第34話 エンジェル・エクス・マキナ

 その部屋に照明はなかった。

 けれど、幾多のモニターが光を発しているので暗いとは感じない。


「お姉ちゃんは……撃たない」


 真っ白な翼を折り畳んで、床にペタンと座っている天使――ミカエルは、モニターに映し出された光景を見ながら、一人呟いた。

 ミカが今見ているモニターには、檻に囚われたリディアとリボルバーが映っている。

 リディアが図書館で目覚めてから今日まで、ミカはずっとリディアを見守っていた。だから確信がある。リディアは撃たない。絶対に。


「それは重要じゃない」


 いつの間にか、ミカの隣でアイリスの花が揺れていた。


「アキちゃん……また欠片だけで来たんだ……」


 ミカはチラリとアイリスを見たが、またすぐに視線をモニターに戻した。


「欠片だけでないと、ミカがダメージを負う。僕の本体との対面は、今のミカでは少し難しい」

「知ってる……こと、いちいち……言わなくていい」

「そうか。そうだね」

「そう。それより……どうして、重要じゃないの?」

「雛菊の生命が終わろうが、続こうが、世界にとっては重要じゃない。雛菊は支援者だけれど、最大の役目はリディアに大切な気付きを与えること。正確には、そのキッカケだね」

「気付き?」

「そう」

「何、に?」

「見ていれば、すぐに分かるよ」

「ふぅん……。ミカ、アキちゃんの……すること、理解できない。お姉ちゃんを、いじめてるように……見える」

「僕が勝手にリディアをいじめているわけじゃない。僕はリディアの同意を得て、必要な状況を提供しているにすぎない」

「お姉ちゃんの……意識を、海に向けたり……樹海に向けたり?」

「そう。リディアはそれを『なんとなく』と言っているね」

「いつまで……続けるの?」

「あとは最後の課題と引き継ぎを済ませるだけ。それで僕はやっと僕の役目を終えて、旅立てる。もっとも、あの日、世界を滅ぼす前日にミカが引き受けてくれていれば、僕はもう旅立てていたのだけど」

「だって……ミカは、興味、ないから……」

「そうだね。責めているわけじゃないよ。それにミカは僕を手伝ってくれている」

「そうしないと、アキちゃん……ミカを連れて行ってくれないから」


 ミカはアイリスの方に体を向けて座り直した。


「ミカはよくやってくれている」


 アイリスは存在のレベルが高すぎて、地上で起こることに直接介入することができない。色々なものを消し飛ばしてしまうから。

 ミカが世界を壊さなくても、アイリスがただ舞い降りれば、それで世界は滅びることができた。

 でもアイリスはそれをしなかった。できなかった、と表現した方が正しい。


「お姉ちゃんを……チビ姉ちゃんより、先に……起こしたり、優闇ゆうやみと、引き合わせたり……。死なないように見張ったり?」

「そう。僕はとっても助かっているよ。リディアには優闇が必要だったから。あの子たちは二人で一人前だから。まぁ、お互いに恋に落ちたのは予想外だったけれど」


 アイリスが茎をすぼめて、ミカは肩を竦めた。

 ミカだってまさかリディアがADと愛し合うとは予想していなかった。

 人間の女の子は、基本的に人間の男の子と恋に落ちる。ミカはそのことを知識として知っていた。だからリディアもそうなのだろうと思っていたのだ。


「おっと、僕はついうっかり答えを言ってしまった」

「え?」

「まぁいいさ。ほら、リディアがリボルバーを分解してしまったよ」


 アイリスが言って、ミカはモニターの方に向き直った。

 リディアは渡されたリボルバーをバラバラにして部品を並べていた。


「やっぱり……お姉ちゃんは……予想外」

「普通の人間なら、迷ったあげくに雛菊を撃つだろうね。自分自身の命と、自分を監禁する敵の命を秤にかければ、普通は自分を優先する」

「お姉ちゃんが……ルーシのままだったら、たぶん……撃った」


 ルーシはけっして悪人ではなかったが、善人でもなかった。

 ただ怖いぐらい人を惹き付けた。


「だろうね。ルーシは世界を滅ぼすことにすら、一切迷わなかった。そして、自分を殺してリディアを創造ことにさえ、ね」

「あ、また……組み立て始めた」


 たとえリボルバーが完成しても、リディアはそれを使わない。

 使うつもりなら分解する前に使っているはずだから。

 ミカがしばらくモニターを見ていると、リディアはリボルバーを完成させて大きく頷いた。そしてリボルバーを床に置いてちょっとだけ笑った。


「ほう。どうやらリディアはもう恐れてはいないみたいだね」

「うん……自分が助かると、信じてる」

「少し違う」

「何が……?」

「隣のモニターを」


 ミカが右隣のモニターに視線を移す。

 モニターの中では、優闇とラファが樹海に到着したところだった。


「自分に何もできなくても、優闇なら助けてくれると信じているんだよ。心の底からね」


 優闇に何もできない時はリディアが優闇を助ける。

 だから、リディアと優闇は二人で一人前。


「そしてそれを思い出した。これが気付き。簡単な確認作業さ。あの子たちは二人で一人前だから。そのことを強く印象づける出来事の提供、それが雛菊の役目」



 雛菊はソファに座ってぼんやりとリディアを見ていた。

 リディアはリボルバーを色々な角度から見て、すぐに分解し始めた。

 まったく予想外の行動に、雛菊は目を見開いた。


(殺してはくれないみたいね。それよりあなた、やっぱり死んでもいいと思ってるのね。可哀想に)


 床に置いたままだった苔が言った。

 雛菊は苔を拾い上げて、顔の前まで持ち上げた。


(謝れば?)

「何を?」


 雛菊は小声で言った。


(全裸で監禁したこと。どうせなら、普通に仲良くすれば? そうすれば、寂しさが紛れるじゃない?)

「ふぅむ……」


 雛菊は少し考えたけれど、結局謝らないことにした。


(あなた、バカなの?)

「なぜそう思う?」

(だって、久しぶりに会った娘を――まぁ記憶はなくしているみたいだけれど、普通は全裸に剥いて監禁したりしないわよ?)

「それはまぁ、そうなんだが、言ってしまったからな。あと、ルーシの裸が見たかった。昔は全然見せてくれなかったから……」

(結局あなた、裸が見たいだけのゲスじゃない?)

「まぁそうだ。しかし手は出していない。今のところ。まだ。現在は」

(まぁ、ゲージの中にいる間は、あの子も安全ね。貞操という意味で)

「最悪、わたしも一緒に入ろうかと思うのだが、どうだろう?」

(……あなたやっぱりバカでしょ?)


 苔は呆れてしまい、会話を打ち切った。

 雛菊がリディアに視線をやると、リディアは分解したリボルバーを再び組み立てていた。

 雛菊はしばらく、ぼんやりとリディアの作業を見ていた。

 リディアはリボルバーを完成させると、一度大きく頷いた。

 そして少し笑い、リボルバーを床に置いた。

 ずっとリディアを見ていた雛菊と、リディアの目が合った。


「これすごく単純な武器だね」とリディアが言った。

「古いからな」


 それも時代遅れというレベルではなく、時代の遺物と呼んでも差し障りない古さだ。


「どうしてこんな古い武器を持ってるの?」

「火薬の匂いが好きでな」

「撃ったことあるんだ?」

「ああ。実弾系武器専用の射撃場があった」


 世界が滅びる前は、と雛菊は心の中で言った。


「ふぅん」


 リディアがリボルバーを握って、鉄格子の側に寄ってきた。

 撃ってくれるのかと思って、雛菊は目を瞑った。


(再び一人になる寂しさよりも、死を選びたい気持ちも分からなくはないけれど、謝って仲良くした方が絶対にいいわよ?)


 苔が言ったが、雛菊は無視した。

 しかしどれだけ待っても、銃声は聞こえないし火薬の匂いは溢れない。

 雛菊が目を開くと、リディアはリボルバーを鉄格子の隙間から滑らせた。

 リボルバーは雛菊の足に当たって止まった。


「わたしを撃たないのか?」


 雛菊がリボルバーを拾う。


「撃たないよ」

「なら、わたしがいつか死ぬまで、そこにいてくれるのか?」

「んーん」


 リディアが首を左右に振った。


「だがわたしはお前を出さない」

「あたしね、思い出したの」

「思い出した?」

「そう。リボルバーをバラバラにしている間に、冷静になれたの。それで思い出しちゃった」

「何をだ?」

「あたしが一人じゃないってこと」


 なるほど、と雛菊は頷いた。


「仮に、ラファやミカが助けに来たとしても、わたしはあの子らを撃退するぞ」

(できるわけ、ないじゃない。そんなムキになって監禁を続けなくてもいいじゃないの……。大人げないわよ?)


 苔が溜め息混じりに言った。

 雛菊は苔の発言をスルーした。

 しかし雛菊だって分かっているのだ。ラファはまだしも、リボルバーを持った程度でミカに勝てるはずがないと。


「違うよ雛菊」


 リディアが再び首を横に振った。


「違う?」

「そう。あたし、ミカには会ったことないし、ラファはすっぽ抜けてるから一人であたしを助けられるか微妙なところ」

「他にも誰かいるのか?」


 雛菊には思い当たらない。

 エンジェルプロジェクトで創った新人類は三人だけだし、世界崩壊前にルーシと特別親しかった人物はいない。

 雛菊はルーシのことをずっと見ていたのだから、それは確かだ。


「いるよ」


 リディアは真っ直ぐに雛菊を見ていた。


「誰だ?」

「あたしの恋人」

「恋……人……」


 雛菊の手から、苔が滑り落ちて床を転がった。


(痛いじゃない。気を付けてよ)


 苔が文句を言ったけれど、雛菊には聞こえなかった。


「てゆーか、結婚したから、恋人じゃないのかな? あ、結婚って言っても、あたしたちが勝手にそうしただけで、神様の前で誓いを立てたわけじゃないけどね」


 リディアは頭を掻きながら、ちょっと照れた風に言った。


「恋人が……いるのか」

「うん」

「どんな、男だ……」


 ショットガンを再現しておくべきだった、と雛菊は思った。

 娘が彼氏を連れて来たら、とりあえずショットガンをちらつかせるのが親の役目だ。


「男じゃないよ?」

「……女か」


 それは特に問題ない。雛菊だって美少女が好きなのだから。

 相手が美少女なら、ショットガンはいらないな、と雛菊は思い直した。

 しかし、リディアの次の発言で、雛菊はショットガンよりも強力な武器が必要だと思った。


「そもそも人間じゃないよ? 優闇はADだもん」

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