第19話 BDシリーズ タイプ・オハン
「はしたない! ですわ!」
リディアが頭の装置を外したと同時に、ラファが寄って来てそう言った。
リディアはベッドに腰掛けた状態で固まった。
「夢の中とはいえ、あんな行為を……」
途中で勢いがなくなり、最後は何を言ったのかリディアには聞き取れない。
「どんな行為?」
リディアが聞くと、ラファは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
リディアはクスッと笑ってから、身体の電極を取り外した。
「ねぇどんな行為?」
もう一度、問う。
「そ、そそ、そんにゃの」
ラファが噛んだ。
それから、
「お、お姉ちゃまはふしだらですわぁぁぁぁ!」
ラファは叫びながら入り口の方に走っていき、そのままドアにぶつかった。
「痛いですわぁぁぁ!」
ラファは再び叫び、ドアを開けてそのまま部屋の外に出て行った。
「優雅じゃないなぁ」
リディアは肩を竦める。
ラファは日頃から、優雅であることの素晴らしさをリディアに説いていた。
でも、ラファは自分で思っているほど優雅じゃない。
「いいのですか?」
きちんと再起動した
優闇は右手にいつものメイド服を持っていた。それはリディアが用意していたものだ。
「何が?」
「追いかけた方がいいのではありませんか?」
「大丈夫。ラファはたぶん、あたしたちを二人にしてくれたんだよ」
「はい?」
優闇が首を傾げた。
「ラファは複雑で超めんどい子だけど、別に出て行く必要なかったと思うのね」
「はぁ」
「推測だけどね」
リディアが両手を小さく広げた。
ラファは相変わらず、複雑怪奇。言動が常に心と一致しているとは限らない。だからこうやって、真意を推測する必要がある。
ただし、その推測が正しいという保証はどこにもない。
「それにしても、久しぶりだね」
リディアがベッドをポンポンと叩いた。隣に座れ、というジェスチャ。
「さっき会いましたよ。夢の中で」
優闇はリディアのジェスチャを正しく理解し、リディアの隣に腰掛けた。
「現実世界では、久しぶり」
「そうですね。私はずいぶんと長い間、落ちていたようですね」
「寂しかったよ」
「すみません」
「いいよ。だって優闇も寂しかったでしょ?」
「ええ。とっても」
「どんな感じだった? 優闇の量子ブレイン、少しだけ稼働してたの。自分で分かってた?」
「はい。でもそこは暗闇でした」
「暗闇……」
「そうです。でも、いつだってリディアを想っていました。だから、耐えることができました」
「そっか」
リディアは身体を寄せて、優闇にもたれ掛かった。
「ところで、私はその暗闇の中で妙な存在と出会いました」
「それってアイリスの花?」
リディアが言うと、優闇は目を丸くした。
「どうして分かったのです? モニターしていたのですか?」
「違うよ。あたしも夢で会った。知的生命体なんだって」
「なるほど。確かに知性があったように思います」
「でもその正体は不明なまま」
「では、いつか私たちで解き明かしましょう」
「そうだね」
沈黙。
それはとっても心地良い沈黙。
現実世界で触れる優闇の身体に、リディアの心がドキドキと躍る。
リディアはもう、そのドキドキの意味を知っている。
だから受け入れて、身を委ねた。
◇
ラファが地下研究施設の外に出ると、オハンが立っていた。
「オハン」
声をかけると、オハンが振り返る。
「お嬢様。終わりましたか?」
「ええ。成功しましたわ。ユーヤミは再起動して、問題もないですわ」
「そうですか」
ラファはオハンの隣まで歩いて、そこで立ち止まった。
「ですから、お姉ちゃまは行ってしまいますわ」
「どこにですか?」
「さぁ」ラファが肩を竦める。「ここではないどこか、ですわ。ユーヤミと二人で世界中を探検して回るって、よく言っていましたので」
「そうですか」
「またわたくしは一人、ですわね」
「違います」
「違う?」
ラファがオハンを見上げると、オハンの紅い視覚センサと目が合った。
「ワタシはいつも、お嬢様と一緒にいます」
「オハンは人じゃありませんわ」
「知っています。事実を述べただけです」
「オハンのくせに生意気ですわ。お姉ちゃまのせいかしら? それともユーヤミの感情に触れたせいかしら?」
「両方です。お嬢様が気に入らないなら、ログを消去して、1ヶ月前のワタシに戻りますが?」
ラファ少し考えて、
「肩に乗せてくださる?」と言った。
「分かりました」
オハンはラファを抱き上げ、自分の右肩に座らせた。
「いい眺めですわねぇ」
何もない世界。荒れた地平線が続いている。ラファはこの風景が嫌いじゃない。
「オハン」
「はい」
「ログは消す必要ありませんわ。だってあなた、ちゃんとわたくしの命令を聞いたでしょう? なら、問題ありませんわ」
「分かりました」
春の風が吹き抜けて、ラファの桃色の髪を揺らした。
ラファはギュッとオハンの頭に抱き付いた。
「お姉ちゃまが、行ってしまわれる……。でも、わたくしには、それを止めることができませんわ」
この1ヶ月で、ラファは今のリディアを知った。
リディアは世界を探索すると言ったら、絶対にそうする。
たとえ邪魔をしても、きっと撥ね除けられる。
ここに残ってとお願いしても、「あたしは優闇と世界を見たい」と言って笑うだろう。
「お嬢様は、一緒に行かないのですか?」
「やっぱりオハンはバカですわね……。わたくし、世界の探索になんて興味ありませんのよ」
「そうですか」
「そうですわ。だから、一緒には行きませんわ……。お姉ちゃまが世界を探索したいように、わたくしはここで研究をしたい……」
「道はいつか、交わります」
「そうですわね。そうだといいですわね」
本当なら、リディアはラファと一緒に目覚めて、一緒に学んで、一緒に世界を創造するはずだった。
でも、リディアは一人で目覚め、優闇と学び、優闇と一緒に世界を探索し、創造する。
それは寂しいし、悲しい。
けれど、仕方ないのだ。
リディアは人形じゃない。きちんと命があって、意志がある。
ラファと同じように。
「お姉ちゃまが行ってしまう前に、話さなければいけませんわねぇ」
エンジェルプロジェクトのこと、自分たちのこと。
そして、
この世界を滅ぼした者のこと。
◇
優闇はいつものメイド服に身を包み、一人で外に出た。
そうすると、ラファがオハンの肩に乗っていた。
その様子があまりにも絵になっていたので、優闇は思わず息を呑んだ。
「は、早く下ろしてくださる!?」
優闇に気付いたラファが、慌ててそう言った。
なぜ慌てているのか、優闇には分からなかった。二人はとっても美しいのに。
オハンがラファを地面に下ろす。
「ここで何をしていますの?」
さっきの焦りが嘘のように、ラファはツンと澄ましていた。
「オハンと少し、お話しようとか思いまして」
「せっかく二人きりにしてあげましたのに、もういいんですの?」
「はい。ありがとうございます」
「お姉ちゃまは?」
「カフェオレを飲んでいます」
「わたくしも飲みますわ!」
タタッとラファが階段を駆け下りて、地下研究施設の中へと消えた。
「オハン」
優闇がオハンの前まで歩く。
「はい」
オハンは動かなかった。
「ありがとうございます」
「何がですか?」
「私の処理を肩代わりしてくれたことと、あなたがリディアに私の感情を伝えてくれたこと、です」
「そうですか」
「私は最初、あなたを恐れていました」
「そうですか」
オハンの声は平坦だ。
「ですが、今はもう恐れていません。あなたはとっても優しいADです」
「そうですか」
「リディアは正しかった。話してみないと、関わってみないと、何も分からない。あなたのことも、ラファさんのことも」
オハンに壊されるのではないか、という恐れから、優闇はラファとオハンに近づくのを避けようとした。
でもリディアは軽いノリでスロットルを捻り、二人に近づいた。
まるで昨日のことのよう。
「オハンはラファさんのこと、大切に想っているんですね」
「分かりません」
「肩に乗せていたではありませんか」
「そう命令されたからです」
「ん……」
優闇は小さく肩を竦めた。
「話は以上ですか?」
やっぱり、オハンは淡々としてる。
「あと1つ。私たちはもうすぐ図書館に戻ります」
「はい」
「ですが、また来ます」
「はい」
「その時は、一緒に遊びましょう」
「遊ぶ?」
「そうです。いいですか?」
「よく分かりませんが、善処します」
「はい。そうしてください。どちらかと言うと、私ではなくリディアがオハンと遊びたがっています」
優闇はニッコリと微笑んだ。
「リディア様が?」
「ええ。さっき、ラファさんのことやオハンのことを色々と聞きました。リディアはオハンのことを、かっこいいと思っています」
「かっこいい?」
「そうです。キラキラしているし、大きいし、強そうだし。そんなあなたと、遊びたいらしいですよ」
「遊ぶ……」
当然、軍用ADであるオハンに遊びの概念などない。そのことは優闇も承知している。でも、教えれば遊べるはずなのだ。
オハンの量子ブレインは旧式だが、けっして粗末な物ではない。
「雪が降っていたら雪合戦がいいのですが、しばらく降りませんね。ですから、ボードゲームがいいでしょう」
「ボードゲーム……」
「はい。オハンはきっと得意ですよ。それでは」
優闇は微笑み、踵を返した。
◇
オハンは地上に一人、立っていた。
見張りという任務を遂行する傍らで、
何度も、何度も、優闇の言葉を量子ブレイン内で再生していた。
そしていつも最後の場面で一時停止させる。
『それでは』と言って優闇が微笑んだ場面。
オハンはその瞬間を切り取り、写真のようにして保存した。
そのデータには『重要』というタグを付けた。
なぜそうしたのか、オハンには分からない。
でもたった1つだけ、確かなことがある。
「ユーヤミは、美しい」
その呟きは風に吹かれて静かに消えた。
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