第三話 プリンスとの勝負(4)
◇
――凄く速い奴がいる。
まだ新人でDPこそ少ないが、同じクラスのレーサーでは相手にならない。向かうところ敵無しで、オーソドックスなサーキットではとにかく連戦連勝らしい。しかも扱いづらい青のマシンを乗りこなしている。
そのレーサーの名前は、ライトニング・バロン。
と、そんな噂がオンライン・フォーミュラ界を席巻しつつあることなどつゆ知らず、あれから迅雷は来る日も来る日も一人のバーチャルレーサーとして秋葉原のレーシングセンターから電脳世界のバーチャルサーキットに乗り込み、様々なレースに参戦していた。
ライトニング・バロンは圧倒的に速く、一位を白星、二位以下を黒星とした場合、勝率は九割を超えている。そのバロンがただ一度だけ負けたのは、デビュー戦であるつばさとの勝負であった。
だが迅雷は、いくら悔しくとも、今ではあれはよい敗北であったと思っている。もしあのレースで勝っていれば、迅雷は『所詮ゲームなどこんなものか』とオンライン・フォーミュラを侮っていたであろうし、つばさやことりともあれきりになっていたに違いない。
それが中学生の女の子に負けてしまったからこそ、オンライン・フォーミュラを端倪しなかったのだし、つばさにも興味を持ったのだ。
さて、そんな迅雷のオンライン・フォーミュラ上のマイページにあるメッセージボックスに、見知らぬ相手からのメッセージが舞い込んできたのは恋矢との勝負を明日に控えた土曜日のことだった。
それはライトニング・バロンの速さを聞きつけたレーサーたちからのお誘いであり、迅雷の累計DPでは参加できない上位ランカーたちのいるレースにゲストとして参戦しないかというものだった。
当然、迅雷は勝負を受けた。結果は一位。しかもスターティング・グリッドで最下位スタートからの一位だ。既に大勢の人が予想していた通り、ライトニング・バロンはずば抜けて速かった。
オンライン上では、もはやライトニング・バロンは有名人になっていた。だがそんなことをまったく知らない迅雷は、いつもと同じく一つの勝利を手にして、輝かしい笑顔とともにエントリーシートから降りてきた。
「お疲れ様です、迅雷さん」
ことりがそう云ってスポーツドリンクのボトルを差し出してくれる。ありがとう、と礼を云ってそれを受け取った迅雷は、ことりの隣にいるつばさの顔を見て息を呑んだ。
「なにをにやにやしているんだ、気持ち悪い」
するとつばさは驚き、傷ついたような顔をする。
「気持ち悪いって、ひどいじゃないですか」
「だって、なあ?」
いくら美少女と云っても、こちらを上目遣いで見ながらにやにや笑っている姿は不気味である。迅雷はそう思ってことりに同意を求めたのだが、姉の手前、まさか
「お、お姉ちゃんは綺麗ですよ。でもお姉ちゃん、なにがそんなに嬉しかったの?」
ことりの問いは、迅雷の問いでもある。つばさは迅雷を見上げながら情感のある声で質問に答えた。
「お兄さんの戦績が思いのほか凄いので満足していたのだよ。私と走ったあのデビュー戦を除いて全戦全勝じゃないか」
「真玖郎の記録も全部更新してやったしな」
そう、この一週間でナイト・ファルコンが保持していたサーキットのレコードはすべてライトニング・バロンのものに書き換えられていた。これで真玖郎はまず間違いなくバロンの存在に気づいているはずだ。そして真玖郎なら、バロンに迅雷の幻を見るだろう。
「あんなピーキーなマシンでよく走りますよね。プリンスはお兄さんのレースを観戦しているでしょうけど、今ごろ青ざめてますよ。最下位から一位でフィニッシュするところを見せつけてやったんですから」
つばさは嬉しげにそう云いながら、膝の上に置いてあったタブレットを手に持って迅雷に見せた。画面に映し出されているのはオンライン・フォーミュラのフォーラムだ。
「ほら、見てください。ライトニング・バロンのことを多くのレーサーが注目しています。今の勝負についてもレスがどんどん増えている。速くても注目されないレーサーはいっぱいいますけど、ずば抜けて速いレーサーで注目されない人はいません。お兄さんは凄いんですよ! さすが私のお兄さんです!」
――私のお兄さん?
迅雷はその云い回しが気にかかったが、藪蛇を恐れて触れずにおいた。それに実際、注目されているのはよいことだ。
「まあ名前が売れてきてるから、今日みたいにポイントでずっと格上のレーサーから招待状が来たりするんだよな。ふっふっふ」
野心に溢れた笑い方であった。それを目の当たりにしたことりが軽く目を瞠る。
「迅雷さん、嬉しそうですね」
「ああ。やっぱり速い奴と走った方が楽しいし勉強になるからな。それにこうやってライトニング・バロンの名が知れ渡れば真玖郎が俺を意識する可能性も上がる」
そう云って鼻孔を膨らませる迅雷に慢心を見たのか、それまで嬉しげにしていたつばさが急に棘を含んだ声で云う。
「ただ一つ云っておきますけどね、お兄さんはまだオンライン・フォーミュラの片鱗にしか触れていませんよ。オンライン・フォーミュラにはまだ色々なルールがあり、単純にタイムを競う通常のレースだけではなく、迷路のようなコースを進むものや、電撃戦もあります。それにサーキットも色々と特色があって、今度機会があればためしに月面サーキットに挑戦してみて下さい。さすがのお兄さんでもクラッシュすると思いますから」
「月面サーキットか……」
聞いた話では、月面サーキットは現実の月と同じく重力が六分の一しかなく、しかも空気がないため空気抵抗もなければダウンフォースも効かないらしい。さすがの迅雷もかなり走り込まねば適応できないであろう。
「真玖郎がレコードを持っているサーキットにそれがあれば挑戦していたんだろうけど、幸か不幸か、あいつノーマルサーキットでしか走ってないみたいだからな」
迅雷はボトルを片手に背後のエントリーシートを振り仰いだ。巨大な白い筐体だ。
「正直、そろそろ特殊サーキットにも挑戦してみたいが……」
「一日に使えるシートの時間には限りがあるんですから、今はお兄さんの経験を活かせるオーソドックスなレースでDPを貯めて、上のレースに参加できるようにしたり、スターティング・グリッドで一つでも前を取ることを考えた方がいいですよ」
つばさのその言葉に迅雷は一つ頷いた。当分はドライバーズ・ポイントの獲得を最優先とする。これこそつばさが迅雷に最初に提示した基本方針だ。そしてそれが真玖郎との最短距離であるのなら、迅雷に是非はない。
「ま、そうだよな。今はプリンスと戦うことに集中した方がいいよな。明日はプリンスとのレース本番だし」
迅雷のその言葉は、どこか自分にそう云い聞かせようとしているかのようだ。それがつばさにも伝わったのか、それとも頃合いだと思っていたのか、つばさはそこでこんなことを云った。
「はい。でもタイムアタックにおけるライバルさんの
その言葉に迅雷はぱっと顔を輝かした。
「そうか! 実はやりたいと思っていたのが一つあるんだよ!」
迅雷はたちまち活き活きとして、つばさの持っているタブレットを指差して云った。
「ちょっと実況中継の検索画面を出してくれ」
「はい」
つばさが唯々としてタブレットに指を走らせるのを見ながら、迅雷はことりにもらったスポーツドリンクで喉を潤した。ことりはエントリーシートの座席に残されていたヘルメットを手に取り、「棚に戻してきますね」と云って踵を返す。
今日はもう二時間に及ぶレースを終えたところだ。腕時計を見れば午後三時になんなんとしている。そろそろ次の予約者にこの部屋を明け渡さねばならない。迅雷はボトルを足下に置くと、バーチャルライセンスを回収し、オンライン・フォーミュラ用に新調した自前のレーシング・グローブを腰のシザーバッグに詰め込んだ。
そのときつばさが顔を輝かして、「はい、お兄さん」と実況中継の検索画面を見せてきた。動画のサムネイルが無数に並んでおり、それはすべて現在リアルタイムで行われているレースの中継映像に繋がっている。サムネイルから見えるサーキットには、標準的なノーマルサーキットもあれば、そうでないものもある。
オンライン・フォーミュラでは、オンライン環境さえあれば様々なレースをいつでもどこでも観戦することができる。だから迅雷はこれも勉強と思い、予定を盗んで色々なレースを観戦していた。レースの数はあまりにも膨大であり、迅雷にはまだよくわからないルールで行われているレースもあるようだったが、そんななかで一つ抜群に惹かれたものがあり、迅雷はサムネイルのなかからそれを探し出すと指を伸ばして画面に触れ、夢を語るように云った。
「俺はいつか、これがやりたい」
するとつばさはタブレットを返し、戻ってきたことりと一緒に覗き込んだ。タブレットに映っていたのは、山野を縦横無尽に走っている巨大な車の群れである。
「なるほど、ワールド・フリーランですか」
得心したように呟いたつばさの尾について、ことりが云う。
「これはレースじゃないよね。オープンワールドって云う、ゲーム上に再現された世界を自由にひたすら走るモード。他のドライバーと示し合わせて競争することもできるけど」
「お兄さん、フリーランならさすがにブルーブレイブは使えませんよ。あれはオンロード・マシンですからね。オフロード用に新しくマシンを仕立てないと」
「ああ。それで思ったんだけど、戦車ってないか?」
つばさとことりは二人打ち揃って黙り込んだ。
「それは」
「さすがに」
姉妹が息を合わせて否定してくると、迅雷は苦笑いだ。
「やっぱり無理か。こういう世界で大砲ぶっ放せたら面白そうなんだが」
迅雷は笑ってドリンクを飲み、身振り手振りを交えて語り出した。
「楽しいよな、オンライン・フォーミュラ。フォーミュラと名前がついているけど、実際はオンロードにオフロード、峠に耐久レースにラリーもある。そしてワールド・フリーラン。マシンもフォーミュラカーから市販車まで選び放題、サーキットもノーマルサーキットから月面だの水中だの立体だの色々あるし、リアルじゃ危険で出来ない夜間レースもある。そういえば、このあいだ雨が降ってきたときはびっくりしたぜ。天候の変化まできっちり再現されてるんだもんな」
「でしょう? でも、まだまだお兄さんが知らない要素もたくさんありますよ。いつか全部を知り尽くして、全部を走り抜いて下さいね」
「ああ」
その楽しい想像に迅雷は目を細めた。だがそうした未来に思いを馳せるのは、今日はここまでにしておこう。
迅雷は笑みを消すと、口調をがらりと変えて切り出した。
「ところで、プリンスの奴からの連絡がまだ来ない」
するとたちまちつばさの顔が忌々しげなものに変わる。
「どこのサーキットでやるのか……恐らくぎりぎりまでその通達を遅らせることで、お兄さんに少しでも練習走行をさせないつもりなんでしょう」
「まあ、そんなところだろうな。バーチャル・サーキットってリアルと違って使用中ってことがないし、やろうと思えばいくらでも一人で走れる」
そう、当たり前だが、仮想世界においては同じサーキットが並列して無限に存在している。現実と違って他のレースが開催中だから使用できないということがない。だからタイムアタックや練習といった形式を採れば、シートの利用時間が許す限り何度でもフリー走行をすることができた。恋矢はそれを危惧したのに違いない。
「ここまで徹底されると、ある意味、感心してしまうな」
「せこいやつなんですよ」
つばさが吐き捨てるようにそう云った傍で、ことりもまた困ったように云う。
「弓箭寺さんのDNを観戦登録しても、無駄ですよね……」
「覗き見不可の、クローズド環境で走っているに決まっているさ」
つばさはそう云って前髪を掻き上げた。
なんでもドライバーネームを観戦登録しておけば、そのレーサーが走るときに通知があると云う。しかしクローズド環境で走る場合は話が別で、通知がなければレースの中継もなく、第三者がレースの模様を窺い知ることは出来ないそうだ。
先日、そんな話を聞いた迅雷はさっそくナイト・ファルコンを観戦登録したのだが、どういうわけかこの数日、ナイト・ファルコンの姿を見なかった。そのくせランキングの累計DPは上がっていたので、これはどうやらクローズド環境で走っているらしい。
――真玖郎め。
どうして自分から逃げ隠れするような真似をするのか、今度あったら裸の付き合いをするがごとくに問い糾してやると迅雷は思っていた。
「……ところでお兄さん、そろそろ時間ですよ」
「おっ、そうか。そうだな」
時間はもう午後三時で、次のレーサーがこのレーシングルームにやってくるころだ。
「行くか」
迅雷たちは最後に忘れ物がないか確かめると、連れ立って部屋を出ていった。
それから三人はセンターの一階にある例の喫茶店へとやってきていた。レースの終わったあと、ここで反省会をしたりシートの予約を入れたり、つばさとことりがまだまだ知識の浅い迅雷にオンライン・フォーミュラの講義をしたりするのが、いつしか三人の日課のようになっていたのだ。
つばさは本当にここの常連らしく、案内される席は決まっていつも一番奥の席で、席次もサイモンがいないことを除けば先日と同じであった。つまり迅雷の正面につばさが、右斜め前にことりがいる。
今日も迅雷とつばさは珈琲を飲みながら、ことりはクリームソーダのアイスを銀の匙でつついたりしながら、オンライン・フォーミュラに関する色々なことを話していた。
それらの話に一段落がついたところで、つばさが思い出したように云った。
「そういえば、お兄さんにセンター内を案内するという約束はどうなりましたっけ?」
「まだ果たされていないな。だが俺もバーチャルレーサーになってそろそろ二週間……このセンターにも何度も出入りしてるし、必要最低限は把握したさ」
とはいえ、まだ完璧ではない。ほとんどレーシングルームとこの喫茶店を行ったり来たりしているだけだし、それ以外ではトイレと、受付に片山の姿を見かけたときに挨拶に寄るくらいだ。迅雷としては片山ともっと話したかったが、向こうも受付の仕事をしているだけにあまり長話をすることも出来なかった。と、思考が横道に逸れてきたところで、つばさが渋い顔をして云う。
「二週間も出入りしてるのに必要最低限、ですか」
言外に不満やら軽侮やらを感じ取った迅雷は、つばさを軽く睨みつけた。
「俺がこのセンターにやってくると、だいたいおまえとことりが先に着いてるんだよな」
事前にメールや電話でやりとりしているとはいえ、このレーシングセンターに来るとき、つばさは必ず先回りして迅雷を待ち構えているのだ。
そのつばさは珈琲カップを手に得意顔をしている。
「学校が終わる時間と、ここまでの距離と移動手段の関係でそうなるようですね」
「ああ。しかもおまえときたらいつも犬みたいにロビーで待ってて、俺を見つけるやすぐ捕まえてレーシングルームへ連行していくんじゃないか」
一度など受付の仕事が終わった直後で私服に着替えた片山と出くわしたのに、つばさに邪魔をされたせいでろくに話も出来なかった。
「考えてみれば、センター内で俺はおまえに引っ張り回されてばかりで、自分で自由に行動したことがほとんどないような……」
「そうでしたっけ?」
本当に自覚がないのか、不思議そうに小首を傾げるつばさに傍からことりが云う。
「そうだよ。お姉ちゃん、ちょっと迅雷さんを自分の
「そ、それはだって、彼氏彼女の関係だから……だが、うむ、そうか。それではことり、おまえ、今日はお兄さんを案内してやれ」
その意外な言葉に、迅雷だけでなくことりもまた目を丸くする。
「えっ、お姉ちゃんは?」
「私はいいさ。このセンターのことならもう自分の掌のように知っているし、それに私がいたら身軽に動き回れないだろう」
つばさはそう云って自分の膝を軽く叩いたのだが、それには迅雷もことりも表情を陰らせてしまった。
「気にするなよ。俺はゆっくり歩いたって構わないぜ?」
迅雷はそう譲ったけれど、つばさはかぶりを振った。
「私はここで待っています。ここなら先日のようにプリンスに話しかけられることもないでしょうし、大丈夫。ことりと二人で行ってきて下さいよ」
「だが……」
なおも渋る迅雷に、つばさが新たな手札を示すように云う。
「それにお兄さんはまだ知らないでしょうけど、実はこのセンター、階段じゃないと行けないところが一箇所だけあるんですよ」
「そうなのか?」
「はい」
つばさがそう肯んじたその一瞬、好奇心が強く自己主張をしてきた。
――階段じゃないと行けないところか。
迅雷はことりとちょっと顔を見合わせ、互いの目のなかを覗き込んで、つばさの好意に甘えることにした。
「それなら……」
「はい、行ってらっしゃい」
こうして話が纏まると、ことりは急いでクリームソーダを片付け、つばさの顔に顔を寄せる。
「なにかあったらすぐ電話してね。おトイレに行きたくなったときも」
「ああ」
つばさは一つ頷くと、いかにも優雅に珈琲カップを口元へと運ぶのだった。
それから迅雷はことりの案内でセンター内を巡り歩いた。
「このあいだもトイレまで案内してもらったっけ」
「そうですね」
ことりは迅雷を見上げて笑った。そのとき迅雷は、今さらながら迷惑かけているやもしれぬと心づいたが、ことりは厭な顔ひとつせず、親切に色々と教えてくれた。
一階はロビーと受付、カフェ・パドックにつばさのいる喫茶店のほか、オンライン・フォーミュラ関連の売店とコンビニエンスストアがあり、センター内と街路の両方から出入りできるようになっていた。一隅には、大きな休憩コーナーがある。つまりソファがあって誰でも自由に座れるほか、奥の壁には自販機も並んでいた。こうした場所の常として、一人で本を読んでいたり、飲み食いをしながら友人と談笑している者もいるが、携帯デバイスを片手にレースを観戦している者の姿が目立つのはレーシングセンター特有の光景であろう。座れるだけのクッションの硬い長椅子や自販機、トイレはもちろんいたるところにあった。
二階へは、いつもエレヴェーターを使っているが、エスカレーターや階段もある。迅雷はエスカレーターを見上げたものの、二階にまでは足を運ばなかった。二階は脚休めの休憩コーナーがいくつかあるほかは、すべてエントリーシートのある部屋で埋め尽くされており、見るべきものはない。
「色々あるもんだな」
そう感想を呟いた迅雷は、ことりと一緒に一階のロビーにある案内図の前に立っていた。ことりがそれを指で示しながらあれこれと話してくれる。
「出入り口は正面のほかにこことここ、トイレはここ、階段は二つ、エレヴェーターはこっちとあっちに一基ずつ……」
「三階は?」
ことりの言葉が途切れた隙をついて、迅雷はそう尋ねていた。この建物は三階建てのはずだが、案内図には二階までしか載っていないのである。急な質問だったが、ことりは淀みなく答えてくれた。
「三階はオフィスになってるそうです。他にもオンライン・フォーミュラのホストコンピューターがあったり、コントロールタワーとか、警備室とか、実況ファイターや実況レディのための実況ルームとかがあるそうですけど、関係者以外立入禁止なので私たちには関係ありません。ただ屋上は開放されていますよ。行ってみますか?」
迅雷はつばさのことがちょっと気懸かりだったけれど、好奇心には勝てず、ことりとともにエレヴェーターに乗り込んで屋上へ向かった。
エレヴェーターを降りた先は、ほとんどなにもないがらんとした空間だった。自販機と、その傍に長椅子が据えられているほか、トイレがあるくらいである。
手動の扉があり、その先は光りに充ちていた。迅雷は自然とそちらへ足を向ける。
ことりを伴って屋上へ出た迅雷は、そこに広がっていた光景を見て拍子抜けした。
「なんだ。屋上庭園でもあるのかと思ったが、ただの駐車場じゃないか」
「ふふっ」
ことりが笑うが、実際そこは屋上駐車場だった。冬晴れの空の下、無数の車が
「庭園ってほどじゃないですけど、眺めのいいところはありますよ」
「そうか?」
それなら一目だけでも見ておこう。迅雷はそう思い直して、ことりのあとについて歩き出した。
ことりは自分たちが出て来た
「へえ、いいじゃないか」
迅雷は柵の方に寄っていった。胸高の柵で、上部には黒い欄干がついており、下を覗き込むと秋葉原の大通りが見下ろせる。眺めは佳かった。自分たちの立っているのは、屋上へ通じるエレヴェーターのある塔屋の屋根の上だ。この建物は三階建てで、屋上を四階とするなら、地上五階の展望ということになる。
「ここだったんだな。つばさの云ってた、階段じゃないと行けないところって」
「はい。昔はよくお姉ちゃんとここで迎えの車が来るのを待ってました。暖かい時期ならもうちょっと人がいるんですけど、今日は誰もいませんね」
「もう寒いからな」
今日は風が強い。十二月の冬のことだから、あまり長居していては耳が冷え切り、指がかじかむであろう。しかしそれでも、迅雷とことりは二人並んでしばらく秋葉原の街並を眺めていた。
あるとき、ことりがぽつりと口を切った。
「訊かないんですね」
迅雷はゆっくりことりに顔を振り向け、その整った美しい横顔や、艶のある黒髪や涼しげな首筋を見ながら問うた。
「なにが?」
「お姉ちゃんのことです」
ことりは前を向いたままそう云った。
「どうして車椅子に乗ってるのかとか、車椅子のわりにペダルワークに不自由がないのはどうしてか、とか……迅雷さんって、そういうことなにも訊かないじゃないですか」
そこで言葉を切ったことりは、やっと迅雷を振り仰いだ。もの悲しげな顔をしている。
「もしかして、お姉ちゃんに興味ないですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
たしかに気にはなっていた。特に車椅子の身でありながらペダルワークにまったく支障がない点については疑問がある。だがそれを問うのは相手の傷口に指で触ることになりかねないから、迅雷は自分の好奇心を自分で見捨てていたのだ。
だが今、ことりの方から水を向けてくれた。
「訊いたら教えてくれるのか?」
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