第20話 御神体

「気が付いたようだな……」


 意識が戻った歩が最初に聞いたのは、そんな声だった。


 目の前にあるのは安っぽい天井。寝心地の悪いベッドに白い布団カバー、着せられた検査用のパジャマ……。そこが病院だとわかった。


「僕はどうして……」


 目の前に人影が浮かぶ。そして、玉麗と目があった。


「大国に襲われたそうだ」


「そうだ……」


 七恵を助けようとして切られたのを思い出した。


 どこを切られたのだろう?……身体を起こそうとしたが、痛みで起きることができなかった。痛みは全身にあって、切られた場所はわからない。分かるのは、生きているということだけだ。


「みんなは無事ですか?」


「警察の聴取を受けている。そろそろ戻るだろう」


 玉麗が深いため息をついた。何かを我慢しているときのため息だ。


「迷惑を掛けました。すみません」


 怒鳴られる前に謝った。


「いや、いい。仕事だからね。だが、治療費は自腹だぞ」


「えっ。仕事なら、労災では?」


「馬鹿野郎。女の子を4人も連れまわしていて、労働基準監督署が労災を認めてくれるはずないだろう」


 馬鹿野郎と言いながら、玉麗の言葉は原稿を読んでいるようだった。


「そうですか。……玉麗さん、僕をだましていませんか?」


 彼女の顔をジトっと見つめた。


「う、うるさい……」


 玉麗の目頭に涙が見えたので、歩はそれ以上、問い詰めることができなかった。


 ほどなく七恵が戻った。


「何故、私の手を引いた。私なら、頭を割られても死なないのに」


 彼女の顔が、いつもののっぺりとしたものに戻っていた。


「そうだったね。すっかり忘れていた」


「思慮の足りないやつね」


 七恵の口調には、歩だけが分かる彼女らしい喜びの響きがあった。


「死ななくても、切られたら痛むだろう?」


 七恵が目で笑う。


「それはそうだけれど、剣が普通の金属なら、歩は死ぬかもしれなかった」


「僕なら大丈夫ですよ」


 その言葉には根拠がない。


「そのようね。うふ」


 白髪の少女が七恵の陰から現れた。


「香さんか……」


「ハイ。今日は、いろいろと不思議な経験をしましたよ。うふふ」


 香が歩の顔を覗き込んだ。胸が近づく。


「不思議な体験って、何があったの?」


 歩は目を閉じて訊いた。


「覚えていないの?」


 香は、〝うふ〟を忘れていた。


「大国が振り回していた剣が、消えてしまったのだ」


 七恵が事務的に言った。


「消えた?」


「歩の身体の中に、溶けて消えた」


「4人の話を総合するとこういうことだ。……大国は剣を振りおろし、歩の額から胸に食い込んだ。それは身体を切らず、血を流さず、歩の中に溶けて消え、大国が正気に戻った。そこを4人の女たちがぼこぼこにした」


 玉麗が嬉しそうに説明した。


「それで、大国は?」


「今は留置場の中だが、すぐに出てくるだろう。歩が傷を負ったといっても打撲傷だし、凶器も発見されない」


「打撲傷……」


 切り傷ではないのか?……パジャマの前を広げて痛む胸を見た。


 縦に張られた湿布をはがすと、胸から下腹部にかけて縦に黒い痣があり、それは股間にまで達している。所々に肋骨と並行に伸びた木の枝のように突き出た痣があった。まるであの剣の八つの突起のようだった。


「この痣の形は……」


「大国屋が持っていた剣と同じ形なのよ。少し縮んだみたいだけど。うふ」


「勃起したら剣が握れそうだ」


 玉麗が笑うので、歩はあわててパジャマを元に戻した。


 香は両手で顔を覆っていたが、七恵は無表情に視線を股間に向けている。


石上いそのかみ神宮にあるという七支刀によく似ている」


 七恵の口元がひくついているのは、笑っているのに違いなかった。


「もしかしたら……」


「おそらく上社の御神体だ」


 歩と七恵は視線を合わせてうなずき合う。


「しかし、体内のお宝では売るわけにもいかないが……」


 玉麗が歩の腹をつついた。


「腹を裂いたらとれるかな?」


「玉麗ならやりかねない」


 七恵がぼそりと言うので、歩は震えた。


「冗談だ」


 玉麗がいう。


「冗談でも止めてください。本当に、僕の腹の中に入っているのですか?」


「CTでは何も見つからなかったそうだ」


「それじゃ、剣はどこに?」


 歩は香の顔を見た。巫女の彼女なら、御神体の場所がわかるかもしれないと思った。


「私にもわからないわよ。うふ」


「消化したんじゃないか?」


 玉麗が笑う。その時、別の声がした。


「気が付いた?」


 真由と冬美だった。


「ああ。君たち、怪我はない?」


「私たちは全然、平気です」


 涙声の冬美が枕元に屈みこんで歩の手を握った。


「私、心配で死んじゃいそうです」


 玉麗や香の冷たい視線が向いても、冬美は意にかえさない。


「私が看病しますね」


「大丈夫だよ。冬美さんたちは夏休みの研究を仕上げないといけないだろう」


「そんなもの、どうでもいいんです」


 冬美の言葉に、真由が苦笑いを浮かべた。


 玉麗や真由らが帰った後も冬美は残り、2人きりになると嬉々として友達や歴史の話をした。ただ、自分たちのことにだけには触れなかった。


 夏の日も、時がたてば陰る。


「もう帰ったほうがいいよ。家の人が心配する」


「大丈夫です。うちは母子家庭で、母は夜遅くまで働いているんです」


 彼女がファザコンだと言った真由の言葉を思い出す。


「お父さんは?」


 冬美が傷つくかもしれないことを覚悟して聞いた。


「生まれた時からいません。母は私を生む前に離婚したのです。私を妊娠しても、父にそのことを言わなかったそうです。苦学生だった父を支えていたのに……。父は、会計士になると若い女と恋に落ちて家を出て行ったそうです」


「会計士……」


 冬美が会計士の仕事にこだわった理由が腑に落ちた。上の宮で、会計士はもてるのかとか収入はいいのかと聞いたのは、歩のことを知ろうとしたのではなく、父親のことを知ろうとしていたのだろう。それなら、自分は憎い敵の仲間なのだ? そう考えると気持ちは沈んだ。


「でも、強いお母さんだね」


「父を責めたり、泣き言を言ったりできなかったんです。弱いからですよ」


 強がってはいるが、冬美の声は震えていた。


 夜になり、好子や梅世が見舞いにやってくると、冬美が若妻のように応対した。歩は不安を覚えた。彼女を嫌いなわけではない。歩の中には、常に歩を縛る七恵の視線があった。


 午後8時を過ぎた時、阿久がやって来た。


「見舞いだ」


 阿久は冬美にビールの詰め合わせを渡した。それを受け取る時の冬美の眼が妙に暗いのに気づいた。ファザコンなら彼女が好むのは、自分より阿久だろう。そんなことを考えたものの、阿久は既婚者なので薦められない。


「君、歩の妹?」


 阿久が聞くと冬美は首を横に振った。


「彼女?」


「そのつもりです」


 冬美の瞳は燃えていた。


「そうか、かわいいだね」


 阿久と冬美は、しばらく世間話をしていた。その様子は親子のようだったが、冬美の瞳に映る色は、憧れや愛情とは程遠いものに見えた。


 阿久が帰ると冬美も帰ると言う。歩はほっとしたが、不安も覚えた。その不安の原因がどこにあるのか、分からなかった。


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