第24話 樹海のアプリコット
樹海を進むと、リディアはすぐに方向が分からなくなった。
樹海は昼間なのに薄暗く、冷気が漂っているような気さえした。その上、地面がデコボコしていて歩きにくい。
全体的に不気味で、人間の恐怖心を刺激する場所である。
だからリディアは、
「お化け出ないかなぁ!」
とってもはしゃいでいた。
楽しくてしかたない。未知の場所。未知の空気。ドキドキが加速する。
「お化けの存在は証明されていません」
優闇は右手をリディアの左手と繋ぎ、もう一方の手で植物を掻き分けるようにして歩いていた。
リディアは優闇より一歩分、後方にいる。そうしろと優闇に言われたわけではない。
いつの間にかそういう隊形になっていた。
その理由を、リディアはきちんと理解していた。
リディアに有害な植物がないか、優闇が先に検証しながら進んでいるのだ。
だからきっと、リディアが前に出たら「はいストップ」と言って優闇はリディアを後方に戻すだろう。
「じゃあ、あたしが初めてお化けの存在を証明する人になりたいなぁ」
「そうですね。でも証明してどうするのです?」
「友達になる」
「お化けとですか?」
「そうだよ。面白そうだから」
「なるほど。ここは自殺者が多かったので、お化けも出るかもしれませんね」
「自殺?」
「はい。自分で自分を殺すのです。ここは名所でしたので」
「どうして?」
リディアが首を傾げた。
「名所になった理由ですか? 人間が自殺する理由ですか?」
「両方」
「ふむ。名所なのは、単純にここを死に場所に選ぶ人が多かったからでしょう」
「確かに、悪くないよね」
リディアは周囲を見回して言った。
「悪くないとは?」
「人生の最期を飾る景色としては、悪くない。空気も綺麗だし、自然とともに、って感じだし、悪くないよ、うん。センスいいと思う」
「リディアも死ぬならここがいいですか?」
「んーん」リディアは首を振った。「あたしは優闇の胸の中だよ?」
優闇が立ち止まった。
「どうしたの?」とリディア。
「いえ、ちょっと、その……」
「ん?」
「……照れました」
「本当? 顔見せて?」
「もう普通です。進みましょう」
優闇が再び歩き出す。
「えー? 見たかったなぁ」
「また機会があれば」
「はぁい」
リディアが返事をして、二人はしばらく歩き続ける。
「そういえば」リディアが言う。「自殺する理由まだ聞いてないよ?」
「そうでしたね。しかし正直なところ、その人になってみないと分かりませんね」
「そっか。まぁそうだよね」
理由は千差万別。人の数だけ理由がある。
「一般的な理由を聞きますか?」
「んーん、いいや」
「そうですか」
「うん。ところで、あたしたちってもう1キロくらい歩いた?」
「いいえ。樹海に入ってまだ300メートルと少しです」
「それだけなの?」
「樹海は歩きにくいですからね。疲れましたか?」
「平気だよ」
「どのくらいまで進みますか?」
「んー、500メートルくらいで折り返そうか。しっかり探検するなら、寝袋とか欲しいかも」
「そうですね。本格的な探検はキャンプの用意をして、また今度にしましょう」
「うん」
それから黙々と歩いて、二人は400メートル地点を越えた。
樹海の中は肌寒いけれど、ずっと歩いているのでリディアの身体はポカポカしていた。
リディアはジャケットのジッパーを下げて、前を開けた。シンプルな白いカットソーが、ジャケットの下から顔を出す。
「リディア」
優闇が立ち止まる。
「どうしたの? また照れたの?」
合わせてリディアも立ち止まる。
「違います。あれを」
言いながら、優闇はリディアを誘導し、自分の隣に並ばせた。
「人間?」
リディアの視界に、ブロンドの女性が映り込んだ。
女性は一本の樹にもたれて座り、目を瞑っていた。
「違います」
よく見ると、女性はかなり薄汚れていた。服はボロボロに朽ちていて、露出部分は汚れや人工皮膚の剥がれが見えた。
「壊れてるの?」
「そうですね。もう動かないと思います」
「近寄ってもいい?」
「ええ。大丈夫ですよ」
リディアは優闇の手を離して、女性型ADの前まで移動した。
女性型ADの見た目年齢は18歳前後かな、とリディアは思った。
ずっと女性型ADを見ていると、なんとなく、自分に似ているような気がした。
優闇もリディアの隣に並んだ。
湧き上がってくる言いようのない感情に、リディアは少し戸惑った。
悲しいような、切ないような、よく分からないけど、心がムズムズする。
そして、
パチッと女性型ADが目を開いた。
唐突だったので、リディアはビックリした。
優闇も目を丸くした。
「お嬢様……」女性型ADはリディアを見て言う。「アプリコットは、いつでも……」
女性型ADが緩慢な動作で両腕を持ち上げる。
「この子、動いてるよ?」
「そうですね。不思議ですね。動くような状態ではなさそうですが」
ふむ、と優闇が考える仕草を見せた。
「いつでも……どこでも……愛し合う準備が……」
「愛し合う準備って?」とリディアが首を傾げた。
「この子はSAシリーズです」優闇が言う。「いつでもセックスできるという意味でしょう」
「なるほど。でもあたしのこと見てるよ?」
「女性向けの女性型SAシリーズです」
「えっと?」
「女性しか愛せない女性のため、もしくは女性同士で楽しんでみたい人に向けられたシリーズですね」
「あぁ、そういうことかぁ」
リディアは納得して頷いた。
「お嬢様……。アプリコットを、愛してくれる?」
女性型ADは、持ち上げた両手を広げた。
抱き締めてくれ、もしくは抱き締めていいよ、という意味のジェスチャ。リディアはどうするべきか迷って、優闇に視線を送った。
「リディアを主人として認識したということは、この子は初期化されていますね」
「初期化?」
「捨てられた、という意味です」
「樹海に?」
「はい」
再び、リディアの中に言いようのない感情が込み上げる。
「抱き締めてあげてもいい?」
リディアは優闇の顔色を窺いながら言った。
「その複雑な表情から推察するに、私が怒ると思っているのですか?」
「いやー、怒るというか、嫌かなぁ、って」
「大丈夫ですよ。ただ、この子は正常とは言えません」
「何かあったら助けてね」
「分かりました」
優闇が頷いたのを確認してから、リディアは地面に膝を突いた。
それから、ゆっくりと女性型ADの胸の中に自分の身体を移動させた。
「あなたはアプリコットっていうの?」
「うん。アプリコットは……アプリコット。お嬢様……温かい……アプリコットは、幸せ感じる……」
女性型AD――アプリコットは、緩やかに腕を動かしてリディアの背中に回した。
その抱擁にはほとんど力を感じなかった。優しくしているのではなく、もう力が残っていないのだとリディアは思った。
「ねぇ優闇……」
「当てましょうか?」
「え?」
「この子をぉ、助けてあげたいんだけどぉ、ですか?」
優闇がリディアの口調を大げさに真似した。
「あたしそんな喋り方?」
「ええ。正解ですか?」
「正解だけどぉ、なんだかなぁ」
リディアが深い溜息を吐いた。
それと同時に、アプリコットがピクッと身体を震わす。
そして、
「あぁ、お嬢様の、吐息が……気持ち、いい」
アプリコットは濡れた声を出した。
なんだか急に、リディアは恥ずかしくなった。よく分からないけれど、とにかく恥ずかしい。
「ではリディアはバックパックを持ってください。この子は私が背負いましょう」
そんなリディアの心模様を知らない優闇は、淡々とバックパックを降ろした。
「うん! それがいいね! うん!」
リディアは急いでアプリコットから離れて、バックパックを拾った。
「どうしました? 顔が紅いですよ? 体温も少し上昇しているようですね。心拍も……」
「違う! 違うよ!? 平気だよ!?」
リディアは慌てて両手を振った。
「そうですか?」
「そうだよ!」
言ってから、リディアは深呼吸した。
優闇がアプリコットを背負った。
「お嬢様がいい……」
アプリコットが呟いた。
「リディアが潰れます。だから不可です。黙って私の背中にいてください」
優闇が淡々としていない。どこかムスッとしたような雰囲気と口調だった。
「あ、あの、優闇?」
リディアがおっかなビックリ声をかける。
「何ですか? ちゃんと付いてきてくださいね」
優闇がさっさと歩き始める。
「怒ってない?」
優闇を追いかけながら、リディアが言った。
「怒っていません」
「本当に?」
「ええ。たぶん。しかし今、自分の中にある感情を検証しています」
「それ、たぶん怒ってるんだよ?」
「どうして私は怒っているのでしょう?」
「え? それは、たぶん、えっと……」
「えっと?」
「あたしがアプリコットにドキドキしちゃったから……で、優闇がそれに気付いたから、かな?」
「ほう。嫉妬というわけですね」
「うん。あるいは、嫉妬に付随する怒り」
「なるほどなるほど。私は今、嫉妬しています。そしてたぶん怒っています」
「ご、ごめんね?」
「はい。許します。でも、アプリコットを修理しても、あまりアプリコットとイチャイチャしないでくださいね」
「しないよ! 優闇だけ!」
「信じます。そして少し照れました」
「本当? 顔見せて? 顔見せてぇー」
リディアが優闇の前に回り込もうとするが、優闇が身体の向きを変えて顔を見せない意地悪をした。
そして「今のがいわゆる仕返しです」と言って優闇は笑った。
それって許す前にするものなんじゃ、とリディアは思った。
でもまぁ、機嫌が直ったのならいいか、とリディアは小さく笑った。
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