第23話 あたしの変態バイク

 リディアに呼ばれ、優闇ゆうやみはガレージに足を運んだ。

 ラファの家から戻って1週間後のことである。

 ガレージの外では、作業用ADたちがメーカファクトリの建設に勤しんでいた。

 優闇の見立てでは、進捗は35%といったところか。


「完成したよ!」


 ガレージでバイクの横に立っているリディアが嬉しそうに言った。


「そうですか。どんな感じです?」


 優闇は視線をバイクに移した。


「よぉ優闇さん、今日も美しいな」


 バイクが言った。


「ありがとうございます。男性ですか?」

「おいおい、俺はバイクだぜ? オスもメスもあるもんか」

「いえ、ベースにした人格のことです」


 優闇とリディアは次の探索を開始する前に、バイクを改造することにした。

 優闇はハード面を担当し、リディアがソフト面を担当した。だから、優闇はバイクに搭載された人工知能の性格を知らない。

 けれど、バイクには量子ブレインを搭載したので、かなり賢いはずだ。

 他にも音声の入出力、短距離センサ、コンパス、通信機能、オートパイロットを備えた。


「オスじゃねーよ」

「はぁ。では口調の荒い女性ですか?」

「どっちでもねぇよ。俺はバイクだ。バイク。なぁリディ子」

「リディ子?」


 優闇が首を傾げた。


「あたしのこと。なんでかそう呼ぶの」


 リディアは小さく肩を竦めた。


「リディ子はリディ子さ。それより優闇さん、ちょっと俺に乗ってみな」

「分かりました」


 優闇がバイクに跨がる。


「あぁ、優闇さんのお尻が、俺の、シートに……たまんねぇな」

「ちょっと、優闇のお尻はあたしのだからね?」


 リディアが頬を膨らませる。


「いえ、私のお尻は私のだと思いますが」

「待て待て。優闇さんのお尻は、もはや全人工知能の共有財産にするべきだと俺は思うぜ?」


「……リディア」優闇が苦笑いしながら言う。「どういう設定なんですか? この子」


「優闇大好き、って設定。ちょっとやりすぎたかも。修正しようかな」

「待て待て。創っておいて気に食わないから修正とか、俺の人権……もとい車権しゃけん無視か?」

「あなたはそもそも知的生命体ではありませんが」

「おいおい、あなたなんて他人行儀だぜ。俺の名はノア。呼び捨てでいいぜ」

「ではノア、あなたは知的生命体ではありません」

「おう。俺はバイクだからな。しかし優闇さん、バイクにだって権利くらいあるだろ?」

「あるのでしょうか?」


 優闇は首を傾げながらリディアを見た。


「本人があるって言ってるから、あるんだと思う」

「そうですか。ではあるという方向で」

「うん。じゃあ、このまま試運転を兼ねて探索に出ようか」

「バックパックを取ってきます」


 優闇がノアのシートから降りた。


「あぁ、優闇さんの素敵な重みが消えた……寂しい」

「またすぐに乗りますよ」

「ああ、今度は服を脱いで乗ってくれたら最高だ」

「……リディア?」

「ご、ごめん。本当にやりすぎた。反省してる」


 リディアは両手を合せてから、小さく頭を下げた。


「ノアがラファさんに壊されないよう、祈るばかりです」


 優闇が肩を竦める。

 今度ラファの家に遊びに行く時は、ノアに乗って行く必要がある。ということは、ラファがノアと会話する可能性は十分に考えられる。

 そしてその場合、ラファが顔を真っ赤にして怒る姿が容易に想像できた。


「ま、まぁ、ラファのところに行く予定はないし?」

「今度行くまでに節度を学習してもらいましょうか」

「おいおい、俺は世界で一番、礼儀正しいバイクだぜ。これ以上どうしろってんだ」


 やれやれ、という口調でノアが言った。

 優闇はリディアと顔を見合わせて苦笑いした。



 リディアは西南方向にノアを走らせていた。

 オートパイロットをオンにしているので、リディアは両手をハンドルから離してブラブラさせていた。

 しかしきちんとニーグリップしているので、バイクから落ちるようなことはない。速度も60キロに固定している。


「ねぇノア、何もないのぉ?」


 リディアが退屈そうに言った。


「おいおい、俺のセンサは短距離センサだぞ? 全力でも半径10キロしか見通せねぇよ。それに、草の一本まで感知できるほど精度高くねぇし」

「まぁそうだけどぉ」


 もっと高性能なセンサを搭載することもできるが、その場合ノアの外観を変更しなくてはいけない。

 リディア的には、今のスマートなノアが好きだった。だから、この中途半端なセンサで妥協したのだ。


「ところでリディア」タンデムシートの優闇が言った。「どうして西南なのです? 北と南に行ったなら、次は西か東かと思ったのですが」


「あえて。あえて西南。西でも東でもなく、そして南でもない。斜めに突き進むような、こう、斜に構えるみたいな……うん、ごめん、本当は全然、意味ないよ。思いつき」

「そうですか」

「うん」

「リディ子の勘、ってやつか」


 はははっ、とノアが笑った。

 それから10分ほど、何事もなくノアは進んだ。


「ちょっと速度落としてくれる?」


 唐突に、リディアが言った。

 その後、すぐにノアが失速。時速は40キロへ。


「こんなもんか?」

「うん。ありがと」


 言ってすぐ、リディアは右脚を上げて、左側に下ろす。リディアはシートに横乗りする形になった。


「リディア?」


 意図を理解できない優闇が首を傾げた。


「大丈夫、落ちないよ?」


 今度は左脚を上げて、右側に下ろす。これで、リディアは後ろ向きに座り直す形になった。

 つまり、タンデムシートの優闇と向かい合う形だ。


「えへへ」


 リディアが優闇に抱き付く。


「おっと、急にどうしたのです?」


 優闇もリディアを抱き返した。


「ちゅーする」


 言って、リディアが優闇にキスをした。

 唇が触れているだけの、柔らかなキス。

 優闇はもう、キスではシャットダウンしない。それはすでに確認済み。


「おい。冗談だろ?」ノアが言う。「人の背中でイチャイチャすんなよ。別に羨ましくもなんともねぇけど。羨ましいなチクショウ」


「ノアもあたしとキスしたいの?」


 上機嫌なリディアが言った。


「リディ子じゃなくて、優闇さんとしたいんだよ、俺は」

「いえ、お断りします」

「あぁ、優闇さんクールだなぁ。惚れるぜ」

「クールも何も、ノアには唇がありませんし」

「おいおい! シートでもフレームでも外装でも、どこだっていいんだぜ?」

「はぁ」


 優闇の生返事に、リディアが笑う。


「言っておくけど、優闇の愛は重いよ? ノアに受け止め切れるかなぁ?」

「え?」優闇が目を丸くする。「重いですか?」

「相手を壊そうとする」

「いえ違うんですリディア。あれは腕が命令を聞かなくて、とにかく違うんです」


 優闇が酷く慌てた様子で言った。

 優闇は一度、リディアを壊しかけたことがある。愛という感情と、矛盾する衝動を処理できず、量子ブレインがオーバーフローした時のことだ。


「冗談だよ」とリディアが再び笑った。

「はっはー! 優闇さんに壊されるなんて本望だぜ! あ、優しくしてくれよ。そしてちゃんと修理してくれよ? な?」

「どうする優闇?」


「修理ですか? どうしましょう?」優闇が焦らすように間を置いた。「まぁ、ノアの態度次第ですね」


「おいおい、俺はいつだってお利口さんじゃねぇか。これ以上、態度をどうすればいいんだ?」

「頑張って学習してね」


 リディアがとっても楽しそうに言った。


「学習、ね」


 ノアが溜息を吐く真似をした。

 そして、


「おっと、センサに反応があるぞ。この反応は、森、か?」

「森!?」


 リディアは急いで姿勢を前向きに直した。


「私の視覚センサでも、前方にそれらしき物を捉えました。もう少し近づかないと詳細は不明ですが、位置的に『クナギの樹海』と呼ばれていた場所かと思います」

「そこって魔女か何か住んでる?」

「いえ、住んでいないと思いますが」

「そっか。じゃあどんな樹海?」

「クナギの樹海と仮定して概要を話します。別名、迷いの森。地中にマグネタイトが多く含まれているため、若干ですがコンパスが狂います。まぁ、迷子になるほど狂いはしませんが」

「それなのに迷いの森? どうして?」

「単純です。コンパスや地図を持たずに遊歩道を離れてしまうと、似たような景色が延々と続きますので、完全に感覚が狂ってしまうのです。つまり迷子になるのです。私は大丈夫ですが、リディアが一人で入るのは避けた方がいいでしょう」

「一人では行かないよ。優闇と一緒」

「はい。そうしましょう」

「よし、じゃあノア、全開で樹海の入り口まで行って!」


 リディアはきちんとハンドルに手を置いて、しっかりニーグリップした。

 優闇もギュッとリディアに抱き付く。


「おう!」


 返事と同時に、ノアが加速する。

 少し走ると、リディアの目でも樹海を確認できた。

 それはとっても不思議な光景だった。

 荒れた大地に、草花、そして空。それが、さっきまでリディアが見ていた全て。

 そこに突然、壁のようにそそり立つ樹木たちが浮かび上がる。

 まるで地平線を断裂するように。


「すごい」


 リディアは小声で呟いた。

 クナギの樹海は唐突に始まっている。段々と樹海になっていくわけではない。それがとっても面白いとリディアは思った。

 海だったら、まず砂浜がある。そして海水に足を踏み入れると、段々と深くなっていく。

 樹海は違う。不意打ちのようにいきなり最深部。始まりがそもそも最深部なのだ。

 樹海か、それ以外。その二択しかない。

 ノアが樹海の入り口でスピードを落とし、そのまま停車した。

 リディアは樹木を見上げて、「わぁ」と言った。


「中を探索するなら、遊歩道を探しましょう」


 優闇が意見を言って、


「このまま突っ切ろうよ」


 リディアが違う案を出す。


「おい勘弁しろよ。こんなとこ走ったら俺、壊れるぜ?」

「ノアはオフロードバイクだから大丈夫だよ」

「いやいや、障害物が多すぎてオートパイロットは効かねぇぞ? つーことは、リディ子が運転するだろ? ほら、ぶつかって俺が壊れる。な?」

「あたしの運転バカにしてるの?」

「リディア。運転の問題ではありません。視界も悪いですし、事故を起こす可能性はとても高いと思います。ノアに乗って行くなら遊歩道を探しましょう」

「じゃあ、ノアは置いて歩いて行こう?」

「それなら、ここから入っても問題ありません。行きましょう」


 優闇がサッとノアから降りた。


「え、ちょ、優闇さん!? 俺は一人でどうしてればいいんだ!?」

「宇宙の真理について考えてて」


 リディアもノアから降りる。

 それからすぐに優闇の手をギュッと握った。

 二人は顔を見合わせ、微笑みを交し、ゆっくりと樹海に足を踏み入れた。


「おいリディ子、せめてオフラインにしてくれよ。退屈だろうが」


 そんな二人の背中から、ノアの声が聞こえたけれど。

 リディアは優闇と繋いでいない方の手を上げて、ヒラヒラと振った。

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