第33話 秘密
「俺の宝剣を返せ」
――トントントン――
「俺の宝剣を返せ……」
――トントントン――
いつもの闇に謎の音が紛れ込んでいた。
「ん、なんだ?」
歩は、自分の声で目覚めた。
――トントントン――
遠慮がちなノックの音だった。
スマホの時刻表示は午前5時過ぎ。カーテンの隙間からほんのりと光が漏れていた。
「だれだよ、こんなに早く……」
ぶつぶつ言いながらベッドを抜け出した。その時は、栄花が悪戯をしているのではないかと疑っていた。
ドアの向こう側にいたのは緊張した面持ちの冬美だった。額に汗が浮いているのは、急いでやってきた証拠だ。いつものようにフェミニンなスタイルだった。ピンク色のブラウスにも汗がにじんでいた。
「早くからごめんなさい。話したいことがあるの」
彼女を部屋に入れるのは躊躇われた。歩は寝起きの格好のままだったし、室内のオタクの痕跡を見られるのも恥ずかしい。けれど、外では話す場所もない。第一、彼女の目が、部屋に入れろと強く催促していた。
「散らかっているけど、どうぞ」
実際、散らかってはいなかった。引越して間もなく、おまけに女子寮に潜入調査などしていたから、散らかす暇がなかった。……と思いきや、テーブルの上にピンク色の小さなチラシがあるのに気づいて慌てた。自分の背中で冬美の視線を遮り、チラシを取るとパジャマのポケットに押し込んだ。
その様子を、彼女が怪しいものを観る目で見ていた。
「こ、コーヒーでいいかな?」
歩はコーヒーを淹れるのを口実に、彼女の視線から逃げた。
「おかまいなく」
「インスタントだから……」
昨日、美子が使ったコーヒーカップを使うのは後ろめたいものを覚えた。とはいえ、他に客に出せるようなコーヒーカップはなかった。
「自転車できたの?」
彼女が汗ばんでいるので、そう訊いた。朝なので暑くはない。涼しいくらいだ。彼女の汗はすぐに引くだろう。
「はい。すぐに帰るので、お構いなく」
彼女の澄んだ声が室内に響いた。それを隣室の好子や梅世が聞きつけるかもしれない。慌てて窓を閉め、エアコンのスイッチを入れた。その騒音で彼女の声は隠されるに違いない。
「僕も聞きたいことがあるから、ちょうどよかった。ちょっと待っていて……」
歩は寝室に戻って着替えた。
寝室から戻ると、彼女は部屋を見回して歩の生活ぶりを分析しているようだった。
「それで、話って?」
促すと、彼女は表情を硬くした。
「栄花ちゃんが変なことを言っていたのよ。ここに綺麗な女の人がいて、歩さんと遊んでいるって。……どういうことかしら?」
七恵や香に出会った時といい、今日のことといい、冬美は恐ろしく嫉妬深い女性なのだと察した。かつて出会ったことのないタイプだ。いや、いたのかもしれないけれど、女性と付き合ったことがないから分らなかっただけなのかもしれない。
ここは慎重に対応しなければならないぞ。……経験はなくても、アニメやゲームで女性の嫉妬に関する知識だけはあった。
「実は、一昨日、モモさんの病室にやって来た月の巫女を呼び出したんだ」
慎重に言葉を選ぶ。
「月の巫女?……呼び出したって、どういうこと?」
彼女の瞳に映る猜疑の色が濃くなった。
「えーっと……」
どう話すべきか迷った。1200年前に月の巫女に月の神が降り、今でも生きているなどと信じてもらえるとは思えない。かといって、上手い嘘も思いつかなかった。
「信じてもらえないかもしれないけど、正直に話すよ……」そう前置きして、話し始めた。「……名前は月野美子。1200年前に荒れた八田王を鎮めるために山に登った巫女の一人らしい。月の神がその身に降りて、ずっと生き続けているそうなんだ。モモさんのことで、色々と教えてもらっていたんだ」
「本当に?」
その眼は、相変わらず歩を疑っていた。
「ああ、事実かどうかではなく、彼女はそう言っていたし、香さんも彼女に神が憑いていると言った。月の巫女と一緒に山に入ったのが日の巫女で、その巫女が死んでしまったために、日の神がモモさんに憑りついたそうだよ。月の巫女が教えてくれた」
「それを信じろというの?」
「信じるかどうかは冬美さんの自由だ。僕は信じることにした」
「そうなんだ……」
冬美はホッと息を吐き、目を閉じた。
信じてくれ!……歩は願った。
彼女が目を開ける。その瞳に猜疑の色はなく、表情も驚くほど明るくなった。
「わかったわ。歩さんが信じるというのなら、私も信じる。それで、私に聞きたいことって、なあに?」
歩は胸をなでおろした。
「うん。2人のことについて、教えてほしい」
「2人?」
「君と真由さんのことだよ」
「どうして、真由のことも聞きたいの?」
彼女の眉間にしわが寄る。
地雷を踏んだ?……歩は慌てた。一見仲の良い冬美と真由だけれど、冬美は真由に対して強い対抗心を持っていると感じた。
2人のどちらかが、モモさんに日の神を近づけた犯人かもしれないなんて言えない。……頭を抱え、言葉を探した。そうして思いついたことを、慎重に話した。
「……いや、本当に聞きたいのは、冬美さんのことだよ。君が会計士にこだわっていることが気になっているんだ……」まず、外堀を埋めよう。そんなつもりで冬美の父親のことに話題を向けた。「……冬美さんのお父さんは会計士だって言ったよね。君は、お父さんが誰かを知っている。……そうだよね?」
冬美の表情が普段ものに戻った。軌道修正成功!……胸の中でガッツポーズを取る。
「ええ。母には内緒で調べたの」
「間違っていたら申し訳ないんだけど、冬美さんのお父さんは阿久さん?」
涅槃山に登った時の質問や、病室で阿久と冬美が仲良く並んだ姿から、もしや、と考えていた。2人が親子なら、昨日、阿久に口説かれた冬美が怒って帰ったことも理屈が通る。娘として女性にだらしない父親の姿は見たくないだろう。
冬美が一瞬、固まった。それから、ゆっくりうなずいた。
「そうか……」
推理が当たっても嬉しくはなかった。むしろ、心の整理に時間が要った。壁や天井に目をやりながら言葉を探した。
「阿久さんは、冬美さんが自分の子供だと知っているの?」
知っているはずがない。そうわかっている。もし知っているなら、口説いたりしないだろう。
「いいえ。知らないんだと思います。昨日は、口説かれたから驚いちゃって……」
冬美の瞳が濡れた。
「阿久さんを、恨んでいるの?」
改めて尋ねた。冬美の態度からはそんな気配はなかったが、捨てられた子供が親を恨むのは普通の感情だろう。
「それが、よく分からないんです。恨んでいたような気もするし、憧れてもいたし……」
歩は、大国とモモの関係をうらやむ冬美の気持ちが、モモを日の宮に連れて行き、日の神に近づけたのではないか、と推理していた。とはいえ、今、そのことを話すつもりはなかった。そんなことを話したら、彼女は傷つくに違いない。
彼女と阿久の関係のこともある。万が一、彼女の気持ちがモモの意識喪失の原因だとしたら、事件解決のために、彼女と阿久の関係を公にしなければならないだろう。それは宝会計事務所にとっても様々な影響があるに違いない。玉麗に断りなく、話を進めるわけにはいかない。
第一!……歩は自分に言った。冬美の嫉妬が原因というのは、可能性の一つに過ぎない。
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