第五話 飛べない鳥(2)

「迅雷君は、F1ドライバーを目指すんやろ?」

「もちろんだ」

「ウチもな、実は一回、それを考えたことがあるねん。ゲームでこれだけ走れるならリアルでも行けるんちゃうか、って。でもリアルでクルマを転がすのはGフォースの関係上、どうしてもバーチャルのようにはいかへんやろうから、それはすっぱり諦めた。でもクルマは好きやし、外国にも行きたいから、ウチには二つの指標があった。一つはクルマ関係、もう一つは海外。そのときウチはある野望に目覚めた」

「うん」

「でもちょっとハードル高い夢やから、駄目なら駄目でしゃあないな……くらいに思ってたんやけど、そんなときに迅雷君、あんたと出会ったねん。そして昨日、今日と、迅雷君と一緒に走って思ったわ。あんたの速さを目の当たりにして、この人の夢とウチの夢をくっつけたいって」

「なに?」

 ――俺の夢と、翔子の夢を、くっつける?

 意味がわからない。それは傍で話を聞いていた三人も同様だったようで、ことりが首を伸ばして翔子に尋ねた。

「翔子ちゃん、それってどういう意味ですか?」

「うん、要するにね、ウチは自分のF1チームを持ちたい。つまりオーナーや!」

「ぶっ!」

 迅雷は思わずそんな風にむせかえってしまった。もし飲み物を口に含んでいたら、盛大に吹き出してしまっていただろう。それほど驚いた。

「え……マジか?」

「大マジや」

 迅雷はそのまま翔子と見つめ合い、その目に純粋さと真剣さしかないのを見て、呻くように云った。

「おまえ、凄いこと考えるな」

 それきり迅雷は目と口をまんまるにして黙ってしまったのだが、沈黙が長引くと、それを埋めるようにしてことりが尋ねてきた。

「あのう、F1のチームって、どうやって持つんです?」

 迅雷は目だけを動かしてことりを見ると、考えを整理し、翔子に目を戻して彼女を見ながらことりたちに聞かせるように云う。

「……F1が他のモータースポーツと一線を劃しているところは、原則、オリジナルのマシンで参戦しなくてはならないというところだ。市販車は使えない。エンジンからシャシーまで全部自前で用意しなくてはならないんだ。完全に内製というわけじゃなく、エンジンだけ別のメーカーに注文したり、マシン一台丸ごとレンタルしてくるという手もあるがな。そしてマシンの製造と設計には定められた規格フォーミュラがあり、マシン製造者はその規格に則ってマシンを製造する。このようにF1仕様のクルマを作る企業をコンストラクターと云う」

「それってつまり、自動車会社ですよね?」

 つばさの問いに、迅雷は首を縦にも横にも振らない。

「会社がF1に対して主体的に取り組んでいる場合はそうだ。内部にワークスチームが設置され、自前でレーシングカーを造れば、それがコンストラクターになる。その一方で市販車を取り扱わず、レーシングカーしか造ってない下請けの工場みたいなところもやっぱりコンストラクターなんだ。自動車会社って云うと、国内外で市販車を売ってる大会社を想像するだろう? そういう意味じゃ、必ずしも自動車会社がコンストラクターというわけではない。色んな性格の企業や集団がコンストラクターになりうる。だがコンストラクターは必ずチームだ。造ったクルマのことを知り抜いている本人たちが現場にいないと、レースは立ちゆかないからな。でも……」

 そこで迅雷が言葉を濁すと、翔子が如才なく後を引き取って云う。

「迅雷君の云いたいことはわかるで。一からコンストラクターを立ち上げるのは、ウチには絶対無理や。これは機械工学の仕事で、ウチにはその辺の知識が全然ない。仮にやろうとしても、F1のノウハウがないとこから始めて勝てるマシンを造るのは容易やない。でもな、そもそもそれはメカニックやエンジニアの人が見る夢であって、ウチの夢とはちゃうねん。ウチがやりたいのはクルマ造りやのうてマネジメントやからな」

「じゃあ、おまえのチームオーナーになるって夢は……」

「簡単や。会社興してお金稼いでどっかのコンストラクターを買収する。そしてレースディレクターを始め、エンジニアやメカニックなんかの経験豊富な現場スタッフを揃え、F1ドライバーと契約する。これでF1チーム、いっちょうあがりや」

 これを聞いて迅雷は大いに沈黙し、そののちにやっと云った。

「たしかに、それが出来たらおまえはF1チームのオーナーだけど……」

 口で云うのは簡単だが、成し遂げるのは容易なことではない。自動車会社ですら業績が傾けばF1から撤退する世の中だ。解散の危機にあるコンストラクターなど珍しくもないが、それを買収するなど、いったいどれほどの業績と金額が必要になるだろう。それに会社を興すと翔子は云うが、業種はいったいどうするつもりか。一から自動車会社を立ち上げるなど途方もないことだし、かといって自動車会社でもない企業がF1チームを持つなどと云い出したら株主が怒り出すのではないか。

 いずれにせよ、その方面には門外漢の迅雷ですらこれだけ思い浮かぶのだから、実際にはもっと大きな困難が立ちはだかるに違いない。

 迅雷ははあっと大きなため息をついたのちに云った。

「翔子……それたぶん、俺がF1ドライバーになるより大変だと思うぞ?」

「やろうね。F1のトップチームがレースに投じる年間予算は三億ドル以上。スタッフは現場に六十人、工場のスタッフも合わせると十倍の六百人になるっちゅうからな。もちろんこれはトップチームの話やから、下位チームになればハードルはぐっと下がるやろうけど、トップチームに勝とうと思ったら同じくらいの金をかけないと話にならへんわ」

「三億ドル……」

 と、強張った声で呟いたことりが、指を折々なにか数えている。さすがのお嬢様にとっても、べらぼうな金額に違いない。

 だが翔子はわらって云うのだ。

「でも想像して。ウチがオーナー張ってるチームで迅雷君がドライバーになってるところを。それで迅雷君が、日本人初のF1総合優勝とかやったら最高やん」

 その夢物語には胸を貫かれた。嬉しさが溢れてきて、顔がみるみる笑み崩れていく。

「俺を今のチームから引き抜こうって云うのか?」

「F1ドライバーの移籍なんてよくあることやろ?」

「まあ、そうだが……」

 そこで言葉を切り、片手で口元を覆った迅雷を、翔子は首を傾げて下からすくいあげるように見上げてきた。

「迅雷君がウチの夢に乗ってくれるなら、ウチ本気出すよ?」

「俺が乗らなきゃ駄目なのか?」

「うん。だって、それくらいの援護がないと頑張れないくらい途方もないことやもん。云うたやろ、迅雷君と一緒に走ってみて、初めて決心がついたって」

 そこで言葉を切った翔子は、隣り合う席の迅雷を指差してわらう。

「二人の夢をくっつけてみたい」

「俺の夢と?」

「ウチの夢をや」

 迅雷を指差していた翔子の手が、握り拳に変わった。片やF1ドライバーになり、片やF1のチームを創設する。これはそういうことだった。

「そんなんで人生を決めちまっていいのか?」

「かまへん。昔からずっと好きやった。あんたがウチの運命や」

 今こそ迅雷は、この翔子という少女が迅雷の心の扉を蹴破って、自分の心の中心に近いところに陣取るのを感じていた。

 情熱が歴史を動かし、夢が人を羽ばたかせる。

 翔子にとって迅雷が運命だと云うのなら、迅雷にとっても翔子が運命だ。

 ついに迅雷は莞爾と笑った。

「面白いな。おまえがどういう道筋をつけるつもりか知らないが、やれるならやってみろよ。もし俺に勝てる環境を用意してくれるなら、おまえのチームに行ってやる」

「よっしゃ、決まりや!」

 翔子は椅子を蹴立てて立ち上がると、迅雷に勢いよく握手を求めてきた。それに迅雷が応じていると、左側から片山が尋ねてくる。

「迅雷君、今のチームのことはいいの?」

 それを云われると今のチーム部長らの顔が思い浮かんでくるのだが、迅雷は苦笑いをして云う。

「仮に俺が翔子のチームに移籍するとして、十年以上あとの話でしょうし、そんな未来の話をしたところで、今のチームに対する不義理にはならないでしょう。それにそのとき、F1やそれを取り巻く環境がどうなってるのかは判らない。自分のチームでF1に新規参入しようって考えてる酔狂な奴がここにいるんですから、繋ぎを作っておくのは悪くないですよ」

「迅雷君も、まずはきちんとF1ドライバーになるところからやね。次にウチが契約にあたいするドライバーやっちゅう実績を作ってもらわんと」

「それもそうだ」

 挑発されているようにも感じたが、実際のところ迅雷はまだF1行きの切符を完全に手にしたわけではない。お互い、未来はまだ白紙である。

 握手を終えた翔子が椅子に座り直しながら笑って云う。

「いやあ、これでウチの進路も綺麗さっぱり決まったわ。とりあえずいい大学行って将来有望そうなのと仲良うなって未来のコネを作りつつ、在学中に起業する。あんまりもたもたしてられへんから、これしかないやろ。急がへんと迅雷君がおっさんになって現役引退してしまうからな。あ、仲良うなると云っても変なことはせえへんから安心して。ウチはこれでも身持ちの堅い女やからな。迅雷君は多情なのかもしれへんけど、ウチは一途やし、あれもこれも十人までなら目を瞑ってあげる。優しいやろ?」

「……なんの話だ?」

「迅雷君に都合のいい話」

 そう云って翔子が迅雷の肩を強めに叩きながら笑うので、迅雷もなにがなんだかよくわからないまま笑ってしまった。このとき二人のあいだには明るさだけがあった。

 その明るい光りに、突如、一点の闇を落とす声がする。

「……ずるい」

「えっ?」

 翔子が目を丸くして声の主を見た。それはつばさだった。迅雷も、ことりも片山も次々につばさを見る。つばさはちょっと臆したようだったが、それも一瞬のことで、彼女はテーブルに目を落としたまま云った。

「翔子ちゃんだけ、ずるい。自分の夢とお兄さんの夢を一緒にしようだなんて」

「え……」

 と、翔子が口をちょっと開いたまま固まった。つばさは翔子とは目を合わせず、陰々とした声でなおも云う。

「急に出てきて、自分だけお兄さんと手を繋いでいこうなんてずるい。私はどこへも行けないのに」

 つばさはそれだけ云うと、完全に目を伏せて黙り込んでしまった。

 翔子はそんなつばさになんと返せばよいかわからず、戸惑っているようにも、焦っているようにも見える。

 つばさはつばさで、もしかしたら後悔しているのかもしれない。だが後悔するようなことでも、云わずにはおれないことがあるのだ。感情が暴発するとは、そういうことだ。

 つばさと翔子は今、とても危険な砂上の楼閣に立っており、もしここで翔子が今のつばさの発言に怒り出せば、二人の友人関係さえどうなるかわからなかった。翔子は生唾を呑み込むとやっと口を開いた。

「さっちゃん、どうしたん? ウチ、なにか悪いこと云うた?」

「……別に」

「別にって、そんなことないやろ。なんでどこへも行かれへんなんて云うの?」

 翔子がちょっとおどけるような感じでそう云ったので、それまで息を凝らしていたことりなどは胸をなで下ろしていたが、つばさは黙して答えようとしない。

「さっちゃん……」

 つばさを困ったように見ていた翔子は、そこで目を伏せてしまうと困ったようにぽつりと云った。

「そんなこと云うたかて、迅雷君かて年が明けたらヨーロッパに行ってしまうんやで」

「えっ?」

 それは青天の霹靂であったのだろう、つばさは弾かれたように顔を上げ、目を張り裂けそうなくらい見開いて茫然としたまま翔子を見、次に迅雷を見た。

「お兄さん。ヨーロッパって、なんです、それ? 聞いてませんよ?」

「ああ……」

 迅雷はちょっと目を泳がせた。これはずっと以前から企図されていたことだったが、つばさやことりに話す機会は逸していたのだ。いずれは話さねばならないと思っていたが、このタイミングで翔子の口から云われるとは思ってもみなかった。

 それを翔子の方でも知ったのか、彼女は目を剥いて云う。

「えっ、迅雷君、さっちゃんたちに云うてへんかったの? 行くんやろ、ヨーロッパ?」

「行くよ。ただつばさたちとは、考えてみればまだ知り合って一ヶ月も経ってないわけで、なんとなくこういう話をする機会がなかった。おまえと違ってリアルのモータースポーツ事情に詳しくないしな……」

 と、そうやって翔子と交わした短い言葉すら、今のつばさには我慢できなかったらしい。

「だ、だから、どういうことなんです! 解るように説明して下さい!」

 そう叫ぶつばさの隣では、ことりも真剣な目をして迅雷を見据えている。姉妹二人の迫力に気圧されつつ、迅雷がどこからどう話したものか迷っていると、突然片山が云った、

「ヨーロッパってことは、ヨーロッパF3ね」

「そういうことです」

 迅雷は笑った。これですべてが通じれば話は早いのだが、つばさたちにはもっと詳しい説明をせねばならぬ。

「どこから話したもんか……そうだな、まずはっきり云っておくのは、俺はF1ドライバーになるってことだ」

「なればいいじゃないですか。今すぐ、来年にでも。マカオグランプリっていうので優勝したんですから、なれるんでしょう?」

「ところが話はそう簡単じゃなくてな。昔、二〇一五年の話だが、オランダで十七歳のF1ドライバーが誕生したんだよ。だがこれが却って議論を呼んでしまった。果たして運転免許も取得していない十七歳の少年にF1ドライバーの証、スーパーライセンスを与えていいものか、ってな。それで次の年からルールがいくつか変わったんだ。スーパーライセンス発給要件の一つに十八歳以上であること、というものが付け加えられた」

「じゃあ、迅雷さんは来年はまだF1に乗れないんですね」

 ことりのその言葉に相槌を打った迅雷は、張り詰めた表情のつばさを見据えて続けた。

「だから来年をどう過ごすかが、俺にとっては非常に重要になる。スーパーライセンスが発給される直前のシーズンってことになるからな。そこでヨーロッパだよ」

 迅雷は右手を銃のかたちにし、人差し指でつばさを差してにやりと笑う。

「ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権……通称ヨーロッパF3に出るんだ。俺は今年の全日本F3で総合優勝したけど、はっきり云ってヨーロッパF3の方が格は上だ。どっちもF1の下位カテゴリーだけど、日本の総合一位よりヨーロッパの総合三位の方が評価されるし、スーパーライセンスにも近い。F1の本流はあくまでヨーロッパだからな」

「ウチとしてはマカオで優勝しただけでも充分やと思うけど、たしかにヨーロッパで認められたら日本のメーカーも迅雷君を推薦しやすくなるよね」

「ああ。だから行けるなら行きたかった。そうしたら、今年のマカオ優勝の実績を交渉材料にして、今のチーム部長が向こうでシートを取ってきてくれたんだよ。それで派遣というかたちで行くことになった。そして来年、ヨーロッパF3で総合二位以上、ついでにマカオでも連覇してやれば、俺のキャリアは決定的になる。ちょっと寂しいけど、みんな行けって云うし、俺だってこんなの行くに決まってるだろ」

 そこで言葉を切った迅雷は、つばさに笑いかけた。

「というわけで、俺は来年ヨーロッパへ行く」

「そ、んな……」

 つばさはそれだけしか云えないようだった。

 暗くなりかけた雰囲気を賑やかすように翔子が云い添える。

「まあ日本で総合一位になってマカオで優勝して、ヨーロッパで総合一位になってもういっぺんマカオで優勝したら、これは文句なくF1やろ。そうなったら間違いなくテレビとかに出るな。F1とF3とじゃ日本の知名度は段違いやから、一躍有名人やで」

 あはは、と翔子は明るく笑ったが、つばさはその笑い声が遠い世界のことのようにまだ茫然としている。

「え、ヨーロッパ? 本当に? でも、じゃあ、学校とかはどうするんですか」

「辞めるよ、もちろん。行く意味がないからな」

 同級生が高校を卒業するころ、自分はF1ドライバーとしてデビューする。そういう夢を、迅雷は描いていた。それに手が届くところまで来ているのに、躊躇する理由がない。

 迅雷はそう思って断言したのだが、つばさの方は怯えたように目を見開いた。

「ど、どうしてそんなに急ぐんですか。高校を卒業するまで待っても、別に悪いことはなんにも……」

「俺は今年、全日本F3を制した。来年同じことを繰り返しても意味がない。ステップアップしたいんだ」

 そんな迅雷の決意を聞いて、ことりが「はあっ」と長いため息をつく。

「迅雷さんはリアルレーサーでもあるから来年になったら忙しくなるだろうなとは思ってましたけど、まさかヨーロッパだなんて……」

 ことりの自分を見る目が少し遠いものになったのを素早く感じ取った迅雷は、その距離を元に戻そうと笑って云う。

「調べたけど、向こうにもオンライン・フォーミュラのセンターはあるから、バーチャルサーキットでいくらでも会えるさ」

「あ、そうですね。でも日本にはいつ帰ってくるんですか?」

「モータースポーツのシーズンは、三月から十一月。もしすべてが順調に行けば、来年の十一月の下旬だな。F1デビューの内定を貰って、大手を振って日本に帰ってくるさ」

「迅雷さんなら、きっと全部上手くいきますよ」

「ありがとう、ことり」

 迅雷は目を細めて笑うと、つばさを気に懸けて話を続けた。

「F1ドライバーになることが出来たら、それはそれで世界中を飛び回ることになるんだけど、拠点は日本だ。一年だけだよ、ヨーロッパに住むのは」

 あっという間であろうと迅雷は思っている。だが、つばさはぎりりと歯を食いしばって口惜しげに云うのだ。

「来年の十一月って、ほとんど一年、離れ離れじゃないですかっ」

 そんなつばさに、迅雷はあくまで穏やかに云う。

「つばさ、もう決まった話だ」

「でも」

「毎日毎日オンライン・フォーミュラをやってるように見えたかもしれんが、それはシーズンオフだからであって、裏ではちゃんと来シーズンを見据えてこういう話も進んでいたんだよ。俺は来年、ヨーロッパに行く。既にそういう契約が出来ている」

 うっ、とつばさが呻いて黙る。次の瞬間、彼女の顔は悲しみと諦めに彩られた。それを見て迅雷は胸がつきんと痛んだが、どうしてやることも出来ない。

「つばさ……」

 迅雷がそう声をかけると、つばさはがっくりと項垂れて、悲しそうな目をテーブルに注いだ。

「仮に一年待てたとしても、F1ドライバーになったら世界中を飛び回るって、そんなの、私はついていけないですよ」

 そんなことはない、このご時世、F1グランプリが開催されるような国ではバリアフリーが徹底しているから車椅子だからといって不自由を感じるはずがない――と、迅雷は語ろうとしたのだが、きっとそういうことではないのだろう。

 つばさの云う『どこへも行けない』は、肉体のことではなく、精神のことではないか。

「つばさ、おまえ……」

 そのとき、団体客が入ってきた。全員大学生くらいであろうか。ともかくそれを見て、重苦しい空気を変えようと云うのか、片山が如才なく云った。

「騒がしくなってきたし、出ましょうか」

「そ、そうですね」

 ことりがそれに飛びつくようにして立ち上がった。否やはなかった。

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