第四話 浪速のハイスピードガール(1)
第四話 浪速のハイスピードガール
プリンスとの勝負から一夜明けた月曜日、迅雷とつばさとことりは午後四時前の明るい時間に秋葉原のレーシングセンターで顔を合わせていた。いずれも制服姿である。冬休みの直前で学校の授業が少なかったから、今日はこれほど早い時間に集まることが出来たわけだが、実のところ早く集まりすぎて時間を持て余してもいた。
今日はこれからTSRにエントリーするためのタイムアタックを行うわけだが、まだ他のレーサーが迅雷たちの予約しているエントリーシートを使っており、二階のレーシングルームには入れないのだ。
「こんなに早く全員揃うんなら、シートの予約時間を繰り上げておくんだった」
そうぼやいた迅雷は今、センター一階の休憩コーナーにいて、背もたれのない、クッションの硬い長椅子の角に座を占めていた。その隣にはことりがおり、つばさは迅雷の前に車椅子を着けている。
「いいじゃないですか。三人いれば退屈しませんし」
笑ってそう云ったつばさが、そこからは真面目な顔に切り替えて続けた。
「それにしても本当にぎりぎりでしたよ。TSRエントリー受付の締め切りは明日ですからね。もちろん私とことりと翔子ちゃんで既に一度エントリーしてるんですけど、それを取り下げてお兄さんのタイムを加えて再エントリーします。昨日も云いましたけど、予選出場の可否を決める参考タイムは四人全員の平均タイムになりますから、よろしくお願いしますよ?」
「ああ。それでタイムアタックは指定されたサーキットでやるんだよな。そこまではもうわかってるが、そのあとの予定はどうなんだ?」
「金曜日には予選に出られるかどうかの当落と、予選の組み合わせが同時に発表されます。通っていれば、チームメンバー全員のメッセージボックスに運営からその旨が通知されますよ。予選と本戦は来週の中旬に、二日に亘って開催されます」
相槌を打って聞いていた迅雷は、そこで頭のなかのカレンダーを確認すると云った。
「大晦日の直前にレースか……年の瀬もいいところだな」
「年の瀬だからいいんですよ。学生は冬休み、社会人は仕事納めで自由になってますから、参加率も高いですしね。ちなみにシートの予約も取らなくていいですよ」
「うん?」
シートの予約を取らなくていいだって?
迅雷が首を傾げていると、今度はことりがくすりと笑って云う。
「運営が主催する公式のイベントレースの出場者には、シートが優先的に割り当てられるようになってるんです」
「なるほどな。ところでさっき予選の組み合わせって云ってたけど、運動部みたいに地区ごとにやるのか? でもその場合、御空翔子は大阪にいるし……」
「はい。学校の部活動などと違って、OFではチームメンバー全員が同じところに住んでいるとは限りません。なので組み合わせはどこからログインしているかに関係ないんですよ。参戦者を国内限定にしているのも時差の関係があるからで、OFのワールドグランプリはその辺りの調整に苦労しているって話をよく聞きます」
「……具体的には何チームで争うんだ?」
「一ブロック、十チームです。毎年のことですが、TSRは事前のタイムアタックで上から順に全百チームが出場。予選は十ブロックに分割されて、一ブロックあたり十チームが仮想世界に並列する同一サーキットで同時スタートを切り、各ブロックのトップチームと、全ブロックの二着チームのうちからタイムで上位二チームの、合計十二チームが翌日の決勝に進出というルールです」
「ほう、ワイルドカードがあるのか」
「はい。あるブロックの二位のチームが、別のブロックの一位のチームより良いタイムだった、なんてことは往々にしてありますからね。そして予選の組み合わせはコンピューターによる籤引きで、ランダムかつ公平に決められるという話ですよ」
そこまでの話を総合して、迅雷はたちまち殺気立った。
「となると、組み合わせ次第では、予選でいきなり真玖郎のいるチームとぶつかることもある……?」
「ありますね。可能性としては低いですが」
「そうか」
予選と思っていたし、真玖郎も順当に行けば決勝でぶつかると云っていたが、場合によってはその予選が真玖郎との大一番になる可能性もあるわけだ。
もちろん、その前に御空翔子との勝負に勝つことが大前提である。そしてその翔子と勝負する日程も既に決まっており、迅雷は今朝方、家を出る前のメールでそれを知った。
「御空翔子との勝負は、土曜日だったな」
「はい。スケジュールを纏めると、今日タイムアタック。その後、チームを三人から四人に改めてTSRに再エントリー。明日がTSRの受付締め切り。金曜日に予選の合否と組み合わせ発表。土曜日にお兄さんと翔子ちゃんのセッションを組み、お兄さんが勝てば、来週、私とことりとお兄さんの三人でTSR予選に突入ですよ」
迅雷はその説明に相槌を打って笑った。
「慌ただしくなってきたな。俺もリアルで色々あるから、冬休みに入ってくれて助かった」
高校生とはいえ、ワークスのレーサーである迅雷には色々な付き合いがあり、年末年始の予定は立て込んでいた。携帯デバイスのアプリでスケジュール管理をしているが、もし昔ながらの手帳を使っていれば、カレンダーは書き込みで真っ黒になっていたであろう。
「他になにか聞いておきたいことはありますか?」
つばさが笑いを含んだ声でそう尋ねてくるので、迅雷はちょっと考えたあとで云った。
「そうだな。気の早い話だが、TSRの予選と本戦ではどんなサーキットを使うんだ? タイムアタックで使うコースのレイアウトにはもう目を通したけど、同じサーキットでやるわけじゃないよな?」
「ああ、それはシークレット扱いなんですよ」
つばさの言葉に目を丸くした迅雷に、ことりが傍から補足を加える。
「えっとですね、TSRの予選と本戦で使われるサーキットは、予選当日のフリー走行直前まで秘密なんです。どのサーキットが使われるかは毎年異なるので、今年の運営がどれをぶつけてくるかは、蓋を開けてみないとわかりません。ちょっと意地悪ですよね」
「そうか……」
だとすると事前に下調べをしておくことも出来ない。だが、それは全参戦者にとって同じなのだから平等ではある。
と、そこで迅雷はふと厭な予感を覚えて訊いてみた。
「まさか予選と本戦で違うサーキットを使うとか?」
それにはつばさも首を傾げた。
「可能性はありますが、過去にそういうパターンはありませんでしたから、大丈夫じゃないでしょうか。本戦のグリッドは予選のタイム順になりますから、サーキットが変わってしまうと勝手も違ってきますし……」
と、そこでつばさははたと膝を打った。
「あ、グリッドで思い出しました。予選に出られるかどうかだけじゃなく、予選のスターティング・グリッドも、今日提出するチーム四人の平均タイムで決まります」
そこで言葉を切ったつばさが、にんまり笑って云う。
「お兄さんのせいで私たちの平均が下がるなんていうことは、まさかないですよね?」
「抜かせ。俺を誰だと思っている?」
迅雷はそう云って笑うと立ち上がった。すっかり話し込んでしまったが、そろそろ二階のレーシングルームに入れるころである。
◇
タイムアタックの結果は見事なもので、迅雷はこのチームの平均タイムを大きく引き上げた。迅雷がシートから下りてピットブースに向かうと、それを待ち受けていたつばさは満足そうに笑って云う。
「これなら翔子ちゃんも文句は云わないでしょう」
「土曜日の勝負、どっちが勝っても四人組でエントリーすることは変わらないもんね」
ことりの言葉につばさは一つ頷いた。TSRの締め切りが明日で、翔子との勝負が土曜日ということは、当然そうなる。予備を含めた四人のうち誰が走るかはチーム内のシート事情でしかないから、レース直前までいくらでも変更可能ということだ。
「さて、と。じゃあ四人分のタイムを添えて、ぱぱっとエントリーしちゃいますか」
つばさはそう云うとピットのコンソールに向かい、キーボードを叩き始めた。それを迅雷とことりが並んで後ろから見ている。
つばさのキーボードタッチの迅速かつ正確無比なことと云ったらない。将来コンピューター・エンジニアの仕事に就いてもいいのではないかと素人なりにそう考えていた迅雷は、つばさが入力しているデータのある欄に注目して声をあげた。
「おい、つばさ。これってなんだ?」
つばさがキーボード入力の手を止めて、不思議そうに迅雷を見上げてくる。迅雷はそのつばさの肩越しに画面の一箇所を指差した。
「これだよ。これってもしかして……」
迅雷の指が示すものを見たつばさが、ああ、と納得顔で頷いた。
「はい。お察しの通り、私たちのチーム名ですよ。TSRはリレー形式のチーム戦ですからね。三人ないし四人のバーチャルレーサーの名前はもちろん、全員を代表するチーム名も必要ということです」
「チーム名……そんなものもあるのか。だが、云われてみれば当然か」
迅雷は感心したり得心したりしつつ、そこに書かれていたチーム名を口に出して読み上げた。なにか、神聖な名前を口にするような気持ちで。
「チーム・ソアリング」
するとことりが迅雷を見上げて云う。
「翔子ちゃんがつけた名前です。私たちのチームリーダーは翔子ちゃんなので」
「そうか……」
そううっそりと呟いた迅雷は、低い声で云う。
「ソアリング、英語で舞い上がるって意味だな。鳥が翼を
まだ見ぬ御空翔子は、いったいなにを思ってこの名前をつけたのか。
――三人で走るつもりでチーム名までつけて、そこに知らない奴が入ってきた上、チームリーダーなのに予備に回されるとなったら、口惜しいだろうな。
もし土曜日の勝負で迅雷が勝ち、シートを獲得できたとしても、なんらかの償いはしなければならぬ。迅雷は心で密かにそう思っていた。
◇
そして金曜日の昼過ぎのことだ。
学校は冬休みに入り、昼間から大手を振って街に繰り出していた迅雷たち三人が秋葉原レーシングセンター近くの蕎麦屋で昼食にしていたとき、運営からTSRの予選組み合わせに関する発表があった。
食事の合間にタブレットを触っていたつばさが、そのメッセージに気づいたのだ。
「通知が来ました」
つばさがそう云った瞬間、迅雷は胃の腑へ送り込んだばかりの蕎麦がずしりと重たいものに変わったような気がした。自信はあったが、発表の際は緊張するものだ。だが次の瞬間、つばさの見せてくれた明るい笑みにその重みは消え去った。
「とりあえずチーム・ソアリングは、予選に出られることが確定しました」
「そうか!」
迅雷は箸を置いて素直に喜び、卓子に身を乗り出すとつばさ、ことりと順にタッチを交わした。それからたちまち真剣な目をして、喰らいつくように問う。
「それで予選の組み合わせは?」
チーム・ソアリングと、真玖郎のいるチームは予選でいきなりぶつかるのか、それとも別々なのか。
「待って下さい。順番に行きましょう」
つばさはざるそばのお盆を横にどけ、そこにタブレットを置いてことりと一緒に覗き込んだ。画面は迅雷にも見えたが、向かい側からなので逆さまになっている。いまいち概要がつかめないが、どうやらチーム名とチームリーダーの名前、そしてグリッド順位のみが表示されている画面のようだ。一番上にチーム・ソアリングとショーコの名前がある。
「予選は全部で十ブロックに分かれ、私たちはそのうちの第一ブロック。このブロックには全部で十チームが出走します。サーキットはやはり当日までシークレット扱いですが、予選は一人五周で合計十五周のセッション、本戦は一人十周で合計三十周のセッションになるそうです。これは全部、例年通りですね。そして気になるスターティング・グリッドですが――」
と、そこで言葉を切ったつばさがにやりと笑う。
「私たちはポールポジションですよ。やりましたね、お兄さん」
「ああ」
なにはともあれ、有利な位置だ。嬉しいことには変わりない。
迅雷が微笑むと、つばさは続いてチーム・ソアリングの名前をタッチした。すると画面が切り替わって、ショーコ、ダークネス・プリンス、リトルバード、そしてライトニング・バロンといった四人の名前が表示されている画面に切り替わった。そこには各人のタイムと、四人の平均タイム、予選のグリッド順位が記されている。
「お兄さんは今のところ予備の欄に名前が表示されていますが、これはレース直前までいつでも変更可能なので安心してください」
「ああ、それで真玖郎は?」
「今、探しますよ」
つばさは苦笑しながらそう云うと、タブレットを一つ前の画面に戻し、第一ブロックに出走する残り九チームの詳細を手早く確認していった。結論はすぐに出た。
「予選第一ブロックのチームにナイト・ファルコンの名前はありません」
「そうか」
迅雷は自分でもがっかりするかと思いきや、逆に気持ちが高揚してくるのを感じていた。真玖郎とは早く戦いたいのだが、やはりその舞台は予選よりも決勝がいい。予選でいきなりぶつかっていたら、きっと拍子抜けしていただろう。
だから迅雷は笑って、つばさに続けて尋ねた。
「わかったよ、ありがとう。で、それなら真玖郎はどこにいる?」
「組み合わせ発表の画面にワード検索機能がついてないので……」
つばさはそう云いながら画面表示を切り替えた。
TSR予選組み合わせ発表のトップページらしく、第一から第十までのブロックがカラー別に表示されており、つばさはその第二ブロックをタッチした。すると第二ブロックに出走する全十チームの名前とチームリーダー名が、グリッド順で表示される。
「総当たりで探すしかないみたいですね」
つばさがそう云いながら迅雷にタブレットを差し出してくる。迅雷はそれを受け取ると微笑みながら、凄味さえ感じさせる声で云った。
「オーケー、探すよ。確認しないと気が済まない」
「がんばってください」
つばさはそう云って頷くと、お盆の位置を元に戻し、ことりとともに食事を再開した。一方の迅雷は蕎麦がのびるのも構わず全チームを総当たりで真玖郎の名前を探していく。
第三ブロックのメンバーを確認している途中でふと気づいた。
――真玖郎のいるチームなら当然ポールポジションだろう。てことは、各ブロックのトップチームだけ確認していけば早いじゃないか。
そのことに気づいた迅雷はそうすることにした。
そして、第七ブロックである。
この第七ブロックにおいてポールポジションを占めるチームの名前を一目見るなり、迅雷はちょっと手を止めた。
――チーム名、ストームヴィーナス? 嵐の女神か。名前からして、いかにも女だけのチームって感じがするなあ。男がいたらヴィーナスなんて名乗らんだろ。
ちなみにチームリーダーはホー・ホケキョとかいうふざけた名前である。
迅雷は期待していなかったが、しかしそれでも念のため、ストームヴィーナスの名前にタッチした。そして。
「うおっ!」
思わずそんな声をあげた迅雷を、つばさとことりが驚いたように見てきた。
「お兄さん?」
「いた!」
TSR予選第七ブロックのポールポジション、チーム・ストームヴィーナス。チームリーダーであるホー・ホケキョの下に三人の名前が並んでいる。他の二人の名前は目に入らない。迅雷の目に映る名前はたった一つ。
ナイト・ファルコン。
それと察したのか、つばさは目を弓のように細めて尋ねてくる。
「どのブロックです?」
「第七ブロックだ。そのポールポジションで出るストームヴィーナスとか云うチーム……名前からしてガールズチームかと思ったが、そこにナイトファルコンの名前があった」
「よかったじゃないですか」
つばさはそう云うと蕎麦をすすって、迅雷が差し出したタブレットを受け取ろうとはしなかった。ことりも似たようなものである。
そんな姉妹の反応に迅雷は首を傾げた。
「見ないのか?」
「まあ、決勝で当たるまでは関係ないですからね。とりあえずチーム名と出場ブロックが判ればそれでいいですよ。予選を無事に通過することが出来たら、本戦の前に第七ブロックのレースを見ましょう」
「リアルタイムで観戦することは、出来ないよな?」
「出来ませんね」
つばさのその答えは、迅雷も予想していたものだった。一言答えてまた蕎麦をすするつばさに代わって、今度はことりが云う。
「TSRの予選、全十ブロックのレースは同日同時に行われるので、レース中の私たちが、レースの合間に他のレースを観戦するのはちょっと無理だと思います」
「だよな」
迅雷はふたたびナイト・ファルコンの名前を睨むと、決勝で会えるよう祈りながら、タブレットの画面を予選発表のトップページに戻した。そこへつばさが声をかけてくる。
「蕎麦、のびていしまいますよ」
「ああ、食べる食べる」
迅雷はタブレットを卓子に置くと、途中で放置していた蕎麦に取りかかった。
食事のあと、迅雷は携帯デバイスを片手になにやら入力していた。それをつばさがじっと見ながら、針でちくりと刺すように云う。
「また片山さんにメールですか?」
「違う。今やってるのはカロリー計算だ」
「カロリー計算?」
つばさとことりの声が見事に重なった。姉妹にとってはそれほど意外だったのであろう。ことりの方が驚きの面持ちで尋ねてくる。
「迅雷さんって、ダイエットしてるんですか?」
「ダイエットって云うか、体重管理だな。オンライン・フォーミュラだと体重関係ないけど、リアルのレースではとても重要なんだよ。俺、ただでさえ身長が高いだろ? それに加えてトレーニングもしなくちゃいけない。フォーミュラカーに乗る以上、体力も筋力も落とせない。それなのに体重は増やしちゃ駄目なんだ。で、とりあえず食ったものは全部カロリー計算用のアプリにぶち込んで、一日の摂取カロリーを目に見えるようにしているんだよ。これで管理が楽になる。基礎代謝で消費する分もあるが、それ以外はトレーニングで消費しないと。とはいえ、一時間走ったところで消費できるカロリーなんてたかが知れているからな……」
ぽかんとした表情のことりを見て、アプリへの入力を終えた迅雷は携帯デバイスを置くと笑って云った。
「大変なんだよ。もちろん無理な食事制限なんかしないけど、アスリートの端くれである以上、好きなものを食べるよりベストな体づくりを考えて、食べるものを選ばないと」
「迅雷さんがいつも珈琲ばかり飲んで甘いもの食べないのって、そういう……」
「チョコレートとか、本当は好きなんだけどな。おいそれとは食えないよ。その代わりってわけじゃないけど、プロテインはいつもココア味を選んでる」
「そんなのまで摂ってるんですか」
と、今度はつばさが驚いたようである。
「無から有は生まれないからな。体を作るにはトレーニングだけじゃなく、筋肉の材料も摂取しないと」
するとことりが、まるで外国の言葉を聞いたような顔をして云う。
「私、男の人ってなにもしなくても勝手にムキムキになるものだと思ってました」
「……だったらいいよな、楽で」
迅雷は心からしみじみとそう云ったが、すぐにその顔を引き締めた。
「でも、きつくてもがんばらないと。今、気を緩めたらすべてが駄目になってしまう。来年は勝負の年だしな……」
つばさとことりは二人して小首を傾げたが、きっと迅雷のリアルレースの話であろうとは察しがついたろうから、リアルのレースに疎い二人は敢えて尋ねてこなかったようだ。
しかし、迅雷は思う。
――今ここで、あのこと話しちまうかな。
つばさやことりはもう他人ではない。自分の来年の予定について、いずれ機会を捉えて話しておかねばならぬ。ではいったい、いつ話すのか? それは今ではないか。
――来年、俺は。
迅雷がそう切り出そうとしたところだった。
つばさが卓子に置いてあったタブレットを自分の前に引っ張ってきた。
どうするのかと思って見ていると、予選発表ページの第七ブロックのところをタッチしている。結局真玖郎のいるチームを見ておくつもりかと、迅雷は思ったし、つばさもそのつもりであったのだろう。
ところが、第七ブロックのチーム一覧を見てつばさが「あっ」と声をあげた。
「どうしたの?」
ことりがつばさの肩に頭を預けるようにして一緒にタブレットを覗き込んだ。つばさはチーム・ストームヴィーナスではなく、五番手のチームのところを指差して云う。
「お兄さん、第七ブロックの第五グリッドのチーム、セイバーズって書いてあります」
「セイバーズ?」
救世主たちと云う意味か、それとも複数の剣と云う意味か。迅雷が考えていると、つばさが片手で顔を覆いながら続けた。
「たしかこれ、プリンスとその仲間たちが使っている名前だったような……」
「なに!」
驚く迅雷の前で、つばさはセイバーズの名前をタッチした。そして目を瞠る。
「……ああ、やっぱり。お兄さん、見て下さい」
つばさがそう云ってタブレットを返し、迅雷によく見えるようにしてくれる。
果たして予選第七ブロック第五グリッドからスタートするセイバーズなるチームがあり、そこにプリンスが名を連ねているではないか。
「本人か?」
「たぶん」
つばさは頷いたが、同名の可能性もある。そこで迅雷は試しにプリンスの名前にタッチしてみた。するとそこから新しいタブが開いてプリンスのマイページに飛び、そこにはプリンスの愛車であるヴァイスセイバーの写真が飾られていたのだ。
「……本人だな。あいつもTSRに出るのか」
そういえば恋矢は初めて会ったとき三人の友達と一緒にいたし、弾彦も友人に迅雷のレースを妨害させようとしたのを阻止したと云っていた。バーチャルレーサーの友達がいるのなら、リレー形式のTSRに出てきたとしても不思議はない。
迅雷はそう得心して、小さくこう叫んだ。
「あいつ、俺より先に真玖郎と走るのかよ!」
羨ましいような、面白くないような、複雑な気持ちである。また真玖郎と恋矢がどのような勝負をするのか気にもなる。よもや真玖郎が負けるとは思えないが、レースはなにがあるかわからないし、これはチーム戦だ。他のメンバーの出来次第で勝敗がひっくり返ることもありうる。
――プリンスなんかに負けるなよ、真玖郎。
迅雷は真玖郎と恋矢、二人の面影を心に掛けてそう思っていた。
その想いの波が過ぎていくと、また別の想いが波となって押し寄せてくる。
――しかし結局、云い出しそびれちまったな。
来年の予定について話をする端緒は掴めなかった。そのことを迅雷が少しばかり悔やんでいると、湯飲みを両手で持ったことりがお茶を吹きながらぽつりと云う。
「でも、いよいよ明日になっちゃいましたね。迅雷さんと翔子ちゃんのレース」
「ああ、そうだ。それがあったよ」
もちろん忘れていたわけではないが、迅雷が今、一番考えねばならないのはそれである。TSRの予選に出られることは決まった。組み合わせも確定した。だがその前に一つ、乗り越えねばならぬ壁がある。
迅雷は浪速のハイスピードガールと一戦を交えねばならない。
すべてはその勝負の向こう側にあるのだ。
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