第33話 母親が変態でメンヘラだった場合

 ノアは遊歩道を探索し尽くし、マップ製作も終了させ、樹海の入り口でリディアとオハンを待っていた。

 昼頃のことだ。


「夕方まで帰らないって言ってたんだっけか」


 時間が余ってしまった。樹海の周囲を回って、樹海全体の大きさをマップに記しておくべきかと少し迷う。

 と、ノアの通信機に呼びかけがあった。


「おう。ノアだぜ。リディ子か?」

「……ノア……」

「おっと、オハンの旦那か。どうしたよ?」


 樹海の入り口でバラける前、リディアの指示でオハンとノアは通信用のチャンネルを交換していた。


「ワタシはこれから自壊します」

「何だって?」

「ワタシは任務を果たせない」

「何言ってんだ? 順を追って話してくれ旦那」

「リディア様を頼みます」


 オハンがそう言ったあと、通信が途切れた。


「旦那!?」


 当然だが、返事がない。

 ノアは自分からオハンのチャンネルに呼びかけたが、応答はない。オハンは完全にオフラインになっているようだ。

 ノアは続いてリディアのチャンネルにも呼びかけたが、こちらも反応がない。


「おいおい、何があったってんだ?」


 確認する必要がある。

 ノアは短距離センサの出力を上げて、樹海をスキャンした。

 ノアの短距離センサは最大でも10キロ先までしか見通せない。その上、あまり精度も高くない。距離が離れればその分だけ不明瞭にもなる。

 だから、ノアはわざわざ遊歩道を移動しながら正確な地図を作ったのだ。


「なんかあるな……なんだ?」


 樹海の中に、建造物らしき反応を捉えた。しかし樹木が多すぎて、それが何なのか正確には分からない。


「人間の家……か?」


 その建造物に焦点を合わせて、集中的にスキャンする。

 それでだいたいの構造と、中に人間が二人いるということまでは突き止めた。

 しかし人間の大きさや細かな動きまでは掴めない。リディアかどうか特定できない。しかし片方がエネルギィを帯びた檻の中にいることは理解できた。

 ここまでがノアの限界。


「檻に入ってるのがリディ子か? それとも知らない奴か?」


 しかし、どういう状況なのか論理的な仮説を立てられない。


「こりゃ優闇ゆうやみさんに相談だな」


 ノアは優闇のチャンネルに呼びかけ、それと同時に後輪を滑らせ、自分の向きを図書館の方へと変える。


「ノアですか? あなた、オンラインだったのですか?」


 優闇はすぐに応答した。


「俺は昨日からオンラインだぞ?」

「そうなんですか?」

「ああ。誰か気付けよ、マジで」

「次から気を付けます。それで? 何かあったのでしょうか?」

「ああ。ちょいと意味不明な状況に陥ってんだ。助けに来てくれねぇか?」

「ガレージに、ですか?」

「いや、樹海だ」

「樹海? リディアと一緒に行ったんですか?」

「おう。リディ子は俺がいないと落ち着かねぇってさ。いつも俺の側にいたいらしいぜ」

「ノアは嘘が言えるんですか? すごいですね」

「なんで嘘って決めつけてんだよ優闇さん。まぁ嘘だけど」

「で、要点は? あ、コラ! プリコ! ラファさんを押し倒してはいけません!」


 優闇の後ろから、「いやですわぁぁぁ!」というラファの悲鳴が聞こえた。


「……そっちもよく分からん状況だなおい」

「ええ。プリコが命令を曲解するんです。それで話の要点は?」

「オハンの旦那が自壊しちまった」

「はい?」

「いやだから、オハンの旦那が自壊した」

「自壊? なぜです?」

「理由は知らん。だから意味不明な状況だって言ったろ?」

「そうでしたね。リディアは?」

「俺のセンサじゃどっちがどっちか分からんが、樹海に家みたいなのがあって、人間が二人いる。で、片方がエネルギィを帯びた檻の中に入ってんだよ。リディ子だと思うか?」

「そうでしょうね。リディアは誰かを檻に入れたりしません。間違いなく入っている方がリディアでしょう。進んで入った可能性もありますね」

「リディ子ってそんなバカなのか?」

「バカではありません。好奇心が旺盛なだけです」

「なるほど。とりあえず、俺にはこれ以上何もできん。迎えに行くからあとは頼む」

「分かりました。支度しておきます。急いで戻ってください」

「了解だぜ」


 ノアは全速力で樹海をあとにした。



「酷いよ」リディアが言った。「オハンを壊しちゃうなんて……」


 一体、ラファにどう説明すればいいのか。ほとんど無理やり、リディアがオハンを連れ出したのだから、責任が重くのしかかる。

 唯一の救いは、オハンの頭部が無傷であること。量子ブレインとストレージに損傷がないなら、あとで身体をくっつければ元通りになる。

 ゲージから出て、オハンを回収して図書館に帰れれば、の話だが。


「助けを呼ぶと分かっていたから、先にちょっと壊しておいた」


 雛菊ひなぎくはオハンの頭を床に置いて、代わりに苔のテラリウムを右手に持っていた。


「あたし、助け呼んでないよね?」

「……呼ぶ可能性があったから、と訂正しておこう」

「雛菊は、一体何者なの? 昔のあたしを知ってるってのは分かったけど」

「母親だ」

「誰の?」

「お前とラファとミカ」

「……え?」


 あまりのことに、リディアの思考が停止した。

 親について、リディアはあまり考えたことがなかった。自分が新人類だと知ってからは、「まぁ試験管から産まれたのだろう」程度に思っていた。


「えっと、つまり……」


 思考を再開して、リディアは情報を整理する。


「雛菊はあたしのママだけど、あたしの裸が見たくてあたしを全裸にして、あたしが逃げないようにスタンゲージに閉じ込めてるの?」

「端的に言うとそうだ」

「その上、愛の告白したよね? あたし娘なのに。あれって親子として愛している、って意味だったの?」

「違う。女として、生物として、人間として、恋愛的な意味で、イチャイチャしたいという願望を元に、愛していると言った」

「閉じ込めたらイチャイチャできないよね!? する気もないけど!! って痛いっ!!」


 リディアは思わず、スタンゲージを叩いてしまった。そしてまた電撃を受けた。

 リディアはソッとスタンゲージから離れて、檻の中央に座り直した。


「まぁ、まずは裸の鑑賞会から始めようと思ってな」

「そのあとは?」

「イチャイチャしたい」

「嫌だよ?」

「なぜ?」


 雛菊が真面目な表情で首を傾げた。


「なぜって……、そりゃ、あたしのこと、閉じ込めるような人とはイチャイチャできないよ。それに、そもそも人間の親子はイチャイチャしないものだよ?」


 言ったあとで、あたしの台詞じゃないな、とリディアは思った。

 なぜなら、リディアはADである優闇とイチャイチャしているから。

 種族の壁を越えてしまったリディアにとって、親子の壁は大したことじゃないと考え直す。もちろん、だからと言って雛菊とイチャイチャするつもりはない。


「普通の親子とは違う。わたしはエンジェルプロジェクトの責任者で、アンダーグラウンドの所長だ」

「アンダーグラウンド?」

「地下研究施設の呼び名だ」

「なるほど。じゃあ、ママっていうのは、創った人って意味だね?」

「いや違う」

「お願いだから、一回で分かるように説明して?」

「わたしの遺伝子をお前たち三人に混ぜた。娘が欲しかったんだ。自分で産みたくはなかったが」

「なるほど。分かった。確かに親子なんだね」


「わたしはルーシのことが一番好きだった」雛菊は昔を懐かしむように言った。「最初の娘でもあったし、とても優秀だった。次に産まれたラファは完全に失敗だった。頭はいいがどこかすっぽ抜けているし、真面目すぎて頭が固い」


「あ、分かる」とリディアが相槌を打つ。

「産まれた頃は駄々っ子で泣き虫でかんしゃく持ちだったんだがな」


 フッ、と雛菊が笑った。


「今もそうだよ?」

「そうなのか?」

「うん」

「なら失敗じゃない。可愛い」

「可愛い?」

「ダメな子は可愛いものだ。うん。だが、わたしはラファが嫌いだ。まぁ、子供としては愛しているが」

「どうして嫌いなの?」

「ラファはわたしを愛さなかった。ルーシを愛していた。つまり、わたしのライバルだ」

「そ、そうなんだ……」

「ライバルといえば、最大のライバルはミカだった。ミカは性能面で言うと、もはや我々とは別の存在だ。わたしとルーシ、それにラファはまだ近いものがあった。しかしミカは違う。人の器ではない。知能、身体能力、どれも化け物だ。化け物というのは褒め言葉だ」

「そんなにすごかったんだ?」

「ああ。一人で世界を破壊できる程度にはすごかった。やろうと思えば、惑星そのものを粉みじんにできただろうな」

「それって、魔法か何かで?」

「違う。魔法など存在しない。それだけの知能と実行できる能力があったという意味だ」

「なるほど」


 リディアは大きく頷いた。


「ミカには心なんてないと思っていたんだが、そうでもなかったようだ。簡単にルーシに懐いた。まぁ、ルーシの光が強すぎて、たぶんわたしもラファもミカも、目が眩んでいたのだろう」

「あたし、昔は発光してたの?」

「違う」雛菊が顔を歪めた。「比喩だ」

「だよね」


 リディアはホッと息を吐いた。さすがに自分が光っている姿を想像すると不気味だ。


「楽しいなルーシ。どうだろう? このままずっと、二人で過ごさないか?」

「それは嫌」

「しかし、嫌でもそうするしかない。わたしはゲージを開放しない。他の方法として、そのゲージはわたしの生命反応とリンクしている。よって、わたしが死ねば、ゲージは開放される。だから、わたしが死ぬまでわたしと一緒にいる必要がある」

「でも、それだと雛菊は死ぬまであたしに触れない。それでいいの?」

「良くはない。わたしだってルーシに触りたい。だが、逃げられるよりはいい」

「そっか。分かった。雛菊はいつ死ぬの?」


 それは純粋な質問。寿命がどのくらい残っているのか、という意味。他意はない。


「率直な質問だな」

「あたし、帰る場所があるから」


 リディアが言うと、雛菊は大きな溜息を吐いて瓶を床に置いた。

 それから、白衣の下からリボルバーを取り出して立ち上がる。

 撃たれるのかと思って、リディアは身を竦めた。本物を見たのは初めてだが、古い映画で拳銃のことは知っている。撃たれるとすごく痛いのだ。


「いつでも」と雛菊が言った。

「何が?」とリディアが言った。


 雛菊はリボルバーを鉄格子の隙間からリディアの方に滑らせた。


「わたしはずっとソファにいる。たいていは、な。だからいつでもいい」

「どういう意味?」

「いつ死ぬか聞いたろ? いつでもいい。ルーシが撃ってくれるなら、な。それが答えだ」

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