第45話 よすが
帰りの車の中、歩は、安田産業の領収書がどうして偽物だと分かったのか、と玉麗に訊いた。
「領収証の日付が昭和55年だった。それは1980年。安田産業は1976年に破産宣告されて翌年には消滅していたのよ。昭和55年に領収証が出るはずがない。……国宝級の古美術品を売るとなれば、その出所を明らかにしなければならないから、そうした古美術品を多数所有していた安田産業から買ったように偽装したのでしょうけど、浅知恵だったということよ」
玉麗がこともなげに言い、歩の横腹をつついた。
「あとはモモの件だけど、なにかうまい方法はあるの?」
「問題は、依代です。玉麗さん。なりませんか?」
ちらりと横顔をうかがった。
「私ならなっても構わないわよ。ずっと若いままでいられるのでしょう?」
真面目に答えているのか、冗談なのかわからない。
「ええ、まあ……。巫女になるには心の清らかなものでなければならないのだと思いますが、……玉麗さんなら大丈夫ですね」
玉麗に巫女になる資格があるのだろうか?……歩は玉麗の胸に視線を走らせた。日の神はペチャパイが好みらしいけれど……。
「私に資格がないと思ったでしょう。帰ったらお仕置きよ」
玉麗の冷たい声に、歩の股間がキュッと縮んだ。
事務所に戻ると、「足をもめ」と玉麗に命じられた。ソファーに腰を下ろした彼女は、靴を脱いで両足を投げ出している。
「よろこんで!」
歩は彼女のふくらはぎを優しくもんだ。その頭の上で、彼女は冷たい麦茶をグビグビとアニメのような音を立てて飲んだ。
歩は汗だくだった。床に片膝つき、サワサワと玉麗のふくらはぎを揉み、足裏のツボを押した。その手が太腿に延びると「そこは揉まなくていい」と、玉麗の物差しがピシャリと手の甲を打った。
足が揉みほぐれてむくみが取れてから歩は解放された。真由に電話を掛けて大国が謝罪することを伝えた。
『謝罪、ですか?』
想いもしない展開に、電話の向こうから聞こえる声は戸惑っていた。
昨日は自分の過ちに涙を浮かべた彼女だが、大国に対する恨みや敵意をきれいさっぱり捨て去ったわけではないらしい。それらは幼いころから彼女が心の支えにしてきた信念、心のよすがなのだろう。一夜で変わるとしたら、その方が不思議なのかもしれない。大国の罪の深さを改めて感じた。
「担保にしていた剣は無くなってしまったし、借金のせいで真由さんのお父さんが亡くなったのも事実だ。道義的な責任を感じているのだと思う。具体的にどんな形になるのかはわからないけど、お母さんも楽になることだと思うんだ。会って話してみることを検討してほしい」
歩は精一杯、誠意を込めて話した。
『そうですね。考えてみます。母へは、私から伝えておきます』
「僕からもあらためて連絡すると……」歩の話の途中で電話が切れた。
怒っている? どうして?……見当がつかず、歩は首を傾げた。
その夜、真由から電話があった。
『やっぱり気持ちの整理がつきません。考えれば考えるほど、わからないことが頭の中で膨れ上がる感じなんです』
その声に昼間の怒りの色はなかった。
「どんなこと?」
『モモに憑こうとしている日の神のことです』
「それは……」歩にも説明できないことだった。「……七恵さんや香さんの話を聞いた方がよさそうだね」
歩は、翌日会う約束をして電話を切った。
翌日、アブラゼミが夏の終わりを告げるシンフォニー、或いはレクイエム……。それらを奏でる奴奈之神公園に4人の若者の姿があった。歩と真由、七恵、香の4人だ。真由の相談にのるために、歩が七恵と香を呼んだ。
4人はエアコンの効いた車の中にいた。真由が助手席で、後部座席に七恵と香。七恵は助手席に座りたかったらしく、不服そうな顔をしていた。歩だけが理解できる七恵の微妙な表情の変化だった。
「冷静に考えたら、わからないことに気づいたのです」
真由が歩に向かって強い眼差しを向けていた。それを、歩は受け止めた。彼女の姿は、一昨日、気弱に泣いたそれとは別人だった。
「私がモモに悪意を感じたのは事実です。それでモモをどこかにやってしまいたいと考えたのも事実。……そしてモモは日の神に見初められた。そこが分からないんです」
「どういうことかしら。うふ?」
真由の視線が白髪の少女に向いた。
「私が、モモを日の神に差し出すような力を持っていると思う? ただの高校生なのよ。それとも、日の神とのやり取りって、誰でもできることなの?」
香が目をパチクリさせて表情を固めた。
「ねえ、どうなの?」
真由の矛先が歩に向いた。すると香が口を開いた。
「誰にでもできることではありません。あなたには、神と交信する力があるのよ。うふ」
彼女が肩をすくめる。白衣の胸元がゆるんで、深い谷間ができた。歩はそれを見逃さない。見てしまってから、顔をそむけた。
「神と交信する力、……ですか?」
「ええ。私と同じように、イタコや巫女になる能力が備わっているということです。うふふ」
真由が驚きの表情を作った。
「何か、証拠でも?」
「モモさんに日の神が憑いたのが証拠よ。うふ」
やはり彼女が今回のキーパーソンだ。……歩は確信していた。 ルームミラーの中の香を見つめた。
「私が日の神をモモに憑りつかせた証拠がないのに、憑りついたのが私の能力の証拠だなんて、それじゃぁ、循環論だよ。エビデンスを示してよ?」
真由は、納得いかないといった顔で歩を睨んだ。
「僕には日の神のことは分からない。でも、八田王の剣を持っていた大国さんが事業に成功し、剣を譲った真由さんのお父さんはそうではなかった。そこに、真由さんは引っ掛かっているんじゃないのかい?」
推理を話す歩の顔を、真由が怖い顔で見つめていた。歩は続ける。
「真由さんは、自分の直感を信じるべきだと思う」
「私だって自分を信じたいわ。だから、エビデンスが必要なのよ」
彼女は求めていた。自分を納得させる科学的よすがを。
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