第25話 Please love

「んで? どーやって運ぶんだそいつ?」


 漆黒のバイク、ノアが言った。

 優闇ゆうやみとリディアは、樹海の入り口まで戻っていた。

 ノアの言う『そいつ』というのは、優闇が背負っているアプリコット――女性型ADのことだ。

 いつの間にか、アプリコットは目を瞑っていて、完全に機能を停止していた。


「このまま私が背負ってノアのタンデムシートに乗ります」

「重量オーバーだ。俺が死ぬ。勘弁してくれ」

「ふむ。では私が背負ったまま歩いて帰ります」

「それじゃあ日が暮れちゃうよ?」


 リディアが小さく首を傾げた。


「他に案がありますか?」


 優闇はリディアに視線を移す。


「うん。こうするの」リディアが左手首を持ち上げ、ウェアラブルを操作する。「ラファ! 助けて! 救命車で今すぐ来て! お願い!」


「お姉ちゃま!?」


 ウェアラブルからラファの声が聞こえる。


「40分、いえ、30分で行きますわ!」

「あれ? もしかしてラファ、あたしの居場所を常にモニターしてたりする?」

「しょんな……そんなこと、ありませんわ! ひぃま、今、確認したんですわ!」


 ラファはとっても焦った様子で言った。

 ウェアラブルは通信機能だけでなく、位置情報を送信する機能も備えている。


「ふぅん。まぁ、いいけどぉ。待ってるね」

「はいですわ!」


 通信が終わる。


「なるほど」と優闇が頷く。

「せっかくウェアラブルもらったんだから、使わないとね」


 リディアが肩を竦めた。


「ちょっと大げさな言い方だった気もしますが?」

「でも嘘は吐いてないよ?」


 優闇はさっきのログを確認した。

 助けて――事実、助けて欲しいと思っている。

 救命車で今すぐ来て――アプリコットを乗せるため。

 お願い――純粋にお願いしている。

 優闇は小さく頷いた。


「そうですね。問題ありませんでした」



 約30分後。

 ラファとオハンは救命車で樹海の入り口までやってきた。

 優闇はアプリコットを救命車に乗せて、息を吐いた。


「ユーヤミ」


 救命車の中に座っていたオハンが言った。

 ちなみに、ラファは外でリディアと話している。


「何ですか?」


 優闇も救命車の中に座り込んだ。


「ユーヤミは、美しい」

「ありがとうございます」


 優闇は謙遜しない。自分が美しいことを知っているからだ。

 優闇が「私なんて美しくありません」と言ったら、それは嫌味にしかならない。


「羨ましい」


 オハンはジッと優闇を見ていた。


「オハンも、カッコイイはずです。リディアがそう言っていました」

「ワタシは、美しくなりたい」

「外観、という意味ですか?」

「はい」

「ふむ。ラファさんに相談してはいかがです?」

「お嬢様は、ADに装飾は必要ないと、考えています」

「なるほど」

「ユーヤミの声も、美しい。ワタシの声も、美しく、変更したい」

「オハン、あなたもしかして、意識が芽生え始めているのですか?」


 何かを羨み、何かを求める。まるで人間のようだ。

 でもどこか、違和感もある。

 優闇はこれほど激しく何かを羨んだことはない。

 優闇は自分自身に満足しているのだ。

 もちろん、優闇にだって足りないものはたくさん在る。

 でも、

 それらは全部、リディアが埋めてくれるから問題ない。


「いいえ。その兆候は、ありません。ワタシに意識は、ありません」

「そうですか。不思議ですね。意識がないのに、どうして求めるのです?」

「それはユーヤミが、求めていたから」

「私?」

「リディア様の愛を、求めていた」

「あぁ、なるほど」


 オハンは一度、優闇と繋がっている。その時に、優闇の感情が流れ込んだのだ。正確には、感情の処理を少し肩代わりしてもらった。


「だから、ワタシも、美しく、なりたい」

「待ってください。話が繋がりません。私がリディアの愛を求めているから、美しくなりたいのですか?」

「ワタシは、愛されたい」

「誰にですか? リディアですか?」

「愛されたいから、美しく、なりたい。美しければ、愛される。ユーヤミも、リディア様も、美しい」

「オハンは勘違いしています。私はリディアが美しいから愛しいわけではありません。リディアだから愛しいのです」


 優闇の言葉を検証するように、オハンが沈黙した。

 優闇はオハンの言葉を待った。


「でも、美しく、なりたい」

「これは私の意見ですが、オハンは今のままで十分、美しいです。それに愛されていると思いますよ?」


 オハンは何も言わなかった。

 たぶん、優闇の言ったことを理解できていないのだ。


「それを理解した上で、それでも外観を変えたいのであれば、私がラファさんにお願いしてみます」



「ADを拾いましたの?」


 ラファが言った。

 今日は天気がいいので、探索には最適だ。

 もっとも、ラファはそんなことしたいとは思わないが。


「うん」とリディアが頷いた。


 世界を見て回りたいのはリディアと優闇。二人は今日もバイクを走らせ、そしてADを拾った。

 ラファは小さく溜息を吐いた。

 通信の様子から、二人が深刻な事態に陥ったのだと、ラファは思っていた。

 でも実際は、ADを運んで欲しかっただけである。

 安堵と拍子抜け。溜息の1つや2つは自然に出てしまう。

 しかしそれはそれとして、


「クナギの樹海、ですわね」


 ラファは樹海を見ていた。

 天地を分断するかのように存在している樹海。空と大地と樹海。ここは3色が混じる場所。

 ラファは少し、不思議な気持ちになった。


「どうしてここだけ、こんなに綺麗に残っていますの?」


 世界は滅びている。人類が栄華を誇った面影はない。

 でも、とラファは思う。

 こちらが正しい世界の風景なのかもしれない、と。

 荒れた大地と高い空。それこそが原初の風景なのではないか、と。

 そしてそんな風景が、ラファは嫌いじゃない。


「分からないよ。でも、残したんだろうね、意図的に」


 リディアも樹海を見ていた。


「ミカ、ですの?」

「あるいは、あたしかも」


 沈黙。

 どちらの意図なのか、それは分からないことだ。蓋を開けてみれば、どちらの意志でもなかった、という可能性だってある。

 ミカに会って話すか、リディアの記憶が戻らない限り、全ては推測に過ぎない。


「ここに――」リディアが樹海を指さした。「――いるかな? ミカ」

「分かりませんわ。でも、ミカが樹海を残したのなら、いるかもしれませんわね」


 どちらでもいい、とラファは思った。

 どうせ、ラファはミカを探さない。樹海を探検する気もない。そういうのは性に合わない。


「ところで、ミカって誰よ? 可愛い女の子なら、俺のシートに乗ってください」


 唐突に、変な声が聞こえた。

 ラファは「なんですの?」とキョロキョロした。


「俺、俺だよ俺。ウルトラスィートバイク、ノアさんだ。よろしくな、チビ子」


 そして、ラファは声の主を認識する。


「バイクが喋りますの!? しかもチビってわたくしのことですの!?」

「おいおい、今の時代、バイクは喋るもんだぜ? チビ子」

「初対面でチビ扱いなんて失礼ですわ! 人権侵害ですわ! 差別用語ですわ! 最低ですわ!」


 ラファは烈火の如くまくしたてた。


「あ、おう、わ、悪かった。もう言わん。マジで」


 ノアはラファの勢いに負けて、素直に謝罪した。


「なんですの? この品のない人工知能は」


 ラファはリディアを睨み付けた。

 どう考えても、ノアの人格は優闇のデザインではない。優闇だったら、もう少しマシな性格にするはずだ。

 こういうバカな人格を設定するのはリディアしかいない。しかも深く考えず、その場のノリで決めたに違いない。


「あぁ、えぇっと」リディアはラファから目を逸らした。「あたしも、ちょっとやりすぎたなぁって、思ってるんだぁ」

「分かっているなら、早く修正してくださいませ!」


 ラファがリディアに顔を寄せる。

 もう少しでキスができる距離だが、ラファにそのつもりはない。


「おーい、俺にも人権ならぬ車権しゃけんがあると思うんだぜー」


 ノアが言った。


「お黙りなさい!」


 ラファはキッとノアを睨んだ。

 ノアは沈黙した。


「ま、まぁまぁ。落ち着いて、ね?」


 リディアは両掌をラファに向けて、宥める仕草を見せた。


「修正してくださいますね?」

「いやー、それは、どうかなー。ほら、車権があるしぃ」

「お姉ちゃま」

「はい」

「車権なんて、存在しませんわ」

「はい」

「修正、してくださいますわね?」

「あ、えっと……」


 リディアの目が泳ぐ。まるで誰かに助けを求めているように。


「さぁ、図書館に戻りましょう」


 ラファの背中から、優闇の声。

 優闇はADを積み込む作業を終え、救命車から出てきたのだ。

 しかし、とラファは思う。優闇にしては作業が遅かった。もちろん、それを咎めたりはしないけれど。

 不具合などなければいいのですが、とラファは思った。


「どうかしました?」


 優闇が首を傾げる。


「んーん! 帰ろう!」


 リディアはタタッと走って優闇の腰に抱き付いた。

 しまった、逃げられた、とラファは思った。

 優闇が何気ない動作で、リディアの頭を撫でた。

 リディアは気持ちよさそうに目を瞑る。

 そんな二人を見ていると、ラファの怒りはどこか遠くへと消え去った。

 代わりに、

 ラファはとっても寂しい気持ちになった。

 そして、

 寂しい気持ちの片隅で、

 羨ましいなぁ、と思うのだった。

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