第20話 二つの話、二人の妹

 リディアとラファが食堂でカフェオレを飲んでいると、優闇ゆうやみがやってきた。


「お帰り」とリディアが言った。

「はい。ただいま」と優闇が椅子に座った。


 四人がけのテーブルで、リディアの正面にラファ、リディアの左隣に優闇が座っている。


「じゃあ、これ飲んだら図書館に帰ろうか」


 リディアはカフェオレの入ったカップに視線を落とす。


「そうですね。メーカファクトリの進捗も気になりますし」

「帰る前に、わたくしから2つお話がありますわ」

「あ、あたしもラファに1つ聞きたいことあったんだぁ」

「ではお姉ちゃまが先にどうぞ」

「うん。あのね、なんでお姉様じゃなくてお姉ちゃまなの?」

「聞きたいことってそれですの? 前振りではなく?」


 ラファが眉をひそめた。


「うん。本題だよ?」


 リディアは小首を傾げ、ラファを見詰める。

 ラファが大きな溜息を吐いてから言う。


「言い間違えましたの。お姉ちゃまは覚えていないでしょうけど、元々はお姉様と呼んでいましたのよ?」

「そうなんだ?」

「はいですわ。で、言い間違ってお姉ちゃまと呼んだら、お姉ちゃまが気に入ってずっとそう呼ぶように言いつけられましたの」

「なるほど。ありがとう。じゃあラファの話どうぞ」


 リディアは納得して笑った。


「わたくしからのお話は2つ」

「それはさっきも聞いたよ」

「ん……」ラファが苦い表情を浮かべた。「いちいち話の腰を折らないでくださいませ。ただの前振りですわ」

「はーい」


 リディアは楽しそうに返事をして、ラファは溜息を吐いた。


「1つ目。わたくしたちについて」

「それってあたしとラファ?」

「はいですわ。お願いですから、お姉ちゃまは少し黙ってくださいませ」

「分かったよ。貝のように固く口を閉ざすね」


 ムギュッ、とリディアは両手で自分の唇を摘んだ。

 それから、本物の貝は見たことないけど、と心の中で追加した。


「わたくしたちが新たに創造された人類だというのは、以前お話した通りですわ。それで、きっと知りたいだろうと思っていることを教えますわ」


 リディアはコクコクと頷いた。


「まず、わたくしたちの寿命は普通の人間より長いですわ」

「どの程度ですか?」


 ラファの言葉に優闇が食い付いた。


「まぁ、人類の平均寿命が150年ほどで、わたくしたちはその2倍、約300年は生きられる仕様ですわ」

「300年……」


 優闇が考え込むように下を向いた。

 300年という年月を長いと思うか短いと思うかは人それぞれだ。


「それだけなの?」


 リディアは短いと思った。優闇と世界を探索し尽くすには足りない。

 今まで、リディアは自分が何年生きるかなんて本気で考えたことはない。

 だから突然、正確な終幕を知って少し焦った。


「今は、と言っておきますわ」ふんっ、とラファが鼻を鳴らす。「わたくしが研究を続けていますので、400年にも500年にも延ばしてみせますわ」

「ラファさん、その研究、私にも手伝わせください」


 優闇が真っ直ぐにラファを見た。

 ラファは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに普段通りの顔に戻した。


「まぁ、データは渡しますわ。ですから、そっちはそっちで勝手にやってくださいませ。わたくし、共同でやるのは嫌ですわ」

「分かりました。ありがとうございます。ただ、進展があったら、共有して頂けませんか?」

「だったら、勝負ですわユーヤミ」

「勝負?」

「はいですわ。どっちがより素晴らしい成果を上げるかの勝負ですわ」

「はぁ……」

「頑張ってね優闇」


 リディアが優闇の肩を軽く叩いた。


「ずるいですわ! お姉ちゃまが手伝うのは禁止ですわ! 応援するのも禁止ですわ!」

「え、でも、ラファも頑張ってねって言おうとしたんだけどなぁ、あたし」

「応援は許可しますわ」

「あ、うん。ラファも頑張ってね」

「はいですわ!」


 ラファがとっても嬉しそうに笑った。

 優闇に対抗したくなる気持ちは、リディアにも分かる。


「では、お互いの成果を報告し合うという方向で話もまとまりましたので、2つ目の話をお願いします」

「この話がまだ続きますのよ?」

「そうですか。それは失礼しました」


 優闇が小さく頭を下げた。

 ラファは小さく頷いてから続ける。


「わたくしたちはこれ以上成長できませんわ」

「え?」


 リディアは自分の胸に手を当てた。


「思い当たることがありますでしょう?」


 リディアの動作を見て、ラファが言った。


「じゃなくて、あ、思い当たることもあるけどぉ」


 リディアはずっと身長が伸びていない。体格にも変化がない。でも、そのことで思い詰めたりはしていない。いつか大きくなるだろう、程度に思っていた。


「じゃなくて、とは?」


 ラファが少しだけ首を傾げた。


「胸が、大きくならないんだなぁって思って、ちょっとショックだったの」

「そ、そうですの……。ま、まぁ心配は無用ですわ。そっちも研究していましてよ?」


 ラファも自分の胸に視線を落とした。

 そこにあるのは断崖絶壁。しかしラファの見た目ならそんなものだろう、とリディアは思った。

 でも言わなかった。ブーメランとして自分に突き刺さる可能性があるからだ。

 ラファがチラッと優闇に視線を送った。

 しかし優闇は何も言わない。

 少しの沈黙。

 空気は微妙。心地良いとはいえない。かといって重苦しいわけでもないが。

 リディアは苦笑いして、ラファが小さな溜息を吐いた。


「ユーヤミ」ラファが言う。「データはいりませんの?」

「はい。そちらは別に深刻な問題ではありませんので」

「深刻だよ!」「深刻ですわ!」


 優闇の発言に対する、リディアとラファの返事が重なった。


「しかし命に関わることではありません。寿命の方はダイレクトに命の問題ですが」


 優闇が淡々と言った。


「ADには理解できませんわ……」ラファがリディアを見る。「別にわたくし、ユーヤミをバカにしているわけじゃありませんのよ? ずっと敬意を払っていますわ。これはただ、種族の違いによる超えられない壁の……」

「分かってるよ」


 リディアはラファの言葉を遮って、小さく肩を竦めた。

 優闇と意見が合わないことは、リディアもよくある。それに、ラファが優闇を知的生命体として扱ってくれているのは分かっていた。

 そうでなければ、勝負なんて言葉は出てこない。


「だから、あたしの顔色うかがわなくてもいいよ?」

「べ、別にお姉ちゃまの顔色なんてうかがっていませんわ」

「そう?」

「そうですわ」


 フンッとラファがそっぽを向いた。


「あの」と優闇が言う。「私も成長……いえ、身長は伸びませんが、特に問題はありませんよ?」

「身長の話じゃないよ」

「では何の話でしょう?」

「察してよ」

「ふむ」


 優闇が考え込むような仕草を見せた。行動ログを確認しているのだろう。


「なるほど。胸ですか。胸が大きくならないのがショックだった、とリディアが発言して、そこからずっと胸の話だったのですね?」

「……優闇」リディアが苦笑いしながら言う。「察したら、言わなくてもいいんだよ?」

「そうですか。覚えておきます」

「よろしく。ところでラファ、この話はまだ続くの?」

「いいえですわ。速やかに2つ目の話に移りますわ」

「うん。そうしよう」


 リディアが頷いた。


「ササッと要点だけ言ってしまいますと、わたくしたちにはもう一人妹がいますの」

「え?」


 リディアが目を丸くする。

 またラファみたいなタイプだったらどうしよう、とリディアは思った。

 複雑怪奇でめんどうな妹は一人で十分だ。


「名前はミカエル。お姉ちゃまとわたくしはミカと呼んでいましたわ。それで、そのミカが、この世界をこんな風に変えたんだと思いますの」

「世界を滅ぼした、という意味ですか?」


 優闇が言った。


「分かりませんわ。でもミカが関わっているのは確かですわね。あと、お姉ちゃまも少しだけ関わっている可能性がありますわ」

「あたし、が?」


 リディアは優闇の腕に自分の腕を絡めた。そうしなければ、崩れ落ちてしまいそうな気がした。

 多くの生命を壊したかもしれない。まだ可能性の段階だが、リディアはとても不安になった。

 リディアは多くの知識を得ている。そして、愛する相手がいる。だからそう、リディアは理解しているのだ。他の生命にも、それぞれ愛する相手がいたことを。


「大丈夫です」優闇が言う。「昔のリディアは、今のリディアとは別人です」

「そうですわ」ラファが言う。「それに、お姉ちゃまが関わったかどうか、わたくしには分かりませんわ。ただ少なくとも、お姉ちゃまは世界がこうなることを知っていましたわ。その点から、少し関わったかもしれない、と推測したに過ぎませんもの」

「そう、だね」


 優闇とラファ、両方に言った。

 でもリディアの心は晴れない。なんだか曇り空みたいにどんよりしている。


「もう少し、詳しいことを聞いてもいいですか?」


 優闇は相変わらず淡々としていた。


「いいですわよ。でも、わたくしもミカとは仲良くありませんでしたの。だから、断片のような情報ですけれど」

「問題ありません。お願いします」

「お姉ちゃまは大丈夫ですの? 顔色が優れないようですけれど」

「うん。平気」


 優闇の腕に掴まっている限りは。

 ラファは小さく息を吐いて、言う。


「ミカには善悪の区別というものがありませんでしたの」

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