第9話 祟り

「そろそろ出発した時刻よ」


 真由の声で歩は腰を上げた。


 日の宮へ続く道は尾根伝いにあり、緩い下り坂になる。しばらく歩くと分かれ道があった。


「北に下ると古峯ふるみね神社と天狗の森です。昔、修験者たちが修行をした場所だそうです」


 冬美が森の方角を指さした。


「怖そうな場所だね」


 歩は天狗の森に入ったことはないが、その場所がどんなところか知っていた。春、聖オーヴァル学園の学園長が亡くなったのがそこだからだ。


「アッ……」息をのんだ。突然、日の宮に関係するかもしれないものを思い出した。学園長が亡くなった日の早朝、枕元に立った学園長の式神しきがみが自分のことを日の巫女と話したことだ。


「どうかしました?」


「いや、なんでもない」


 歩は誤魔化した。今回の日の宮と日の巫女。あの時のそれとどんな関係があるのか分からない。……が、無関係とは思えなかった。重大な事実だけれど、確信がない以上、少女たちには話せないと思った。話せば、亡くなった学園長や人魚の鱗の話までしなければならなくなる。


「天狗の森は石仏が点在するだけで、怖くもなんともないですよ。すぐ近くには公園や駐車場も出来ています」


 学園長のことなど知らない冬美が説明した。


「そうなんだ。神秘も風情もないね」


 日の宮と日の巫女の関係に思いを巡らせながら応じた。


「山は変わっても、人の心は変わっていないと思う」


 先頭を歩く真由が、天を仰いでいた。


 熊野山のいただきは東に向かって開けていて、灰色に鈍くきらめく遇隈川おおくまがわが南北に横たわっているのが見下ろせた。そこにある日の宮の祠も、月の宮と同じつくりの小さなものだった。ただ、格子戸の向こうにご神体らしきものは見えない。


「ここで拝んだ後にモモちゃんが固まったんです」


 冬美が言った。


「固まった? どんな風に?」


「フリーズしたんです。パソコンの画面みたいに」


「グリコの絵みたいな姿勢で……」


 祠を見つめる真由の声は震えていた。


「どんな形、やってみて」


「いや、こわい」


 2人が同時に応えた。


「僕がやってみるから教えて」


 歩は、社に向かって両手を上げ、ゴールテープを切るような姿勢を取った。やってみると恥ずかしいものだ。


「反対です」


「え、左足?」


 上げる足を変えてみる。


「向きが反対。拝んでから、社に背中を向けた状態で固まったのよ。それに、脚は上げていなかった」


「脚じゃないのか。……こうかい?」


 祠に背中を向けて両手を上げた。背伸びし、深呼吸をするように……。


「そうそう、そんな感じ」


「何か言葉を発したり、目が動いたりしなかった?」


「全然。突然だったのよ。写真に撮ったみたいだった」


 歩はその姿勢で、顔の向いた方角を見下ろす。遇隈川と田畑があり、住宅が点在していた。その先にはなだらかな山地が続くだけで、特別な何かが見えるわけではなかった。


「その時は日の神の話をしていたの?」


 歩の問いに、冬美が小さく首を振る。


「ううん。モモのお父さんが、真由の住んでいる隣のN市に店を出すとか出さないとか、そんな話をしていたの。そうよね、真由」


「そうだったかな……」


 彼女が首をかしげた。


「忘れたの? 支店を出したら、真由のお母さんに働いてもらおうなんて、冗談を言っていたわ」


「ああ、そんな話もしたね」


 その口調は、それまでと違って重い。


「支店の話をねぇ……」


 歩は、ちょうどそのころ大国屋の会議室にいて、支店を出すのは難しいだろうと話していたことを思い出した。


 もう一度両手を上げて景色を望む。気持ちがいいだけで、怪しいものを感じることはなかった。


「何か分かった?」


 訊いたのは真由だった。


「さっぱりだね。ここに祭られているのは、君らの想像では天照大神なんだね?」


 歩は振り返り、祠を観察する。月の宮と違って、そこには解説が書かれた看板はなかった。


「ええ。月の神に対応する日の神といえば天照でしょう?」


 冬美が答えた。


「ここは日当たりがいいけれど、祠を見る限りでは、日本神話の三神が祭られているようには見えないよ」


「どうして?」


 真由が小首を傾ける。


「上の宮だけが大きくて、バランスが悪いよ。日本神話では三神は姉弟だし、むしろ天照の日の宮が、一番大きくてもおかしくない」


 疑問を言うと冬美が口を開いた。


「天孫降臨の日本神話が確立したのは記紀編さんに伴ってのことなので、八世紀なんです。ここに神が祭られたのは六世紀と言われているので、記紀にあるような神話のねつ造の影響を受けていないと考えています」


「なるほどね。冬美さんの知識は、すごいものだ」


 本心から言った。


「八田王を追ったのは敏達帝だけど、その背後には蘇我氏がいました。日本神話は、蘇我氏を滅ぼした天智天皇のころから作られ、出来上がったのは持統天皇のころ。政治の実力者も蘇我氏から藤原氏に代わっているので、物語も藤原氏の都合がいいように180度、変わっている可能性があるんです」


 冬美は得意げに解説を加えた。


「歴史は時の為政者によって作られるということだね」


「歴史は奥深いものです。ウンウン」


 真由が茶化すように言うので、冬美がにらんだ。


「その中で、祟るような神様はいなかった?」


 歩の質問に、冬美が応じる。


「祟りですか?……そういえば、大国主の息子の事代主ことしろぬしは、祟る言葉を残して海に身を隠したと言われています」


「やっぱりモモの意識不明の理由が祟りだというのね。それは非現実的すぎるよ。おじさん……じゃなかった、歩さん。本当に大丈夫?」


 真由が、あきれたとばかりに首を振る。


「真由の言う通りです。今は21世紀だもの。祟りなんてないと思います。お願いです。真面目にモモを助けてください」


 歩は苦笑した。


「僕は、いたって真面目だよ」


 祟りはある。



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