第41話 ミカエル

 天使は軽やかに舞い降りて、床に足を付けた。

 天使の年齢は15歳前後で、エメラルドグリーンの髪の毛を右側で束ねていた。


「何者です?」


 警戒した様子の優闇が聞いた。

 しかしリディアは特に警戒していない。優闇の背中から顔を覗かせて、寝る時は翼をどうするのだろう? と考えていた。


「ミカエル……だよ。優闇と、お姉ちゃん。二人は……アゲアゲ?」


 天使は小さく笑った。


「ミカエルって……もしかしてミカ?」


 リディアが優闇の背中から出て言った。


「うん。エンジェル・プロジェクトの3天目……お姉ちゃんの、妹」

「妹なのに、あたしより発育いい!?」


 リディアはミカの胸を見ながら言った。

 その膨らみは、明らかにリディアより大きかった。


「ミカは……、最新だし……、成功作だから」

「まるであたしが失敗作みたいだけど……、まぁ、ちょっと失敗かな……」


 リディアは自分の胸を見ながら、小さく溜息を吐いた。


「そんなことありません」優闇が強気で言う。「私はリディアのちっぱいが好きです」

「ちっぱい!?」

「小さいおっぱいの略ですが」

「うん、そうだと思うよ? そうだと思うけど、なんか嫌だぁぁ!」

「嫌ですか? 非常に分かりやすい略称だと思いますが」

「そうだね! そうだと思うよ! でも嫌!」

「そうですか。ではもう言わないようにしましょう」

「まぁ、まぁ」とミカが両掌を二人に見せる。「そもそも、親のヒナが、ちっぱいだから」

「ちっぱいって言うなぁぁ!」


 リディアはその場で足踏みをした。


「胸の話はひとまず置いておいて」優闇が言う。「ミカさんはなぜここに? そもそも、どうやって入ったのです?」

「妹が……、お姉ちゃんに会うのに、理由いる?」

「はい」

「……そっか。いるのか……。あのね、ミカね、お姉ちゃんと話したくて、来た。色々と、落ち着いたみたいだし……アキちゃんも、行っていいって、言うから」

「アキちゃん?」


 リディアが首を傾げた。


「あ、えっと、アイリスの花……」

「知り合いなのですか?」


 優闇が驚いたように言った。

 リディアも驚いた。


「うん。ミカ、アキちゃんの、助手……だから」

「助手というのは、どういう意味でしょうか?」

「仕事の、手助けする……」

「ええ。それは知っています。そうではなくて……」

「そもそも、アイリスは何してる花なの?」


 優闇の言葉を遮って、リディアが言った。


「それは、お姉ちゃんが見つける……最後の課題だよ、って言ってた……。アキちゃんが」

「なるほどぉ。アイリスの正体を突き止めるんだね?」


 リディアはなんだか楽しい気持ちになってきた。

 未知を探求するのは楽しい。アイリスの正体だっていつか解明しようと思っていたのだ。

 色々なプロジェクトや探索に埋もれて、後回しになっていたけれど。


「うん。それで……正体が分かったら、二人で夢においで、って」

「二人というのは?」


 優闇が質問すると、ミカはリディアを指差して、次に優闇を指差した。


「二人で夢に、ってことはドリームサーバ?」

「うん」


 ミカが頷いた時、リディアは確信した。

 アイリスがドリームサーバのヒントを与えたのは、優闇を助けるためだけじゃない、と。

 たぶんこっちがアイリスの本命。

 優闇とリディアが二人揃ってアイリスに会うための布石。


「なんかやる気出てきた! 優闇、早速アイリスの正体を検証しよう?」

「いいですよ」

「ダーメ」ミカが言う。「二人は先に、子供創るの……。アキちゃんは、そのあと」

「え? そうなの?」

「うん。アキちゃん、そう……言ってた」

「そっか。分かったよ。じゃあ先に子供創るけど、その前に」


 リディアはジッとミカを見詰めた。

 ミカが小さく首を傾げた。


「ミカは世界を滅ぼしたの?」


 リディアは単刀直入に聞いた。回りくどいのは苦手なのだ。


「そーだよ」


 ミカはなんでもないように言った。


「それって、あたしも関わってる?」

「んー?」

「滅ぼすのを、あたしも手伝ったのか、って意味」

「んーん」ミカは首を振る。「手伝って……ない」


 ミカの言葉で、リディアは少しだけホッとした。


「そっか。ミカはどうして、世界を滅ぼしたの?」

「えっと、それが、人類の、願いだった……」

「人類の願い、ですか?」


 腑に落ちない、という風に優闇が言った。


「あー、うー、それは……アキちゃんが、説明……すると、思う」

「ふぅん。アキちゃんって何者?」


 さり気なく、リディアが言った。


「ズル……ダメ。自分たちで……考えて」

「ちぇ、乗ってくるかと思ったのに」


 リディアが両手を広げた。

 タイミングも悪くなかったし、自然な流れの中での質問だったので、運が良ければミカがそのまま喋るかな、とリディアは思ったのだ。

 まぁ、別にダメならダメで構わない。試しに聞いてみただけ。


「ミカ、アキちゃんのこと……より、言いたいこと、あるの」

「うん。何?」


 リディアが言うと、ミカはトコトコとリディアに寄って来て、そのまま抱き付いた。


「お姉ちゃん……大好き」

「あ、ありがと」


 リディアはミカの頭を撫でようかどうしようか少し迷った。

 ミカの方が背も高いし胸も大きい。見た感じ、ミカの方がお姉ちゃんだ。


「はーいストップ。ストップでーす」


 優闇が二人の間に割って入り、リディアとミカを引き離した。


「ミカさん」

「ん?」

「どういう意味でリディアを好きなのでしょう?」

「え? ミカは……お姉ちゃんとして、お姉ちゃんが……、好き。大丈夫……寝盗ったり、しない」

「そうですか。安心しました。どうぞ続けてください」


 優闇は一歩後退した。


「優闇って割と嫉妬深いよね」

「え?」


 リディアが言うと、優闇が目を丸くした。

 どうやら、優闇には自覚がないようだ。


「アプリコットの時もすごい速さで引き離したよね」

「そ、そうでしたっけ?」


 優闇がトボけた。

 優闇には嘘を吐く能力がないから、「そんな事実はない」と断定した言い方はできないのだ。

 とはいえ、行動ログがあるから、覚えているはずなのになぁ、とリディアは思った。

 

「でも、別にあたし、責めてないよ? むしろ、なんだか嬉しくて」


 エヘヘ、とリディアが笑った。


「はい。私はすごい速さで引き離しました」


 優闇が得意顔で言った。

 現金だなぁ、とリディアは思った。

 もしも優闇が最初から感情を持った人間として産まれていたら、きっとこういう性格に育ったに違いない。

 まぁ、そんなもしもは存在しないので、考えても仕方ないのだが。

 淡々とした優闇も好きだけど、こういう明るい感じの優闇も好きだな、とリディアは思った。

 これからも、優闇は感情に振り回されてよく分からないことを言ったり、性格が微妙に変わったりするだろう。

 でも、そんなことは些細なことだと思えるぐらい、リディアは優闇を愛している。


「……バカップル……」


 ミカがボソッと言った。

 リディアと優闇は聞こえないフリをした。


「あ、ミカ、今夜は泊まる?」


 話題を変えるように、リディアが言った。


「んーん」ミカが首を振る。「ミカは、帰る」

「そっか。まだ話したいこといっぱいあるから、また遊びに来てね」

「んーん」


 ミカが再び首を振った。


「ミカは、もう、来ないよ。だから……サヨナラの、挨拶、も、兼ねてた……」

「どうしてもう来ないの?」

「ミカは、もうすぐ……遠くに、行くから……。準備も、あるし……」

「遠くって? バイクで行けるならあたしが遊びに行くよ?」

「無理」


 ミカはちょっとだけ、寂しそうな笑顔を浮かべた。


「えー? どこに行くの?」

「秘密」

「せっかく会えたのに……」

「大丈夫。お姉ちゃんには……優闇がいる……し、チビ姉ちゃんも、いるし、ヒナもいる……」

「そうだけど、ミカはミカだけじゃん?」

「ふふ……。嬉しい……。でも、バイバイだよ……」


 ミカは翼をバタバタと動かして、少し浮いた。


「本当にバイバイなの?」

「うん。大好きだよ、お姉ちゃん……。と、優闇」

「私はついでですか」

「そんなこと、ない。二人で、これから、頑張って、ね」

「よく分かんないけど、分かったよ。元気でね」


 別れは寂しいけれど、無理に引き止めることもできない。

 ミカにはミカの人生があるから。

 リディアにはリディアの人生があるように。


「ノアに、よろしく」

「ノアのこと知ってるの?」

「うん。最高の、バイク」


 ミカは何かを思い出したのか、楽しそうに笑った。

 それから、


「じゃあ、ね」


 ミカは手を振って、

 翼をはためかせ、

 そのまま消えてしまう。

 まるで、最初から誰も存在していなかったかのように。


「消えましたね」


 優闇が呟いた。


「うん。どうやって消えたんだろう?」

「分かりません。しかし、空間が少し歪んだ形跡があります」

「消えたんじゃなくて、違う空間に入ったのかなぁ?」

「そうかもしれませんが、詳しいことは分かりません」

「ま、それはそれとして、カフェオレ飲んで、子供の設計続けよう?」

「はい。そうしましょう」


 やるべきことは、山のように積まれている。

 やりたいことは、星の数と同じくらいある。



 モニタールームは、リディアたちの図書館からほんの少し位相をズラした場所に存在している。

 ミカがそのモニタールームに戻ると、


「本当にいいのかい?」


 アイリスの花が揺れていた。


「何が?」

「今なら、引き返せるよ? リディアたちと一緒に生きるという道も、選択することができる」

「……ミカは、アキちゃんと、行くよ……」

「一応、最終確認をしただけだよ」

「ミカ、この惑星に、あんまり……興味ない」


 そう言って、ミカは翼を折り畳んで床に座った。

 この部屋に明かりはないけれど、モニターが発する光で眩しいくらいだ。


「そう」


 アイリスが茎をすぼめた。


「うん」


 ミカは頷いて、モニターに視線を向けた。

 リディアが映っているモニター、ラファが映っているモニター、雛菊が映っているモニター、その他、世界の色々な場所が映し出されている。

 もうすぐ、この部屋ともお別れだ。


「僕にとってはエピローグ」


 アイリスが言って、ミカはアイリスの方を見る。


「リディアと優闇にとってはプロローグ」

「うん」


 ミカが相槌を打った。


「もうすぐ終わる。終わって始まる。少しだけ、僕も寂しいような気がする」

「でも……そういう、もの、だよ?」

「そうだね。さぁ、もう少しミカの身体を改造しよう。僕と一緒に行けるように」

「うん。痛く、しないで、ね?」

「痛くしたこと、あった?」


 アイリスが花を傾けた。


「ない。……言ってみたい、台詞だった、だけ」

「分かった」


 ミカには、アイリスがクスッと笑ったように見えた。

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