第22話 永遠に続く幸せな夢
ラファの家から戻った次の日、リサイクルボックスがエラーを吐き出した。
リディアが要らなくなった冬服をリサイクルボックスに投入した1秒後のことだ。
リサイクルボックスとは、不要品を分子レベルで分解して世界から完全に消滅させる機械のこと。
分解した時に生じるエネルギィを一定量まで貯めることができる。
「あれ?」
リディアは首を傾げながら、リサイクルボックスの小さなディスプレイを確認した。
そこには、『エネルギィが一杯です』と表示されていた。
「わぁ、一杯になったところ初めて見た」
リディアは楽しい気分になって、
優闇はリディアが投げ散らかした本を棚に戻す作業をしていた。
リディアは本を読んだら、いつもその場に放置していた。
「ねぇ優闇、リサボがエラー出したよ」
「どんなエラーです?」
本を仕舞いながら優闇が聞いた。
「エネルギィが一杯なんだって!」
「そうですか。ではエネルギィパックを交換しましょう」
「うん。それで、一杯になったパックはどうするの?」
「どうしましょう?」
最後の一冊を棚に戻し、優闇がリディアの方を向いた。
「せっかくだから、何かに使いたいよね」
「そうですね。何かパワーを要することがあればいいのですが」
そうは言っても、優闇が以前設置したソーラーパネルのおかげで、図書館のエネルギィは潤沢だ。
優闇は人差し指を顎に当てて、うーんと唸った。
考え込んでいる優闇は可愛いな、とリディアは思った。
「別にないよねぇ、特別パワーの要ることって」
リディアは小さく肩を竦めた。
「そうですね。ここは満ち足りています」
「あ、じゃあ、新しく何かを創ろうか? それで、その何かは常にエネルギィパックを使用する。どう?」
「いいと思います。現状では使い道がないので、それが無難でしょう。何を創ります?」
「あのね、あたし前から1つ再現したい物があったの」
「はい。それは何ですか?」
「お風呂!」
「お風呂……」優闇が自分のデータベースを検索する。「種類が多いようですが、どのお風呂を再現したいのでしょう?」
「えっと、普通の」
「普通、とは?」
「エアシャワーが普及する前に一般家庭にあったようなお風呂」
「シャワーとバスタブがある設備ですか?」
「そうそう、それ。だけど、サウンドシステムと照明システムもいるよ。あ、アクアジェットも!」
「詳しいですね」
優闇がニッコリと笑った。
「うん。いつか創ろうと思ってざっと調べてたから」
「分かりました。ではお風呂を創りましょう。どこに創ります?」
「図書館の休憩スペースをちょっと潰そう?」
「……え?」
優闇が目を丸くした。
「ダメなの?」
「え……っと。休憩スペースを……潰す……のですか……?」
「ダメなの?」
リディアはウルウルとした瞳で優闇を見た。
「まぁ、別にその、利用者がいるわけでもありませんし……」
「じゃあ問題ないね! 決定!」
◇
3日後。
リディア待望のバスルームが完成し、二人はさっそく入浴していた。
湯煙の中で、二人はバスタブに身を沈めていた。リディアは優闇の胸に背中を預け、優闇の太ももの上に自分のお尻を乗せていた。
サウンドシステムがスイングジャズを奏でている。
二人はお湯の中で右手を絡めて握り合っている。
「溶接しちゃう?」
リディアは右手に力を込めて冗談を言った。
「何をですか?」
「右手。今、分かるように力入れたのに」
「なるほど」
「ねぇ、溶接しちゃう?」
「素敵な提案ですが、現実的ではないでしょう」
優闇が真面目に拒否した。
「あたしもそう思う」
リディアは左手を上げて、優闇の頬に触れた。その行為に深い意味はない。息をするのと同じレベルの自然さで、リディアは優闇の頬に触れ、優しく撫でてから左手を元の位置に戻した。
お湯の温かさと優闇の柔らかさに包まれて、幸せだな、とリディアは思った。
幸せについて。
リディアにとっては、いつどこでどのような状況でも、そこに優闇がいればそれで幸せだと思える。
10秒後に死ぬような状態でも、最期の10秒を優闇と過ごせるのなら喜んで死ねる。
そして叶うなら、一緒に死にたいと思った。
一緒に生きて、一緒に死ぬ。最初から最後まで、二人一緒がいい。
「あ、そうだ優闇」
「何でしょう?」
「髪の毛、洗ってよ」
「私が私の髪を洗うのですか?」
「違う。優闇があたしの髪を洗うの」
「では洗髪サブルーチンを……」
「はいストップ。優闇は学習能力があるんだから、サブルーチン創らなくても練習すればできるようになるでしょ?」
「はい。それはそうですが、最初からきちんとできた方がいいでしょう?」
「でも、ダメ」
「なぜです?」
「あたしは今、洗って欲しいから」
「なるほど。分かりました。挑戦してみます」
「じゃあ、一回出るね」
リディアはバスタブから出て、タイルの上にペタンと座り込む。
優闇もバスタブから出て、シャワーをリディアの髪の毛にかけた。
リディアのブロンドがしっかりと湿ったら、優闇がシャンプーを自分の手に垂らす。
シャンプーは簡易ケミカルメーカで再現した物だ。図書館には4つの簡易メーカがあって、簡易ケミカルメーカはその1つ。
残りの3つは、簡易フードメーカ、簡易ドレスメーカ、簡易パーツメーカだ。
ちなみに、簡易パーツメーカはガレージにも一台置いてある。
優闇が両手をリディアの頭に乗せ、「では、いきます」と大げさに言った。
「はぁい」
リディアは目を瞑った。
ワシャワシャと、撫でるように優闇が両手を動かした。
初めてにしては上手だな、とリディアは思った。
優闇の手つきは十分に気持ちいい。
しばらくの間、リディアはその気持ちよさに身を委ねた。
「完璧です」優闇が言う。「完璧に洗い遂げることができました」
「そっか。ありがとう」
「どういたしまして。流します」
優闇が再びシャワーをリディアの髪にかける。泡が全部流れ落ちて、優闇はホッと息を吐いた。
「じゃあ次は身体ね?」
リディアはパチッと目を開けた。
「任せてください。できそうな気がします」
優闇はボディソープを両手に垂らして、何度か擦り合わせる。
それから、リディアの首、肩、背中、と順番に洗っていく。
「くすぐったいぃぃ」
リディアが身を丸めた。
「すみません。ちょっと素早くやりすぎたかもしれません。もっとゆっくりやります」
優闇の手つきが変化する。
リディアの腕を洗って、胸を洗って、お腹を洗う。
「なんか、今度は、変に気持ちいい……」
「気持ちいいなら良かったです」
優闇は笑顔を見せた。
リディアはクルッと振り返り、優闇に抱き付いた。
「どうしました? まだ途中ですよ?」
「知ってる。でも、なんだか、その……」
「はい。どうしました?」
優闇が首を傾げた。
「子供、創りたい気分」
「子供ですか? 男性がいなければ、リディアは子供を創ることはできませんよ?」
「優闇はさぁ、あたしが男の子と子供を創ってもいいの?」
「嫌です」
即答だった。
「だったら、そんなこと言わないでよ」
「すみません。ただ、きちんとした知識を……」
「知ってるよ。優闇、あたし性教育受けたでしょ? だから知ってる」
「そうでしたね」
「あたしは、優闇と結婚して、優闇と子供創りたい」
「今のはプロポーズですか?」
「そう! だよ!」
「ありがとうございます。結婚しましょう。でも、私が相手では妊娠できませんよ?」
「それも知ってる。だから、ADを創ろう? 意識が宿るように、すっごく精巧に。優闇と同じか、それ以上のADにするの」
「なるほど。いい考えです」
意識さえ宿れば、知的生命体だ。有機的ではないというだけ。でも、それは些細なこと。
「だけど、過程は飛ばしたくないなぁ」
「過程とは?」
「だから、セックスのこと」
「あぁ。そういうことですか。リディアはムラムラしていたのですね」
「ゆーうーやーみー」リディアが優闇から離れる。「察したら、言わなくてもいいんだよぉ」
「そうでした。すみません」
「もう……」
リディアが溜息を吐いた。
「それはそれとして、問題があります。今の私に性行為はできません」
「うん、いいよ。待つよ。心の準備ができるまで」
「違います。心の問題ではありません」
「あ、そっか。優闇つるつるだもんね」
リディアは優闇の身体を見て言った。
「そういうことです」
「分かった。じゃあしばらくお預けね」
「いえ、望むなら今夜までに準備可能かと」
「んーん」リディアが首を振る。「焦らなくていいよ。いつか、今日だ! って思える日にしよう?」
「分かりました。ではその日が明日でもいいように、準備しておきます」
「うん。じゃあ、続き洗って?」
「分かりました。リディアが欲情しないように気を付けて洗います」
「そういう意地悪は言わなくてもいいの!」
「ふふっ」と優闇が笑った。
「もう……」とリディアは頬を膨らませた。
◇
優闇がリディアを洗い終わり、二人は再び湯船の中に沈んでいた。
二人は最初と同じ体勢をとった。リディアが背中を優闇の胸に預け、お尻で優闇の太ももを座布団代わりにする体勢のこと。
最初と違うのは、リディアが頭にタオルを巻いて、髪の毛がお湯に浸からないようにしている点。
「子供の名前、考えなきゃね」とリディアが言った。
「そうですね。でも完成してからでいいと思います。あるいは自分で決めさせてあげるのもありかと」
「そうだね。じゃあそれまでは仮称で、第五世代AD、Cシリーズかな」
「Cは何のCですか?」
「チャイルド」
「なるほど。第五世代AD、Cシリーズ、タイプⅠといったところでしょうか」
「タイプⅡを創るかどうかは分からないけどね」
「なんだか、私が優闇になる前のことを思い出しますね」
第四世代AD、LMシリーズ、タイプⅡ。それが優闇の型式だった。そして同時に名前でもあった。優闇はそれ以外の名称を必要としていなかった。
優闇は後ろからギュッとリディアを抱き締めた。
「優闇?」
「私は優闇になれて、本当に、嬉しく思っています」
「どうしたの?」
「私はずっと、一人で生きていくと思っていました。この朽ちた世界に一人きりで」
「優闇……」
「でも世界にはリディアがいてくれました。そして私に名前をくれた」
リディアは黙って優闇の言葉を聞いていた。
「たぶん、もし、私に涙腺があれば、泣いていると思います。しかし幸いなことに、その機能は備えていない。これからも、備えるつもりはありません。視覚センサに映るリディアの姿を、涙などで歪めたくはないですから」
「ねぇ聞いて。あたしも、リディアになれて嬉しいよ。優闇があたしを教育してくれて、あたしはたくさんのことを知って――」
リディアは優闇の右手に自分の右手を絡めてきつく握った。
「二人で、どこまでも行けるし、何にでもなれる」
リディアは目を瞑って、想像する。この朽ちた世界を、隅々まで探索し尽くすことを。そして、美しく優しい世界に造り替えることを。
それらは全て、
本当に、夢のよう。
だから願えるなら永遠に、
リディアは朽ちた世界で優闇と綺麗な夢を見ていたいと思った。
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