第27話 リディアとオハン

 オハンは片手で軽々とアプリコットを横抱きにしていた。

 やっぱりオハンは力持ちなんだなぁ、とリディアは思った。


「ここに降ろして」


 リディアはコンピュータデスクの側の床を指さす。

 オハンはリディアが指定した通りの場所に、アプリコットを寝かせた。非常に丁寧で、優しい動作だった。

 オハンは軍用のADだが、細かな作業ができるようにラファが少しだけ手を加えている。


「ありがとうオハン」


 リディアは早速、ライトニングブレイドをアプリコットのポートに差し込む。


「このADを、どうするのです?」

「調べるだけだよ」


 言いながら、リディアはデスクに座り、コンピュータを立ち上げた。


「何をですか?」

「何が悪いのか、どうすれば直せるのか、かな」


 リディアはホログラフィックキーボードを叩き、アプリコットのシステムをチェックするソフトを立ち上げた。


「そうですか」


 沈黙。

 リディアはコンピュータの画面に夢中だったし、オハンはそもそも命令がなければ黙って立っていることが多い。


「あ」


 ふと、リディアが指を止める。


「どうしました?」


 オハンが問う。


「うん。あのね、よく考えたら、頭だけ持って帰ればよかったなぁって」

「頭だけ?」

「そう。アプリコットの頭」

「アプリコット?」

「このADの名前」

「そうですか。なぜアプリコットの頭だけなのです?」

「そこに量子ブレインとストレージがあるから」


 人間の脳と同じように。

 旧人類はADを人間に近づけよう、近づけようとしていた。頭部に量子ブレインを搭載したのも、その流れからだ。


「あるから?」

「えっと、だからぁ、それだけあれば直せるなぁって思って」


 アプリコットはADなのだから、身体はいくらでも変更可能なのだ。量子ブレインとストレージさえ移せば、それが新しいアプリコットになる。

 当然、アプリコットに意識がないことを前提とした話だが。

 優闇ゆうやみに同じことをした場合、優闇が優闇でいられるかは分からない。


「そうですか」


 オハンが納得したのかどうか、リディアには分からなかった。

 オハンの声はどんな時も変わらない。優闇よりも平坦だ。


「うん。そしたら、わざわざラファを呼ぶ必要もなかったのにね」


 頭だけなら、優闇のバックパックに入れておけばいい。


「なぜそうしなかったのですか?」

「あー、それは、えっと、その時は気付かなかったの。あたし人間だから、『こうすれば良かった』って、あとで気付くことが多々あるの」

「なるほど。ではユーヤミは?」


 優闇は人間ではない。意識を持ったADで、知的生命体。リディアより遥かに論理的で、その時その時で最適な解を出すことが多い。


「ユーヤミは怒ってたから」


 リディアは溜息を吐きながら肩を竦めた。

 怒りは知的生命体を最適解から遠ざける。酷い時は我を忘れてしまう。もちろん、優闇はそこまで激しく怒ったわけではないが。

 それでも、優闇の判断力は鈍っていたのだとリディアは思う。


「ユーヤミは怒るのですか?」

「うん」

「どう怒るのです?」

「ムスッとする」

「それは美しいですか?」

「え? 怒りは美しくないよ?」

「でもユーヤミは美しい」

「外見のこと?」

「はい」

「だったら、怒ってても綺麗だと思うよ?」


 優闇の容姿なら、泣いていてもきっと綺麗だから。

 ちょっと泣かせてみたいなぁ、とリディアは思った。しかし、優闇には涙を流す機能がない。

 そして本人もその機能を後付けする予定はないと言っていた。


「リディア様も、美しい」

「え?」


 リディアは驚いて、目をまん丸くした。


「リディア様も、美しい」


 オハンが繰り返した。


「あ、あたしが?」


 リディアはクルッと椅子を回して、オハンの方を向く。それから、右手で自分の鼻を指した。


「はい」

「本当に本当?」

「はい」

「わぁい! 嬉しいなぁ!」


 リディアは両手を叩いて喜んだ。

 今まで、リディアは自分が美しいと思ったことはない。比較対象が優闇しかいないのだから、仕方ないことだが。

 美しい、という言葉は優闇の容姿を讃えるためにある。リディアはそう思っていた。

 しかし。

 美しいと言われると、心の底から嬉しいと感じた。


「しかし」とオハンが言った。

「え? 続きあるの?」


 リディアは喜ぶのを止めた。

 オハンの今後の発言によっては、意味合いが異なってくるから。

 たとえば、喋らなければ美しいとか、動かなければ美しいとか、そういう風に。


「ユーヤミは言いました。美しいから、愛しいのではない、と」

「ん?」


 話が飛躍した。


「では、どうすれば……」

「待ってオハン」

「はい」

「あたしが綺麗で可愛いって話は、もう終わったの?」

「リディア様が美しいという話なら、終わりました。綺麗で可愛い、という話はしていません」

「あ、うん。そっか……」

「続けていいですか?」

「どうぞ」

「どうすれば、愛されるのでしょう?」

「んー?」


 リディアは首を捻った。


「ワタシは、愛されたい」

「えっと、それって恋愛的な意味?」

「分かりません」

「んーと、じゃあ、誰に愛されたいの?」

「誰かに」

「あー、んー、ちょっと待ってね」

「はい」


 リディアはオハンの言葉を整理した。

 そしてすぐに、整理する必要がないと気付く。オハンが言っていることは単純だ。誰かに愛されたい。これだけだ。

 問題なのは、


「オハン、意識が芽生えたの?」


 普通のADは、愛されたいなんて言わない。そうプログラムされていない限り。


「いいえ。その兆候はありません」

「本当に?」

「はい」

「そっか」


 リディアは頷いた。本人がないと言っているのだから、現時点ではオハンに意識はないのだろう。

 でも、意識が芽生え始めている可能性は否定できない。


「リディア様、意識がなくても、ワタシは、愛されたい」

「あたしはオハンのこと好きだよ? 初めて見た時から、カッコイイって思ったし。優闇も最初はオハンのこと怖がってたけど、今は好きだと思うよ?」

「そうですか」

「満たされた?」

「いいえ」

「あたしと優闇じゃダメなの?」

「お嬢様は、どうでしょう?」

「ああ、そういうこと……」


 リディアは理解した。オハンは誰かに愛されたいのではない。ラファに愛されたいのだ。

 しかしそのことに気付いていない。

 指摘するべきかどうか、リディアは迷った。

 仮にそれを教えたとしても、オハンが理解するかどうかは微妙なところだ。そういうのは自分で気付く方がいい。

 オハンは紅い目でジッとリディアを見て、解答を待っていた。


「残念だけど、ラファはオハンのこと好きじゃないかも」

「そうですか」


 オハンの声は平坦だ。


「ラファは、ADを道具だと思ってるから。好きとか嫌いとか、そもそも考えたことないと思う。便利かどうか、で判断してるんじゃないかな」


 オハンは沈黙している。


「えっと、でも、これから先は、どうか分からないよ?」

「どういう意味ですか?」

「その、ラファを振り向かせることも、不可能じゃないと思う。たぶん」

「振り向かせるとは?」

「えっと、オハンを好きになって貰うって意味」

「どうするのです?」

「オハンがまずラファを愛するの。それで、言動でそれを示す。そうすれば、ラファの心も動くかもしれない。あたしはそうだったよ?」

「そうだった、とは?」

「優闇があたしを拾ってくれて、それからすごく、すごく、本当に大切にしてくれたの。ずぅぅぅっと、優闇はあたしを大切にしてくれる。あたしは、記憶も何もない状態でも、それが分かったの。だから、あたしも優闇をとっても大切に想った。それが愛の始まりだと思う」


 お互いのことを恋愛的に愛していると気付いたのは、最近だけれど。


「お嬢様は大切です。ワタシのマスターです」

「そうじゃなくて、もっとこう、全身全霊で、大切っ! ってアピールするの」

「違いが分かりません」

「そうだよね。うん。そうだと思う。でも、どうするかはオハンが自分で考えて自分で行動するべきだよ。本当に愛されたいと願っているなら」

「願っています」

「じゃあ頑張って」


 そして気付くべきだ。ラファに愛されたいと願っているオハンは、引っ繰り返せば結局のところ、

 ラファを愛しているのだ。

 それがどういう経緯で産まれた感情なのか、そもそも本当に感情なのかすら、リディアには分からない。

 でも、気付くべきだと思う。


「頑張るサブルーチンをください」

「ダメだよ、そういうのは。自分で学習して、組んでいくの。オハンにはちゃんと自己学習機能があるんだから。トライ&エラーを繰り返して」


 そうやって自然に、新しいサブルーチンが構築されていく。

 創ったサブルーチンではなく、得たサブルーチン。それはとっても大切な物だとリディアは思う。

 リディアの組んだ『ラファを口説くサブルーチン』でオハンがラファの愛を手に入れても、それはあまり意味がない。

 そんなのは仮初めだ。雪みたいなもので、季節が移れば溶けて消える。


「最初のトライすら、ワタシには分からない」

「んー、それはちょっと問題だねぇ」リディアは苦笑いした。「分かった。じゃあ、優闇とも相談して、最初のトライだけアドバイスするよぉ」


 そうしなければ、オハンは永遠に動けないと思ったから。


「ありがとうございます」


 そう言ったオハンの声は、やっぱり平坦だった。

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