第8話 伝説
「素戔嗚がヤマタノオロチを退治した話に似ているわけだね」
歴史に無関心な歩でも、ヤマタノオロチ退治の伝説は知っている。素戔嗚はヤマタノオロチに酒を飲ませて退治し、
「皇子の偉大さを説明するために、素戔嗚の業績を例に引いて伝説にした可能性もありますけど」
真由に比べれば、冬美は歴史を冷徹に見ていると感じた。
「なるほどねぇ。古代史は興味深いな。でも、大国モモさんの事件とつながるようには思えないね」
「同感です。そもそも、この世に神とか悪霊とか、仏様なんていると思う?」
「おいおい、神社の境内で、大胆な発言だな」
涅槃山の三神を研究し、ロマンティックな想像を語りながら、神はいないと考える真由。自分が言うのも何だけど、現代っ子だ、と苦笑した。
「マイナス意見を無いことにしようとするのは、日本人の悪い癖ですよ」
「イタタタ、……痛いところをつくね」
苦笑が漏れた。
「実際のところ、今は、この神社にもご神体がないのよね」
冬美が社に目をやる。
「神主がそう言ったの? 御神体は杉の木だと書いてある」
看板を指した。
「ええ。古いご神体のことは何も教えてもらえませんでした。わからないのか、話したくなかったのかもわかりません。ただあの杉の大木がご神体だと言うだけです」
彼女は社の隣にある、
「参拝客が沢山いるのに、だましているみたい」
冬美が批判めいた言い方をするので、歩は神様をフォローする。それが大人というものだろう。
「そんなことはないと思うよ。日の神様だって、太陽そのものが神様で、ご神体の鏡は象徴だろう? 鏡がなくても神様が盗まれたわけじゃない。太陽があればいい。ここだって、剣はなくても神様がいるはずだよ」
その社に神がいるのかどうかは分からないけれど、歩は神や人魚といった霊異の存在は信じている。それは、人魚の鱗盗難事件で嫌というほど見せつけられたものだからだ。
「日本人は、山や岩、大木を神の降りる場所と考えていたから、それでいいんでしょうね。繁栄も災いも、外部からやってくる。盆地の真ん中に位置するこの山に素戔嗚が降臨したとしても悪くないわね……」
冬美の話に、真由はしきりにうなずいた。
「……素戔嗚は天上の国にいた時には乱暴者だったけれど、地上に降りてからはヤマタノオロチを退治したり大地を豊かにしたりしたので信仰された。その子供たちも大陸から植物の種を持ってきたり、季節を計る方法を持ってきたりして、この国を豊かにするのに力を尽くしたみたい。……でも、素戔嗚の後を継いだ
彼女は何かを懐かしむような目で神木といわれる杉の巨木を見やった。
「冬美さんは、何でも知っているんだね」
「そうそう。フユがいないと、私たちの研究は完成しないんだ。それに、モモもね」
真由が屈託なく語り、モモを思い出したのか、冬美が悲し気な表情を作った。
「私、神話が大好きなんです」
冬美は悲しげな表情のまま微笑んだ。
「3人は仲がいいんだ……」
霊的なものを信じているならともかく、異性やアイドルの話題に夢中になる年頃の2人が、どうして神話を好きなのだろう?……歩には理解できない。改めて冬美と真由の横顔に目をやった。
「私たち、知り合ったのは高校に入学してからだけど、気が合うんです」
「私とフユは似た者同士で、モモはお姫様というところがちょっと違うけどね」
「お姫様?」
「モモは大国屋のお嬢様だもの。私たちは庶民」
冬美が言う。その声は、少しだけ強張っていた。
「モモがジュリエットなら、私たちは通行人AとB」
真由と冬美は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
仲良しでも、一人一人の家庭環境が違うから、付き合うのは大変なのだろう。……王女様然とした玉麗の端正な顔を思った。
「神主に話を聞いてから、ここでお昼にしたんです」
冬美が話題を変え、背負ってきた小さなリュックを持ち上げて見せた。
昼食かぁ、どうしよう?……歩は手ぶらで来たことに気付いた。
3人は杉の大木の木陰に移動して自然石にかける。
「あの日もここに座ったの」
真由がリュックからアルミホイルに包んだおにぎりを出し、歩に差し出した。
「どうぞ。持ってきてないんでしょう」
「いや、いいよ……」歩は遠慮した。昼食のことなど何も考えずに登った自分が悪い。
「見ればわかるよ。手ぶらじゃない。その代り飲み物をおごって」
真由が社務所の隣にある自動販売機を指した。歩は彼女の提案を受け入れることにした。
真由のおにぎりは、シンプルな塩結びと梅の具が入ったものだったが、想像以上においしい。
「今日はサンドイッチにしました」
冬美からは、たまごサンドイッチを一切れもらった。たまごの甘さに疲れた身体が癒されるような気がした。
「会計士って、もてるの?」
突然、冬美が訊いた。意外なことで驚いた。
「えっ。そ、そんなことはないと思うけど」
声がうわずっていた。
「私の知っている会計士は、浮気者だから……」
彼女は遠い目をしていた。
「そうなんだ。一応、
「歩さんはもてるの?」
冬美の質問に、苦いものを覚えた。
「僕は会計士じゃないんだ。まだ、見習い」
「なあんだ」
真由が声を上げて笑った。
失礼な奴だな。……歩は思わず苦笑した。
「儲かる仕事なの?」
冬美が執拗に訊いた。
「それも個人差があるだろうなぁ。東京の有名な事務所の会計士なら稼げると思うけど、小さなF市じゃ、そういうわけにはいかないよ」
その時、1億円の銅鏡を手に入れた玉麗の顔が頭を過った。
「いや、そうでもないか……」
「儲かるの、儲からないの、どっち?」
「ごめん。よく分からない」
正直に答えた。
「頼りないのね」
冬美と真由が笑う。その表情に陰はない。
「知ってますか? この社の祭りの日に、3年連続して2人でお参りすると結ばれるんですよ。縁結びの神様でもあるんです」
冬美が社を指した。
「全然知らなかったな」
「それは逆だと思うわよ。3年お参りするから結ばれるんじゃなくて、愛し合っているから、3年も連続してお参りすることができるのよ」
「もう、真由は夢がないのね」
「私はリアリストなのよ」
真由が立ち上がり、身体を左右にひねった。出発する準備らしい。
「親に反対されたら、3年連続してお参りすると認めてもらえるということだね。そのくらいの執念があれば、反対する親も説得できる」
「そうそう。歩さんの言う通りよ」
「執念深いのは、嫌だな」
「努力よ、努力」
あっけらかんとした真由に向かって、冬美が薄く微笑んだ。
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