第7話 上の宮

「さっきの話の続きだけど、神主は日の宮の御神体を知らないのかい?」


 上の宮に向かう道中、歩は訊いた。


「昔は厳重に保管されていて、開けると祟りになると言われていたそうです」


「三つの宝が神の宮に揃うと、この世が滅びるという言い伝えがあったんだって。でも、それは伝説であって、神の宮のご神体は杉の大木だと言っていました」


 冬美と真由が応じた。


「法隆寺の久世観音くぜかんのんみたいなものか……」


 歩は修学旅行で聞いた話を思い出していた。


「なんですかそれ?」


「法隆寺の夢殿にある久世観音は厳重に封印されていて、見てはいけないと言われていたそうだよ。やはり、その姿が世に出ると世界が滅びるという言い伝えがあった。明治維新の混乱の中、政府の圧力と美術史家の説得で公開されたんだ」


「法隆寺の秘密は暴かれた。ここの秘密は燃えてしまった」


 真由が独り言のように言った。


「どういうこと?」


「上の宮も日の宮も、度々雷が落ちて何度も燃えているんです」


「それで神主も御神体が何か言いたくない。今では大木で誤魔化しているというわけか……」


「雷で焼けているのに月の宮の鏡はある。おかしくない?」


「それもそうだね」


「市の資料では、F市出身の金持ちが闇市で売りに出ていた鏡を買い戻して月の宮に戻したということらしいけれど、分からなかったものをどうして買い戻せたと思う?」


「真由さんの言うとおりだ。どこかにご神体の記録が残っているか、言い伝えられているということだね」


「それを夏休みの研究にしたんです」


 冬美がうつむき加減に足を進める。自分の提案した夏休みの研究中に、モモが意識を失ったので責任を感じているのだろう。


 坂は、どこまでも急だった。三人はアスファルト舗装の車道を避けて林の中の小道を上る。


 歩は時々腰を伸ばすために山頂を見上げた。少し視線を下ろすと真由と冬美の尻がある。それで足元に視線を落とす。そんなことを何度も繰り返した。


 しばらく歩くと勾配は緩くなり、小道はこんもりとした杉の森の南側に続いていた。


 森の中には想像以上に広い空間があって、上の宮はそこにあった。月の宮は小さな祠だったが、上の宮には立派な鳥居があって、その奥の社も銅板葺の大きな建物だった。雷で焼けたという話は本当らしく、柱や壁はコンクリートだ。周囲の杉の枝にはカラスが群れている。


「ずいぶんと違うものだね。こっちは立派な神社だ」


「そうですね。ここがご主人様で、月の宮と日の宮は、おまけみたいです」


「おまけかぁ」


 歩は玉麗と自分の関係を連想し、日の宮と月の宮に同情した。


「それで、時間はどう? あの日と同じくらいで着いた?」


 真由がスマホで時刻を確認する。


「うん。ほとんど同じだよ」


 鳥居の前に看板があったが、取り立てて珍しいことが書かれているわけではなかった。ご祭神名と度々雷で焼けたことが記してあり、創建時期も不明となっている。八田王やたおうを祭っているということぐらいが目新しい情報だ。それが皇子の名前らしい。


「八田王って、だれ?」


 念のために少女たちに尋ねる。


欽明きんめい天皇の長男で、正式には箭田珠勝やたのたまかつです。欽明天皇即位の年に皇太子になり、欽明13年に亡くなっています」


「そんな人が、どうしてこんなところに?」


「それもミステリーなのよ。月の宮の鏡は、八田王が持っていたものだと言われているけど、正史には八田王がこんな遠くまで来た記録はないの」


 真由の話に、歩は1500年前、ミヤコから来た男たちのことを思い出した。霊力を持つ聖オーヴァル学園の学園長に見せられた過去だ。彼らの中に、王子がいたのかもしれない。


「欽明天皇の後の敏達びだつ天皇の立太子の時期が欽明15年と29年と二つあるのですが、欽明13年に八田王が亡くなっているなら、15年立太子が正解だと思うんです。長期間、皇太子を置かないのは政治的に不安定になるでしょうから」


 冬美が奈良時代に思いをはせるように、杉木立を見上げた。


「29年に皇太子になっているのが正しいのなら?」


 歩は、冬美に尋ねた。単なる好奇心だ。


「朝廷を離れた八田王の生死が不明のために立太子できなかったのではないでしょうか。F市の南部には敏達帝がやって来たという伝説もあるので、敏達帝、あるいは、その妃の親の蘇我馬子の追手がやってきて、八田王の死を確認したのかもしれません。追手の報告を待って立太子したのが29年。そんな風に考えたら、この地に八田王が祭られていることも説明できます」


「追手?」


「昔、この辺りは東胡あずまえびす、つまり大和朝廷から見れば外国なのです。山形の月山に隠れた蜂子皇子はちこのおうじがそうであるように、ここに来る皇族は何らかの事情で都にいられなくなった亡命者だったはずです」


「そうなんだ……」


 歩は彼女の知識に感嘆するばかりだった。 


「上の宮の御神体が草薙の剣で、日の宮と月の宮が天照と月読なら、八田王は高天原を追われた素戔嗚。……日本神話を表している可能性がある。逃亡するプリンス八田王。ロマンチックだよね」


 冬美の解説を、真由が物語調に語った。


「ふーん。本当にミステリーなんだね」


「当時の朝廷は任那みまなの問題で頭を悩ませていたでしょうから、たとえ矢田王が有力な皇族でも、敏達帝自身がここまで追ってきたとは思えません。最悪の場合、辺境の地で後継者が死んでしまう可能性もあるわけですから。でも……」


「火のないところに煙は立たないということか。君たちは、八田王の逃亡劇が素戔嗚の伝説と重ねられていると思うんだね。朝廷が高天原で、ここが出雲の国。それならば、この社のご神体は剣だったはず……」


「そうなんです。月の宮は月読を祭り、三種の神器の一つの鏡がある」


「でも、今のところ御神体に剣はない。君たちの仮説は空想の域を出ていない。他に八田王が素戔嗚だとする理由があるのかな?」


 歩は真由と冬美の推理に魅かれていたけれど、信じてはいなかった。


「ここの神主さんに話を聞いたんです。八田王はこの山で大蛇や大ムカデを退治して住民を救ったそうです。南部には敏達帝が大熊を倒したという伝説もあります」


「大蛇とムカデが戦って死んだという話もあるけどね」


 真由が冬美の話に異説を付け加えた。


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