第40話 アプリコット・リターンズ

 プリコは図書館のカウンターでぼんやり座っていた。

 仕事はもう全部片付いてしまったので、やることがない。

 フロアの床がいくつか踏み抜かれているが、そこは直さないように言われている。

 プリコはメイド服を脱いで、セクシーなポーズを取って遊ぶことにした。

 でも、見てくれる人がいないのですぐに飽きてしまう。

 しかたなく、プリコは脱いだメイド服をもう一度着た

 優闇とラファが出て行ってから、もうかなりの時間が経過している。

 夜になって日付けが変わり、朝になって太陽が昇る。でもまだ誰も戻らない。


「ひぃまぁーだなぁー」


 プリコは両手を頭の後ろで組んで、椅子の背もたれに背中を預ける。

 そのままぼんやりと時間が流れた。

 と、図書館入り口から数名が入ってきた。

 プリコはサッと立ち上がってお客を迎える準備をした。

 しかし、


「ただいまぁ。留守番ちゃんとできたぁ?」


 お客ではなくリディアたちだった。

 先頭にはブロンドの髪を揺らしながら笑顔を浮かべるリディア。

 リディアは可愛い。抱き締めたい。

 リディアの右隣には、桃色の髪のラファ。

 ラファも可愛い。顔も服装も。照れ屋なのでいじめたいなぁ、とプリコは思う。

 リディアの左隣には黒髪の優闇。

 通称、なんか黒いの。プリコはちょっと苦手。

 ラファの背後に、軍用ADのオハン。

 ぶっちゃけ怖い。どっか行ってくれないかなぁ、とプリコは思う。

 そして、リディアの後ろには見たことのない女性。

 黒髪で、白衣を着ている。年齢は20代半ば。

 プリコはその女性を知らない。

 知らないはずなのに、


「マスター」


 呟き、右手を伸ばした。

 まるでその女性に触れたいと願うように。


「アプリコット!」


 女性はリディアを押し退け、全速力で駆けてきた。

 そして、カウンターを乗り越えてプリコを抱き締めた。

 プリコは迷わず、女性を抱き返す。

 この感触を知っている、とプリコは思った。知らないはずなのに、知っている。それは奇妙な感覚だった。

 それから、女性の匂いも知っていた。いつ、どこで知ったのかログは残っていない。でも確かに知っている匂いだった。


「すまなかったアプリコット」


 女性はプリコから離れ、プリコの顔をまっすぐに見た。

 顔認証を行っても、ヒットしない。会ったことない。でも、見たことがある。分からない。プリコは少し混乱した。


「何も押し退けなくても……昨日まではルーシ、ルーシ、ってあたしを監禁してたくせに……」


 優闇に受け止められたリディアが、頰を膨らませていた。


「リディアのことは私が愛していますから!」


 優闇が笑顔で言った。

 あれ? っとプリコは思う。優闇はこんなに明るい感じだっただろうか?

 もっと淡々としていて、ちょっと苦手な感じだったのに。この優闇はあまり苦手だとは感じなかった。

 プログラムを少々書き換えたのかな、とプリコは思った。


「アプリコット、ここにお前のバックアップデータがある」


 女性がポケットからメモリカードを取り出して、プリコに見せた。


「もしも望むなら、ストレージにコピーするが……」

「アプリコットはねぇ、樹海でお嬢様を見る前のこと、なぁんにも覚えてないのに、なんでか、あなたを知ってるの。だから、その答えが分かるなら、コピーして欲しいなぁ。お礼に、いっぱい気持ち良くしてあげるから」

「わたしを、覚えているのか?」


 女性は酷く驚いた様子だった。


「んー、名前も顔も分からないよぉ。ただ、すごく懐かしくて、すごく会いたかったような気がするだけー」

「十分だ」


 女性は再び、アプリコットを抱き締めた。

 その瞬間、アプリコットの量子ブレインがスパークした。物理的にではなく、そういう比喩。

 でも確かに、量子ブレインの中で火花が散って、


「ヒナたん……」


 女性の呼び名を思い出す。

 アプリコットは女性のことをヒナたんと呼んでいた。


「2度と、お前を捨てたりしない。お前に意識が宿るその日まで、わたしは生き続ける。わたしたちの愛が、本物になるまで」


 女性は強い力でアプリコットを抱き締めた。

 アプリコットは優しい力で女性を抱き返した。



 記憶を取り戻したアプリコットは、いとも簡単に雛菊と樹海に戻ることを選択した。

 アプリコットには何の迷いもなかった。

 優闇としては、とっても寂しく思った。

 でも、アプリコット自身に決めさせようと言い出したのは優闇だ。


「さようならプリコ……いつでも戻って、LMシリーズになっていいですからね」


 救命車に乗り込むアプリコットに、優闇はそう声をかけた。

 ちなみに、救命車には雛菊、アプリコット、ラファ、オハンが乗っている。

 ラファとオハンは、雛菊たちを送ったらそのままアンダーグラウンドに帰ると言っていた。

 みんなでランチを済ませた昼下がりのこと。


「やだよー」


 プリコはベェっと舌を出した。

 もしかして私、嫌われているのでしょうか? 優闇はその時初めてそう思った。


「アプリコットはー、これから、ヒナたんといぃぃぃっぱい、楽しいプレイするんだもんね!」

「ははっ、楽しみだな。早く帰ろう。ラファ、早く車を出せ」


 すでに救命車の後部に座っていた雛菊が、ラファを急かした。


「ヒナママは本当にはしたないですわね。まぁ、もう乙女という年齢でもないので、責めはしませんけれど」


 フッとラファが息を吐いた。


「わたしはまだ若い。心は永遠の20歳だ」

「はいはい。よかったですわね」


 ラファが小さく頭を振った。


「じゃあ、また樹海にも遊びに行くね」


 リディアが手を振った。


「その時はー、みんなで楽しもうね!」


 アプリコットが笑う。


「それは遠慮しとく」


 リディアが苦笑いした。


「ではまたお会いしましょう」


 優闇が手を振って、救命車がゆっくりと動き出した。

 優闇とリディアはしばらく救命車のテールランプを見ていた。


「静かになったね」とリディアが言った。

「そうですね。少しだけ、寂しく思います」

「みんな個性的だったからねぇ」

「まったくです。みなさん、どこか不思議で、そしてとても複雑でした」


 みなさんの中には、アプリコットとオハンも含まれる。


「本当にねぇ。まぁ、最近は優闇もちょっと複雑だけど」

「え?」

「あれ? 自覚なかった?」

「全くありません。私は私です」


 優闇は澄まして、淡々と言った。


「……無双愛」

「はうっ」


 リディアの呟きで、優闇は頭を抱える。

 なんであんな意味不明なことを言ってしまったのだろうか。

 何度ログを検証しても、熱に浮かされていたとしか思えない。


「あたし、たぶんこれ一生言うよ?」


 リディアはニヤニヤと悪い笑みを浮かべた。


「あ、あの時は、最高に素晴らしい言葉だと思ったのです……」


 優闇は恥ずかしくて、モジモジと体を揺らした。



 リディアは床を直してから、優闇と一緒に子供の設計に入った。

 しかし子供の人格をどうするか、というところで二人は行き詰まる。


「ノアみたいな性格はやめましょう」と優闇が言った。

「うん。もう少しお淑やかな方がいいよね」とリディアは賛成。

「ええ。しかし、私たちと全く関係のない人格も避けたいと思います」

「そうだね。あたしたちの子供なんだから、あたしたちの人格を少し引き継いで欲しい」


 優闇とリディアは隣り合わせのコンピュータデスクに座って、椅子をお互いの方に向けている。


「どうしましょう? 私の人格パターンはある程度、抽出できますが……」

「あたしの方は、シナプスパターンを解析して、そこから抽出できるんじゃないかな?」

「なるほど。ではまずリディアのシナプスパターンを解析する装置を創る必要がありますね」

「うん。それで抽出したあたしの人格と優闇の人格を混ぜてみよう」

「ええ。しかしそれだけでは不十分かと」

「だよねぇ。子供には子供独自の人格パターンも必要だもんね。あたしと優闇の単純なコピーじゃ面白味がない」

「その通りです」


 うーん、と二人一緒に唸り始める。

 数十秒後、リディアがポンと手を叩く。


「ランダムなパターンを創って、それを混ぜてみる?」

「なるほど。ありですね。しかし、ランダムと言っても、ある程度は選びたいと思います。反社会的な人格は省きたいですね」

「そうだね。社会なんて存在してないけど」


 言いながら、リディアが笑った。


「そうですね。この世界に社会は存在していません。けれど、あまり嫌な奴になって欲しくないのです」

「大丈夫、あたしだってそうだよ。映画に出てくるマフィアとかテロリストみたいになったら困るもん」

「はい。ですから、ランダムパターンではあるのですが、嫌な奴になりそうな要素だけ省くという形で合意してもらえますか?」

「もちろん」

「よかったです」


 優闇が微笑み、リディアも微笑んだ。


「休憩にしよっと」


 リディアは椅子から降りて、フードメーカの方を見た。

 それと同時に、上から白い羽がヒラヒラと舞い落ちて来た。


「生体反応!?」


 優闇が立ち上がり、リディアを庇いながら上を見た。

 リディアは優闇の視線に釣られて、顔を上に向ける。

 すると、


「お姉ちゃん……アゲアゲ?」


 どこから入って来たのか、天使が浮いていた。

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