オートドールは朽ちた世界で夢を見る/葉月双
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第1話 名も無き二人
目が覚めた時、少女は空白だった。
自分が誰なのか分からなかったし、どこにいるのかも分からなかった。
だけど気分は落ち着いていた。
少女は徐々に、周囲を認識し始める。
この場所は明るく、空気が清潔で天井が高い。
天井からはシャンデリアが垂れ下がっている。キラキラしていて綺麗だなぁ、と少女は思った。
3秒間、少女はシャンデリアを眺めた。でも変化が起こる兆しは見えない。
少女は大きく呼吸してから、上半身を起こす。両手をギュッと握ってパッと開く。両足を順番に上下させる。
うん、と少女は頷いた。身体はきちんと機能している。
少女がホッと胸を撫で下ろすと同時に、「おはようございます」という女性の声が聞こえた。
少女はビックリして、心臓が止まるかと思った。そして自分の胸を押さえて、止まらなくて良かった、と安堵する。
少女が首だけを動かして、声のした方に視線を向ける。
彼女は少女の傍らに座っていた。それはまるで彫像か人形のようで、生命体には見えなかった。
彼女の容姿は、17歳か18歳の日本人女性に見えた。艶やかな黒のロングヘアで、前髪を一直線に切り揃えている。
彼女の体型は標準的。しかし着ている服は少し変わっている。それは派手さを抑えたメイド服。スカートはとても長く、足のほとんどを隠してしまっていた。
彼女の顔立ちは繊細で美しい。パーツの一つ一つが完璧だったし、全体の調和も完璧。彼女があまりにも美人なので、少女は少し照れてしまった。
「おはようございます」
とても流暢な日本語で、彼女が言った。心地よいベルベットボイス。詩を歌えば似合うだろうと少女は感じた。
「私の音声は正常ですので、伝わっていないならあなたの聴覚センサの異常だと考えられます。読唇術は使用可能ですか?」
彼女は表情一つ変えず、淡々とそう言った。あまりにも事務的だったので、少女は質問されたことにしばらく気付けなかった。
少女が質問に気付いたのは2秒後で、「聞こえてる」と声に出して答えた。
少女の声は彼女のようなベルベットボイスではなく、まだ幼く未発達な声だった。少女はそのことを嘆いたりはしなかったが、ほんの少しだけ残念に思った。
「そうですか。では、名前は分かりますか?」
「あなたの?」
「いえ、あなたの」
「あたしの?」
「そうなりますね」
少女はうーんと唸った。しかしどれだけ記憶の海にダイブしても、昔の自分を思い描けない。しばらく唸り続けたが、やっぱり何も思い出せなかった。
「分かんない」
少女は小さく肩を竦めた。
「なるほど。記憶障害でしょうか。検査しますか?」
「検査?」
「はい。私は医療タイプではありませんが、データベースを参考に検査できると思います」
少女は小さく首を傾げた。
彼女も同じように首を傾げた。
「あなたは、誰なの?」
「私は第4世代ADです。LMシリーズのタイプⅡ」
少女は逆側に首を傾げてしまった。自分の髪の毛がハラリと頬を伝った。
少女の髪の毛は鮮やかなブロンドで、少し癖がある。
「あたしの髪、キラキラしてる」
空間の明るさが、少女の髪を透かしていた。
「ええ。とっても綺麗だと思います」
彼女が微笑みを浮かべる。
なんて優しく笑うのだろう、と少女は思った。
「ねぇ、ADってなぁに?」
「ADというのはオートドールの略です。オートドールは分かりますか?」
「よく分から……」そこまで言った瞬間に、少女の脳内で何かが瞬いた。「……なくもない。分かるよ、たぶん」
記憶の欠片というわけではない。知識として、少女はオートドールを知っていた。自分がオートドールと関わったことがあるかどうかは分からない。
「そうですか」と彼女が頷いた。
「高価なロボットの総称だよね?」
「正解です。詳しくはあとでデータベースを見るといいでしょう」
「あなたはロボットなのね?」
「そうです。ただし、私は意識を持っています」
「意識? 意思じゃなくて?」
「そう。生命にのみ宿る意識のことです。私は知的生命体なのです」
「そうなんだ」
少女はすんなりと彼女の言葉を受け入れた。少女の持つ知識では、ロボットに意識はない。でも彼女があると主張しているのだから、あるのだろうと思った。
「あたしもAD?」
「違います。あなたは人類と呼ばれる種族です」
「どう違うの?」
少女には、人類に関する知識がなかった。
「それも、詳しくはデータベースを見るといいでしょう。この場では、身体の構成部品が違うとだけ言っておきましょう」
少女は自分の身体を見下ろして、次に彼女の身体を見た。数秒間見ていたが、どちらも大差ないように思えた。
「外観はそれほど違いません。私たちADの方が、人類に合わせてデザインされていますので。ただ、内部の部品は全然違います」
「そうなんだ」
「はい。話を戻しますが、検査をしますか?」
少女は首を横に振った。
「それは拒否を示すジェスチャですか?」
「そんなに強い否定じゃないよぉ」少女が笑った。「別にしなくていいよ、って感じ」
「しなくてもいいのですか?」
「うん。だって、それって大事じゃないし」
「それというのは?」
「記憶のこと」
「自分の行動ログが大切ではないのですか?」
「うん。あたしには無意味」
「なぜ無意味なのでしょう?」
「なんだろう、感覚的に、あたしはこれでいいんだ、って思うの」
「はい。それで?」
「えっと、あたしは元々、記憶なんて持ち合わせてない……かもしれないし」
「それはないと思います。あなたの年齢は、目測で12歳から14歳くらいです。つまり、それだけの期間、あなたは稼働していたはずですから」
「うーん」
彼女の言うことも一理ある、と少女は思った。でも無理に記憶を呼び起こす必要性は感じなかった。
少女は今この瞬間に、新しく生まれ変わったのだ。それでいい。
名前はこれから決めればいいし、思い出はこれから作れば良い。不都合は特になかった。
「しかし、無理強いはしません」
「そっか。じゃあ気にしない方向で」
「分かりました。では気にしないことにしましょう」彼女はあっさりと少女に従った。「ただ、通常の健康診断は受けてください。念のために」
「いいよ。優しくしてね?」
「はい。注意します」
お互いに視線を合わせたままで、しばらく沈黙。
「えっと」少女が申し訳なさそうに言う。「今から受けるの?」
「いえ。急いではいません」
「そうなんだ」
「はい。時間はたくさんありますし」
「時間があるなら、じゃあ、あたしの容姿を教えて?」
「いいですよ。目測ですが、あなたは白人と黄色人種のハーフでしょう。肌は白く、雪景色を思わせます」
「雪景色?」
少女は雪が何なのか知っているけれど、雪の姿を想像できなかった。
「綺麗、という意味です」
彼女に褒められて、少女は頬を染めた。
「続けますね」彼女が言う。「身長は約152センチ。体重は約39キロ。体重が平均値を下回っていますが、人工冬眠から覚めたばかりだと推測されますので、健康的な方だと言えます」
「ちょっと待って」
「いいですよ」
「どうして目測で体重が分かるの?」
「あぁ」と彼女が頷く。
「それはですね、あなたを抱いて」彼女が両手で荷物を抱えるジェスチャを見せた。「ここまで運んだからです」
「そっか」少女が頷く。「どこから運んでくれたの?」
「ここから北に44キロほど行った辺りですね。意識を失っていたあなたを救助しました」
「44キロも離れた場所で何をしてたの?」
少女はキロメートルという単位を知っている。具体的な記憶はないが、割と遠いのだろうな、と思った。
「私が? それともあなたが?」
「どっちも」
「あなたは意識を失っていました」
「それはさっきも聞いたよ。どうして気絶していたの?」
「人工冬眠から醒め、栄養を補給せずに動き回ったせいで衰弱したと判断しました。私が処置をしましたので、今は衰弱状態ではありません」
「そっか。助けてくれてありがとう」
「倫理サブルーチンが正常に機能していますので、救助するのが当然です」
「ふぅん」少女が言う。「それであなたは何をしてたの?」
「探索です。私はここを中心に探索を続けています。何か新しい発見があるかもしれませんので」
「あたしを拾ったみたいな?」
「そうですね。探索を始めて以来、自分以外の生命体に出会ったのは初めてです」
「他に生命体はいないの?」
「半径40キロ圏内には存在していません。もっと探索を進めれば、また生命体に出会う可能性はあります。ただ、あまり数は多くないと思います」
「どうして?」
「世界が滅びたからです」
「どうして滅びたの?」
「分かりません。私はLMシリーズ……ライブラリマネジメントシリーズの略です」
「うん」と少女が相槌を打った。
「ですので、この図書館を管理するのが仕事です」
「ここ、図書館なの?」
少女は周囲を見回す。
確かにいくつものコンピュータ端末が並んでいるし、本棚も多く並んでいる。
その風景は、少女が脳内で思い描いた普遍的な図書館の姿と一致した。しかし実際に図書館を訪れた記憶はなかった。
「はい。地下図書館です。とても頑丈に造られているので、有事の際にはシェルターとしても機能します」
「ふぅん」
「話を続けます」彼女が言う。「その日もいつもと同じく図書館を清掃していました。まだ開館前ですね。そうすると衝撃があって、外部電力の供給が止まりました。いつまでも復旧しないので、自家発電装置に切り替え、それから外を確認したら世界が滅びていました」
「ということは、今も自家発電装置を使ってるの?」
「はい。あと20年は保つでしょう。しかし念のため、私は外にソーラーパネルを設置するプロジェクトを進行させています」
「へぇ」
「結論として、世界が滅びた理由は不明です」
「そっか。まぁ、滅びちゃったものは仕方ないね」
少女は肩を竦めた。
少女にとって、世界など最初から存在していないに等しい。滅びていようと、繁栄していようと、何も覚えていない。
だから、そんなのはどっちだっていい。嘆く理由も喜ぶ理由もない。
「話を変えてもいいですか?」と彼女が言う。
「いいよ。好きなだけ変えて」と少女が言う。
「はい。では、私と友達になりませんか?」
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