第32話 監禁されたリディア

 リディアをロッジに招き入れた女性は、雛菊ひなぎくと名乗った。

 リディアは今、一人用のソファに座っている。雛菊は「飲み物を取ってくる」と言って奥に引っ込んだ。

 ちなみにオハンは外で待っている。

 キョロキョロと、リディアはロッジの中を見回した。

 ロッジはとてもシンプルな作りになっていて、飾り気もない。生活に必要な最低限の物しか置いていなかった。

 つまり、ソファとテーブルとベッド。

 それから、たぶん奥に簡易フードメーカとリサイクルボックスがある、とリディアは推測した。

 ロッジは天井がとっても高く、入り口さえクリアできれば、オハンでも立っていられる。

 リディアがテーブルに視線を移すと、瓶の中に閉じ込められた緑色の球体が見えた。

 リディアは首を傾げた。

 これなぁに?

 初めて見る物だったので、リディアは床に置いたバックパックからタブレットを取り出して、瓶をカメラで撮って検索した。

 ヒットしたのはテラリウムという苔の育成方法だった。


「へぇ」とリディアが頷く。「狭くないの?」


 言いながら、リディアはタブレットをテーブルに置いた。

 苔は返事をしない。

 まぁ当然のことだ。植物には原始的な意識しかないので、人間の言葉には反応しない。

 と、雛菊が戻ってきてコーヒーカップをテーブルに置いた。


「カフェオレだ」

「ありがとう。あたしカフェオレ大好きなの」


 リディアは雛菊をジッと見詰めた。

 雛菊の年齢は目測で20代半ば。大人の女性だ。髪の毛は黒で、無造作に括っている。瞳の色も髪と同じ。

 雛菊の顔立ちは整っているが、あまり表情がないので、少し冷たい印象がある。

 肌は青白く、身体はスリムというよりは痩せすぎていて、とっても不健康に見えた。

 それから、雛菊は白衣を着ていた。まるで研究員のような白衣だ。

 でも、このロッジで何かを研究している様子はない。


「そうか。カフェオレが好きか」

「うん。ねぇ、雛菊はどうしてここに一人で住んでるの?」

「他に住める場所がないだろう?」

「世界が滅びたから?」

「まぁそうだ」

「ふぅん」


 リディアはカフェオレを一口飲んだ。いつも図書館で飲んでいるカフェオレと少し味が違っていた。


「リディア、だったか?」

「うん。あたしリディア。よろしくね」

「ああ。リディアはここで何をしている?」

「探索」

「探索? 何をだ?」

「世界」

「なるほど。世界に何が残っていて何が残っていないのか、調査しているといったところか」

「まぁそんなところかな」


 正直なところ、調査と表現するよりも好奇心の向くままにお出かけしている、と言った方が近いかもしれないが。

 沈黙。

 雛菊は立ったまま、ジッとリディアを見下ろしている。

 リディアは目を逸らした。理由は分からないが、雛菊の視線は少し苦手だと感じた。


「ところで」リディアは目線を合わせないまま言う。「この家は世界崩壊後に建てたの?」

「いや。崩壊前からある。わたしの隠れ家だ」

「そっか。なんだかすごく、新しい家のように見えたから」

「よくメンテナンスをしているんだ。他にすることもないしな」


 リディアは会話の中に違和感を覚えた。

 なんだろう、と思って今の会話を深く検証する。


「雛菊って、今、何歳なの?」


 違和感の正体は、雛菊の年齢。世界崩壊前からここの所有者だとしたら、年齢が合わないのだ。


「数えていない。だが50くらいだと思う」

「50!?」


 とてもそうは見えない。


「あぁ。数えていないから、もっとかもしれない」雛菊が首を捻る。「今は成長を止めているんだ。わたしの手がけたプロジェクトの副産物だ」

「そうなんだ?」

「ああ。年老いて、朽ち果てるのは嫌だ。わたしは神に近いと称賛された人間だ。死に近づく様子が目に見えるのは耐えられない」

「神に近いって?」

「わたしは人間を産みだした。性行為なく。しかも、より優れた人間だ。わたしは新人類と呼んだ」

「それ……聞いたこと……ある」


 おかしい。リディアは急にとっても眠くなった。理由が分からない。でも、意識が朦朧とする。


「起きたらたくさん話をしよう、可愛いルーシ」

「あ……な……」


 あなたは何者?

 そう言いたかったけれど、言葉を紡げない。

 瞼が落ちて、意識も深く落ちた。



 リディアは夢の世界にいた。

 無限に続く薄桃色の空間。どっちが上で、どっちが下なのかも分からない。どこかに立っていると思うけれど、地面はどこにもない。

 それはとっても久しぶりの感覚。


「アイリスどこぉ?」


 リディアはキョロキョロと周囲を見回す。


「ここだよ」


 リディアの足下で、紫のアイリスが大きく揺れた。


「やっぱりあなたね」

「そう。やっぱり僕」

「また恋の成就に来たの?」

「違う。君の恋はもうほとんど成就している。結婚までしたようだし、そっちは必要ない。だから、本来の目的のために来た」

「目的って?」

「まだ言えない。でも次に会う時は、教えられると思う」

「そうなんだ?」

「そうなんだよ」


 空白。沈黙ではなく空白。人生の隙間のような、短い空白が流れた。

 リディアはふと、自分の状況に気付いた。


「あたし、寝ちゃったの?」

「そう。寝ている。だから会える。目が覚めたら、君にはまた課題が待っている」

「そうなんだ。ところで、課題ってあなたが用意したの?」

「いいや。君が君に課したものだ」

「なぜあたしはそんなことをしたの?」

「必要だから」

「分かった。それで? また何かヒントをくれるんでしょ? あたしが可愛いから」

「そう。君が可愛いから」


 アイリスが笑うように小さく揺れた。


「教えて」


 リディアはその場にペタンと座り込む。


「うん。教えるよ。あることに気付けば、この課題は終わる」

「何に気付けばいいの?」

「それは言えない。でも、簡単だよ。すぐ終わる。それでほぼ完璧。課題っていうか、確認作業みたいなものだよ」

「そうなんだ?」

「そう。じゃあ、僕はこれで」

「うん。相変わらずよく分からないけど、分かったよ。ありがとう、またね」

「ああ。またね、リディア」


 リディアが右手を上げて、アイリスは左右に揺れた。



 リディアが目を覚ますと、檻の中だった。

 その檻は縦も横も奥行きもだいたい2メートルといったところ。

 四方と上を鉄格子で囲まれていて、外と内が完全に別れている。リディアは内にいて、外の部屋はさっきまでカフェオレを飲んでいたロッジだ。

 リディアは立ち上がって、自分の身体をチェックする。どこにも怪我はないし、違和感もない。ただ、服を着ていなかった。

 リディアは全裸の状態で、ウェアラブルも取り上げられている。

 空調が機能しているので、空気は清潔だし寒くもない。

 ただ閉じ込められているだけ、ということは理解できた。

 でもオハンを呼べば、すぐに出ることができる。


「雛菊どこ?」


 リディアは鉄格子の一本に軽く触れてみた。

 その瞬間、


「痛いっ!!」


 激しい衝撃がリディアを襲った。

 リディアは焦って自分の手を確認したが、手が消し飛んだりはしていない。ちゃんとある。目に見える損傷もない。

 初めての痛みに、リディアは戸惑った。


「スタンゲージだ」


 雛菊の声が後ろから聞こえた。

 リディアが振り返ると、一人がけのソファに座った雛菊が片手にグラスを持ってリディアを見ていた。


「ルーシがマゾでないなら、触れないことをお勧めする」

「スタンゲージって?」

「格子には電流が流れている。だからスタンゲージだ」

「どうして電流を流しているの?」

「あぁ、ルーシ。可愛いルーシ。わたしだってこんなことはしたくないんだ」

「じゃあ、しなければいいのに」

「あぁ、そうだ。本当にそうだ。ルーシを傷付けたくはないんだ。わたしは、ただ、お前を逃がしたくないだけなんだ。あと裸が見たい。それだけなんだ」

「裸?」

「ああ。いい眺めだ。本物の女の子の裸は久しい」


 雛菊は真面目な表情で言った。


「……そ、そうなんだ……」

「だが勘違いするな。わたしは別に誰でもいいというわけではない」

「誰ならいいの?」

「お前だよルーシ」

「あたし限定?」

「まぁ限定というわけではない」

「そっか。あたしだけ特別ってわけじゃないんだね」


 優闇ゆうやみだったら、リディアを特別扱いしてくれるのだが。


「ルーシ、愛している」


 唐突に、雛菊が言った。


「今、特別じゃないって言ったばっかりなのに!?」


 タイミング最悪の愛の告白である。


「わたしは美少女なら基本、みんな愛しているが?」

「それってつまり美少女なら誰でもいいってこと!? それすっごい軽薄!」

「そんなはずがない。わたしは真面目だ」


 雛菊はグラスの中の液体を飲み干した。


「真面目に軽薄!」


 もう意味が分からない、とリディアは言いながら思った。


「ふむ……」


 雛菊は考え込むように右手で顎に触った。


「ま、まぁそれはいいから、スタンゲージから出して欲しいよ?」


 リディアはペットじゃないし罪人でもない。檻に閉じ込められる筋合いはないのだ。


「ダメだ」

「どうしても?」

「どうしてもダメだ」

「そう」


 リディアは溜息を吐いた。

 それから、オハンを呼ぶかどうか迷った。

 呼べば、リディアは助かるだろう。スタンゲージなど、オハンの前では段ボール箱と大差ない。

 けれど、オハンがもし、雛菊を敵と認識してしまったら?

 考えるだけでも恐ろしい。

 とはいえ、言葉が通じるなら最初に警告がある。だから、その時に雛菊が従えば問題はないのだ。

 でも、雛菊が素直に従うかは分からない。


「オハンを呼ばないのか?」と雛菊が言った。

「雛菊が危険だから、呼ばない」

「優しいなルーシ。だが、ルーシが連れていたオハンは元々わたしの物だ」

「え?」

「だから私の管理者権限が残っていた。少し待て」


 雛菊はグラスを床に置いてから立ち上がり、ソファの後ろから何かを取り出して抱えた。


「わたしの権限は消しておくべきだった」


 雛菊が抱えていたのは、


「そうしなかったから、オハンは私の命令を聞いた」


 無理やり引きちぎったような、


「自壊しろ、という命令だ」


 それはオハンの頭部だった。

 そんな命令は酷すぎる――リディアは力が抜けて、ペタンとその場に座り込んでしまった。

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