第2話 雪色世界
「友達?」
少女は少しだけ首を傾げ、聞き返した。
「はい。私は意識が芽生えた時、すでに一人だったので、友達がいません」
彼女は淡々と言った。
「あれ? 世界が滅びる前は意識がなかったの?」
「そうです。私が自我に目覚め、自己を認識し、意識を得たのは世界崩壊後です」
「そうなんだ。それは寂しいね」
「はい、たぶん」
「たぶん?」
「よく分かりません。たぶん、寂しいのだと思います。探索を続けたのは、あなたに会うためだったのかも」
「そういう言い方をされると、少し嬉しい」
少女は俯いた。それから、運命的な出会いなのね、と心の中で呟いた。
「それで、友達になってもらえますか?」
少女は顔を上げ、なんの迷いもなく「いいよ」と答えた。
少女にも、友達がいない。それどころか、頼れる相手は彼女しかいないのだ。断る理由がない。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「あたしも嬉しい。よろしくね」
「よろしく」
彼女が右手を上げたので、少女も同じようにした。
「では、まずあなたを教育することから始めましょう。今のままでは、対等な関係とは言えません」
「そうなの?」
「ええ。あなたは個体として、スタンドアロンで活動できる知識を有していないと推測されます」
「それは困ること?」
「はい。私がなんらかの理由で機能不全に陥った場合、あなたも一緒に壊れてしまうでしょう。つまり、今のあなたは私に依存せざるを得ない。それは対等ではないと言えます。友達とは対等な関係を指します」
「そっか」少女が深く頷いた。「じゃあ、教育して」
少女は教育の意味を知っていたし、それがとても楽しいことであると知っていた。でも実際に教育を受けた覚えはない。
「昔、滅びる前の人類が用いていた教育方法や、一般的な知識量を参考にして教育サブルーチンを組んでみます」
「分かった」
少女は笑顔を浮かべた。
「では早速」
彼女が立ち上がったので、少女も慌てて起き上がった。少女にかけられていた薄いタオルケットがハラリと落ちる。
この空間は空調が完璧に機能しているので、大げさな布団は必要ないのだ。
少女はまだこのことを知らないが、空調は少女のために稼働させている。彼女は基本的に、空調を必要としないから。
「寝ていてもいいですよ」と彼女が言った。
「うん。でも、一人にしないでほしいかも」
「いいですよ」
彼女が再び腰を下ろす。その動作はとても優雅だった。彼女はきっと優雅な座り方を知っているのだ、と少女は思った。
「ねぇ、あたし喉が渇いた」
「人間のエネルギィ補給活動の一環ですね。水分を定期的に摂取しないと人間は生きられない」
「あなたは水を飲まないの?」
「飲みません。私のエネルギィ源はパワーセルです」
「パワーセル?」
「いずれ教えます。飲み物は何がいいでしょう? 簡易フードメーカしかないので、込み入った物は作れませんが」
「簡易フードメーカ?」
少女はそれが何なのか覚えていない。
「フードメーカの簡易版です」
「うん。そうだと思う。それで、フードメーカって?」
「フードメーカというのはですね」彼女が言う。「各種料理の分子構造が記録されているデータベース部と、その分子構造を再現するプリンタ部からなる機械です」
「つまり、記録されている料理をそのまま再現可能、ってこと?」
「はい。もっと詳しく説明しますか?」
「うん」
「分子構造の再現に消費されるエネルギィは電力を除けば少量の水だけなので、フードメーカで水を延々と構築し、それを材料にすれば準永久機関として稼働可能です。大切なことなのでもう一度言いますが、電力は除きます」
「へぇ。便利だね」
「そうですね」彼女が小さく頷く。「この技術は人類の歴史を大きく変えました。ちなみに、人類の食事は九割方、フードメーカと簡易フードメーカに頼っていました」
「なるほどねぇ」少女が深く頷いた。「それでその簡易版が、ここにあるんだね?」
「ええ。フードメーカは大きな機械なので、公共の場には置かれていません。もちろん一般家庭にも」
「大きさ以外では、何が違うの?」
「登録されている料理の数が減っています。それと、複雑な料理は再現不可です。データベース部とプリンタ部の省スペース化を図っていますので」
「そうなんだ。説明ありがとう」
「どういたしまいて。補足ですが、料理データを交換することは可能です」
「あ、じゃあカフェオレは?」
少女にそれを飲んだ記憶はない。でも、好きだったような気がした。
「カフェオレ?」彼女が言う。「データが入っているかどうかですか?」
「うん」少女が言う。「カフェオレが飲みたい」
「カフェオレのデータは入っていたはずです」
彼女は再び立ち上がる。それから少女に手を差し伸べた。
「一緒に行きましょうか」
「うん」
少女は彼女の手を取った。
彼女の手は柔らかくて、少し温かかった。
◇
「つまんない」
少女はある日、唐突に全てを投げ出してしまった。
彼女が少女の教育を初めて、3ヶ月目のことだった。
「つまんない?」彼女は冷静に分析する。「面白くない。価値がない。意味がない。楽しくない。興味がない、ということですか?」
少女は図書館の床にゴロンと寝転がった。
それから、
「うん、たぶんそんな感じ」
と言って背伸びをした。
少女の対面に座ったままの彼女は、教育に使っていたタブレットを床に置いて少女に視線を向ける。
つい昨日まで、少女が退屈していた様子はなかった。
彼女だって、人間の脳が似たような作業に飽きることを知っている。だから繰り返しにならないよう、色々なことを教えた。
もちろん休憩だって挟んだし、少女と遊んだりもした。
「疲れた、とは違いますか?」彼女が首を傾げる。
「疲れてないよ。図書館の端から端まで走れるよ」
「そうですか。では、何が問題なのでしょう? 私の教え方でしょうか?」
「うーん」と唸ってから、少女が身体を起こす。「あなたの教え方は完璧。よく理解できるし、楽しいよ?」
「楽しいですか? つまらないのに?」
彼女は傾げていた首を逆方向に傾けた。
少女の発言は矛盾している、と彼女は思った。
「学習は楽しいよ。新しいことを覚えるのは素敵。ただね、あたしね、毎日、毎日、似たような流れに飽きちゃったんだと思うの」
「刺激が足りなくなった、という認識でいいですか?」
「うん。たぶん、そうだと思う」
「なるほど。教育サブルーチンをもっと刺激的に改良してみます」
彼女がスッと立ち上がる。
「それは明日でいいよぉ。今すぐ、何か、楽しいことしよ?」
「ふむ」
彼女は思考する。
どうすれば、今の少女を満足させられるだろうか。
本を渡す? 否。それも日常。
この図書館の中に、新しい物は何もない。少女はこの3ヶ月で、図書館内を全て把握してしまっている。
ならば、と彼女は思う。
まだ、少女が見ていないものを見せるのがいい。
たとえばそう、
世界、とか。
◇
少女は彼女に手を引かれ、図書館の外に出た。
少女は目を見開き、息を呑んだ。
世界は真っ白だった。
空から白くて柔らかそうな物体がフワフワと舞い落ちている。
「雪景色です」と彼女が言った。
「綺麗」と少女が言った。
少女は雪が何か知っている。でも雪を見たのは初めてだった。
彼女に手を引かれたまま、少女は雪の中を散歩した。
「サクサクしてる」
雪の感触が楽しかった。スノーブーツの上からでも、雪の柔らかさが伝わった。
振り返ると、少女と彼女の足跡が残っていた。
この世界にも、あたしたちの足跡は残るのかしら? と少女は思った。
彼女が少女の手を解き、一人でスタスタと歩いた。
「置いてかないでよぉ」
少女がそう言うと、彼女はクルリと振り返った。そしてニコリと笑ってしゃがみ込んだ。
どうしたのだろう? と少女は思った。
彼女は手で雪を集め、丸めて少女に投げつけた。
雪のボールが少女の顔に当たって、砕け散った。欠片がハラハラと舞って綺麗だと思った。
でもそのことよりも、
「なんであたしに攻撃するの?」
彼女の暴挙が気になった。
痛くもなんともなかったが、少女はちょっと不安になった。彼女の回路が故障したのかと思った。
「これは雪合戦という遊びです」
「遊び?」
「はい。雪を丸めて投げるのです。痛くないでしょう?」
「うん」
「安全な遊びです」
そう言って、彼女は2球目を作成した。
「それ、避けてもいいの?」
「いいですよ」
彼女が2球目をゆっくりと放った。
緩やかな弧を描いて飛んでくる雪玉。少女はその軌道を予測して身体の位置を動かした。
雪玉は躱せたのだが、雪に足を取られて尻餅を突いてしまった。
でも痛くなかったので、少女はそのまま雪の上に転がった。
「大丈夫ですか?」
彼女がいつもより大きな声で言った。
「平気」少女が笑う。「楽しいよ」
ムクッと起き上がり、少女も雪玉を作った。
「いっくよぉ」
そして勢いよく振りかぶって、彼女に投げつける。
彼女なら簡単に避けてしまうだろう、と少女は思った。
でも彼女は回避行動に移らなかった。
少女が投げた雪玉が、彼女の頭に命中してバラバラになる。
「いいコントロールですね」
彼女が右手をグッと握って親指を立てた。
「避けるかと思った」
「当たってみたいと思ったのです」
「そうなんだ?」
「そうなんです」
「それで、感想は?」
「楽しいですね」
それからしばらくの間、二人は雪をぶつけあって楽しんだ。
やがて少女の体力が尽き、雪合戦に幕が引かれた。
少女は雪の上に転がって、隣に彼女も転がった。
「雪って素敵ね」
「私もそう思います」
「ありがとう」
「何がです?」
「雪景色と雪合戦。教えてくれて」
「いいんです。教育の一環ですよ」
「そうなんだ?」
「まぁ、それだけではなく、私もあなたと遊びたかったので」
その言葉を聞いて、少女はとっても嬉しくなった。
それからしばらくの間、二人は空を見上げていた。
空気は冷たいけれど澄んでいて、寒いけれど穏やかでゆったりとした時間が流れる。
そして、
「どうして消えたのかなぁ?」
唐突に、少女がそう言った。
「何がです?」
彼女が上半身を起こし、少女に視線を移した。
「世界」
真っ白で美しく、果てしなく何もない世界。
「さぁ。何の痕跡も残っていないので、検証のしようがありませんね」
「あたしに有害な物質は残ってないし、核の冬も訪れてない。大規模な地殻変動ではこうはならないし」
少女はすでに、多くの知識を有している。だけど、世界の状況だけはどうしても理解できなかった。
「分子構造を破壊するような衛星兵器というのはどうです?」
彼女はいくつか存在している可能性の中から、ランダムに抽出して発言した。
「地面だけは破壊しないの?」
「地面の分子構造は破壊しない設定だったのでは?」
「パターンマッチングか何かで?」
「ええ」
「ふぅん。じゃあ、方法はそれでいいとして、誰が何のために世界を消したんだろう?」
「分かりません。そもそも、個人の意志で破壊したという確証もありません」
「でも、誰かが何かのために破壊したはずだよ? 衛星兵器を使ったのなら」
「どうでしょう。誤作動や操作ミスという可能性もあります」
「うーん」
少女は深く考え込んだが、納得のいく答えは見つからなかった。
代わりに、たった今思ったことを口にする。
「温かいスープが飲みたい」
話題の転換。唐突だったので、彼女は2秒だけ硬直したが、すぐに微笑んだ。
「そうですね。コーンの入っているやつにしましょう」
そう言って立ち上がり、少女に手を差し伸べた。
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