第30話 神々の思惑
「この神紋、どこで授かった?」
歩の胸に乗った美子が繰り返した。
「キャラが変わった……」
「うるさい。さっさと言わないと、月に代わってお仕置きよ」
彼女が耳を思いっきり引っ張った。
「テテテ、痛いよ。止めてくれ、言うから……。授かったかどうかわからないけど、奴奈之宮神社で切られたときの傷だよ。神紋って、何?」
「そうか、石姫様に導かれたのか……。時を経てもなお、我が子を守っておられる。母の愛とはかくも深いものか……。ならばこの神文、正真正銘、八田王様のものであろう。あなたは、八田王様に選ばれたのだ」
「言っている意味がわからない。詳しく説明してくれないか? 神紋って、何?」
「なるほど。優しいが、どことなく頼りないところが八田王様に似ているのかもしれない。八田王様は、あなたの身体を使って、この世で何かをしようとされているのだ。それを石姫様も承諾されている。神紋は神様の印。人間の家紋と同じです」
「ふーん、矢田王がやろうとしている何かって、世界征服や人類を滅ぼすとかいうこと?」
神や悪魔がするとしたなら、そんなことだろうと思った。
「八田王様は、そんな無茶なことはされない。とても優しい方で、そのために朝廷を追われたようなものです。かつて八田王様の怒りによると言われた大飢饉や大災害があり、そのために私は月の巫女になった。八田王様は、時に怒り時に悲しみ、暴走して災いをなすことはあっても、それは朝廷のもたらす災いに比べれば、ほんの些細なことでした」
美子の顔に憂いがあふれる。
「それでは何をしようとしていると?」
「あなたのもとに八田王様が現れた時の様子を話してください」
「八田王の姿を、僕は見ていないよ」
「見たはずです。その胸にある剣の神紋が証拠です」
「御神体のことだね……」歩は、モモを助けるために七恵たちと山に登り、日の宮から山を下って奴奈之宮神社の境内に入った時、宝刀を手にした大国に襲われたことを話した。「その時、大国は、成敗と叫んで切りかかって来たんだ」
「あなた方の中に、八田王様にとって敵視すべき存在がいたということでしょう。八田王様があなたの体内に宿ったのは、あなたが八田王様と似ていたからだけでなく、あなたといることで目的を達成できると考えられたからかもしれない……」
美子が小首を傾けて考え始めた。
無口になった彼女は魅力的に見えた。そんな彼女の暖かく柔らかな尻の感触が下腹部にあたっていて、歩の健康な男子としての欲望がわずかばかり頭をもたげた。
考えに没頭しながら、彼女は察知したものらしい。
「馬鹿者、矢田王様の心の内を思う時に、卑猥なことを考えるな」
そう言うと腰を浮かし、すぐにドスンと落とした。
――ウップ――
硬度を増していた歩の中心に痛みが走り、肺の中身と妄想が喉を突いた。目の前に幾多の星が輝いた。
「で、いるのだろう? 矢田王様の敵が……」
――七恵、香、冬美、真由……。大国に襲われた時に一緒にいたメンバーを思い出す。彼女たちの中に、矢田王に害する者がいるとは思えなかった。が、しいて言うなら……。七恵の存在が重みを増した。彼女は1500年以上前からこの世にいる。5世紀半ばの欽明天皇のころ、彼女はどこかで矢田王と接点があったのかもしれない……。
歩は、その推理を話す気持ちになれなかった。それを明確にして矢田王と宝剣にまつわる問題を解決するのが仕事だとしても、友達として、いや友達以上恋人未満の関係にある者として、七恵を売るようなことはできない。
「僕たちの中に八田王の邪魔をする敵がいるということだよね……。八田王の目的って、なに?」
歩の疑問に対して、彼女が憐れむように首を振った。
「それはあなたのほうが知っているはず。まだ覚醒してはいないものの、あなたの意思は八田王様の意思でもあるのですから」
「あの時、僕と一緒にいた者の中に、悪い人間はいないよ。みんな清純無垢な少女なんだ」
美子が腰を強く押し付け、再び首を振った。
「人間に限らず、全ての生命は見た目だけで判断してはいけないのですよ。何物にも無関心をよそおいながら、突然牙をむく動物がいる。毒を持つ振りをしながら毒を持たない弱い生き物がいる。可愛い顔をしながら、男性から金品を巻き上げる少女がいる……」
それは君のことだろう!……歩は言葉をのみ込んだ。
「……私たちは、見た目に騙されず、物事の本質を見極めなければならないのです」
私たち?……いつの間にか仲間にされていた。
「八田王が間違っているということはないのかい?」
「神は精霊。その
彼女は断言した。
「八田王が暴走して災いもたらしたことがあったと言っただろう? 今回も暴走している可能性があるんじゃないの? 神様が常に正しいとは限らないだろう?」
「もちろんそうです。あなたはあなたの考えで行動すればいいのです。それでも、あなたの考えは八田王様と一致するでしょう」
歩には、美子の話が理解できなかった。彼女が続ける。
「今、あなたが八田王様の敵を見つけられないのは、あなたの眼が曇っているからではなく、あなたの心が選ぶことを拒んでいるからです」
彼女は寂しそうに目を閉じた。
「日の神のことだけど、日の巫女を失った日の神は、依代を探しているんだよね? そうして見つけたのがモモさんだった」
突然話を変えたのが気に入らなかったのか、巫女の眉がピクリと動き、眉間にしわが寄った。
「日の神が新たな巫女を探していたのは事実でしょう。そうしてモモと出会ったのに違いない。日の神は、胸の平たい女性が好みでしたから。……モモは適任に思えたけれど、彼女にはその意思がなかった。それなら、日の神の一存でその体に入ることはできないし、彼女が意識を失うこともなかったはず……。日の神を助け、モモを抑え込んだ何者かがいたのでしょう」
「よく分からないな。どういうこと?」
「善意であれ悪意であれ、神のもとに巫女を連れて行き、同時に、モモの自由を縛った力があったのです。巫女が巫女としての念を発しなければ、神は知ることができない。本人以外の誰かが、モモを巫女として差し出したのです」
美子は神妙な顔で話した。が、歩の下腹部にまたがっているのだ。そんな彼女の話をどこまで信じていいのやら……。
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