第三話 プリンスとの勝負(2)
女のトイレは男のそれより長いものだ。素早く用を足してトイレから出てきた迅雷は、そこでことりを待ちつつトイレの辺りをぶらぶらしていた。近くの自販機で男性が飲み物を買っている。それをなんとはなしに眺めていた迅雷は、抜群の目の良さでその男性がカードの読み取り機にバーチャルライセンスを翳しているのを見て取り、呆気にとられた。
と、そこへ傍から声がした。
「迅雷さん」
ことりだ。ピンク色のハンカチで手を拭きながら、ことりが迅雷に近づいてくる。迅雷はことりが肩にかけていたポシェットにハンカチをしまうのを待って切り出した。
「なあ、ことり。今、そこの自販機で男の人が飲み物を買ってたんだが、支払いにバーチャルライセンスを使ってた。どういうことだ?」
するとことりは少しばかり仰のいた。
「あれっ、知りませんでした? 各地にあるOFセンター内の店舗や自販機では、DPがお金の代わりに使えるんですよ。私やお姉ちゃんにしてみれば信じられない行為なんですけど、ゲームのプレイスタイルは人それぞれですから……現有DPが減っちゃってグリッドが後退することを気にしなかったり、マシンも自分のマシンを登録せず公式が用意してるマシンを使っていてポイントをチューニングに使うことがないという人は、稼いだポイントを飲み物とかに使っちゃうみたいです」
「ほう」
――オンライン・フォーミュラでも金が稼げるのか。
俗な話ではあるが、迅雷は興味を覚えた。
「ちなみにレートは?」
「一ポイント十円です。ちなみにプライベート・レースで一位になって得られるポイントは一〇ポイントですよ」
ということは?
「優勝して賞金百円、か」
なんとも侘びしい話である。
「いや、でも頑張って勝ちまくれば、一日に五百円くらいは稼げるのかな?」
そう皮算用を始めた迅雷を、ことりがくすりと笑った。唇のあいだにきららな皓歯の光りが垣間見える。
「残念でした。エントリーシートの回転率と疲労度の問題から、一人のバーチャルレーサーが一日に取れるシートの時間は決まってるんですよ。なので一日に稼げるDPには自ずと限界があるんです」
迅雷は軽く目を瞠った。
「そいつは知らなかった。具体的には?」
「内部で一日の総走行時間が計算されていて、ジュニアクラスは一〇〇分、ミドルクラスは一五〇分、レギュラークラスで二〇〇分、フォーミュラクラスでも四〇〇分です。これに休憩時間の三十分をプラスしたのが、シートを取れる最大時間になります。レースにどれだけかかるかは周回距離によりますけど、参戦者募集やフリー走行の時間を考えると、私たちは良くて一日に二つのレースにしか参加できませんね」
そこまで立て板に水とばかりに話したことりは、そこで「あっ」と小さく叫んで口元を押さえた。
「でも迅雷さんはフォーミュラクラスですから、もうちょっと長く走れますよね」
先日、自分がフォーミュラクラスであることをつばさたちに打ち明けたときは、大いに驚かれたものだ。
迅雷は一つ頷いて、さらに尋ねた。
「ちなみにレースが長引いて持ち時間を超過した場合は?」
「その場で打ち切り。ゴールしていないマシンはリタイア扱いになります」
「なるほど。
迅雷はそう云って笑い、諦めたようにため息をついた。
「走りまくってDPを荒稼ぎしてやろうかと思ったが、そんなに美味い話はないか」
「公式レースになると貰えるポイントは跳ね上がるんですけどね」
ふふ、と笑ってそう云ったことりが、すっかり警戒を解いた様子で迅雷のすぐ傍に立った。
こうして間近に見下ろしてみると、ことりはいかにも小柄であった。背が低いし、頭も小さく、肩も華奢で人形のようである。首が細くて、襟元から鎖骨が垣間見え、迅雷を見上げる可愛らしい目がきらきら光っていた。
「でも迅雷さん。本気でやるなら、DPを稼いでもあんまり使わない方がいいですよ」
「スターティング・グリッドだな」
「はい。オンライン・フォーミュラでは、参加可能なレースは今までに獲得した累計ポイントで、スターティング・グリッドは現有ポイントで決まります。ですからマシンのチューニングやセンター内の施設でポイントを使いすぎても、レースの選択には影響ありませんけど、グリッドの順位は下がっちゃうんですよね」
グリッドが一つ後退するだけでも勝率にかなりの影響が出るものだ。
「それだとポイントを使ってのチューニングも気軽には出来ないな」
「そうですね。下手にチューニングするより、ポイントを貯めてグリッドの順位を上げた方が有利だって云う人もいます。でも、その点、迅雷さんはいいですよね。最初からチューニング済みのマシンをもらっちゃいましたから」
「そうだな」
迅雷は財布のなかにしまってあるバーチャルライセンス、サイモンが与えてくれたブルーブレイブのことを思い出した。あれにはサイモンの稼いだDPが惜しみなく注ぎ込まれているのだ。
「ちなみに参考までに聞くが、チューニングに振ったポイントを戻すことは?」
「出来ません。一度チューニングで振ったポイントは永久に固定されます。OFでは
「そうか……コースに合わせてマシンのセッティングを変えるという意味でも、できない?」
「んっと、それも出来ませんね。セッティングとチューニングは別扱いなので」
そこでことりはなにか考え込むように差し俯いた。迅雷がかたちのよいことりの
「えっとですね、迅雷さん、DPを使ったチューニングって、もう試してみました?」
「いや、まだやり方すら教えてもらってない」
「そうですか。なら今のうちに云っておきますけど、今後御自分でDPを獲得したあと、ブルーブレイブのチューニングをするとき、ストレート以外にはポイントを振らない方がいいと思います。あれだけ青いとちょっとやそっと他のステータスに振ったところで焼け石に水ですし、短所を補うより長所を伸ばした方がいいって云いますから……」
「それくらいなら新しいマシンを用意した方がいいってことだな」
「はい」
一つ頷いたことりに、迅雷は承知したとばかりに深く首肯した。
「わかった、ありがとう。そうするよ」
「えへへ」
そう笑ったことりは、そこで一歩後ろに下がるやほうとため息をついた。
「私、男の人とこんな風に話したの初めて」
「そうか? おまえ可愛いから、男が放っておかないと思うが」
するとことりは、たちまち火が着いたように真っ
「そんな、こと……ないですよ。もてるのはお姉ちゃんばかりで、私は全然」
か細い声だった。肩にも力が入っている。この反応を見るにずいぶん
――不愉快な話だが。
と、迅雷はことりにボーイフレンドの出来る想像に胸のもやつきを感じながら、ふとした悪戯心を起こして笑った。
「なんなら、今度俺とデートでもするか?」
果たしてことりの反応は迅雷の想像以上だった。顔を真っ赧にして、仰け反って、しかしなぜか口元は笑っている。
「え、ええええっ! だ、駄目ですよ! だいたい迅雷さん、お姉ちゃんの恋人じゃないですか!」
「プリンスに引導を渡すまでの期間限定でな」
そう云った迅雷は、つばさのことを思い出してカフェ・パドックの方へ視線を放った。
「ところで、ちょっと話し込みすぎたな」
「そ、そうですね。お姉ちゃんのところに戻りましょう!」
ことりは気負ったように云うと、あたふたと走り出し、人にぶつかって恐縮しきっていた。迅雷は如在なくことりの後ろについて、一緒に謝ってやる。
それから、また人にぶつかってはいけないと思い、何気なくことりの手を取った。
「そら、行くぞ」
返事はなかった。振り返ってみると、ことりは実に大人しく畏まっていて、迅雷に手を引かれて歩く様は、騎士にエスコートされる小さなお姫様のようである。
ことりの手を引いてカフェ・パドックに戻ってきた迅雷は、つばさの姿が見えたところでその場に足を縫い止められてしまった。
「あっ……」
と、ことりもまた声をあげる。自分たちが席を離れているあいだに、一人のほっそりとした美少年が、先ほど迅雷がつばさのためにどかしてやった椅子に座っており、つばさに
「プリンス……」
そう、その美少年とは、もちろんプリンスこと弓箭寺恋矢であった。どうやら迅雷たちが席を外しているあいだに現れたらしい。
恋矢は笑顔を絶やすことなくつばさに話しかけていたが、その笑顔には不遜なものが仄見える。一方、つばさの方は眉をひそめて目を伏せていたが、その目がときおり人を探すように空中をさまよい、ついに迅雷とことりの姿を捉えた。その顔にたちまち驚き、喜び、怒りといった感情が次々に過ぎっていく。
遅いじゃないですか、見てないで早くこっちに来て下さい。ところでどうしてことりと手を繋いでいるんですか――と、そうした種々の感情をつばさの目色から読み取った迅雷は、ことりに軽く視線をあてた。
「行こう」
「はい」
迅雷とことりは手を離し、まっすぐテーブルに近づいていった。
「よう、プリンス。一週間ぶりだな」
迅雷がそう勢いよく話しかけると、恋矢はたちまち苦虫を噛み潰したような顔をして舌打ちし、椅子に座ったまま迅雷を睨みつけてきた。
「来たか、疾風迅雷。まあ座りたまえ」
そう云われたので、迅雷もことりもひとまず元の席に腰を落ち着けた。
四人で卓子を囲むや、迅雷は恋矢を見据えて口を切った。
「さてプリンス。今日はおまえとのレースの日程やらなにやらを決めるって話だが、俺はこのあとシートの予約を取っている。おまえの都合さえよければ、早速やるか?」
恋矢としても今すぐ決着をつけたいのはやまやまであったろう。それはその顔を見ればわかる。しかし、彼はかぶりを振った。
「いや、今日は駄目だ。パートナーの都合がつかない」
「パートナー?」
小首を傾げた迅雷の無知をあざけるように、恋矢は迅雷を鼻先でせせら笑った。
「チームメイトだよ、チームメイト。筐体の外にあるピットブースから通信で支援してくれるメンバーが最低一人は必要なのだ。重要なレースでは必ずチームを組んで事に臨む。これはオンライン・フォーミュラの常識だ。実際、君たちも既にチームを組んでいるのではないかね?」
恋矢にそう問われて迅雷は目を丸くした。つばさたちには助けてもらっているという自覚はあったけれど、それをチームと思ったことはなかったのだ。だが今日までの一週間を振り返れば、たしかに自分たちはチームではなかったか。
「云われてみると、つばさやことりが代わる代わるピットに入ってくれて、まだオンライン・フォーミュラのことをなにも知らない俺にアドバイスをくれたり、シミュレートを出してくれたりしたな」
そう独り言のように呟いた迅雷に、つばさは「はい」と相槌を打って微笑み、それからこう付け加えた。
「ピットクルーにはそうしたナビゲートのほか、メカニックとしての役割もありますからね」
「メカニック?」
「はい。お兄さんもこの一週間で学習したと思いますけど、このゲーム、セッティングの変更やマシンの修理、タイヤの交換などはシートとピットのどちらからでも出来ます。でもたとえばレース中にタイヤを交換する必要があるとして、ゲームだからと云って走行中に換えることはもちろんできません。きちんとピットインする必要があります。そのときピットに入ってからドライバーがタイヤを選び始めていたら非効率じゃないですか」
「そりゃそうだ」
もうつばさの云わんとしているところがおおよそ理解できて苦笑する迅雷に、つばさがまるで自分の有用性を主張するように云う。
「そういう場合はやはりピットクルーがあらかじめ必要なタイヤを選んで待ち受けて、マシンがピットインするのと同時にタイヤの換装を始めるのが一番いいですね。タイヤを選んで換装ボタンにタッチしてから十秒ほどで換装完了と云う、とても簡単な仕様なんですけど、それでもドライバーが自分でそれをやると数秒のロスになりますから」
「ほんの数秒でも、モータースポーツではそれが致命的になるもんね」
ことりが付け加えたその言葉に、迅雷も大いに
「なるほどな。しかしゲームなんだから、走行中にタイヤの換装が出来ても良かったような気もするが……」
「それはおそらくデザイナーが、タイムをロスしてでもピットインするかどうかの、駆け引きの要素として残したんでしょう」
「だろうな」
迅雷が相槌を打ったとき、ことりが思い出したように云う。
「あ、でもフリー走行中なら、走りながらのセッティング変更ができますよ。タイヤだけはフリー走行中でも駄目ですけど。ここ数日のレースで何回か、迅雷さんがフリー走行中に上げてきた要望にお姉ちゃんがリアルタイムで対応してたじゃないですか」
「ああ、そうだったな。それでその、俺たちは……」
なんとなく面映ゆくなってしまい、言葉を濁す迅雷に、つばさがこれは清冽な声音で云った。
「チームですよ」
その言葉に迅雷は朝日の一閃を浴びたような思いがした。そんな迅雷の見ている前で、つばさは居住まいを正すと胸に手をあてて云う。
「今回のレースは私の人生がかかってるんですから、私も出来る限り協力します。メカニックとしてお兄さんのマシンを監督し、コースに合わせて調整し、レースのときはピットからナビゲートし、ピットイン時には全力で補助しましょう」
話を聞いているうちに、迅雷はまるで自分がつばさと二人三脚でもするような気持ちになってきた。だが実際にそうなのだ。さらにそこへことりが心を寄り添わせるように云う。
「もちろん私も手伝うよ」
「いいのか、ことり。今さらだが、おまえはお兄さんがこのレースに負けたら私がプリンスと交際するという条件には反対だったのだろう?」
「そうだけど、今さらだよ。お姉ちゃんがあそこまで云ったんだもん。こうなったら戦おうよ、三人で」
「そうか」
つばさは目を和ませて、左手をことりの髪の一房に触れた。
「それなら頼む。私一人では、色々と不自由だからな。サポートしてくれ」
「うん」
ことりが頷いたのを見て、つばさが迅雷に眼差しを据える。
「というわけで、今日から……いいえ、あのときから、私たちはチームです」
「そうか……」
迅雷は実のところちょっと感動していた。今でこそ大手自動車会社のF3チームに名を連ねている迅雷だが、小学生のころは弱小のレーシングカート・チームに所属して走っていたものだ。あのころレーシングカートを真剣に見てくれたメカニックたちや、少ないシートを争ったライバルであり友人でもあるドライバーたちを、迅雷は今も愛している。
「チーム、チームか」
いったんチームメイトと聞かされると、つばさとことりには仲間意識から来る愛おしさが湧いてきた。今や自分たちは三人で一つの輪を描いているのだ。
そのまま時間が止まりかけたとき、卓子に拳を叩きつける穏やかでない音がした。見れば恋矢が顔を赧くして迅雷に怒りの目を向けている。迅雷はそんな恋矢に微笑みかけた。
「おっと、悪い悪い。おまえのことを忘れていたぜ」
「ふん」
恋矢は面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、座ったまま胸を反らし、鼻先を持ち上げて無理やり迅雷を見下ろしてきた。
「まったく、チームを組んで事にあたることも知らないとは、このド素人め」
「悪いな、始めて一週間なんだ。リアルでレースをやってたから結構速いつもりだけど、こういうゲーム的な部分についてはまだまだ知らないことが多い」
普段ゲームをやらない迅雷にとっては、本当に覚えることが多すぎた。恋矢はそんな迅雷をまだ詰り足りないらしかったが、そこで本題を思い出したらしい。
「まあいい、話を戻そう。まずレースの日時だが、今日は土曜日だから、明日ではなくその次の日曜日でどうだ?」
「いいとも。時間は?」
「午後一時」
迅雷はつばさたちに目顔で確認したが、姉妹とも異存はないらしい。こうしてレースの日時が決まった。あとは諸条件の確認だ。
先鞭をつけたのは迅雷である。
「ところでオンライン・フォーミュラのレースには必ず
「うむ。初心者でもさすがにそのくらいは心得ているか。では僕と貴様のどちらがホストを務めるかという話だが、当然、僕がやる。貴様のようなド素人には任せられんからな」
「好きにしろ……と、云いたいところだがな、このゲームはホストの権限が強すぎる。簡単に譲ってはやれないな」
そう云い張る迅雷の尾について、つばさも恋矢を睨みつけながら云う。
「プリンス、忘れたのか。オンライン・フォーミュラにおいて、ホストは勝負を挑んだ側ではなく挑まれた側が務めると云う不文律があるということを」
「そんなのあるのか?」
驚いて目を瞠る迅雷に、つばさは一つ相槌を打って続けた。
「はい。ホストはそのレースの主催者……レースの舞台となるサーキットの選択や、周回回数、レースの参加条件となる累計DPの上下限を自由に決める権利を持ちます。通常のレースであれば、誰もが自由に主催者になってオンライン上で参戦者を募り、ゲストのレーサーはレースの条件を見て参戦するかどうかを決めればいい。しかしレースが決闘の要素を帯びている場合は話が別で、挑んだ側が周到な準備をした上で戦いを挑むと、挑戦者に有利すぎはしないかということで、挑まれた側が主催者を務めるのが慣例になっています」
「そうか。そうすると、つばさを懸けたこのレースを挑んできたのはプリンス、おまえだから、ホストを務めるのは俺ってことだな」
迅雷は未だ一度もレースの主催者を務めたことがないのだが、一度くらいはやってみたいと思っていた。だから追い風を受ける帆船のごとくやる気に満ちていたのだが、しかし恋矢は素直に首を縦には振らない。
「待て。たしかにそういう不文律があることは事実だが、それは絶対のルールではない。だいいち、僕はあのとき勢いで戦いを挑んだだけで、事前に周到な準備などしていないぞ。まだ貴様のドライバーネームも知らないくらいなのだ」
「あれ? 俺のDN、知らなかったっけ?」
「まったく聞いていない。つばさ嬢に訊こうにも僕は彼女のアドレスを知らないし、だから貴様がどこの何者なのかもさっぱりだ」
「そうなのか」
「そうなのだ。貴様は僕のことをプリンスと呼ぶくらいだから、つばさ嬢から僕のことを色々と聞いているだろうに、僕は貴様の情報をまったく持ってないのだから、これは僕の方が不利とも云える。公平を期すなら、僕がホストを務めるべきなのだ」
恋矢の主張に対し、迅雷は咄嗟に反駁の言葉が見当たらずに微苦笑した。
「……ふむ。よく回る口だが、一理あるな」
しかしだからと云ってホストの座を気前よく譲ってやることはできない。ホストはサーキットと云う名の戦場を選ぶことができる。云い換えれば、地の利を手にすることが出来るというわけだ。負けられない勝負でそう簡単にホストの座は譲れない。
迅雷は断固たる口調で云う。
「プリンス。勝つために必要な条件を整えるのもレーサーの仕事の一つだ。悪いがホストは俺がやらせてもらう」
迅雷がそう断言すると、つばさもほっとしたような顔をして云う。
「そうです、お兄さん。それでいいんです。こいつにホストの座をくれてやると、色々と小細工をしてくるに決まってますから」
ホストになることで出来る小細工とはなんであろう?
迅雷はそれが気になったが、今は恋矢と話をつけることが先決だ。そう思って最後の確認をしようとした迅雷に、恋矢が突然こんなことを云った。
「なるほど、それが貴様の結論か。ところで、この勝負に僕が負けたら貴様の許可なしでつばさ嬢には近づいたり話しかけたりしない、という条件だったな?」
「もちろんそうだ。それがどうかしたか?」
「ということは、ことり嬢には近づいてもいいのだな?」
「なに?」
思いがけない角度からの攻撃に迅雷は一瞬思考停止に陥った。見ればことりも目を丸くしている。
「えっ、あの、どうして私が……」
戸惑うことりに恋矢がいやに爽やかな笑みを向ける。
「僕はつばさ嬢を守りたいのだ。だからもし万が一僕が負けた場合、君を通してつばさ嬢を見守ろうと思うのだが、なにか問題があるかね?」
あるに決まっていた。迅雷がそう云おうとしたところで、つばさが地獄の底から響いてくるような声で云う。
「ふざけるな、プリンス。ことりにちょっかいをかけたら絶対に許さんぞ」
そのつばさの怒りは、恋矢の予想を超えていたのだろう。臆した色を見せた恋矢に、迅雷もまた畳みかけるように云った。
「おまえなあ、常識的に考えてそんなのことりも含むに決まってるだろ。一から十まで話を詰めなきゃいけないのか? 読めよ、空気を」
すると恋矢は気を取り直したように迅雷を見て、皮肉げに口元を歪める。
「なぜだね? これはつばさ嬢を懸けた戦いであって、ことり嬢のことはなにも含まないではないか」
「小学生みたいな屁理屈を捏ねるんじゃない! おまえの云ってるのは『何時何分何秒、地球が何回まわったとき?』ってのと同レベルだぞ! 中学三年生なんだから本当は自分でも解ってるだろう!」
そう迅雷に怒罵を浴びせられても恋矢は涼しげな顔をしている。もちろん、恋矢も本当はわかっているのだ。こんな子供のような云い掛かりをつけてくるのも、すべては目的あってのこと。
「ちっ!」
もういっそぶん殴ってやりたいが、迅雷は舌打ち一つして怒りの大波を乗り越えると、しばらく放置してあったアイスティーを飲んで体の熱を冷ましてから云った。
「じゃあ条件を変えようか。俺が勝ったら、つばさ、ことり、その他つばさの家族親族、近しい友人知人に俺の許可なしで近づくな。わかった?」
「いいとも。だが、後付で条件を変更するのに手土産なしということはあるまい?」
それは予想していたことだった。ホストの話をしていたのに、どうして急にことりを引き合いに出して云い掛かりをつけるような真似をしてきたのか。結局、恋矢は話をここに持っていきたかったのだ。そして迅雷は、もう恋矢の相手をするのが厭になっていた。
「もういいよ。そんなに
迅雷はそう匙を投げるように云い切った。
「よし!」
恋矢が満面の笑みを浮かべてガッツポーズを作っている。業腹だったが、これで煩わしいことはすべて終わりだとも思った。しかし。
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