第26話 眠る理由
「君は、1200年間も月の宮を守っていたんだね」
歩は、モモのベッドに近づいた。その斜向かいに月野美子がいる。
「1200歳と聞いて驚かない男に初めて会ったわ。プンプン」
彼女が胸の前で両手を組み、歩の顔を覗き込んだ。
魅力的な彼女にドギマギする心を奮い立たせて歩は応じる。
「ああ。高齢化社会でみんな長寿だからね。長生きの少女には慣れているんだ」
「そうなのぉ?……」小首をかしげ、つづける月の巫女。「……で、ひとつ訂正があるよ。私が守っているのは、月の宮ではなく上社だよ。プンプン」
美子が歩に体を摺り寄せて、下から大きな瞳で見上げた。その瞳に吸い込まれそうになってたじろいだ。
可愛い! 超好み!……そう思った。
歩は心の動揺を虚勢で隠す。
「な、なるほど……。その上社の関係者に、昨日、襲われたよ」
「えー、おかしいなぁ。八田王は優しい方なのに。……まぁ、怒るときもあるけどね。日の巫女が不在だから、今は抑えきれないんだよ。運が悪かったわね。プンプン」
彼女はプンプン言いながら、まるで品定めをするように歩の腕を取り、胸に触れた。歩の胸の奥、宝剣が吸い込まれた場所がチクチクした。
「あそこに祭られているのは、やっぱり箭田珠勝、……八田王なんだね」
歩を品定めしながら、膝を曲げ伸ばししてゆっくりと上下する美子。その胸の谷間から、歩は視線をそらせられない。
「うむうむ。石姫が1500年前に連れてきた御霊なのだ。プンプン」
「そのころは日の宮と月の宮はなかったのだな?」
七恵は1500歳。1200歳の美子に対しては上から目線だ。
「日の宮と月の宮は、1200年前に矢田王が暴れたので、日の巫女と私とで皇子の魂を慰めるために造られたのよ。ぷんぷん」
「それで、今、日の巫女は、どこにいるの?」
歩は、4カ月前の朝方、目の前に現れた式神のほっそりとした白い顔を思い出していた。人魚の鱗事件の際、歩と七恵のもとに学園長の最後の伝言を運んだのが、式神となった日の宮の巫女だった。
「この少女に日の神が下りたということは……。プンプン」
意識のないモモの姿に視線を落とした美子の瞳に涙が浮かんだ。大きな胸がプルンと揺れた。
「亡くなったということか……。永遠の命を持っているわけではないのだな?」
七恵が独自の解釈をして嘆息する。
「七恵と同じだね」
耳元でささやくと、彼女はうなずいた。
「うむ。それで良かったのだ」
歩は、七恵の気持ちを察して、その手を握った。彼女は不死から解放される対価として、自ら死の時期を選択しなければならなくなった。それを実行するのは尋常なことじゃない。一旦は歩と同じだけ生きると言った彼女だけれど、今もそれが正しいことだったのか、と心を揺らしているのだろう。
「違うわよ。日の巫女は死んじゃいない。プンプン」
美子が七恵を睨んでいた。
「でも、日の神は、日の巫女の身体を離れたのだろう? そうしたら1200歳の日の巫女は……」
歩は亡くなった学園長のミイラのような萎びた遺体を思い出した。
「……美子さんは、日の神の言葉が分かるのかい?」
「もちろんわかるわよ。バカにしているの。プンプン」
「どうして、モモの意識が戻らないのだろう。訊いてくれる?」
「日の神はモモに降りようとしている。モモは依代と成ることに抵抗している。それで意識が戻らないのよ。さっさと、あきらめればいいのに。プンプン」
「日の神に、モモの身体を依代にするのを止めてもらえないかな?」
「それは日の神の気持ち次第だよ。プンプン」
「美子さんから、話してもらえない」
「日の神とモモの問題に美子は関われない。プンプン」
「モモの両親が心配しているんだ」
「そ、そんなこと……」
動揺した美子が大粒の涙を落とした。
「え、え、え……」
歩はあわてた。
「デリカシーがないのだな。美子にも依代になることを案じた両親がいたはずだ」
七恵が歩の足を踏んだ。
「イテテ……。そうだね。ゴメンよ」
「バカ!」
美子は歩の頬を打った。パタパタと乾いた足音を残して部屋を出ていく。
「逃げたよ」
七恵の言葉は事務的だ。
歩は後を追った。美子の逃げ足は速く、廊下に出た時に彼女の姿はなかった。念のために出入口まで走り、周囲を見回してあきらめた。「見失うはずがないのに……」美子も霊異のモノで、実態を持たないのかもしれない。そう考えると背筋が凍った。
「逃げ足の速い巫女さんだ。逃げられちゃったよ」
病室に戻ると、ぬぼーっと待っていた2人に報告した。恐怖を笑いに包みこみ……。
「根性がないのね」
七恵が事務的に応じた。
「そう言われても、相手は1200歳の巫女さんだよ」
1500歳の中学生に言うのは滑稽だ。
「そう?」
七恵が首を傾げた。
「それより香さん。日の神の声は聞こえる?」
歩は本来の目的に話を変えた。
目の前のモモは、冬眠でもしているように横たわったまま動かない。
「聞こえないわねぇ。まるで神自身も眠っているみたい。うふ」
日の神は、どこだ?……声に似たものが頭の中でした。胸の痣がうずく。
「簡単には、目覚めそうにないね」
大人びたモモの顔を覗きこみ、60点をつけた。
「できるなら、医者がしている」
七恵が言った。
「王子様がキスしたら、目覚めるのかもしれないですよ。うふふ」
香が意味ありげに言うと、七恵が歩の袖を引く。
「ここにいても問題は解決しない。帰ろう」
「あ、あぁ。そうだね」
歩には策がない。ただ、七恵と香の力だけが頼りだった。
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