニーデニムと、白黒のストライプTシャツを与えた。

 ラファがなるべく地味な服を着させるようにしつこく言うので、そういうコーディネートにした。

 どうして地味な服にするのかリディアが聞くと、ラファは「だって派手な服ですと、ビッチ丸出しですわ」と怒った風に言った。

 リディアはビッチの意味が分からなかったけれど、とりあえず頷いた。

 ちなみに、アプリコットはリディアたち――リディア、優闇、ラファの三人から少し離れたソファに座っている。

 アプリコットの側にはオハンが立っていて、勝手な行動をしないよう見張っていた。

 リディアとラファはテーブルに隣り合わせで座って、ポテトサラダを食べている。

 二人とも食が細いので、夕食のメニューはそれだけだった。

 優闇はいつものように、食事するリディアを観察していた。


「ねぇラファ、今日は泊まる?」

「お姉ちゃまが泊まって欲しいのでしたら、泊まってもいいですわよ」


 ラファが澄まして言った。


「別にどっちでもいいよ?」

「そこまでわたくしに泊まって欲しいと言うのでしたら、1日くらい泊まっても構いませんわよ?」

「そこまで言ってないよ?」

「仕方ありませんわねぇ。今日は泊まることにして差し上げますわ」

「うん、分かった。あとでパジャマ再現しないとね」

「黒がいいですわ! それから、ボンボンとフリルが付いているものを希望しますわ!」


 ラファはとっても楽しそうに言った。

 きっと最初から泊まる気だったのだろう、とリディアは思った。


「不思議です」優闇が言った。「二人の会話はまったく噛み合っていなかったと思うのですが、なぜか最後はまとまってしまいました」

「しょこはちゅべて……」


 ラファがポテトサラダを口に含んだまま喋ろうとして、途中で止めた。

 きっと優雅じゃないと気付いたからだ。

 ラファはきちんと口の中の物を飲み込んでから続ける。


「そこは全て、ニュアンスの問題ですわ」

「ニュアンス……」優闇がデータベースを検索し始めた。「色彩の微妙な色合い、もしくは言葉の微妙な意味合い……あとは、言外の意図など、ですか」

「もっと簡単に言えるよ」

「教えてください」

「ラファは最初から泊まりたかったけど、もったいぶっただけ」

「あぁ、なるほど。分かりました」


 優闇が深く頷いた。


「べ、別に泊まりたいなんて、言ってませんわ……」


 ラファはプイッとそっぽを向いた。


「まぁ、どっちでもいいよ。ところで明日のことなんだけど、オハンと樹海の探検に出かけてもいい?」

「ダメですわ」


 ラファは考えることもなくキッパリと言った。


「なんで?」

「オハンはわたくしの物ですわ。持って行って欲しくありませんの」

「夕方には連れて帰るよ?」

「でも嫌ですわ」

「代わりに優闇を置いて行くから」

「え?」


 優闇が目を丸くして口を半開きにした。

 優闇が心の底から驚いたのだとリディアには分かった。


「ちょっと待ってくださいリディア。どうして私を置いて行くのです? 私が何かしましたか? この前、本を仕舞うように言ったのが気に入らなかったのですか? それとも、服を畳むように言ったことですか? あるいは……」

「ストップ」


 リディアが両掌を優闇に向けると、優闇は喋るのを止めた。


「そんなんじゃないよ」


 言って、リディアは満面の笑みを浮かべた。

 それから自分の左掌を上に向け、右手で軽く叩いた。

 優闇なら、これで意味を理解するはずだ。

 即ち――ラファと知り合えば、ラファがオハンに好意を持っていないと気付くから、リディアが賭けに勝つという意味。

 リディアが探検から戻ると、きっと床は綺麗に直っているはずだ。



 優闇は即座にリディアのジェスチャを分析し、理解した。

 即ち――賭けの結果、ラファと1日過ごせば分かるんじゃないかな? そしてたぶん、あたしが負けるから、その場にいたらすっごく悔しいと思うのね? だから優闇が確認しておいて。あたしは樹海の探検をしながら床を直す方法を考えるから、という意味。


「分かりました。明日はラファさんと親睦を深めます」

「え? なんですの? わたくし別に、ユーヤミと親睦を深めたいとか思ってませんわ」

「私が嫌いなんですか?」

「そんなことありませんわ。ただ、わたくしからお姉ちゃまを奪った憎い相手というだけですわ」

「それ、一般的に嫌いという意味だと思うのですが」

「冗談ですわ」とラファが肩を竦めた。


 しかしラファは笑っていないので、半分くらいは事実なのではないかと優闇は思った。


「じゃあ、オハンと行ってもいい?」


 リディアがウルウルとした目でラファを見た。


「何がじゃあ、ですの? 話が繋がっていませんわ」

「ダメなの?」


 リディアが少し不安そうな表情を見せる。

 可愛い。本当に可愛い。優闇は今すぐリディアを抱き締めたい衝動に駆られた。


「あ……え……」とラファが言葉に詰まる。

「ダメなの?」

「だって、オハンはわたくしの……」

「あたしのこと、嫌いなの? 意地悪するの?」

「き、嫌いじゃありませんわ! わたくしはお姉ちゃまが大好きですわ!」

「あたし、ラファのことは大切な妹だって想ってるのに……」

「わたくしだって、お姉ちゃまを大切に想っていますわ!」

「じゃあ、いい?」

「……夕方には、戻ってくださいませね」


 ラファが陥落した。

 それでも、ラファは割と粘った方だな、と優闇は思った。

 優闇だったら二回目の「ダメなの?」で陥落どころか真っ逆さまに墜落してしまう。

 自分の意見という空から、リディアの意見という大地に。

 それはお風呂を作った時に実証されている。

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