第26話 ラファと優闇

 ラファは乾いた大地にゲーゲーと戻していた。


「大丈夫?」


 リディアがラファの背中を撫でる。


「大丈夫じゃ……ありませんわ……」


 樹海から図書館に戻る時、ラファはバイクのタンデムシートに乗せてもらった。

 リディアがあまりにもバイクを気に入っているので、ちょっと気になったのだ。

 搭載されている人工知能は下品で、ラファは好きになれないが、バイクそのものは楽しいのかもしれない。そんな淡い期待を抱いた。

 その結果、気持ち悪くなって吐いてしまった。

 優闇ゆうやみとオハンも救命車から降りて、ラファの近くに寄った。


「揺れすぎ、ですわ……」

「まぁ、オフロードだしね」


 リディアが両手を広げた。


「どうして、アンジーとスラスタを採用しませんでしたの……?」


 タイヤなどという旧世代の遺物で走る意味が、ラファには分からない。

 反重力装置アンジーで宙に浮き、推進スラスタで動けばいい。その方が安定しているし、速度も出る。


「それだと、飛行機と変わらないじゃん?」


 アンジーとスラスタの性能を引き上げれば、そのまま飛行機になる。もちろん、外観も飛行に適した形に変更しなければいけないが。


「その方が、いいですわ……。今時、地面を走るなんて……おえっ」


 気持ち悪くて、まともに議論できない。しかしラファは言わなくてはいけない。バイクなんて最低の乗り物だ、と。


「んー、あたしは大地を走るのが楽しいから、宙に浮かせる気はないよ?」

「俺はどっちでも」とノア。

「ダメ、浮かせないからね?」

「へーいへーい」


 ノアはどうでも良さそうに言った。


「ラファさん平気ですか?」


 優闇が言った。


「平気な風に見えますの……? ユーヤミの視覚センサは、粗悪品ですの……?」


 気持ち悪すぎて、つい悪態をついてしまう。


「いえ、かなり精巧なものです」


 優闇は真面目に言った。

 ADに皮肉は通じない。そのことをラファは知っている。それなのについ皮肉ってしまった自分に対して、ラファは溜息を吐きたかった。


「とにかく……」


 ラファはフラフラしながらも立ち上がり、ノアに視線を移した。


「人格も存在も、何もかもが最低ですわ……」

「……なんか、すまん」


 ノアは力なく言った。


「自分が乗ってみたいって言ったのに」


 リディアが溜息混じりに呟いた。

 確かにその通りなのだが、ラファはこれほど乗り心地が悪いと思っていなかった。


「ふん」ラファはツンとソッポを向く。「オハン、わたくしを救命車まで運んでくださる?」

「了解しました」


 オハンがラファの方に移動し、ゆっくりとした動作でラファを抱き上げた。

 お姫様抱っこである。

 オハンに抱かれると、目線が変わって景色がよく見える。

 見渡す限りの地平線――ではない。

 視線を泳がせると、まだ樹海が見えていた。

 そのことに、ラファは少し驚いた。もうかなり長い距離を移動したと思っていた。

 しかし樹海が見えるということは、まだバイクに乗って数分程度ということになる。

 ラファは大きな溜息を吐いて、

 二度とバイクになど乗るものか、と思った。



 図書館に戻ってすぐ、優闇はラファを簡易フードメーカの前まで案内した。

 リディアとオハンはアプリコットを運び、そのまま検査する準備に入っている。


「紅茶ですか?」


 優闇がラファに問う。


「わたくし、紅茶は外でしか飲みませんのよ」


 ラファは当然のように言った。

 しかし優闇にはよく理解できなかった。どこで飲んでも紅茶は紅茶だ。


「いちいち首を傾げないでくださいます?」

「すみません。ただ……」

「ただ、何ですの?」

「いえ、どうして外でしか飲まないのか疑問に思ったので」

「はぁ」とラファが溜息を吐いた。


 優闇はラファが何か言うのを待った。

 リディアなら「なんとなく」と応えるだろうなと優闇は思った。

 もしかしたら人間はみんな、なんとなくで行動しているのかもしれない。


「その方が優雅だから、ですわ」


 ラファは小さく首を振りながら言った。

 この場合の首振りは『理解できないでしょうけど』という意味のジェスチャだと優闇は捉えた。

 そして事実、優闇は理解できなかった。

 だから、また首を傾げてしまった。


「いいこと? 想像してくださる?」

「何をですか?」

「それをこれから言いますの。せっかちは優雅ではありませんわよ?」

「はぁ」


 優闇はただ質問をしただけで、急かしたわけではない。それに適切な質問だったはずだ、と優闇は思った。


「まず美しい少女が乾いた大地に立っている場面ですわ」

「はい」


 優闇はリディアが大地に立っているところを思い描いた。


「その少女は、ドレスを着ていますの」

「はい」


 優闇は想像の中のリディアに、空色のドレスを着せた。


「それから、椅子とテーブルとパラソルを用意しますの」

「最初にラファさんと会った時のような?」

「それでいいですわ」

「はい」

「では、その少女を椅子に座らせてくださる?」


 頭の中のリディアを、優闇は椅子に座らせた。

 とっても絵になっている。風雅だ。リディアは喋らなければ本当に綺麗なのだ。

 失われた世界に、ドレスのリディア。その絵が素敵すぎて、優闇はちょっとクラクラした。この感覚は二回目だ。


「そしてここからが重要ですわ」

「というと?」

「その美しい少女が、何かを飲んでいますの。さてそれは何でしょうか?」


 優闇はありとあらゆるパターンを思考した。

 コーラ、緑茶、コーヒー、紅茶、その他あらゆる飲み物を、イメージの中のリディアに飲ませた。

 そしてその中から、たった一つを選ぶ。

 イメージのすり合わせ。リディアの名前を決める時に行ったのとほとんど同じ。

 そう。何を飲んでいるかによって、絵のイメージが変わってしまうのだ。それもかなり。

 だから、この場合、この風景での最適解は、


「紅茶、です」


 優闇は大きく頷きながら言った。


「そういうこと、ですわ」


 ラファが得意気に言った。


「なるほど。すごいですね。ラファさんはそんなことまで計算して紅茶を飲んでいるのですね」

「そうですわ。乙女たる者、常に優雅であれ、ですわ」

「では、今は何を飲みます?」

「カフェオレですわ」

「え?」

「カフェオレですわ」


 しばしの沈黙。

 まったくもって納得できない、と優闇は思った。

 けれど、


「……分かり……ました」


 優闇はなんとか、そう返事をした。


「何ですの? その腑に落ちないような返事は」

「いえ、その、イメージに合わないもので」


 ラファの容姿、服装、性格から判断するなら、ハーブティの方がいい。あまりカフェオレを飲むような印象はない。


「ユーヤミ」

「はい」

「わたくしは、カフェオレが好きですわ」

「はぁ」

「ですから、カフェオレですわ」


 優闇としてはやっぱり納得いかない。常に優雅であろうとするなら、常に紅茶を飲むべきだ。紅茶が飲めないなら、ハーブティを飲むべきだ。

 ラファの言動は矛盾している。

 リディアなら、いつも好きな物を食べて好きな物を飲む。そして好きなことをして好きなことを言う。だから一貫性がある。

 そして何かの理由は大抵『なんとなく』だ。

 リディアに比べると、ラファはとっても複雑な人間に思えた。

 もちろん、リディアだって常に単純明快というわけでもないが、ラファよりはずっとマシ。


「カ・フェ・オ・レ! ですわ!」


 ラファがキッと優闇を睨み付ける。


「アイスですか? ホットですか?」

 優闇は溜息を吐きそうになったが、止めた。「どうして溜息ですの!?」とラファが怒る可能性があったから。


「アイスですわ」

「分かりました」


 優闇は簡易フードメーカでカフェオレを再現した。


「ところでラファさん」

「何ですの?」


 優闇はカフェオレをラファに渡し、もう一つカフェオレを再現した。こっちはリディアの分だ。


「オハンのことなのです」

「貸しませんわよ」

「え?」

「探索にオハンを同行させたい、という話ではありませんの?」

「違います」


 確かに、オハンがいれば便利ではある。敵性存在と出会った時などは特に。


「では何ですの?」


 ラファは両手でカフェオレを持って、ジッと優闇を見ていた。


「ラファさんは、オハンのことをどう思います?」

「オハンの戦闘能力は、ユーヤミより上ですわ。まぁ、他はユーヤミの方が優れていますけれど」

「そういうことではありません」


 優闇が言うと、ラファはキョトンとして小さく首を傾げた。


「能力ではなく、オハンそのものをどう思うか、という話です」

「意味がよく分かりませんわ」

「好きとか、嫌いとかです」

「はぁ? オハンはADですわ。好きも嫌いもないですわ。道具は道具であって、執着もなければ愛着もありませんわ。壊れたら新しいのを作る。それだけのことですわ」


 ラファは平然とそう言った。

 そしてそれは、人間にとってはそれほど珍しくない意見だと優闇は知っている。

 でも。


「ラファさんはオハンがいなくなったら、きっと悲しむと思いますが」


 ラファは覚えていないのだろうか、と優闇は思った。

 オハンが優闇の処理を肩代わりして壊れそうになった時、ラファは悲鳴のように『オハンが壊れてしまいますわ』と言ったこと。


「まさか」


 ラファは少し笑った。そんなわけないじゃない、という風に。


「そうですか」


 しかし優闇には確信がある。ラファはオハンに好意を抱いている、という確信が。もちろん、恋愛的な意味ではないが。

 あの日、優闇はクラクラしたのだ。

 再起動したあの日、優闇は確かに見たのだ。

 滅びた世界で、オハンの肩に乗るラファの姿を。縋るような小さな人間と、守るような大きなADを。そのコントラストを。

 それは本当にクラクラするほど繊細な風景画のようで、優闇は思わず息を呑んだ。

 そんな二人の間に『何の想いもない』なんて有り得ない。少なくとも、絶対に、好意は在る。もちろんお互いに。

 しかしラファもオハンもそれに気付いていない。

 ラファがそのことに気付けば、愛されたいと願ったオハンも気付くはずだ。自分が愛されていることに。

 そのことに気付いた上で、それでもオハンが姿を変えたいと言うなら、優闇はオハンの望みが叶うようラファに掛け合うつもりでいる。


「急になんですの?」

「いえ、聞いただけです」


 優闇はそれ以上、何も言わなかった。

 いずれ何らかの形で、ラファ自身が気付くはずだから。

 まぁ、気付いたとしても認めない可能性もあるけれど。

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