第29話 可愛い客

 ――ピンポーン――


 歩が部屋に戻るのを待っていたように、絶妙のタイミングでチャイムが鳴った。


 ドアを開けると金髪の美子が立っていた。大きなリボンは真紅に変わり、スカートも同じ色だった。リボンとスカートの色を合わせるのが美子のこだわりらしい。


「こんにちは。プンプン。……あら、先日の……」


 美子が首を傾げた。


「ど、どうも。友達がこれを拾っていたので」


 ピンク色のチラシを見せた。


「そうなんだぁ。よろしくお願いしますね。とりあえず5万円くださいな。先払いでーす。プンプン」


 部屋に上がらず、彼女が手を出した。


「とりあえずビールみたいだね」


「はい、逃げようとする不埒ふらちな殿方がいるので、先払いでございます。プンプン」


「僕は逃げないよ」


 代金を差し出す手が震えた。


「5万円って、相場なの?」


 交渉の余地があれば、と期待して訊いてみた。


「あらら、こらら。……私はロリコン男性に人気なのだ。10万円払うという殿方もいるんだよ。5万円は初回サービス価格なの。いやなら帰るけど、キャンセル料は2万円だよ。プンプン」


「いえ、是非に、お願いします」


 ぺこりと頭を下げると美子の脚が4本に見えた。


「え?」


 彼女の肩に手を当てて横に動かす。いつの間にやって来たのか、背後に栄花がいた。


「え、栄花ちゃん……」


 美子を部屋に押し込んで、栄花の視線をさえぎるように屈みこむ。


「栄花ちゃん、どうしてここにいるの?」


「アユミちゃんは、なにしているの?」


「僕は歩だよ。栄花ちゃんはいつもみたいに、下の事務所に行ってお勉強しなさい」


 追い返そうとしたが栄花は動かなかった。


「勉強は飽きたわ。アユミが休みだから遊んでもらえって、ママから電話が来たの」


 歩は、梅世が仮病に気付いていたことを初めて知った。


「そ、そうなんだ……」


 頭の中が真っ白になった。そんな歩を見かねて美子がしゃしゃり出てくる。


「栄花ちゃんていうのね。かわいい。……でもね。アユミちゃんは、これからお姉さんと遊ぶ約束をしているの」


 プンプンはどうした、と心の内で突っ込んだ。


「遊ぶと、5万円もらえるのよね。アユミちゃん、栄花が遊んであげる」


 どこから話を聞いていたのか、彼女はとても積極的だった。


「ダメダメ……」美子は負けていなかった。「……アユミちゃんはお姉さんみたいにおっぱいの大きな女の子が好きなのよ。栄花ちゃんも早く大きくなるといいわね」


 美子は栄花の目の前に胸を突きだして振って見せた。すると栄花の顔がくしゃくしゃになり、涙目になって階段を駆け下りていった。


「あぁ、泣かせちゃった……」


「人生は山あり谷あり、おっぱいありなんだよ。女子の涙に騙されてはいけません。プンプン」


 美子は、意味不明なことをさらりと言って、部屋の奥に進んだ。


 今頃、栄花が事務所で何を報告しているだろう。……想像すると、涙が落ちそうだった。彼女が梅世に、いや、玉麗に、アユミがおっぱいの大きな女の人と遊んでる、と密告するのではないか……。


「殺風景な部屋だね。プンプン」


 美子が歩の部屋を見回して感想を言った。それで歩の悲観的な妄想が断たれた。


「そうかな?」


「美子が行く部屋は、どこもアニメのポスターが貼ってあってフィギュアが並んでいるよ。プンプン」


「安定した客層をつかんでいるんだね。固定客かな?」


「そうそう。それが安定経営の秘訣だよ。プンプン」


「プンプンもキャラづくりの一環?」


「もちろんだよ。10年前からプンプン始めました。それ以前は、テヘ、だね。……ちなみに、テヘの流行はすたれちゃったね。もう少し時間の経過を待って、みんなが忘れたころに、テヘテヘに移行するつもりだよ。プンプン」


「なるほど。確かに、プンプンもずいぶん昔に聞いたような気がしていたよ」


「さあ、前戯はこのくらいにして、何から始めますか、ご主人様?」


「お、キャラが変わったね」


「飽きられないようにしないとね。で、なにからしましょう。SM、コスチュームプレイ、それとも……」


 彼女が目尻を下げた。


「ち、ちょっと待って……」


 歩は怖気づいていた。


「……コーヒーを入れるから、そこに座って。先に、日の宮の話を聞かせてくれるかな」


 コーヒーカップを並べて、美子に頼んだ。


「えぇー、話は苦手だよぉ。私の口は話すためじゃはなく、食べるためと舐めるためにあるようなものなのよ。どうしても話したいというのなら、ベッドの中でね。別料金だよ。プンプン」


「話は、オプションなの?」


「とにかく裸になれ、プンプン」


 美子は歩をベッドに押し倒して身体に乗ると〝DEVU & PEACE〟と書かれたTシャツを無理やり脱がせた。


「……ん、〝八枝刀〟これは矢田王様の神紋……」彼女が歩の胸の痣に目をとめた。「……その気配はないけど。……この神紋、どこで授かった?」


 美子の口調が大人びたものに代わっていた。細い指が、胸から下腹部に向かって痣をたどる。サワサワする快感に「ヒッ」と歩の喉が鳴った。


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